聖夜も捨てたもんじゃない

街中が浮き立つクリスマスが、間もなく訪れようとしている。

暮れが押し迫り年明けを間近に控えた、一つの大きな区切りを迎える非日常感と、眩いイルミネーションで彩られる街並み、そこかしこで流れる定番のクリスマスソング。それらの相乗効果によって、私たちは特別な日の訪れを認識せざるを得ない。熱烈な信仰心を持たない大多数にとっては、平凡な日常から一時的に脱却するための体のいい口実だ。
そうやって周囲がにわかに色めき立てば、人工的に作り上げられた期間限定の幻想世界に、無関係を装う者たちも否応なしに巻き込まれていくのである。


私もまた、街の装いの変化にクリスマスの近づきを感じる一人だった。クリスマスカラーで飾られたショーウィンドウのマネキンを指差してプレゼントをねだるカップルが、視界の隅に入る。
「もうすぐクリスマスだね」
目的地のショッピングモールへの向かう道中で、私は感嘆の声を上げる。
360度どこを見渡してもクリスマスの展示が目に入る状況で、話題にしないのはむしろ不自然と言えるだろう。しかし意図的ではなかったにも関わらず、カラ松くんの体がぴくりと揺れた。
「そ、そうだな」
声が上擦っている。
街へ出た時からそわそわして落ち着かない様子だったが、実に分かりやすい動揺だ。
「クリスマス…それはラバーズたちがこぞって街を闊歩する一夜限りのスペシャルデイ。寒空の下で寄り添い語り合う男と女、か。フッ、実にロマンチックだな」
抑揚をつけて高らかに語るカラ松くん。確かにその通りで意義はないが、如何せん言い方が腹立つ

例に漏れずカラ松節はスルーしていたら、素に戻ったカラ松くんが私に尋ねる。
「ユーリは…クリスマスどうするんだ?」
「仕事だよ」
「仕事?」
「今年は24も25も平日でしょ?だからいつも通り夕方まで仕事」
年末の一大イベントだからといって帰宅時間が早まるわけでもない、拘束時間は平常通りだ。むしろ、クリスマスを漫喫するために事前に有給休暇を取得している仲間をフォローするため、普段よりも業務に追われる可能性の方が高い。リア充は爆発すればいいと思うよ。
だが私の回答は彼の望んだものではなかったらしい。カラ松くんは、緩やかに首を振った。
「そうじゃなくてだな、ほら、あるだろ…だ、誰と過ごす…とか」
「あー、実家にも帰らないし、年末だから残業かも。そういう意味では職場の人と過ごす感じかな」
事実を述べただけなのに、どこか自虐的な響きを伴っているようにも感じられた。
「カラ松くんは?」
「オレ?オレは──」
「去年はおそ松くんたちと家の中で荒れてたって聞いたよ」
私が言うや否や、カラ松くんは遠い目で失笑する。
「それは毎年だ」
マジか。
「あれは、クリスマスというカップルがはびこる世界から目を逸らす集団現実逃避の儀式だからな」
殺伐としすぎだろ。
「ただ、今年は、その…」
「今年は違うの?」
「え、あ、いや…」
唇に拳を近づけてカラ松くんは言い淀む。
「まぁ、下手に外出してリア充の幸せ爆撃食らうよりは、家にいる方が心の平穏にはいいかもね。
仕事納め終わったら私も冬休みだし、年末はいっぱい遊ぼうよ」

言い訳をさせてもらうなら、この時の私は年末が近づくにつれて差し迫る締切や業務に追われることが増えたせいで、俯瞰して物事を見る余裕がなかったのかもしれない。
だから、そうだな、と答えるカラ松くんの微笑みが少し寂しげだったことはおろか、声音に張りがなかったことにさえ、気付かなかった。早く休みになってほしい、その願望で頭がいっぱいで、私は完全にクリスマスから蚊帳の外だったのだ。
もしかしてクリスマスデートに誘おうとしていたのではと察したのは、その後松野家に着いてからだった。




