夏だ海だビールが美味い(後)

「突然ですが、今からビーチフラッグスしまーす!」
海の家で昼食を済ませ、各々がレジャーシートの上で休憩がてら好き勝手過ごしていた時のことだ。何を思ったか突然おそ松くんが声を上げた。
果てしなくデジャヴ。松野家初訪問時に、同じような展開があったではないか。私の第六感が今すぐ逃げろと警鐘を鳴らす。
それはカラ松くんも同様だったらしく、咄嗟に私を庇うように片手を広げた。
「へへ、ユーリちゃんとトト子ちゃんは不参加だし安心して。俺ら六つ子によるデスマッチだから」
不穏なワードが飛び出したが大丈夫なのか。
「ルールは簡単、二十メートル先にある空のペットボトルを取った奴が優勝。誰かが取るまでは凶器の使用以外は何でもあり。デッドオアアライブ、命がけのゲームだ」
「優勝したら何か賞金でもあんの?
おれ暑いの無理だし、不戦敗でもいいんだけど…」

「トト子ちゃんとユーリちゃんの二人からキスしてもらえる」

「あ、参加します」
一松くん意見覆すの早すぎるだろ。
そっかぁ、それなら出るしかないかなぁ、とそれぞれが『致し方なし』という謎の空気を漂わせながらウォーミングアップに入る。
「ちょ、ちょっと待ておそ松。
ゲームをするのは構わないが、ハニーとトト子ちゃんの了承も得ずに勝手に決めるのは良くないんじゃないか」
カラ松くんの背中で、私はうんうんと深く頷く。
こちらには、六つ子といかなる既成事実も作りたくないと豪語しているトト子ちゃんもいるのだ。勝手に賞品にされてたまるか。

「トト子、別にいいよ」

「は?」
まさかの、最後の砦が裏切ってきた。もう誰も信じられない。
「と、トト子ちゃん!?何言って…」
「ただのキスでしょ?
その代わり、ゲーム終わったらトト子とユーリちゃんにかき氷奢ってよね」
何でもないことのように言うので、私は耳を疑った。

トト子ちゃんが提示した褒美の要求を飲むおそ松くん。かき氷を奢る対象に私も入っているせいか、二人とも承諾したものと解釈して準備を進めていく。
「で、カラ松はどうすんの?不参加?」
「…いや、出る」
おそ松くんの問いに不承不承といった体でカラ松くんは答え、それから私に向き直った。
「ハニーの唇は誰にも奪わせないから安心してくれ!」
「え、いや私そもそも──」
賞品提供するなんて一言も言ってない。
しかし私が言い終わらないうちに、カラ松くんはおそ松くんが木の枝でラインを引いているスタート地点へと赴いた。
この事態の収拾をどうつけるつもりなのかとトト子ちゃんを横目で見やると、彼女は私の視線に気が付いて、それから───




勝負が行われるのは、ビーチフラッグスにおあつらえきな平坦な砂浜。おそ松くんがどこからともなく取り出したメジャーで距離を計測し、ゴール地点にペットボトルが置かれる。
さて準備完了というところで、その様子を見ていたトド松くんがおもむろに砂浜の上に膝をつく。
「念のため、砂浜に障害物かないかチェックさせてもらうよ、おそ松兄さん」
「運も勝利に必要な要素なんだけど…っていうか、トッティもしかして俺がお前らを蹴落とす罠でも仕掛けてると思ってる?
「───まさか。砂浜の上を走るんだから、ガラス片でもあったら大変じゃん」
私は見た、トド松くんが一瞬真顔だったのを
「走力と瞬発力、そして腕力、ビーチフラッグスに必要とされるであろう全てのスキルがトップクラスに秀でているぼくが圧倒的有利だよね。おそ松兄さん短絡的すぎ。失策に気付いてない?いやむしろこれも計算のうちなのか?」
十四松くんが抑揚のない声で口早に独白する。侮蔑とも見える視線をおそ松くんに向けながら。
「でもいいやー、ユーリちゃんぼく頑張るね!」
しかし次の瞬間には、いつもの無邪気な笑顔で私ににっこりと微笑んだ。二面性のある男、それが松野十四松。

