誰が彼女の隣で寝たのか。
それはオレだと、彼が言った。
雨が降り出したと気付いた頃には、既に雨足は強くなっていた。
「雨がキツくなってきたな…」
片側の窓を開け放した枠に腰掛け、外を見やるのはカラ松くんだ。その手には今日何本目か知れないビール缶を握っている。
アスファルトに叩きつける雨音は次第に勢いを増し、吹き付ける風に乗って室内に入り込もうとしてくるから、彼は窓を閉めて施錠をする。透明のガラスはすぐに水滴に濡れ、築年数の経過による立て付けの悪化も相まって、ガタガタと揺れた。
「本当だ。早めにタクシー呼ぼうかな」
スマホに表示される時刻は、九時を回った頃。私は例によって、松野家で六つ子たちと宅飲みの真っ最中だ。
「一時的な可能性もあるし、もう少し様子を見てもいいんじゃないか?」
「んなこと言って、ユーリちゃんが早く帰るの嫌なだけだろ、カラ松」
一番飲んだ酒量の多いおそ松くんが、ビール缶を振りながらからかうような声を出す。
「そ、そんなわけあるか!オレは単に、その、一つの選択肢を──」
「あー、ヤバイよ、ユーリちゃん。これからの天気、超悪くなるみたい」
カラ松くんの否定を遮ったのはトド松くんだ。私の目は自然と末弟に向く。
「どういうこと?」
「赤塚区一帯に大雨暴風雷のトリプル警報発動中。区民は厳重に戸締りをして家から出るな、だって。荒れるよ、これは」
スマホで見せてくる雨雲レーダーでは、色の濃い巨大な雨雲が赤塚区を中心に東京を覆い尽くし、しばらく停滞する予測が示されている。交通情報では、最寄り駅までの電車が運行停止。
極めつけに、どこか遠くでごろごろと雷鳴の音。
「これ以上悪くならないうちに帰った方がいいかも」
「そうする。片付けできなくて申し訳ないけど、それじゃ私──」
十四松くんの提案に頷き、自分の荷物を持ち立ち上がったところで、一際強い風がすぐ側の窓を叩いた。衝突といった表現が正に正しく、思わず飛び退いた先でカラ松くんに肩を支えられる。
「今のは強いね。警報も出てるし、外に出ると危険だよ」
「でも一松、早くしないとユーリちゃんが帰れないじゃんか」
ふらつく足で一松くんとチョロ松くんが窓際に寄る。二人はガラス越しの景色を一目見て、眉をひそめた。それが彼らの率直な感想だった。
「泊まってったら?」
へへ、と笑いながらおそ松くんが言う。
「あ、遠慮します」
私はすぐさま真顔でノーの構え。普段ならお言葉に甘えていたかもしれない。今までだって、宅飲みの末路で泊りがけになったこともある。
しかし今回は私が速攻で拒否したのには理由があった。なぜなら──松野家の両親が不在だからだ。
昨晩から夫婦で県外に泊りがけで旅行しており、帰宅は明日の午後。松代の加護のない状態での宿泊は危険極まりない。
「おそ松…お前のクソくだらないクソ下品な下心が透けて見えてるぞ。今からユーリに指一本でも触ってみろ、手刀でその指切り落としてやる」
次男のモンペ発動。これはこれで面倒くさい。
ジト目でおそ松くんを睨むカラ松くんの近くで、トド松くんが付き合いきれないとばかりに溜息と共に首を振る。
「まったく、おそ松兄さんはほんっと──何ていい案を思いつくんだ、素晴らしすぎて言葉にならない」
「分かりみが深い」
「家の中の方が安全だしね」
「まるっと同意」
六つ子たちは次々と、反旗を翻すが如く長男サイドにつく。
「ブラザー!?」
「え、何で?俺何か変なこと言った?