「ね、ユーリちゃん、クリスマスパーティしない?」
二階の六つ子の部屋に着くなり、笑顔のトド松くんから提案される。室内では六つ子たちが思い思いに暇を潰していた。
畳の上に腰を下ろしながら反射的にカラ松くんを一瞥すれば、彼は面白くなさそうに口をへの字に結んでいる。
「お誘いは嬉しいけど難しいかも」
「何か予定入ってるの?…あ、ひょっとしてカラ松兄さんとデートぉ?」
スマホの先端を唇に当てながらトド松くんは訳知り顔でニヤリとする。からかうような言い草と不自然に語尾を上げる口調は、数名の殺気立った視線をカラ松くんに集中させた。突然睨まれた本人はギョッとして身構える。
「違うよ。仕事納めが近いから今の時期忙しくて、残業になる可能性が高いんだよね」
「…ふーん」
私の返事に納得したかは定かではないが、トド松くんは意味深に微笑んでカラ松くんを見る。
「だったらならなおさら、パーッとやろうよ。
25日は金曜でしょ?遅くなってもいいからケーキ肴にして飲もう。何ならボク、仕事終わり駅まで迎えに行くよ」
末弟の誘いを受けて、私は内心ハッとする。
道中、クリスマスの予定を尋ねるカラ松くんが言葉を詰まらせていた理由にようやく思い当たったのだ。あの時、私は彼の言葉を遮って上から被せた。カラ松くんの心境を先回りして口にしたつもりだったのだけれど、牽制と受け取られたかもしれない。
クリスマスには決して誘ってくれるなよ、と。
「私は──」
最適解はどれだ。

「あ、ユーリちゃん来るならさ、トト子ちゃんも誘う?」
返事を待たず、おそ松くんが前のめりになる。しかしすぐさまチョロ松くんが両手をクロスさせて大きくバツを作った。
「駄目。トト子ちゃんからは既に数日前に、クリスマスに来たらミンチにするぞと先制されてる
トト子様さすがお強い。
「僅かな期待もさせないのは、伊達に毎年のルーティンこなしてない。徹底してるよね」
「つれない冷めた態度が、一層推せる」
十四松くんと一松くんがうっとりと頬を染める。幸せだなお前ら。
「例年通りコスプレする?ユーリちゃん用にはミニスカサンタコスあるよ」
「てかプレゼント交換じゃね?生き残った奴がユーリちゃんのプレゼント獲得できる争奪戦」
「えーいいのー?ぼく兄さんたち余裕で殺っちゃうよ~」
わいわいと盛り上がり始める六つ子たち。ここで辞退を申し出るのは、彼らの期待に水を差すようで躊躇われた。

ふと目を向けた先で、カラ松くんと目が合った。私は無言で苦笑して、トド松くんに向き直る。
「会社帰りにケーキ買ってくるよ」
実質のイエス。
私は自分の選択が全て正解だとは思わないし、そこまで自惚れてもいない。万一、己の取捨選択によって状況悪化を招く結果になったなら、早急に軌道修正すればいいだけの話だ──そう、思うことにした。


クリスマスパーティ──という名のおそらくは宅飲み──の予定を決めてから松野家に暇を告げるまでの数時間、カラ松くんの顔には落胆の色がずっと浮かんでいた。懸命に取り繕って笑みを作ってはいたが、おそらくは全員が察していたに違いない。釈然としない思いを飲み込まれるくらいなら、いっそ真正面から苛立ちを向けられた方がどれだけ楽だろう。
「カラ松くん」
パーティ参加の返事は、おそらくとどめだったのだ。
「うん?」
松野家を訪ねる前の段階で、修正すべき事案だった。
「ケーキ、どういうのが食べたい?」
「ケーキ?…ああ、クリスマスのケーキか。オレは別に、何でも構わないぞ」
「みんなはどうかな?好きなケーキの種類ある?」
カラ松くんは思案する素振りをしたが、すぐに首を傾げた。
「さぁ、どうだろうな。トッティはオシャレなのが好みなようだが、ブラザーたちは食べられれば何でもいいんじゃないか?」
ユーリに任せる、と。
「そっかぁ、悩むなぁ」
眉間に皺を寄せて唸れば、自然とカラ松くんの目線は私に向く。そこがチャンスです奥さん。

