短編:兄弟欺くべからず

カラ松の様子がおかしい。
最初に感づいたのは、トド松だった。

そもそもナルシストをこじらせたカラ松の言動がおかしいのは日常茶飯事である。兄や弟たちからの無茶振りに気障ったらしく応えたり、手鏡に映る己と見つめ合う時間が長いのも変わらずルーティンとして繰り返されてきた。
しかしトド松の目は誤魔化せない。見知らぬ服──それも着回しのきくまともな服──と、外出の頻度が増えた。加えて少なくともここ一ヶ月ほどは、明らかに浮かれている。彼が何がしかの幸運を享受しているらしいことは、自ずと察せられた。そしてその理由は、外出先にあるようだということも。
何よりの変貌は、カラ松の表情だった。輝きを増した双眸と、だらしなく緩む口元は、まさしく───




急遽、六つ子会議が招集された。
トド松がカラ松の変化を疑い始めてからしばらくが経った頃である。
長男に呼ばれて居間に向かえば、招集されたメンバーはカラ松を除く五人。全員参加が開催の必須条件であるはずの会議に、次男が欠けている。その状況から、各々が本日の議題を推し測っている様子だった。
おそ松が神妙な顔でちゃぶ台の上で手を組む。

「みんなを集めたのは他でもない…うちの次男についてだ」

ああ、と息を漏らしたのは誰だったか。
誰もがやはりという顔をする。違和感を感じていたのはトド松だけではなかったらしい。
「何だ、みんなカラ松兄さんの異変に気付いてたの?」
「気付かない方がおかしいだろ。分かりやすすぎるんだよ、あいつは」
チョロ松が呆れ顔で腕組みをする。
「まさかカラ松が…って気持ちは正直あった。口にしたら負けみたいな気もしたし」
一松の言葉に、トド松は頷いた。
「そうなんだよね。カラ松兄さん、六つ子屈指のチキン松だから」
「あ、やっぱ異性絡みでファイナルアンサー?
十四松が長い袖を口元に当て、感情の読めない瞳でトド松を見る。彼の問いには、誰もが言葉を濁した。

「まずは状況の共有から始めよう。何か意見がある者は?」
裁判官なら槌を叩き決着の印とするように、おそ松は握った拳でちゃぶ台を叩く。
最初に手を挙げたのは一松だった。
「変わったのは、ここ一ヶ月か二ヶ月くらいだよね。土日にオシャレ…一張羅のあのクソダサい革ジャンじゃなくて、普通の服来て出ていってる」
「そうそう。でさ、そういう日って、兄さん機嫌がいいんだよね。朝起きるのも早いし、鼻歌歌ったりして」
十四松が同意した。
これもう間違いないだろ、とトド松は内心思う。ファイナルアンサー。
「そういえば、たまに電話してない?あいつが誰かに電話するのって珍しいよな」
おそ松の発言を受けてか、それまで顎に片手を当てて思案に耽っていたチョロ松が、あ、と顔を上げた。
「そういえばカラ松、この間僕が部屋に入った時に慌てて何か隠してたな」
「チョロちゃん、その話詳しく」
「大して興味なかったから忘れてたけど…えーと、何ていうか、こう手に収まるくらいの紙みたいなの持ってて、僕が入った瞬間に背中に隠したんだよね。あのサイズ感は写真?…いや、チェキ?」
「あ、そのシチュならぼくも遭遇したよ」
隠した物も次男の対応も同じような感じだったと、十四松は言う。
「気になって兄さんに追求したら、ペロペロキャンディくれた
「買収されやすいのはお前の悪いところだぞ十四松」
一松が真顔で嗜める。
「でも、その写真かチェキみたいなのをボクらに見られると都合が悪いっていうのは、事実みたいだね」
「ということはだよトド松、その仮説から導き出されるのは、カラ松に彼女ができたっていう…」
誰もが口にするのを躊躇っていた表現を、恐る恐るといった体でチョロ松が紡ぐ。他の四人は明言を避けて息を飲んだ。
先ほどの一松の言葉ではないが、カラ松に限って、という思いも確かにある。カラ松ガールズだの真実の愛だのと言う割に、基本的には口先だけなのだ。自分から行動を起こせと発破をかけたら挙動不審になり逃亡するような男。
「あのクソ松だし、それはないでしょ」
「ないない、あり得ない。カラ松兄さんに限ってそれはない」
「だよなぁ」
待ち体制がデフォのチキン松だもんね」
笑い声が室内に響く。限りなく真実に肉迫した仮説は、自分たち兄弟の経験則によって打ち消される。
「──待って、結論づけるのは真偽を確かめてからの方がいい」
憶測のみで判断して、結果的に痛い目に遭うことが何度もあったではないか。根拠のない仲間意識だけで、自分たちにとって都合のいい結論を弾き出したがるのは悪い癖だ。安堵して問題解決と判ずるのは早計だ。
トド松はハッとした。

