「エロいは断然カラ松くん!」
「いいや、絶対ハニーだ!悪いがこれは譲れないぞ!」
夏は真っ盛り。喧騒と呼べるほどの蝉時雨をBGMに、私とカラ松くんは松野家縁側で対峙する。
「ちょうど良かった。いつかは腰据えて話をしなきゃと思ってたんだよね」
「望むところだ。いい加減、男としての威厳を取り戻さないとな」
ゆるゆると首を振って前髪を掻き上げる私に対し、カラ松くんは腕を組んで不敵に笑う。
「オレとユーリ──どちらがエロいか結論を出そう!」
こうして、最高にどうでもいい、誰得な決戦の火蓋は切って落とされたのだった。
夏は、一年の中で最も薄着になる季節だ。うだるような都会の蒸し暑さに、全身から汗が吹き出る。
季節に関わらず肌の露出を厭わないカラ松くんは、バッククロスの黒いタンクトップに短パンという出で立ちで、本日も例に漏れず肌色率が高い。腕を上げた時の脇チラはもとより、腰から尻にかけてのラインは卒倒ものだ。総じて、エロい。
「言うまでもなく夏場のカラ松くんはさ、エロスの化身なんだよ」
「例え方」
「まず全体的に露出度が高い。その上、ただのタンクトップじゃなく、背中の筋肉を見せつけるかの如きバッククロスタンクトップ。露出自体は僅かに上がっただけだけど、僧帽筋と上腕二頭筋のコラボは眼福の極みだよね」
息継ぎなしで捲し立てる私に、カラ松くんは早々に動揺を隠せない様子。見つめ合った目を逸らしたのは、彼が先だった。
しかしすぐさま体勢を整え、負けじと応戦する。
「ノンノン、ハニーの妖艶さには敵わないぜ。
ユーリが着ているオフショルのブラウスは、童貞御用達の分かりやすいノースリーブとはまるで違うエロさだ。肩の開きが二の腕に達するのは、さすがにセクシーが過ぎるんじゃないか?んー?」
カラ松くんは私の肩に向けて指を突きつける。肩の開きが大きいオフショルダーのトップスに、丈の長いワイドパンツが、今日の私の服装だ。
「両肩が出でいると、その下を想像するときの難易度が格段に下がるんだぞ、ハニー」
しれっとセクハラ発言。なるほど、松野家次男もこの議論に本腰を入れてきたというわけか。相手にとって不足なし。
いずれにしても露出が増える時期だ。服装だけで結論を出すべき内容でもなし、言及するのはこの辺にしておこう。
「そもそも、狙ったセクシーさとか色気の押し売りは、眼福だけどそそらないんだよね。健康的な色気を放つ人は健全だし、見てる側の目の保養にもなるし一石二鳥って感じ。『そんなつもりなかったのに』感がたまらない」
「ウェイトだ、ユーリ。それはユーリの主観だ。
今回の論点は、一般的観点で見てユーリがエロいか俺がエロいかでいいんだよな?」
カラ松くんが片方の眉を上げて、異議を唱える。
「議論前に目的を明確にする姿勢は素晴らしい。ファシリテーター向いてるんじゃない?」
「おだてて陥落しようったって、その手には乗らないぞ。今のオレはハニーの敵対者だ」
腕組みをして毅然と言い放たれる。
響き渡る蝉の声が、まるで私たちを鼓舞するかのように一層音量を増したように感じられた。
「へぇ…いいね、その反抗するような目」
可愛い、と小さく呟けば、カラ松くんはぴくりと眉を揺らしたが、唇を引き結ぶ。今の攻撃は耐えたようだ。
「カラ松くんはそういう点で適合者なんだよ。
露出が過度な時はあいにく食指は動かないけど、普段の適度な肌見せはあくまでも自分のためっていうのがいい。そのくせ、いざじろじろ見られると恥じらうその姿や良し!これが正統派のエロさってヤツでしょ!?」
「ま、待て!まだ議論の目的が明確化されてな──」
