短編:メイドおでん

※おそ松さん3期15話「てやんでぇいメイド」に関するネタバレがあります。





あの日のことを端的に表現するなら、地獄、の一言に尽きる。

冷静なツッコミもままならないほどにチビ太の挙動に動揺し、気が付けば自宅の布団の中で朝を迎えていた。全てが夢だったのかもしれないとカラ松は心を落ち着けようとしたものの、スタジャンのポケットに突っ込まれていたおぞましいチェキによって、精神は再び奈落へと突き落とされたのだった。
だからその数日後に、サービスに改良を加えたからモニターとして来いと召喚された際には、全力で拒否した。けれど無料でいいからどうしてもと食い下がるので、指定された日に不承不承ハイブリッドおでんを訪れる。

そこでカラ松が目にしたのは──メイド姿のユーリだった。

「お帰りなさいませ、ご主人さま」
恭しく頭を垂れて、ユーリはカラ松を出迎えた。
黒のワンピースに重ねた白いエプロンは、華美な装飾の一切を排除したようなクラシカルデザインで、スカートはミモレ丈。ワンピースの折り返した袖は白い。頭上には白いフリルのカチューシャが揺れている。
「ユーリ…っ!?」
「新人メイドを雇ったんだぜ、バーロー」
チビ太は前回同様の金髪ウィッグにカラシ色のメイド服である。いやに高い声音で、自慢気に鼻の下を擦った。
「ハニー、何で…───何でメイド服のスカート長いんだ!こういうシチュエーションならミニで露出の高いメイド服がお決まりじゃないの!?
言いたいことが数多ある中で、最初にカラ松の口を突いて出た言葉がそれだった。
胸が強調されたり、デコルテラインの露出が高かったり、いわゆるエロいメイド服で、何でここにカラ松くんがいるのヤだー☆となるのがお約束の展開だ。しかしユーリの服装は鉄壁も鉄壁、露出のろの字もない。
ユーリは薄く微笑みながら、カラ松の肩を叩いた。
「ごくごく平凡な勤め人のミニ丈メイド服とニーハイでの絶対領域晒しは、社会的な死を意味するんだよ」
「理由が生々しい」
「成人のメイドに夢を見るな」
「出迎えられて早々に手厳しすぎる」

一日限定で接客バイトをしてくれないか。チビ太からそんな依頼があったそうだ。
休日の前夜数時間限りで、おでん二日分という対価の支払いあり。割のいい条件だと思い、彼の誘いに乗った結果のメイド服着用ということらしい。
「オイラはコックも兼ねてるからな。メイドが足りねぇって気付いたんだ」
「そういう問題じゃない」
カラ松は真顔で首を振るが、チビ太は己の選択が最善と信じている様子。
屋台のおでんとメイドに関連性がなさすぎるとか、チビ太の外見でメイド服は視覚の暴力だとか、そういった根本的な部分には考えが及ばないらしい。
「まぁまぁ、カラ松くん。
そんなわけで一日限りですが、ご主人さまのメイドを務めさせていただきます、ユーリと申します。よろしくお願いしますね」




ユーリはスカートを僅かに持ち上げて一礼した後、カラ松の傍らで地面に膝を立てた。疑似とは言え主人と使用人という関係性ではあるから、使用人が跪くのは当然なのだが、カラ松は動揺を隠せない。
言葉を失っていたら、おしぼりが差し出される。丸く畳まれたそれを両手で広げて、カラ松へと捧げるような仕草。
「おしぼりです」
「…あ、ああ…」
快活で気取らないいつものユーリとはまるで違う所作に、いちいち緊張する。彼女が顔に浮かべる笑みも、服装のせいかどことなく妖艶に感じられた。
「こちらが本日のドリンクメニューです。何になさいますか?」
「え…ええと、じゃあビールで」
「承知いたしました。私が愛を込めてお作りしますね」
分かっている。メイド喫茶定番の営業トーク、マニュアル化された単語であることなど百も承知。それを発したユーリ自身に間違いなく深い意味はないが──メイド最高
「チビ太、この間は悪かった。メイドおでん…実にエクセレントな方針転換だ、お前商才あるな
万感の思いを込めてカラ松は言う。
「へへっ、だろー?これからは回転率より客単価上げてかなきゃな!」

そんな二人の会話をよそに、ユーリはチビ太の立つ支給側へと回り、冷えたビールとグラスを取り出す。ドリンクの用意もエンターテイメントの一貫であるとばかりに、見惚れるくらいしなやかな手付きだ。その姿にカラ松が見惚れたのは言うまでもない。
トレイに載せたビールがカウンターに運ばれてきて、コースターの上にグラスが置かれる。
「失礼いたします」
聞き慣れない丁寧な物言いに、カラ松はくすぐったい気持ちになる。グラスに注がれる黄金色の液体がしゅわしゅわと軽快な泡音を立てた。
「コースターにチビ太の顔はないだろ、クッソいらない」
しかもメイド姿の、だ。余計いらない、目が潰れる。
「チビ太さんはメイド長でありオーナーですから」
「ハニーのコースターはないのか?言い値で全部買う
「ありません」
ユーリの口調は丁寧だが、返事はにべもない。