客用の布団もあるじゃん。母さんたちいないから、隣の部屋も空いてるし」
そして当の本人は、なぜカラ松くんに責められているのか分からないと目を瞠った。長男が一番まともだった。何かごめん。
そうか、部屋と布団があるならマシか。それなら、と前向きな返事をしようとしたら、チョロ松くんが、あ、と大きな声を上げた。
「駄目だ、おそ松兄さん。布団は…ない」
「は?」
「父さん母さんと客用の布団…全部庭に干したままだった」
外は随分前から降りしきる雨。庭に設置された物干しには雨除けなんて上等なものはなく、つまり。
「オレたちの布団しかないってことか…」
カラ松くんが事実という名の絶望を告げた。
「ハニーが風呂に入る。絶対覗くんじゃないぞ、ブラザー!」
風呂に続くドアの前をカラ松くんが陣取って、声を荒げる。相変わらず外は暴風雨が猛威を奮っており、時折照明がチカチカと不安定に点滅した。
私は着替えとタオルを胸に抱えて、彼の徹底した防御態勢に苦笑するしかない。
「カラ松くん…さすがにそこまでしなくても…」
「マミーのいない我が家はアマゾンの奥地と心得ろ、ユーリ。キュートなうさぎは一瞬で丸呑みにされてしまう」
恐ろしいこと言いおる。
「ちょっと、いくら何でも言い過ぎじゃないの?トッティ激おこー」
「そうだよ、カラ松。冷静に考えてみろよ。覗きで得られるメリットに対して、デメリットがでかすぎる。だってお前間違いなく殺しにくるだろ?」
チョロ松くんの物言いが至極真っ当に思えてくる。
「ハイリスクローリターンすぎる」
「だよねー」
一松くんの呟きに十四松くんが同意した。
「いーや、どこかの新宿のスナイパーよろしく、美人が風呂に入ってたら十中八九ソワソワしてあわよくばと侵入を試みるのが我が家の童貞村だ」
「お前は俺たち兄弟を何だと思ってるんだよ」
おそ松くんにさえ呆れられ、私は頭を抱えた。ガード云々はもういいから、早く風呂に入らせてほしい。
「大事なのは──ユーリちゃんの次に誰が風呂に入るか、だろ!」
長男お前コラ。ちょっと見直した私の純情を返せ。
フェイスタオルで髪を拭きながら脱衣場を出る。カラ松くん率いる六人は、居間で思い思いの時間を過ごしていた。
「お待たせー。お風呂先に入らせてもらってありが──」
しかし私は礼を最後まで述べることなく、絶句した。六人全員が目を剥いて私を凝視していたからだ。
「えっ、な、何…?」
慌てて自分の身だしなみを確認するが、服は正しく着ているし、化粧も残さず落としたし、瞠目される要因がまるで見当たらない。
無意識に一歩後ずさったら、彼らは揃って崩れ落ちた。
「これが噂の彼パジャマ…っ」
そっちか。
当然ながら着替えの持ち合わせがなかったため、カラ松くんの予備パジャマを借りたのだ。メンズものだから少々オーバーサイズ感はあるが、漫画などでお決まりの袖から手が出ないなんてこともなく、それなりにジャストサイズ。
「エッッッッッッロ!何これ、彼女できたらこんなにオイシイシチュ盛りだくさんなの!?死ねる!」
「同じ布団で寝るとか、逆に拷問な気がしてきた…っ」
「酔っ払った時はその辺何か有耶無耶にできるけど、今ほぼシラフだからダイレクトに心臓にくる」
「カラ松、お前いつもこんな拷問に耐えてんの?ドMなの?」
顔を真っ赤に染め上げて叫ぶ面々を尻目に、カラ松くんはすっくと立ち上がり私の腕を取って廊下へと引っ張っていく。問答無用で連れ出されて、私は閉口した。掴まれた腕が痛い。
「ハニー…オレが浅はかだった」
何が。
「ブラザーたちの言った通りだ。その格好はエロ過ぎる」
「ただのパジャマなのに?」
隠すところはしっかり隠れている。というかむしろ、肌は八割方隠れているのにこれ以上どうしろと。
「服装だけじゃない。濡れた髪と上気した肌とボディーソープの匂いと、全部ひっくるめて童貞殺しなんだ」
「童貞殺し…」
単語の理解が追いつかず、真顔で反芻する。
「いくらブラザーたちといえど…ユーリのその姿は、他の男に見せたくない」
だから、と彼は続ける。
「本当は、オレとユーリだけで別の部屋にいければ…」
そこまで言って、カラ松くんは溜息を吐きながら片手で顔を覆った。
「いや…抑えが効かなくなるから、それも駄目だな…くそ」
視線を地面に落とし、忌々しそうにチッと舌打ちする。雄がここにいます。誰か、誰かここに私のスマホを今すぐ!