「…その写真、まだ部屋にあるんじゃない?」

全員が無言で立ち上がった。


カラ松がエロ本やDVDを隠している本棚の裏に、それはあった。
水族館で同じポーズを決めて写っているカラ松と可愛い女の子の写真。日付はちょうど、カラ松の態度が変わり始めたと兄弟が感じた頃と重なる。
トド松たちは愕然とする。
「えっ、何この綺麗な子!」
「こんな可愛い子と付き合ってんのかよ、あいつ!ざっけんなっ」
「落ち着け、まだ彼女と決まったわけじゃない」
トド松とおそ松が続けざまに吐き捨てるのに対し、チョロ松は両手を前に出してクールダウンの要求。
「いやいや、あの馬鹿と同じポーズと決め顔とか、親密度高い証拠でしょうが!
一松が牙を剥き出しにして吠える。
「確かに」
十四松が深く頷き、次男に彼女ができた説が否が応でも現実味を帯びてきた。彼のあからさまな変化とこの写真は、トド松たちの仮説を裏付ける証拠に他ならない。
五人は自然と顔を見合わせる。

「…どうする?」




機会は早々に訪れる。
翌週末、例によってカラ松がデート服ともいえる出で立ちで姿見の前に立ち、服装を念入りにチェックする。十四松の証言通り、鼻歌を歌いながら。
カラ松ガールズからのナンパ待ちのために街へ繰り出す時も、機嫌よく身だしなみを整えることは少なからずあった。けれどやはり何かが、決定的に違う。カラ松の目は不特定多数ではなく、特定の誰かを見ている、そんな印象を受けた。
「カラ松兄さん、どっか行くの?」
スマホに目を落とし、極力何でもない風を装ってトド松は訊く。
「フッ、愚問だトッティ。オレを待ち焦がれているカラ松ガールズたちに顔を見せにちょっと、な」
少女漫画さながらの仰々しい眼力でトド松を一瞥した後、悩ましげに額に手を当てる。
「ふーん、そっか」
その返事にトド松は笑って、おもむろに指を鳴らした。

次の瞬間、カラ松の背後に四人の悪魔が音もなく舞い降りる

「……え」
カラ松は表情を凍りつかせた。
「ここ座れ」
「なん…」
「いいから座れってんだオラァッ」
一松に恫喝され、カラ松は当惑しながらも半泣きで従う。なぜ自分が責められているのか皆目検討がつかない、そんな不安が見て取れる。
「ど、どうしたんだ、ブラザー?
フーン、オーケーオーケー、オレがこれから出かけるのが寂しいん──」
「黙る」
「…はい」

萎縮して正座するカラ松の前におそ松が屈み、彼の眼前で例の写真を振った。
「この可愛い子、誰?」
「それは…っ」
カラ松の頬がさっと朱色に染まる。その反応だけで、カラ松が写真の女性に対して向ける感情を理解するには十分だった。あとは関係性だ。
「お前の彼女?」
「かのっ…!?ち、違うっ、そんなんじゃ…」
「ってことは、友達?」
「それは、まぁ…」
「っていうか、その服の様子だと、これから会うんでしょ?」
チョロ松の追撃には、あからさまに動揺して目を泳がせるカラ松。元来隠し事が下手な性質が、こういう時に災いする。

改めて写真に写る仲睦まじい二人を眺めながら、おそ松が溜息をつく。
「あのさカラ松、何も俺たちはお前の邪魔しようってんじゃないんだよ。彼女ができそうなら応援もするし、童貞なりに協力もしたい意思もちゃーんとある。
なのにお前ときたら、ここ数ヶ月徹底的に俺たちにそのことを隠してきた。ちょうどいいラインが守れない奴は、俺も容赦しないよ?
おそ松たちの言うちょうどいいラインは、実のところトド松も測りかねるところではあった。明確な定義はなく、主観的な感覚で境界線が左右されるのだ。
カラ松は眉間に皺を寄せる。
「お前らに言ったら徹底的に妨害するだろ」
間違いない。
「いやいや、十四松の時とか、俺らは影から見守るだけにしてただろ」
「トド松のバイト仲間との合コンはぶち壊してたじゃないか」
「お前もな」
チョロ松のツッコミに、カラ松は閉口する他ない。確かにこいつもノリノリだった。忌まわしい記憶が蘇り、トド松は歯を噛みしめる。
「あれは恋愛とかじゃなくて、完全にパリピのチャラ男目指してただけだろうが。童貞ニートの分際で、一軍の仲間入り目論むのは愚の骨頂
一松が気怠そうに吐き捨てた。
「お前らほんとボクに対しては容赦ないな、そういうとこ殺意しか湧かない」
全員殴ったろか。