「私一人じゃ決められないから、カラ松くん当日一緒に買いに行かない?」

ストレートは放たない。外角高めからストライクゾーンに入れる。
「え」
案の定、カラ松くんは目を瞠った。
「仕事、前倒しで早く終わらせるから」
持ちかけたのは、秘密の共有だ。おそ松くんたちには内緒で、こっそり二人だけで過ごす時間を作ろうという。
私の思惑は功を奏し、カラ松くんの顔がぱぁっと明るくなる。
「ほ、本当か、ユーリ…っ!?」
だがそう言ってから彼はすぐさま我に返り、腕を組んで悩ましげなポーズを取った。
「フッ、聖なる夜に僅かな時間でもオレと二人きりになりたいなんて、ハニーも可愛いおねだりをするようになったじゃないか。
いいだろう、ユーリがそこまで言うなら、25日は職場近くまで迎えに行こう」
致し方なしという空気を漂わせてカラ松くんは了承する。その解釈には少々異議を唱えたいところだが、カラ松くんの機嫌が直ったなら良しとしよう。
「このオレとクリスマスナイトを過ごせる幸運なレディとして、周りに自慢してくれていいんだぜ?」
やっぱり一発殴ってもいいだろうか。




それから数日が経過して、スマホに表示される日付は12月24日。時刻は、逢魔が時をいくら過ぎた頃である。
私はおもむろに鞄からスマホを出して、電話をかけた。
「はい、松野です」
女性の声で応答がある。松代おばさんだ。対応者が六つ子でないのはラッキーだった。
「こんばんは、有栖川です」
「あらユーリちゃん、こんばんは」
「カラ松くんお願いできますか?」
クリスマスイヴの夜に異性からの電話、その事実が彼女の中でどう解釈されたのかは知る由もないが、あらあらといつになく甲高い声が返ってきた。
「そう、ユーリちゃん…そっか、そうなのねぇ、全部理解したわ
まだ何も言ってない。
「あの、おばさん…」
「ちょっと待ってて、すぐ呼ぶから───カラ松ー!」
受話器の口を押さえたのか、おばさんの声はくぐもったものになった。しかし二階にいるらしい彼を呼ぶために発する声量のため、内容は問題なく聞き取れる。

「電話よー。名前何て言ったかしら、ほら、バンド仲間の人!」

松代、そこは気を利かせるな。
電話に出た相手がおばさんでラッキーだったと先程述べたが、撤回しよう
空いている片手で私は文字通り頭を抱える。スピーカーからは、ドタドタと階段を下りてくる足音。
「もしもし?」
「こんばんは」
電話の向こう側は、え、と小さく呟いたきりしばし無音になる。
「ま、待ってくれ、何で……ユーリ?」
「そう、驚いた?」
自然と笑い声が出た。仕掛けたドッキリが成功したみたいな達成感が胸にじわりと広がる。
「驚くも何も…だって、会うのは明日だ、って…」
「うん、まぁ約束はそうだったよね」
でも、と区切って。
「近くにいるから、少し会えないかな、と思ってさ」
「近くって?」
「結構近くだよ」
「いや、だからユーリ、具体的な場所を」
「すぐ近く」
「──まさか」

松野家の玄関が勢いよく開かれて、驚愕に目を見開くカラ松くん──もとい、血糊まみれの青いサンタが現れた

想定外の絵面にギョッとして、危うくスマホを地面に落としかけた。何やっとんねんというツッコミもままならない。
「ち、ちょっと待っててくれっ」
「あ、結構です」
「ウェイトウェイト!ここは素直に待つところだろ!話の流れ!
本当に結構です。


攻防の末、私は松野家玄関前の木製ベンチに腰かけてカラ松くんを待った。彼が着替えに要した時間は十分ほどだっただろうか、息を切らして私の元へと駆けてくる。
「…すまんっ、ハニー、待たせた」
白いタートルネックのセーターにデニム、アウターにネイビーのモッズコート。背中にはボディバッグを掛けている。デート寄りの出で立ちだが、バンド仲間と会う名目だからか心なしか控えめだ。
「メリークリスマス、カラ松くん」
私は笑いながら立ち上がる。
「ユーリ、どうして…仕事は?」
「頑張って早く終わらせてきた。大変だったよー、お昼休憩返上したんだから」
「会うのは明日、だったよな?」
理由を聞きたい、そんな顔だ。うん、と私は頷く。