「と、とにかく、落ち着くまではキッチンにいてくれ。ブラザーたちはオレがどうにかする。いいな?」
確認の体裁は取っているが、実質の強制だ。不承不承私は頷き、カラ松くんに誘導されるようにキッチンのダイニングチェアに腰掛けたのだった。障子を一枚隔てた居間では、どのペアが先に風呂に入るかで戦争が勃発していた。
私はダイニングテーブルに肘をつきながらスマホでニュースとSNSを読み耽る。火照っていた体はすっかり冷めて、乾ききらない髪に触れるとひんやりと冷たい。ドライヤーを借りるのを忘れていたことを、今になって思い出す。
SNSによれば、近隣の地区では停電も発生しているらしい。風呂に入る前に一階の雨戸を閉めようとしたカラ松くんたちが、あっという間に全身びしょ濡れになり着替えを余儀なくされたほどだ。吹き荒れる風も、家を揺らすかのように勢いを増している。帰宅を強行しなかったのは得策だったかもしれない。
「ユーリ」
呼ばれてディスプレイから顔を上げれば、濡れた髪を後ろに撫で付けた姿のカラ松くん。私は無言でスマホを向けた。
「撮るんじゃない」
「大丈夫、動画だから」
「大丈夫とは」
手首のスナップをきかせて振り払う仕草をしながらも、私のスマホを取り上げようとはしない。冷蔵庫から取り出したピッチャーの麦茶を、無言でガラスコップに注ぐ。
「自宅で風呂上がりの無防備な推しの絵とかSSRだからさ」
「ソシャゲか」
「課金してでも手に入れるべき」
「…そうか」
「撫で付けられた髪とチラ見せの鎖骨と、裸足…そりゃこちらの性欲もマックスになるよね」
また私の推しフォルダにレア絵が増える。一度は拝みたいと思っていた、完全プライベートのパジャマ姿が今まさに目の前にある。悦に入ってたら、カラ松くんが私の前に立ちグラスの麦茶をあおった。
「…ユーリだけだと思うな」
「はい?」
テーブルにグラスが置かれる。それから彼は右手を伸ばして私のこめかみに近い髪を掻き上げ、スッと耳に掛けた。
「オレがユーリのその姿を見て、平然としていられると思ってるのか?」
私を見下ろすその顔は熱を帯び、余裕はない。
「…思わない方が良さそうだね」
ここは素直に彼の意向に従っておいた方が良さそうだ。スマホをテーブルに伏せ、私は苦笑いを浮かべた。
「分かったなら、いい」
いつになく低い声だ。カラ松くんは苛立たしげに自分の髪を掻き回す。
「今夜眠れるかどうかだって、怪しいんだからな」
二階に布団を敷いた後、何とも言えない居心地の悪い空気が流れた。
カーテンの向こう側で時折轟く雷鳴を不安に感じながらも、誰もが就寝を言い出せない。悪天候はまだしばらく去りそうもなく、赤塚区にしつこく留まっている。飛来物が当たって窓が割れなければいいのだが。
「一松、オレと代わってくれ。ユーリは端で寝かせる」
口火を切ったのはカラ松くんだった。
「一番端なら、万一窓が割れても怪我せずに済むだろ」
私の身の安全という理由を付け加えて、全員にノーとは言わせない。
「そりゃまぁ、いいけど」
かろうじて無事だった客用の枕をカラ松くんに投げて、一松くんはトド松くんの隣に移動する。
「うん、分かるよ。カラ松の隣が安牌ってのはよーく分かる。でも納得いかない」
おそ松くんは唇を尖らせる。
「言っとくけど、ユーリちゃんに夜這いかけたらすぐさま外に叩き出すからな、肝に銘じとけ」
「だ、誰が夜這いなんてするか!オレはハニーに対しては常にジェントルだぞ、なぁハニー?」
チョロ松くんの警告に、己を律して冷静に振る舞おうとするカラ松くん。しかし自分の胸元に寄せた手は微かに震えている。
「私がカラ松くんに夜這いはあり?」