注文したおでんは、ユーリが皿によそってくれた。屋台の席で、おでん屋に似つかわしくない装飾が施された異質な外観、彼女はメイド服という非日常感が強い状況下にも関わらず、勘違いをしてしまいそうになる。
「ユーリは…何か飲まなくていいのか?」
「え、私?」
「給仕してくれる相手に奢るとか、この場合そういうのはアリなのか?」
メイド喫茶のルールは知らない。カラ松の質問に、ユーリはチビ太と顔を見合わせた。チビ太は顎に手を当てしばし思案した後、片手でオーケーのマークを作る。
「ご相伴に預かり光栄です、ご主人さま」
「ユーリのドリンク代くらいはオレが出す。好きなのを頼んでくれ」
「はい!ではチビ太さん──アルマン・ド・ブリニャックをボトルで
「せめて一杯目くらいは遠慮するんだハニー」
世界中のセレブ御用達の最高級スパークリングワインを、躊躇なく注文する度胸は買おう。




しかし至福の時間は長くは続かなかった。
「お客さんだよーん」
膝上丈のメイド服を着用したダヨーンが屋台の前に現れたのだ。
「ダヨーン…っ!?」
「あ、はーい」
驚愕するカラ松とは対称的に、ユーリは軽やかな返事と共に席を立つ。
「え、えっ?ダヨーンまでメイドやってんの!?っていうか何でお前がミニなんだよ!その太もも露出は誰得なんだ!
「ダヨーンは呼び込み担当なんだって」
「ユーリちゃんをご指名だよん」
この地獄に指名制度なんてあるのかと眉をひそめた先で、ダヨーンが手にするパネルに目が留まる。新入りメイドがご主人さまをお迎えというキャッチコピーと、メイド服姿のユーリの写真。ピンク色の丸文字書体が、夜の店を彷彿とさせる。
「おいダヨーン、そのパネルいくらで買える?
「買うな」
真顔のユーリからツッコミが入る。メイドどこいった。

ダヨーンに連れられてやって来たのは、三十前後とおぼしきスーツ姿の男だ。仕事帰りなのか、背中には黒いリュックを背負っている。
屋台に辿り着いた当初こそ不安げに黒目をあちこちに彷徨わせていたが、笑顔のユーリを認識するなり、視線は一点に集中した。それがカラ松は気に入らない。
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
ユーリはカラ松を出迎えた時と同様に、頭を下げて客を迎える。口調も声音も振る舞いも、カラ松に向けられたものと同じに感じられた。

「あの…この後予定があって時間がないから、一杯だけとかでもいいかな?」
逃げ口上なのか事実なのかは判別がつかないが、席につくなり客はそう言った。警戒されていることはユーリも重々承知の上だろう、何しろチビハゲと顔のでかいおっさんの女装が際立つイロモノ店だ。本物のメイド喫茶の方々に謝れ。
「外出のご予定があるのですね?
かしこまりました、ではお出かけ前の軽食としてご用意いたします。ぶらり立ち寄りセットがございまして──」
椅子に座る男の傍らに跪き、ラミネート加工されたメニュー表を広げながらそつなく対応する。さすがは現役社会人。しかし相手が屈んでメニューを覗き込むせいか、やたら距離が近い。
近づかなくてもメニューくらい見えるだろうが、とカラ松は内心で毒づいた。
「つまり、ドリンクとおでん一品でワンコインってこと?おでんの具は何でもいいの?」
「はい、ご主人さまのお好きなものをお選びください」
「焼酎だったらどんなのがあるの?ユーリちゃんのオススメは?」
「今すぐお出しできるものは、こちらです。私のオススメは、そうですね…」
気安くユーリの名を呼ぶなと、危うく口を突いて出そうになった。
ユーリは手のひらを上向きにしてメニューを示す。スーツ姿の男は目を凝らすためにさらに近づいた。
男が、ユーリに対してタメ口なのも癪に障る。彼女の方が見目明らかに年下で、店員と客という関係上、客が優位性を態度に示すのは往々にしてあることではあるが。しかし。

「ユーリ」

カラ松はカウンターに肘をつき、空になったグラスの縁を掴んでぶら下げ、ゆらゆらと揺らす。声は自然と低いものになった。
呼び捨てで名を呼んだのは、ささやかな牽制だった。ちゃん付けで呼ぶお前と自分では、そもそもの関係性が違うのだと、軽薄で醜く、浅ましい誇示。
「はい──あ、失礼いたしました、ご主人さま」
男の注文をチビ太に伝達し、ユーリは再びカラ松の傍らで膝を折る。空になったグラスに気付かなかった謝罪を受けつつ、カラ松はビールが注がれる様子をじっと見つめた。ユーリがどんな顔で言葉を紡いでいるか、一度も視線は向けずに。