「私が会いたかったから、来ちゃった」

率直に告げれば、カラ松くんは言葉を失った。
私自身昨日までは、明日のパーティ前に一時間でも共に過ごせれば十分だと思っていた。でも今朝起きて、ニュース番組でクリスマスに賑わう街の映像を見た時に、無性に会いたくなったのだ。推しとの冬限定イベントをこなさずして年は越せない。
「ハニー…っ」
しばし呆気に取られた後、カラ松くんの顔が一瞬で朱に染まる。
「…それはオレの台詞だぞ、ユーリ」
「そう?」
「断られるのが怖くて、言い出せなかったんだが──」
彼の葛藤を物語る、そんな前置きがあって。

「クリスマスは、二人だけで会いたかった。
今夜と明日のクリスマスに、ユーリの隣は誰にも渡したくない」

緊張感を伴いながらも、語気を強めて言い放たれる。ときどき言動や所作に見え隠れする独占欲が、今は躊躇いなく私へと向けられている。
「だから、ええと…仕切り直させてくれないか?」
「うん、いいよ」
改めて向かい合う。まるでプロポーズを待つみたいで、無意識に姿勢を正す。

「世界中の誰よりも麗しいマイハニー。どうかこの松野カラ松と、今夜のクリスマスイヴを共に過ごしてはくれないか?」

相変わらず大袈裟な言い方だ。けれどどこまでも真剣な眼差しと共に差し伸べられる手は、微かに震えているようにも見えた。
大きくて筋張ったカラ松くんの手に、私は目を向ける。いつも私を守ろうとする、優しい手だ。
「──もちろん」
その手を取って、私は彼の傍らに並ぶ。
重ねた手を一旦離すと、カラ松くんの体がぴくりと揺れた。しかしそれからすぐに私から指を絡めたら、その瞬間彼は目を剥いたが、今度こそ力強く握り返してくる。
クリスマスは宗教的意味合いを除けば、大衆が作り上げたイベントに過ぎない。奇跡も福音もなく、消費と駆け引きが渦巻く経済社会があるのみ。
しかしそうやって理屈をこねくり回して部外者を気取るくらいなら、多数派と共にクリスマスを漫喫する方が有意義かもしれないと、私は思うのだ。




それから私たちが向かったのは、有名ブランド店や商業施設が立ち並ぶ活気のあるビジネス街だ。道路を囲む全長数キロに渡る街路樹が、イルミネーションライトに彩られて色とりどりの光を放つ。所々に設置されたギフトボックス型のライトが、クリスマスらしさを一層演出している。
「さすがに賑わってるな」
クリスマスイヴだけあってイルミネーションを鑑賞する人出は多く、カップルたちが仲睦まじく寄り添う姿も目立つ。
「ユーリ、はぐれないように気を──あ、そうか、今日は大丈夫だな」
絡めた指を一瞥して、カラ松くんは照れくさそうな笑みを浮かべた。尊い。
「今日は屋台も出てるみたいだから、晩ご飯代わりに食べ歩きしない?」
「いいな、そうするか」
出店している屋台も、いわゆる夏祭りでよく見かける類ではなく、ピザやバーガー、アルコールといったクリスマスにちなんだキッチンカーが目立つ。

ひとまず食べ歩き定番のフライドポテトを購入して、つまみながら街路樹が並ぶ通りを歩く。
困ったのは、カラ松くんの両手が塞がってしまったことだ。片手でポテトのカップを持ち、もう片手は私の手を離そうとしない。
「ねぇカラ松くん、一回手離した方がよくない?」
「よくない。オレの分は気にしなくていいから、ユーリは好きなだけ食べてくれ」
「そうもいかないでしょ」
仕方なく、カップからつまんだポテトを彼の口へ運ぶ。
「旨い」
そりゃな。あれ、もしかしてわざとなのか?突如として当推しに策士疑惑が浮上