「ユーリっ!?」
「それもなし。兄弟が抱かれる喘ぎ声とか精神的ダメージが計り知れない」
特に隣にいるおれの心が死ぬ、と一松くんが代表して告げ、カラ松くんを除く全員が深く頷き、同意の姿勢を見せる。
「何でオレがされる側なんだ…」
「される側でしょ?」
「される側だよな?」
「オレ以外の認識が一致してる!何で!?」
何も知らぬは本人ばかりなり。
その時、一際けたたましい雷鳴が鳴り響き、突然部屋の照明が落ちた。狭い室内に闇が広がる。
「停電か…」
「どっか落ちたんだね、嫌だなぁ」
私とトド松くんがスマホのライトをつけて照明代わりにするが、これ以上起きていても仕方がないというのが全員の意向だった。
「寝よっか、もう遅いよ」
あっけらかんと言い放ち一足先に布団に潜り込む十四松くんに続き、私たちも彼に倣う。
「はい、じゃあもうとっとと寝る。おやすみ」
「おやすみー」
スマホのライトを消せば、室内は月明かりも差し込まない暗闇。
肩を少し動かすと、カラ松くんのパジャマにぶつかる。元々六人で少々余裕のあるサイズの布団なのだ、一人増えとその分だけ窮屈になるのは火を見るより明らかなこと。それでも誰も不平を唱えないのは、私に気を遣ってくれているからなのだろう。
「カラ松くん」
十四松くん側の窓には、今なお雨風が勢いよく叩きつけ、ガタガタと不穏な音を立て続ける。小声で語りかける分には、一松くんにも届かないに違いない。
「どうした?眠れないのか?」
首だけ私に向けて、カラ松くんが言う。
「ううん、すごい雨と風だなと思って。台風が直撃したみたい」
「朝には止むさ…怖いか?」
すぐ側から聞こえる優しい声と、暗闇に慣れて少しずつ見え始める彼の輪郭。私は小さく頷く。
「雷は少しずつ近づいてきてるから、落ちたら怖いな…」
「大丈夫だ」
カラ松くんの左手が、私の頭に触れる。
「この近くは避雷針がある建物が多い。うちに落ちることはそうそうないさ」
「そっか。でもそれって──」
雷を誘導することになるよね、と言おうとした私の口から代わりに飛び出したのは、短い悲鳴だった。
カーテンの向こうが光った次の瞬間に、耳をつんざく破裂音が響いたのだ。
「うおっ」
「ひっ」
反射的に体を縮こまらせたら、カラ松くんが私の背中を思いきり引き寄せた。彼の胸に顔を埋める格好になって、目を瞠る。
「こっわ。ちょっと何今の。絶対近くに落ちたよね?」
「くわばらくわばら。もうとっとと寝るに限る」
トド松くんと一松くんの声がして、私はびくりと硬直する。頼むから、今ライトをつけないで。
「ユーリちゃん、大丈夫?」
おそ松くんの名指しに驚いたのは私だけではなかった。背中に触れるカラ松くんの手も、微かに反応する。
「だ、大丈夫!ちょっとびっくりしただけ!」
「つーか、十四松もう寝てるんだけど。一番窓に近いくせにすげーな」
「ある意味一番幸せだな」
距離はないのに、音量を上げなければ正確に相手に届かないほどの雑音。チョロ松くんとおそ松くんの興味はすぐ十四松くんに移って、私は胸を撫で下ろした。
しかし元の位置に戻ろうにも、一枚布団のデメリット故に、今体を動かせば布団の不自然な動きで不審がられてしまう。それを理解しているのだろう、カラ松くんも横向きのまま動こうとしない。
私はそっとカラ松くんの胸に片手を当てた。
「は、ハニー…っ」
咎める声が頭上に降りかかるが、気付かないフリをする。早鐘のような鼓動が一枚の布を介して私の手に伝わる。
「しっ、大きな声出すと気付かれるよ」
「い、いや、でもこれは…」
「動かないの」