「もう何度も会ってるってことは、仲いいんだよね?」
興味深そうに問いかける十四松に対し、カラ松は顔を赤らめて分かりやすい態度を返す。
「えっ!?ま、まぁ…悪くはない、と思う」
「じゃあその子お兄ちゃんたちに紹介してよ、カラ松。お前の友達は俺らの友達
何というたちの悪いジャイアニズム。こういう悪魔がいるから、いくら合コンを開くパイプを持っていても自分はいつまで経っても童貞なのだと、トド松はつくづく思う。
「この子の名前は?」
「…ユーリ」
「へぇ、ユーリちゃん。可愛い子だよね」
「も、もういいか?そろそろ出ないと約束の時間に──」
壁掛け時計をちらりと一瞥するカラ松は、そわそわとして落ち着きがない。
「あ、そっか、今から会うんだっけ?じゃ、僕たちも準備して行こうか
チョロ松が腰を上げるのを合図に、カラ松を除く全員が一斉に立ち上がった。
「五分で用意する」
「アイアイ!」
「何着よっかなぁ」

「この写真、俺たちにユーリちゃん会わせてくれたら返すから」
次男だけにいい思いをさせてたまるものかと、口には出さない思いを共有し、有無を言わさず同行しようとする松野家六つ子。カラ松はしばし唖然としていたが、突然くくくと笑い声を立てて肩を揺らす。

「さすがはオレのブラザーだ…それを見つけたということは、オレが某闇ルートから手に入れた無修正の秘蔵AVもついにバレてしまったか」

聞き捨てならないセリフが飛び出してきた。
「えっ、そんなのあった!?」
「嘘!?」
見覚えのある本の表紙とパッケージしか見当たらなかったが、奥の方に隠しているのかもしれない。トド松たちは我先にと本棚に押し寄せ、体を積み重ねるようにして隙間を覗き込む。
兄弟の目が逸れた一瞬の隙をついて───カラ松が脱兎の如く逃げ出した

「くそっ、罠か!ホシが逃げたぞ、追えっ!」
「逃がすな!」

トド松たちはすぐさまカラ松の背中を追ったが、この逃亡は彼にとって多少の時間稼ぎにしかならないことは、既に分かりきっていることだった。宝とも呼べる大事な写真は長男の手中にあるのだ。
五人を説得するか、指示通りユーリを連れてくるか、はたまたユーリとの関係を断つか、選択肢は三つ。
かくして物語は、意外な方向へと進むこととなる。




「は、初めまして、ユーリです」

だって、まさかと目を疑うじゃないか。示された道筋の中で最難関の選択を実現してくるなんて。
カラ松とユーリとの写真を発見して数週間もしないうちに、写真の中で決めポーズを取る女性本人が、渋々といった体ではあるが、松野家玄関でトド松たちに頭を垂れた。
こうなると、自分たちは白旗を上げて認めるしかない。少なくともトド松はそう思わざるを得なかった。人質を取られたカラ松の懇願故とはいえ、拒否することもできたはずである。それを跳ね除け、手土産さえ持って現れた。その時点で、もう。

笑った顔が可愛かった。初対面でも臆せず接してくれた。
「ユーリ」
家の中でカラ松が彼女の名を呼ぶたびに、なぜかトド松が気恥ずかしい気持ちになった。早い段階で、その呼び声に込められた感情を察することとなり。


「それじゃあ出かけてくるぜ、ブラザー」
ユーリの訪問から一ヶ月ほどが経ったある休日の午後。ジャケットの襟を正して、トド松に二本指で敬礼するカラ松。
「今日もユーリちゃんと?」
ユーリとの関係性を明らかにし、兄弟に紹介した後は、彼女との逢瀬を隠そうともしなくなった。自分からユーリの名を出すことは少ないが、尋ねれば答えてくれる。それでもときどき会う相手を言わない時があって、トド松はからかうように訊く。
そうすると決まって、カラ松は顔を赤くしてどもるのだ。
「…あ、ああ」

しばらくは動向を見守っていこう。
うまくいくとは限らないし、次男は奥手に奥手を重ねたような男だ。早い段階で決定打を放つ勇気なんてきっとない。
ただ、自分たちの眼前でいい雰囲気になろうものなら迷いなく流刑に処そうと、トド松たち五人はそう誓い合ったのだった。