「クリスマスイヴって、クリスマスの前夜って意味じゃないんだってね」
屋台で購入したドリンクのカップで口を湿らせて、私は言う。
「しかし24日の夜のことなんだろ?」
そう、その認識が日本では一般的だ。
「うん。24日の夜…つまり今夜がイヴなのはある意味ではその通りなんだけど、クリスマスイヴっていうのは──『クリスマス当日の夜』のことなんだよ」
カラ松くんは眉をひそめて怪訝そうな顔をする。
「分かりにくいね、ごめんごめん。
教会暦っていうキリスト教の暦があってね、教会暦では日没が過ぎたら日付が変わるの。そう考えると、今はもう25日ってこと」
「ということは25日の夜…ああ、だからクリスマス当日の夜なのか」
合点がいったカラ松くんは顔を綻ばせる。
そしておそらくは、私が今日彼に会いに行った理由に思い当たったのだろう、みるみるうちに目が瞠られていく。
「なぁ、ユーリ…もし、もしオレの勘違いだったら、すぐに言ってほしいんだが…」
クリスマスパーティの約束は明日の夜。私たちがクリスマスと呼ぶ日の夜間だ。しかし教会暦に基づけば、明日の日没後はつまり───

「ユーリは、クリスマスにオレに会うために来てくれたのか?」

おかしな表現だと思う。キリスト教を重んじているわけでも、イエス・キリストの降誕を祝うわけでもない、ただ世間の波に便乗するだけだというのに。
暦の解釈次第では明日の夜がクリスマスではなくなってしまう。その事実を知らなければ、こうして今夜彼のもとに馳せ参じることもなかった。
「実は私も今朝ニュースで知ったばっかりで、そういうのこだわらなくてもいいかなとは思ったんだけど、過ぎてから後悔するのは嫌だったんだよね」
やらずに後悔するよりは、やって後悔したい。
「ハニー…っ、そうまでしてクリスマスにオレに会いたかったというんだな!フッ、十分伝わったぜ、ハニーの想い」
モテる男は辛いぜ、なんて悩ましげに前髪を横に払ってから、いや、と声のトーンを落とした。
「早い段階でユーリとクリスマスを過ごすことを諦めていたから、正直まだ少し戸惑ってる。これが夢なら…永遠に目覚めないでくれと思うくらいに」
そして遠い目をするから、私は冷たいアルコールの注がれたカップをカラ松くんの頬に当てる。わ、と驚く声が上がった。
「現実だよ」
「…ああ、うん…すまん。本物のキュートなユーリがこうして目の前にいるのに、ドリーム扱いは失礼だな」
私の手を握る指に、心なしか力がこもる。まるで私の存在を確かめるように。


「だからプレゼントは用意できてないんだよね、ごめんね」
罪悪感なく推しへ課金するチャンスをみすみす逃したのは痛手だったが、タイムリミットは短く、取捨選択せざるを得ない状況だった。その点においては最善を尽くしたと自負しているし、後悔もしていない。
私の謝罪を受けて、カラ松くんはゆっくりと目を細めて首を振った。
「もう貰った」
「…え?」

「仕事で疲れてるのにオレに会いに来てくれた。イヴを二人で過ごす権利をくれた。オレにとっては十分すぎるくらいのプレゼントだ」

どこからともなくジングルベルの音色が聞こえてくる。きらびやかなイルミネーションと心地よいBGMとすれ違う人々の気配が溶け合って、別世界に迷い込んだような感覚に陥りそうになる。
「今この一分一秒でさえ、ユーリからプレゼントを貰い続けているんだぞ。それ以上望むのはバチが当たるんじゃないか?」
天然タラシスキルが怒涛の勢いでレベルアップしている。

「100点満点中200点の回答です」
「日本語がおかしいぞハニー」
誰かこれまでの一連のイケボトークを過去に遡って録音してきてくれ。何なのもう、本当何なの。語彙力も旅に出て帰ってこない。




ケヤキ並木のイルミネーションを歩いて、屋台で小腹を満たして、私の家へと向かう帰り道。私たちは最後まで互いの手を離さなかった。
財布を出すときなどは一瞬離れたりすることはあったものの、並んで歩き出す際にはどちらともなく手を伸ばして、傍目にはきっと恋人同士に見えたことだろう。
聖夜を彩る眩い光たちに祈る。私の大切な人がこれから先、後悔しない道へ進めますように。

