初デート前にしておくべきことがある

後ろ髪引かれる思いを断ち切って勇気を出し、また会う約束を交わしたところまではよかった。再現VTRを見たいくらい、実にドラマチックな流れである。
しかし直後、各種SNSのアカウントはおろか携帯さえ持っていない、唯一の連絡手段は家電(しかも黒電話)という現実を突きつけてきたのには、さすがに不純異性交友する気あんのかお前はと問い質したくなるくらいには脱力した。

「オレの場合は、必要とあればガールズの方からやって来るからな」
「冗談は服のセンスだけにしとけよ」
「まぁ、冗談でなくそういう事情なんだが、家の電話はブラザーたちが出る可能性があるから危険だ。どれくらい危険かと言うと、地雷原に大型ミサイルを打ち込んでくるレベルでの破壊活動になるから、少なくともしばらくは避けたい」
「カラ松くんの兄弟はテロ組織か何かなの?」
似たようなものだな、と感慨深げに呟かれる。これやっぱり逃げた方がいい案件なのでは。
脳内で数百種に渡る逃走案を巡らせていたら、カラ松くんは照れくさそうに指で頬をかいた。
「…いや、まさかユーリからオーケーが出るとは思わなかったから、何の準備もしてなくてな」
ここでその顔はズルい。
かといって携帯の番号を気軽に教えられるほど、カラ松くんをよく知っているわけではない。無害そうに見えるとはいえ、年頃の異性なのだ。
「それなら、待ち合わせの約束するっていうのはどう?」
「待ち合わせ?」
「うん、来週の土曜日の午後一時、駅前のロータリーに集合するの。水族館の割引チケットがあるんだけど、一緒にどうかな」
カラ松くんの目がきらきらと輝きを増していく。うんうんと何度も首を縦に振った後、私が苦笑しているのに気付いたのだろう、思い出したように気取ったポーズを決める。
「ユーリがそこまで言うのなら、この松野カラ松、ハリケーンが来ようがタイフーンが来ようが必ず君のもとに馳せ参じよう。一週間会えないからって、枕を涙で濡らすんじゃないぜレディ」
「じゃ、約束ね。楽しみにしてるよ」
今度は笑顔で手を振って、カラ松くんと別れる。家に帰ったら、忘れないうちに財布の中にチケットを入れておこう。

去り際、一際小さな声で「オレも」という独白が聞こえた。
これからの一週間、その一言のおかずにしてご飯何杯でも食べられそうだから困る。




一週間後の土曜日は、あっという間に訪れた。
平日の辛い仕事も、体力と冷静な判断力を奪うだけの残業も、カラ松くんと水族館に行く約束があったから、それを楽しみに乗り切ることができた。カラ松さまさまである。
大型連休が過ぎてしばらく経った初夏の季節、トップスは半袖か長袖かで迷った末、七分袖のロゴティシャツとくるぶしを見せたボーイフレンドデニムに、足元はレザー調スニーカーという、動きやすさ重視の服装に落ち着いた。ナイロンベルトの腕時計をつけて、手首の寂しさを補う。
姿見でコーディネートを確認してから、このユーリともあろう者がカラ松くん相手に何をオシャレ決め込んでいるのだと多少の自己嫌悪に陥りつつ、軽い足取りで駅前へと急いだ。

腕時計の針は、一時の五分前を指している。
息を切らしながら辺りを見回すと、自分と同じようにロータリーを待ち合わせに利用しているであろう待ち人たちが多いことに気付く。
そんな中、腕組みをして駅舎の壁に寄りかかるカラ松くんを発見して、自然と頬が緩む。
「カラ松くんお待たせー!」
手を振って駆けつければ、カラ松くんがふと顔を上げる。
その姿を見て、ぶっちゃけ速攻でUターンして帰宅しようかと思ったのは秘密だ。

なぜ気付かなかった、なぜ思い至らなかった。
ファッションセンスが壊滅的で救いようがないという大事なファーストインプレッションをすっかり失念していた自分の大馬鹿野郎。
革ジャンに金のチェーンネックレスというところまでは、初対面時と同じだった。今回はそこに眩しいほどのラメ入りパンツと、頭蓋骨の存在感が半端ないベルトが追加されている。
センスの破壊王は健在どころか、確実に悪い方へと進化を遂げている。
「フッ、ゴッドも裸足で逃げ出すオレの魅力に声も出ないようだなハニー」
そして出会って三回目にして愛人呼ばわり。
もう帰りたい。
「仕事帰りのセクシーな服も良かったが、私服もソーキュートだぜ」
人のコーディネートを客観的に判断できる程度の一般的センスはあるらしい。だったらなぜ、というのが正直なところだ。