五人がスタート地点に並ぶ。脳筋二名にはプラス五メートルのハンデが設けられた。
「…あれ、一松は?」
チョロ松くんがきょろきょろと辺りを見回す。そういえばビーチフラッグスへの参戦を決めてから姿を見ていない。
不在なら棄権にするかとおそ松くんが思案し始めたところで、海水浴場入口の方角から一松くんが姿を現した。
「ごめんごめん、トイレ行ってた」
「遅いよいちまっちゃん。でもこれで六人揃ったな。俺が合図したら一斉にスタートだぞ、準備はいいか」
世紀の馬鹿六人による下心満載のビーチフラッグスの幕が切って落とされようとしていた。とりあえず私は、録画ボタンを押したスマホを構えておく。
「よーい」
全員、ゴールの反対側を向いてうつ伏せになる。

「ドン!」

各人、一斉に勢いよく体勢を変えて砂浜を飛び出した───ように見えた。
初っ端から砂浜に足を取られて体勢を崩す者、転倒する者多数続出。
そりゃそうだ、ビーチフラッグスを甘く見てはいけない。元々はライフセーバーが行なう、走力や反射神経を鍛えるためのスポーツだ。二十メートルという一見短い距離だが、平坦な地面とは異なり、きめ細やかな粒子でできた砂浜は、走者の足を容赦なく引きずり込もうとする。
そんな中、カラ松くんと十四松くんは比較的早く立ち直り、五メートルというハンデをあっさりとクリアしてスタート地点に並ぶ。

「そうはいくかっ!」
しかし刹那、背後を振り返ったおそ松くんが彼ら二人に向けて砂を撒き、目潰しを仕掛けた。
「うわっ!お、おそ松お前…ッ」
「わー、兄さんひどい!」
効果は絶大で、砂を撒かれた二人はその場に崩れ落ちる。
「はははっ、ゴリラ二匹の動きは封じた!あとは引きこもりとウンチだな覚悟しろよ!」
「不名誉な略し方すんじゃねぇクソ長男!運動音痴と正しい名称を使え!」
チョロ松くんが吠える。
「へっ、テメェらの走りなんざ止まって見て───いっでええぇえぇえぇッ!」
このまま軽やかなに駆け抜けるかと思ったおそ松くんが、不意に片足を抱えて飛び上がった。
その様子を見て、トド松くんが嘲笑するように高らかに笑った。トッティどうした。
「兄さんがゴリラたちを封じて優位に立とうとするのは、とうにお見通しさ。いつまでも可愛い末っ子だと思うなよ!」
「トド松お前…っ、金平糖をまきびし代わりに…!?」
「ごめんねおそ松兄さん。
チョロ松兄さんと一松兄さんも、足元にはよくよく気をつけることだね
勝つためには手段を選ばない、末っ子の本気を見た
名指しされたチョロ松くんと一松くんは、体を硬直させて立ち止まる。砂浜に埋もれた金平糖は、いわば地雷だ。どこにあるかは、仕掛けた本人のみぞ知る。
この勝負、トド松くんが優勢か。

不意に、一松くんが左手の親指と人差し指を口にくわえた。高音の笛の音が辺りに鳴り響く。
「な、何?」
思わずシートから立ち上がって私は様子を窺う。
直後、私の視界に映ったのは、どこからともなく現れた野良猫たちが、トド松くんに頭突きを食らわせる姿だった。それを見てニヤリとほくそ笑む一松くん、果てしなく邪悪な面構えだ。
「愚かな奴…おれが何も準備せず、こんな不利なゲームに挑むとでも思った?」
ひょっとして一松くん、ゲーム開始までしばらく離席している間に、海水浴場付近の野良猫たちを手懐けていた、だと?
「まさか、そんな…」
信じられないと呟けば、一松くんは私の方を振り返ってヒヒッと笑った。