「送ってくれてありがとう。中でお茶でも、と言いたいところだけど」
玄関の鍵を開けて、私はカラ松くんに向き直る。
昼休み返上して半ば強引に定時上がりを実行した上、明日に回せる仕事は後回しにしてきたのだ。今夜は体力を温存して明日に臨む必要がある。それに、明日また会うのだから。
「明日は仕事が終わったら連絡くれ。迎えに行く」
「うん。当日でも買えそうなケーキ屋さんピックアップしておくよ。明日は明日で楽しみだね」
「ブラザーたちは現実逃避に飲みたいだけだから、適当でいいぞ。どうせ翌日には味なんて覚えてないんだ、ケーキを選ぶユーリの時間がもったいない」
去年まで当事者だった側の台詞には説得力がある。
「分かんないよ。一応異性が一人交じるわけだし、楽しいクリスマスパーティになるかも」
可能性は限りなく低い、いわゆる微レ存ではあるけれど。異分子の闖入による変化への期待は捨てきれない。
「ハニーが楽しいなら構わないが、飲み潰れないようにするんだぞ」
「その台詞そっくり返す」
いつも真っ先にべろんべろんになってるのはどこのどいつだ。

会話が途切れると共に静寂が訪れて、別れを告げるために口を開こうとした、その時。
「あ、そうだ、ユーリ、これ…」
カラ松くんは肩から下げていたバッグを下ろして、鞄の中を漁る。

彼が取り出したのは──クリスマスデザインの包装紙に包まれた小箱だった。

手のひらサイズの箱を、躊躇いがちに手渡される。
「すまん、渡すタイミングが掴めなくて…」
苦笑しながら指先で自分の頬を掻くカラ松くんに、どんな言葉を返せばいいのか咄嗟に判断ができなかった。
彼はニートで安定した収入がなくて、クリスマスに誘ったのは私で、しかもその誘いだって何の前触れもない突然のことだったのに。
どうして、という無粋な問いが口から漏れそうになる。
「私が貰っていいの?」
「ユーリのために選んだんだ」
「開けていい?」
互いに視線が私の手のひらへと向く。視線を重ねるのは、何となく気恥ずかしい気がして。
「もちろん!…と言いたいところだが…何かアレだな、緊張するな」
けれど白い歯を覗かせてカラ松くんが笑うから、私の顔は自然と上向いた。
小箱を包むのは、トナカイが引くソリに乗ったサンタが夜空を駆ける可愛らしいイラストが描かれた包装紙。乱暴に破るのはもったいなくて、爪でテープを剥がしながら時間をかけて丁寧に解いていく。

中身は──有名ブランドのクリスマス限定リップ。

マット仕上げのシンプルなシルバーケースで、キャップにブランドのロゴが刻印されている。直営店のみの限定販売だと、クリスマスコスメを特集した雑誌で読んだことがある。
どんな顔をして、買いに行ってくれたのだろう。どんな想いで、これを選んでくれたのだろう。

「メリークリスマス、ユーリ」

そして駄目押し。
尊いという表現さえ吹っ飛んで、私の胸に去来するのは、もはや無だ尊さのビックバン通り越してブラックホールができた。明日の朝私が息してなかったら、死因は間違いなく『推しの尊さ臨界点超え』だ。
私はプレゼントを胸に抱える。
「ありがとうカラ松くん、すっごく嬉しい!大事にするし、来年は絶対抱くね!
「最後の一言!」
「絶対抱く!」
「繰り返すなっ」
うちの推しは軽率にイケメンになるから油断できないが、そこがまた推せるので永遠に堂々巡りだ。
そう、これが沼。




松野家に持っていくのは、定番のショートケーキにすることにした。中央に鎮座した砂糖菓子のサンタクロースとチョコのプレートを、鮮やかな色のいちごとブルーベリーが囲んでいる。支払いは六つ子へのクリスマスプレゼントとして全額負担するつもりだったのに、松代おばさんから預かったというケーキ代で賄われてしまった。
「厳密にはもうクリスマスは終わってしまっているかもしれないが…」
日没もとうに過ぎた25日の夜、ケーキの箱を片手に下げてカラ松くんはポツリと溢す。
「こうしてユーリとケーキを買うだけでも、クリスマスを二人で過ごしているんだなという感じがするな」
熱を帯びた視線を向けられる。
「…いいクリスマスだった」
思いを馳せるように呟かれるから、私は微笑んで頷いた。そうだね、という言葉と共に。