見上げたカラ松くんは、闇の中なので色こそ判別がつかないが、眉を下げて戸惑いの色を浮かべている。少々意地悪が過ぎただろうか。それでも離れないでいると、彼の左手は私の背中から頭へと移動して──一層強く胸に抱き込んだ。
「…煽ったのはユーリだからな」
そう吐き捨てた声は、言葉とは裏腹にひどく弱々しかった。
「おっはよーございまーす!」
カーテンと窓を全開にすると、眩いばかりの日差しが室内に差し込んだ。電信柱に止まる鳥の鳴き声も、清々しい朝の訪れを告げる。
「…母さん…まだ朝早い…」
一松くんは目を閉じたまま眉間に皺を寄せ、頭から布団を被る。
「えー、まだ九時過ぎじゃーん。あと一時間は勘弁してよ、母、さ──」
枕元のスマホで時刻を確認したトド松くんは、最初こそ気怠そうに不満を訴えたが、何かに気付いたようで、次第にその声は小さくなっていった。
「ちょっ…ユーリちゃんっ!?」
一番早く飛び起きたのはチョロ松くんだった。続いてトド松くんが、瞠目しながら上半身を起こす。
「そ、そうだった…忘れてた」
「ああぁあああぁ、何でせめて夜中に寝顔覗くとかしなかったんだ、俺の馬鹿!」
枕に顔を埋めてひとしきり後悔を見せるおそ松くんの背中を、十四松くんが軽く叩く。
「いやーでもおそ松兄さん、ぼくはユーリちゃんの彼シャツでお腹いっぱい。それ以上は命に関わる」
「ハッ、確かに…一気にステップアップより、徐々にレベル上げた方が俺らの精神にはいいな。よく言った十四松」
「安心しておそ松兄さん、ユーリちゃんの彼シャツ写真は何十枚と撮ってあるから」
トド松くんはフッと前髪を掻き上げて、カラ松くんさながらの気障ったらしいポーズを決める。胸を張るところを全力で間違えている。
食事ができていると告げたら、六つ子たちはめいめい気怠そうにあくびをしながら、不揃いな足音を立てて階段を下りていく。二階の部屋には、カラ松くんが残った。
「ユーリ」
「ん?」
私は努めて明るい声を出した。カラ松くんは気まずそうに首筋を掻く。
「…昨日はすまん」
「謝るようなことしたっけ?」
「え…いやしかし、あれは…」
「少なくとも私は、謝ってもらうようなことはないと思ってるけどな」
緩い微笑みを投げたら、カラ松くんは目線を上げて私を見やる。
「ハニー…」
「カラ松くんのおかげで、あの後雷が近くに落ちても怖くなかったから、むしろお礼を言わなきゃね」
あの後も何度か、稲妻から雷鳴の間隔が短い雷が落ちたのだ。甲高い衝突音と呼ぶに相応しい爆音に、私はその都度気が動転しそうになったが、カラ松くんは耳を塞ぐ代わりに頭ごと包んでくれた。
「フッ、オレはハニーの忠実なナイトとしての役目を果たしたまでだ」
「さすがー」
流し目でポーズを決めるカラ松くんを棒読みの称賛で適当に受け流して、私は開け放した窓の外を見る。
薄雲の広がる晴天、鳥のさえずり、心地よいそよ風。昨日の嵐などなかったと言わんばかりの晴れ晴れとした景色が広がっていた。けれどどこからともなく飛来した木の枝やゴミが地面に散乱し、爪痕はしっかりと残されている。
庭に干しっぱなしの布団も回収させなければと溜息をついたところで──私の肩にコツンと何かがぶつかる。
カラ松くんの額が、私の肩にのせられていた。
「我慢した」
その意味が分からないとは言えない。だから私は笑う。
「うん」
「すごく我慢したんだ」
「そっか」
「褒めてくれ」
私は腕を上げて、彼の後頭部に手のひらを置いた。わしゃわしゃと少し乱暴に掻き回す。
「いい子いい子、よく我慢しました、花丸」
「…次はもう無理だからな」
不意に、肩がすっと軽くなって温もりが離れる。振り返ると、カラ松くんが私に背を向けて階段へと向かう姿。
その両耳は、ひどく赤かった。