「格好いいと可愛いがユニゾンして、雄みのある色気と天然なエロスがどっちも楽しめる松野カラ松、お得物件すぎる」
反論を許さず畳み掛ける私。
「そう思ってるのはユーリだけだ!」
「そんなことないっ」
私は大きく首を横に振った。
「そうだよね、みんな!カラ松くんってエロいよね!?」
私が視線を向けた先には──カラ松くんを除く松野家の六つ子たち。
同じように縁側に腰掛けていたが、それぞれが無言で遠い目をしていたところに突如私から声が掛かり、揃って肩を強張らせた。こっち見んなオーラが半端ない。
「え…ちょっとどうすんの、こっちに振ってきたよ」
「気配殺してたのに巻き込まないでほしい」
「史上最高峰にどうでもいい」
チョロ松くん、十四松くん、一松くんが立て続けに議論への参加を拒否。トド松くんに至ってはおもむろにスマホを手に取り、気付かなかったフリを装う。
残ったおそ松くんが彼らの総意を代弁するように、長い溜息と共に私に顔を向けた。
「うんそうだね、ユーリちゃん。カラ松の方がエロい──って、言うと思う?」
「ごめん、言ってから後悔した」
テンション任せの発言は控えた方が良さそうだ。私は素直に謝罪する。
「客観的に見たら、もしかしたら万一にも、カラ松の方がエロいって結論が出るかもしれないよ?
でもさ、同じ顔で同じ背丈で年がら年中お互いの裸を見慣れてる俺らにそれ聞く?
これでカラ松って答えたら、とんだナルシスト集団だよ」
「ごめんって」
「俺らは、ユーリちゃんの方がエロいって言うに決まってんじゃん」
淡々とおそ松くんが結論を述べる。
その言葉を聞いた次男坊は、我が意を得たりばかりに俄然目を輝かせた。
「よく言ったブラザー!民主主義では、マジョリティの意見こそジャスティス!」
片手で大きく薙ぎ払う仕草をして、カラ松くんは勝ち誇ったように言い放つ。
「炎天下で汗の滴る柔らかな肌、二の腕と足首から下の一般的な露出だけでも、童貞にはご褒美でありチェリハラと言っても過言ではない!さらにハニー自身は今の自分を何とも思ってないだろうが、両肩が出ることで強調される鎖骨とうなじは普通にエロい!」
カラ松くんが力強く演説する後方では、六つ子の何名かが同意するように首を縦に振った。拍手をする者まで出る始末。
「童貞にとっては、夏場のハニーというだけで刺激が強すぎるんだ。健康的なエロス?それはユーリの方だろう!?」
「あい!カラ松兄さんに一票!」
ついに十四松くんが挙手をして声を上げた。外野は黙っとけ。
「それをキュートなスマイルでパーソナルスペースにぐいぐい入り込んでこられたら、勘違いするのが自然の摂理だろう?何しろこっちは絶賛童貞更新中の身だ!」
苦悩の表情でフッと息を吐き、耳にかかる髪を掻き上げる。
「無自覚な露出と接近は童貞にとって劇薬と認識すべきだぞ、ハニー!今年の夏、袖の短い半袖の脇チラで、オレが何度前屈みになったことか!」
ここぞとばかりに個人的な遺恨を叩きつけられた。
「そんなの知ったこっちゃないよ。っていうか、それ女の人全般に言えることで、私関係ないよね?」
「オレはユーリだけだ!」
一瞬、世界が時を刻むのを忘れたかと錯覚した。けたたましい蝉の声さえ、確かにその瞬間、私の耳には聞こえなかった。雄々しい彼の顔と、真正面から目が合う。
そして直後、カラ松くんはハッと我に返ったかと思うと、顔を赤く染め上げた。
「あ、あの、これは違…ッ。いや、違うわけでもないが、ええと…」
しどろもどろになって目が泳ぐ。心なしかじわりと涙が浮かんでいる。
どちゃくそシコい。