「カラ松くん…水族館はちょっと後でもいいかな?」
「どうしたハニー、どこか寄りたい所でもあるのか?」
私は唇を尖らせてから、むんずとカラ松くんの手を取って歩き出す。
「ちょっ… ユーリ!」
「いいからついてきて」
カラ松くんの手を引きながら私の頭の中に巡るのは、彼の魅力をいかにして最大限引き出すかという手段ばかりだった。




辿り着いたのは、誰もが知っているファストファッションのアパレルショップ。ショーウィンドウの中では、複数体のマネキンが初夏の服を涼しげに着こなしている。
「ユーリ、ここは…」
「今からカラ松くんのカッコ良さをもっと魅せるコーデをします。もちろん私の奢り。拒否権なし、オーケー?」
善は急げと店内に入ろうとすると、カラ松くんが不安げに私を見つめていた。
「ブラザーたちから散々こき下ろされたことはあるが、ハニーから見てもそんなに駄目なのか、オレの服は…」
ここの返答は悩むところだ。イエスと言えば彼を一刀両断にするだけだし、ノーと言えば彼の自尊心を傷つけない言い訳が必要になる。つまり、嘘をつくことになる。
どこかで聞いたことがある、上手く嘘をつくコツは真実を少し混ぜることだと。
「カラ松くんのセンス云々じゃなくて、カラ松くんが普段選ばないような服でもっとカッコよく見せられるんじゃないかなと思うのですよ、私は。
端的に言えば、私色に染めたいっていうか───推しに注ぎ込む金は惜しくない
むしろご褒美だ。
「おし…?」
「まぁまぁ、こっちの話。
それでね、カラ松くんは細くて筋肉質だから鎖骨と腕は出した方がセクシーだと思うんだよねぇ。くるぶしも出した方がいいかな」
とりあえずは、重ね着にも対応して着回しのきく服がいいだろう。次に応用できる選択は重要だ。
店に着く前にある程度構想は練っていたので、選ぶのに時間はかからなかった。合いそうなサイズの物を戸惑うカラ松くんに押し付け、試着室へと送り込む。
男性のコーディネートをスマホで検索しつつ待ち合いの椅子に腰かけていたら、少ししてカーテンが開く。
「ユーリ、ど、どうだろうか?」
私がチョイスしたのは、Vネックの白い半袖に黒のスキニーデニム、濃茶のベルトという実にシンプルなものだ。元々身につけていたチェーンネックレスと革靴は、着用を続けても問題ないと判断。
体のラインを出して露出度が上がっただけで、見違えるような色気が漂う。
「尊いッ!ありがとうございます!」
あと少しのところで、平身低頭で地面に頭を擦り付けるところだった。私の大声にカラ松くんがビクリとして涙目になってしまい、申し訳ない気持ちになる。
「うん、すごく似合うよカラ松くん。その格好で水族館行こう、カッコいい!」
「カッコいい…?そ、そうか、ユーリがそう言うなら」
「これなら間違いなくモテるよ」
「モテる…うん、素晴らしい響きのワードだ。しかしカラ松ガールズたちにとって、一層声をかけにくいの存在になるのは悩みどころだな」
ポジティブで何より。

着てきた服はまとめてコインロッカーに入れて、カラ松くんの横に並ぶ。やはり私の見立て通り、無骨さの窺える部位を露出することによって、一層引き締まって見える。
帰りにスマホで写真を撮って今後のおかずにしようと、私は固く心に誓ったのだった。
「なぁユーリ、この服本当に貰っていいのか?」
せめて半分くらいは出そうかと言うカラ松くんに、私はかぶりを振った。
「ファストファッションだからそんなに高くないし、これからも着回し用に使ってくれたら全然いいよ。思ってた以上に似合うしね~」
カラ松くんはたぶん、素材はいいのだ。絶望的なファッションセンスと中二病さながらの痛い言動が際立って変人扱いされるだけで、黙っていればそれなりに可愛い。
あ、と私は声に出す。
「どうした、ハニー」
何事かとこちらを見やるカラ松くんの顔に手を伸ばす。

「女の子と遊ぶ時は、サングラスは外そうね」
だからこれは帰りまで預かります、と彼の目元からサングラスを外すと、自然と目が合って、憚らずも見つめ合う形になる。
真正面から瞳を覗き込むのは、そういえば初めてだなと思っていたら、にらめっこに耐えかねて先に目を反らしたのは、カラ松くんだった。
「ちょ、ま、待ってくれユーリ!それは反則じゃないか!?」
「照れるな照れるな。見つめ合うと素直にお喋りできないなんて、彼女いない歴の長さを如実に物語るだけだよ」
「有名曲の歌詞に混ぜてさらっとオレをディスるの止めて!」

それでも止めずに熱視線を送り続けたら、やがて根負けしたカラ松くんが吹き出して、いつになく楽しそうな笑い声をあげるから、つられて私も笑ってしまう。
デートはまだ、始まったばかり。