「この線香花火、ユーリちゃんにあげる。俺らはもうやらないからさ」
おそ松くんはそう言って、ビニール袋に無造作に入れた線香花火を私に押し付けた。
六つ子の部屋の隅で白いビニール袋を見つけたのが、事の始まりだ。
ゴミでも捨て忘れているのかと中を広げてみると、未使用の線香花火が未開封の状態で放り込まれていた。小分けになったそれが、花火セットの一部であると察するのに時間はかからなかった。
「あー、それね、うん、残ったヤツ。
ほら、線香花火ってアレじゃん?何ていうかさ、花火でアゲアゲになったテンションを容赦なく地の底に落としてくる地獄の使者感ある。俺らの性に合わないんだよね」
たまたま二階に上がってきたおそ松くんに理由を尋ねたら、そんな返事が返ってきた。
「変に感傷的になるから嫌っていうか。クソな自分をまざまざと見せつけられる感じ」
しかしわざとらしく唇を尖らせるおそ松くんの表情からは、深刻さはまるで見受けられない。向き合うのではなく拒絶を選択するあたりも、筋金入りのニートなだけはある。
「そっかぁ。線香花火、結構楽しいと思うんだけどな」
「そう?ユーリちゃんが欲しいなら、持って帰っていいよ」
そうして、冒頭の会話に至るのだった。
「ハニー、どうかしたか?」
部屋に入るなり、カラ松くんは私に問いかける。
おそ松くんに押し付けられた線香花火をどうすべきかに思案を巡らせていたら、彼が二階に上がってきたのだ。ビニール袋を広げて立ち尽くす私の姿は、さぞ滑稽に映っただろう。
「あ、うん。おそ松くんから線香花火貰ったんだ」
「線香花火?…ああ、ブラザーたちと家でやった残りか」
私の手元を覗き込んで、カラ松くんは頷く。
「フッ、ジュエリーさながらの神々しい輝きを放つオレに儚さは似合わないからな。派手に散る姿こそ相応しい」
腕組みをして悩ましげに息を吐くカラ松くん。要は、長男同様に線香花火は好みではないという意味合いのようだ。
「カラ松くんもかぁ。一緒にやろうって誘おうと思ったけど、その様子なら他の友達を──」
「やる」
「へ?」
「ちょうどハニーを誘おうと思ってたところだ。こういうとこまで気が合うとは、やはりオレとユーリは以心伝心だな、マーベラス!」
息を吐くように嘘ついてきた。
華麗に鳴らした指先を私の眼前に寄せて、キメ顔になる。ツッコむのは面倒なのでスルーさせていただこう。
「おそ松くんたちは誘わない?」
「ユーリの誘いなら喜んで来るだろうが…」
言葉を濁しながら、カラ松くんは自身の首筋に手を当てる。
「できれば…今年最後の花火は、ユーリと二人でしたい」
推しの一撃必殺きた。
恥じらう顔本当たまらん、マジ何なのその無自覚な色気。これでノーと言える奴がいたらそのツラ拝んでみたいわ、私には無理ゲー。
次の週末、私が住むマンション最寄りの公園で、今年の夏最後の花火を嗜むことにした私たち。
迎えにきたカラ松くんの服装が藍色の甚平という本格的サマーエンジョイスタイルだったため、いつもの出で立ちだろうと油断していた私は先制攻撃を食らう羽目になる。ご褒美ありがとうございます。
「ハニーはワンピースも似合うな。さながら、サマーを司るフェアリーのようでソーキュートだぜ!」
そして私のマキシワンピを恥じらいもなく褒めて持ち上げてくる。カタカナ多すぎて何言ってんだこいつ状態だが、まぁいい。
「カラ松くんも甚平似合ってるよ。お互いに夏って感じでいいね」
「夏という舞台の千秋楽を盛大に祝うための正装だぜ」
その考え方には好感が持てた。終わりゆく一つの季節を惜しむのではなく、華々しく終焉を見届ける。再び舞台の幕が上がる、その時まで。
そういう観点から言えば、私が持つ線香花火は、千秋楽を祝う花束と例えることもできるかもしれない。
貰い受けた線香花火の数は、本数に換算すると悠に数十本を超えた。一般的に売られている花火セットの中に、十本単位で一つか二つは大抵入っているから、二、三セットも買えばあっという間にそれなりの本数になる。
「記念の一本目はハニーに譲ろう」
街灯の明かりに照らされた薄暗い公園のベンチ前。
地面に片膝を立てて、カラ松くんはライターに火をつけた。私は向かい合うように屈んで、線香花火を指先から垂らす。先端に火が灯り、先端の明かりはか細く震えながら丸みを帯びていく。静寂が辺りを包み、私たちも自然と言葉数が少なくなる。
「線香花火ってさ、おそ松くんが言うように確かにすごく地味だけど…綺麗だよね」
パチパチと音を立てて閃光が散り始める。線香花火の勢いが最も強くなる瞬間だ。
「ユーリの方が綺麗じゃないか?」
私を真っ直ぐに見つめて、カラ松くんは真剣そのものの顔で言い放つ。
「今そういう話してない。でもありがとう、もっと言って───じゃなくて」
「オレは本心でそう思ってる」
真顔で畳み掛けてくるな。もうやだこの童貞。
手にしていた線香花火は丸い火玉が燃え尽きて、ぽたりと地面に落ちた。
「線香花火は人生を表現してるって話、知ってる?」
「…いや」
二本目に火をつけながら、彼は不思議そうに私に顔を向ける。
「線香花火って燃え方に段階があるでしょ?