男は先の宣言通り、ドリンク一杯飲み干す頃に席を立った。滞在時間にして半時間もない。
ユーリは基本的な接客だけを受け持つ係のようで、以前カラ松が強要された賭け事紛いのゲームはチビ太とダヨーンが担当した。唐突にドスの利いた声を発して課金を要求する女装メイドから一刻も早く逃げたかったのかもしれない。
いずれにせよ、男とユーリの間に物理的な距離が発生したのは幸いだった。

「ユーリちゃんとのチェキってないの?」
しかし、支払いを終えた最後の最後で男から爆弾が投下される。
カラ松はハッとしてユーリを見た。
メイドカフェにおける一般的なチェキは、客とメイドが寄り添って映るものだ。互いの手を合わせてハートを描いたり、仲睦まじく肩を寄せ合ったりもする。前回の黒歴史通り越して地獄絵図さながらのチビ太とのチェキの記憶が強烈すぎて反応が遅れてしまった。
ユーリはカラ松の戦慄に気付いた様子もなく、客に向けて緩やかに頭を垂れた。
「申し訳ございません、新人メイドとのチェキのサービスはないんです。メイドは世を忍ぶ仮の姿なので
微妙に殺伐としている
「その代わり、メイド長とのチェキなら撮影中はお触りもし放題なので、是非どうぞ」
メイド長チェキお願いしまーす、と軽やかな声。地獄の再来だ。
「おう、いい度胸だな、てやんでぇ!
メイドと言えばやっぱチェキだよな、分かってんじゃねぇか。五千円コースと一万円コースがあるけどどうする?」
チェキの価格帯に選択肢が増えている。どこに需要があるというのか。
チビ太とダヨーンに首根っこ掴まれて連行されていくスーツの男を、カラ松は同情的な目で見送った。数日前の自分を見ているようで、他人事ではない。彼は間違いなく、二度と来るかよクソがと心に誓うだろう。




「二人のお客様を一人で接客するのは難しいね」
ユーリは顎に手を当て唸った。
メイドという特性上、一人の客に一人が担当としてつかなければ、接客自体が不自然なものになる。店内に主人は二人も三人もいらないのだ。
「というわけで──お待たせして申し訳ございません、ご主人さま」
婉然と微笑んで、ユーリはカラ松の傍らに座る。

「ユーリ」
「はい」
「もう止めてくれ」
「…止める?」
カラ松は上半身を捻ってユーリに向かい合った。カウンターに何気なく置かれた彼女の手に、自分のを重ねる。
「チビ太とは何時までの契約だ?残りの時間は全部オレが買う」
これは依頼ではない。

「だから──仕事とはいえ、他の男にかしずくようなことはするな」

懇願だ。
正直な気持ちを吐露するかに、逡巡はあった。正当な報酬を得て、己の意思で業務を請け負った彼女の決意に水を差すのは本意ではない。数時間のバイトとはいえ、チビ太とユーリ間で締結された契約行為である。
「…オレが嫌なんだ」
ユーリが他の男に親しげに接するたびに、どうしようもなく掻き乱される。
「一旦引き受けたお仕事を放棄はできません」
けれどユーリは、毅然とカラ松の懇願を拒絶した。
「ハニー…っ」
半ば予想していた反応ではあったし、受け止める覚悟もあったはずだった。なのにいざ本人の口から聞かされて、頭が真っ白になる。
あからさまに顔に出たカラ松の落胆に、ユーリはふっと目を細めた。

「ですから、残りの時間はご主人さま専属ということでいかがでしょう?」


その後チビ太との交渉により、ユーリは客が来れば案内はするが担当としてはつかないことが確約された。本格的にぼったくりバーの様相を呈してきたメイドおでんだが、チビ太が承諾したことだ、訪れた客がどのような末路を辿ろうとカラ松の知ったことではない。
「楽しかったんだけどなぁ」
客がカラ松だけになったところで、ユーリは椅子に腰掛けてグラスの水を飲む。
「メイドが?」
「何かを演じるってことが、ね。
メイドっていう仮面をつけた私に対し、お客さんがその役に価値を認めて金銭を支払う…奥が深いと思わない?」
カラ松は間髪入れずにかぶりを振った。
「思わない。ハニーが他の男に仕えるのは見てて不愉快だ」
正直に告げたカラ松の本心は、ユーリを複雑そうな面持ちにさせるだけだった。
「それにこういう疑似恋愛のような客商売は、客が入れ込んでストーカーになるケースも聞く。ユーリのメイド姿はキュートだ、それはオレが保証する。
だからこそ…嫌なんだ」
ユーリの美しさも可愛さも、ときどき子どもみたいに無防備になる姿も、他の男を魅了するために安売りしないでほしい。いっそ恋人だったら、どうだ自慢の彼女だぞと胸を張れただろうか。
仮説の検証は、いつかできる日が訪れるのだろうか。


困ったように笑うユーリを見て、やはり誰よりも綺麗だと、カラ松は心底思うのだった。