これがエロくなくて何がエロいんだ、教えて偉い人。
「やっぱカラ松くんが圧倒的にエロい。トップオブエロスを名乗っていい、国民を代表して私が許可する」
にじり寄って、カラ松くんの腰に両手を添える。口角が上がるのを抑えられない。脳みそが沸騰したみたいで、視界が揺れる。
「…ッ、ユーリ…!?」
布越しの感触に、カラ松くんはびくりとして反射的に腰を引こうとするが、触れた指に力を込めて僅かな拒絶も許さない。
「え、ちょっ、ハニー何を──」
「それじゃ、僕らそろそろ暑さ限界だから居間に戻るね」
「母さんが買ってきてくれてるアイス食べようよ。ボクもう汗ドロドロで限界」
カラ松くんを除く六つ子たちは、口裏を合わせたように一斉に立ち上がり、クーラーの効いた室内に戻ろうとする。
「ユーリちゃんも程々にね。アイス溶けちゃうから」
「うん、分かったよ、トド松くん」
配慮すると見せかけて去り際にスマホでの撮影を忘れないあたりは、腐っても末弟。後で送ってもらおう。
「ぶ、ブラザー!?」
「グッドラック、カラ松」
真顔のチョロ松くんが私たちに向けてサムズアップ。
ぴしゃん、と荒々しく障子が締め切られる。直射日光の照りつける縁側には、私とカラ松くんだけが残された。
「──さて」
「わああぁあぁっ、何をするつもりだ、ユーリっ!」
「何もしないよ。いやらしい腰つきだなと思って触ってるだけ」
「表現が危なすぎる!」
腰のラインを絞ったタンクトップで強調される緩やかなくびれは、私に触れと囁く。
自慢の腕力でもって私を突き放すのは容易のはずなのに、カラ松くんは弱々しく私の腕に手を置くだけで、抵抗を示すのは口から溢れる言葉のみ。
「お、オレがハニーの腰触ったらセクハラとか言うくせにっ」
「言うかもしれないけど、警察連れて行ったり処罰与えたりしたことないでしょ。カラ松くんなら別に腰くらい触ってもいいよ、ほら」
腕に添えられた手首を掴んで、私の腰に運ぼうとすると、カラ松くんが初めて手に力を込めて抗った。
「こ、こういうのは良くないぞハニー!肌を気安く男に触らせるんじゃないっ」
じゃあどうしろと。
「ユーリちゃん、終わった?どのアイス食べるかジャンケンしようぜ」
箱入りのアイスを頭上に掲げたおそ松くんが、ニッと笑う。
肌を撫でる風さえ温もりを孕む過酷な環境下では、アイスの誘惑には打ち勝てない。私は躊躇うことなくカラ松くんの腰から手を離した。
熱気のこもった空気を吸い込むと、首筋から一筋の汗が流れる。
「終わってないけど、するする。今行くね」
「…た、助かった…のか?」
立ち上がる私の傍らで、複雑だ、とカラ松くんが独白する。羞恥心で頬を真っ赤にした彼と目が合った。今までの喧嘩や議論なんてなかったかのように、互いの口元には自然と笑みが浮かぶ。
「結論、出なかったね」
「主観で議論する以上は、決着はつかないんじゃないか?」
「何をエロいとするかなんて須らく主観だよ。定義なんてないし、個々で違って当たり前。だから面白いの」
ふふ、と笑いを溢せば、カラ松くんは唖然として目を見開いた。
「え…じゃあ何だったんだ、今までの流れ」
「さぁ、何だったんだろうね」
「ユーリ、まさか最初から分かって──」
カラ松兄さん、と部屋から呼び声。
言いかけた言葉は遮られて、そして彼もまた改めて紡ごうとはしなかった。言葉を発する代わりに困ったように苦笑して、私と共にクーラーの効いた部屋に入る。
戦いに終わりはなく、新たなステージへと移行するのみ。
例えば次は、誰がどの味のアイスを獲得するか、なんて。大抵はとてものないものだったりするのだけれど。