それね、それぞれ名前がついてるの。順番には起承転結もあって、人生に例える人もいるんだよ」
私も最近知ったんだけどね、と付け焼き刃の知識であることを告げた上で。
火薬を包む紙縒りは、私の指先でそよ風に揺れる。
「最初に丸い玉ができるのは、生命の誕生を表す『牡丹』。この丸い形が牡丹の花みたいだからなんだって」
「へぇ」
「激しく火花が散る間は『松葉』だったかな。一番活気や体力がある二十代から三十代くらいのこと」
「就職や結婚、人によってライフステージが変わり始めたり、転機が訪れる時期だな」
なるほど、と言いながらカラ松くんは線香花火に見入る。
足元を照らす輝きと活気のある音は徐々に勢いを失い、終わりを告げる影がちらちらと見え始める。
「これは『柳』で、年を取って落ち着いてくるイメージ。柳の木みたいに垂れてきてるからそう言われるみたい」
「…最後は」
「最後は『散り菊』」
糸の先端にしがみつくように形作られた丸い玉が、やがて色を失い、燃え尽きて、地に落ちる。
しばし無言で、私たちは地面に落下した線香花火の亡骸を見つめていた。
「ハニー、勝負をしよう」
唐突にカラ松くんから持ち掛けられたゲーム。屈む姿勢に疲れて二人して立ち上がった時のことだった。
「勝負って?」
「なぁに、簡単なことさ。どちらが長く線香花火を保たせられるかを競うんだ。
普通に線香花火をするのもオツだが、フィナーレに一風変わったことをするのも記念になると思わないか、ユーリ?」
に、とカラ松くんは白い歯を覗かせて笑った。勝敗は運に任せるしかない、よくある他愛ない勝負内容だ。
「いいよ、受けて立つ。でも同時に火つけられる?」
ライターは一本しかない。
「オレの方を先につける」
「まさかの自殺行為」
「じさ…え?」
「完全に運ゲーの線香花火耐久ゲームで、自分の方を先につけるだなんて自死以外の何ものでもない、正気を疑う。勝とうという意気込みはないの?」
目をひん剥いて諭す私に対し、カラ松くんはフッと鼻で笑ってから前髪を掻き上げてみせた。
「ノンノン、あまり侮らないでくれハニー。オレが勝機なしに挑むわけがないだろう?」
自信ありげに薄く微笑まれる。イケボで煽ってくるの止め…いや構わん、もっとやれ、遠慮はいらない。
勝率は五割。まぁまぁと宥められながら私は線香花火を受け取った。ビニール袋に目をやれば、数十本とあった花火もいつの間にか底をついている。
線香花火も、私たちの夏も、終わりがもう間近。
勝利の女神は──カラ松くんに微笑んだ。
先に火をつけたとは思えないほどの圧倒的な差を見せつけられる。私の線香花火の火が消え落ちた後も、彼のものはまだじりじりと小さな火花を散らしていた。
「…カラ松くん、何か細工した?」
「どう細工するんだ。袋の中身は今日までハニーが持っていたし、オレはライターと財布しか持ってきてない」
カラ松くんは両手を広げて自分の無罪を主張する。
「──しまった!何を賭けるか決めるのを忘れていた!オレとしたことがっ」
広げていた両手をわなわなと震わせて、彼は悔しさを滲ませた。前後の言動に疑わしい点が見受けられない上に、口惜しそうな素振りは演技とも思えない。
「じゃあ、本当に運だけで…?えー」
疑いの眼差しで彼の線香花火を見つめる私に、カラ松くんは声を上げて笑った。
「はは、すまん、ユーリ。こんなに上手くいくとは思わなかった。実は──種も仕掛けもあるんだ」
ビニール袋には最後の一本が残っていて、カラ松くんはそれを取り出すと共に、人差し指を口元に当てておどけたポーズをする。
「種明かしといこう」
まるでマジシャンのようだと、私はぼんやり思う。
「最初に火薬の上を捻って紙縒りを強くすると、玉が落ちにくくなるんだ。それから火をつける時は斜め四十五度くらいの角度にする。
ネットで見た時は半信半疑だったんだが、意外に効果があってオレ自身驚いた」