「あれ、ユーリちゃん、そのリップの色初めてだよね?すっごく似合ってるよ」
松野家にてケーキを受け取ったトド松くんが、私の唇をじっと見つめて笑顔になった。異性の変化に対する鋭い観察眼はさすがだ。
「ありがと、よく分かったね。これ、私もお気に入りだから誉めてくれて嬉しい」
「そりゃ分かるよ、ユーリちゃんのことだもん。女の子の色付きリップって可愛いよね」
冷蔵庫に入れてくるねと、彼はその後すぐにキッチンへ小走りで向かっていく。おそ松くんたちは既に二階の自室で宴を始めて出来上がっているらしい。相変わらずグダグダである。
何気なくカラ松くんを見れば、彼もまた私に視線を向けていた。
「さすがにトッティは気付いたか」
「そういうの敏感だよね、トド松くん」
「オレがハニーのために時間をかけて選び抜いたんだからな。似合っているのは当然だ」
でも、と彼は声を潜める。

「その経緯はオレとユーリだけの秘密でいい。だろ?」

自分の口に人差し指を当てて、いたずらっぽくウインクしてみせるカラ松くん。
兄弟に知られたところでカラ松くんの命が危ぶまれる程度で大きな弊害があるわけではないし、隠し立てをするつもりもない。理由を問われれば私たちはこう答えるだろう、何となく、と。

ホールケーキにさした七本のロウソクに火をつけて、全員で一気に吹き消した。各自が頭に載せたサンタの帽子が、申し訳程度にクリスマスの雰囲気を醸し出す。
「メリークリスマス!」
缶ビールを掲げた乾杯の音頭が、宴の第二幕の始まりを告げる。
切り分けたケーキを皿に移して思い思いに口に放り込めば、消えていくのはあっという間だ。それからはサラミやポテトチップスが床に広がり、クリスマスパーティは一瞬でただの飲み会へと変貌する。

「っていうか、カラ松はいいの?」
二杯目の缶ビールをあおって、チョロ松くんがカラ松くんに尋ねる。彼の隣で胡座をかいていた彼は、問われた意味を察せずに首を傾げた。
「何がだ?」
「何がって…クリスマスだよ?お前、ユーリちゃんと過ごしたかったんじゃないの?」
他の四人が、そういえば、とばかりに顔を上げてカラ松くんを見やる。

「ん?昨日の夜にユーリと過ごしたぞ」

「はぁっ!?」
声を揃えて目を剥く五人。
「ブラザーたちには言ってなかったか。夜に出掛けただろ?その時にイルミネーションを見に行ってきたんだ」
「綺麗だったよねぇ」
混雑はしていたが、行った甲斐はあった。人工的な明かりの集合体といえど、見目の美しさと幻想的な雰囲気は多くの人を惹き付ける。
「何を言うんだ、ユーリの美しさに敵うものはないぞ。ハニーイズビューティフル」
噛みしめるように呟いたカラ松くんは、直後殺意剥き出しの一松くんに胸ぐらを掴み上げられることとなる。六つ子の地雷踏んだ。
「おいこらテメークソ松、何で昨日何も言わなかったんだ!」
「え、聞かなかっただろ?」
訊かれなかったから答えなかった。うん、明快な回答だ。何も間違ってはいない。
ただ、兄弟間の童貞ならではの足枷じみた結束や濃密な関係性といった、いわゆるクソ面倒くさい気遣いはある程度必要である、というのが彼らの主張だ。とどのつまりは、抜け駆けすんな、ということ。
「違うだろカラ松!そうじゃないんだって!何でお前もトド松も、ちょうどいいいラインってのが分っかんないかなぁッ」
空になったビール缶を畳に叩きつけて、おそ松くんが咆哮する。
「だってさ、バンド仲間からの電話直後に出ていったら、相手はバンド仲間だと思うじゃん!ヤロー同士で慰め合う会へのお誘いだと確信するじゃん!
いつの間にユーリちゃんとコンタクト取ったの!?」
「あの電話の相手がユーリだった」
「松代ー!」
崩れ落ちる五人。

「ユダは俺たちのすぐ側にいた!」

その後は例に漏れず、私とカラ松くんの間に何もなかった、を証明するための無意味な尋問が開催され、クリスマスパーティとは名ばかりの宴は終電間際まで続くのだった。