私の手に持たせて、ジェスチャーで指示をする。彼の手の動きに倣って再現するのに五秒もかからなかったから、勝負を持ちかけた際に私に気付かれず細工を施すなど、容易かったに違いない。
「もう少し下を持って傾けられるか?──そう、これくらいだ」
向かい側からカラ松くんが私の手に自分の手を重ねて、二本指でつまむ場所を示す。汗ばんだ皮膚が触れ合うと、いつもより密着しているような錯覚さえして。
静寂と緊張と感傷が入り混じった空間で火が灯る線香花火。火玉が落ちるまでがやたら長く感じたのは、長持ちさせる仕掛けを施したからだけではない気がした。
「詐欺じゃん?」
「気付かなければ詐欺でも出来レースでも何でもない、巧妙な手口と呼んでくれ」
「完全に詭弁」
「うん、まぁその、何だ…そうまでしても勝ちたかったってことだ。賭けるのを忘れてしまって本末転倒なんだが」
最後の一本が、消火用のバケツに音もなく落ちる。
「何がお望みだったの?チビ太さんの屋台で晩酌奢りとか?」
「そうだな…」
少し戸惑う素振りがあって、やがてカラ松くんは目尻を朱に染めながら目を細めた。
「来年もこうしてオレとユーリで花火をする、とか」
私は開いた口が塞がなかった。だって、だってそれは───
「何、そんなことでいいの?」
「え?」
「そんなの、賭けるまでもないよ。来年も一緒に花火やろう」
口実なんてなくたって、断る理由はない。
「…ユーリ」
「約束」
「ああ…プロミスだ。来年も花火をしよう──二人で」
私たちは屈んだまま指切りをする。
ありふれた約束事のはずなのに、まるで秘密を共有するような、犯した罪を隠蔽するような背徳感に、背筋にぞくぞくしたものが走った。人気のない夜の公園という特別なシチュエーションもまた、湧いた感情を増幅させる。
使用済みの線香花火が浸かるバケツを掲げて、私たちは立ち上がる。
「ハニー…さっき、夏が終わらないでほしいって言ったことなんだが」
ワンピースの裾に砂が付着していないか確認していた私に、カラ松くんが声をかけてきた。
「うん?」
「だからといって、同じ夏を繰り返したくはないんだと、言った後に改めて思ったんだ。歳月が経てば少しずつ色んなことが変わっていく。それは正直不安だが…」
カラ松くんの黒目が揺れる。口にすることに多少の躊躇があるようだった。
「去年までなら、同じ夏を繰り返したいと迷いなく思ったはずだ。
どうせ季節関係なく自堕落に過ごすだけで、就職も自立も正直面倒くさい。だから何も変えず、未来には何の夢もない、その日暮らしでおっさんに近づくのみ。むしろ寄生先のなくなる不安だけが──んー、自分で言ってて何だが、なかなかヤバイな」
「ヤバイね」
「まぁ、とにかくそんな夢も希望もない感じだった。ただ、今は…」
目が合って、穏やかに微笑まれる。
「ユーリと新しい思い出を増やしてきたいと、心から思ってる。そのためには多少のリスクも負うし、いつかは必ず、何だ…その…」
私は黙って続きを待つ。気安く口を挟んではいけない雰囲気だったからだ。
「──未来も、ちゃんと…考える」
誰との、または、何の。
明言を避けながらも、真摯な想いは言の葉に乗って私の耳を抜けていく。
「だから、遠くに行ってしまわないで、側で見届けてくれ…ユーリ」
「カラ松くん…」
ここまで言い切れるのに、決定的な言葉だけ断固として言わないのはマジで解せぬ。ヘタレここに極まれり。
しかしそんな本心はひた隠しにして、スナップを効かせた拳を顎に添える私。
自分の言葉に責任が持てる範囲を理解しているというか、無責任な言葉を吐かないように努めているというか。
期限を明確に定めない辺りは、及第点には遠く及ばないけれども。
ああこの人は、私には本当に真っ直ぐ向き合いたいんだなと思ったら、くすぐったくてたまらなくなった。