私が信じられないのは、彼らの計画性の高さや人間離れした特殊スキルに関してではなく、ビーチフラッグスやるだけなのに本気出しすぎな大人気なさなのだけれど。

その執念を他のことに向けたらきっと大成するのに。
まぁそれをしないからニートなんだなと一人納得していたら、視界の隅でカラ松くんがゆらりと立ち上がるのが映った。
「カラ松くん!」
「君が心配することは何もないさ、ユーリ」
片目はまだ完全には開かないらしく、眉間には深い皺が刻まれている。既に一位との距離はだいぶ開いていて、ここから挽回の可能性は限りなく低い。
しかし彼は静かに地面を蹴った。その後ろを、時を同じくして復活した十四松くんが無言で続く。

おそ松くんとトド松くんは負傷により戦線離脱。
現在一位候補は無傷のチョロ松くんと一松くんだが、運動神経と体力はチョロ松くんが優勢のようで、彼が数メートル先を行く。
そこに必死の追い上げを見せるのがカラ松くんだ。あっという間に一松くんを抜き、金平糖を回避するためトド松くんルートを通り、チョロ松くんに並ぶ。
あまりに懸命な彼の表情に、かける言葉が見つからない。
ペットボトルはもはや目と鼻の先。
飛び込んで手を伸ばした両者。
勝者は───

チョロ松くんだった。

「いよっしゃあああぁあぁああぁぁっ!」
チョロ松くんの命の叫びが轟く。
ほんの数センチ届かなかったカラ松くんは、言葉を失いその場に崩れ落ちた。私は彼に駆け寄る。何と声をかければいいのか。
「ユーリ…すまない、必ず守ると約束したのに…」
「あんなにハンデあったのに二位なんてすごいよ、カラ松くん。健闘したね」
「一位になれなきゃ意味ないじゃないか…」
ああ、と私の口から吐息が漏れる。
「そのことなんだけど」
けれど、私の言葉は最後まで紡がれることはなかった。
「ユーリちゃん、さっさと終わらせてかき氷食べようよ」
トト子ちゃんに呼ばれたからだ。
カラ松くんは何とも言えない苦悶の表情を浮かべて、片手を私の方に伸ばそうとする。しかしトト子ちゃんがぐいっと私の腕を強く引いたたため、彼の手は虚空をつかんだ。

砂だらけになった仏頂面の敗者たちに囲まれて、チョロ松くんは一人ご満悦だ。
「チョロ松くん、優勝おめでとう!」
両の手のひらを合わせて頬に添えた、愛らしいポーズを決めるトト子ちゃん。
「トト子とユーリちゃんからプレゼント贈呈しまーす」
私たちはチョロ松くんにキスをする。

キスはキスでも、投げキッスを。

「頑張ったねー、チョロ松くんすっごく格好良かったよ」
「うんうん、ドキッとしちゃった」
それから二人で、チョロ松くんの手を両手でしっかりと握り、頬を赤く染めたりなんかしながら大袈裟に持ち上げる。憎からず思っている異性を両サイドに侍らせて、悪い気はしないのだろう、チョロ松くんの顔が緩む。
「そ、そうかな…いや、そうだよね。つい大人気なく本気出しちゃったなぁ」

うわぁ、チョロい。

ゲーム開始前、私が一抹の不安を覚えていた時、トト子ちゃんは耳元で囁くように言った。おそ松くんはどこにキスするとは明言しなかったよ、と。
だから、その事実に彼らが気付く前に了承してゲームを開始させた。まるで女っ気のない初心な連中のことだから、好意のあるフリをして手でも握れば確実にオチる。トト子ちゃんはそう踏んだのだ。そしてその読みは的中した。
また、万一敗者の誰かが気付いたとしても、口にすればそれは己の不利益にしかならないから、決して声には出さないだろう、とも。さすがトト子様、伊達に六つ子との付き合いが長いわけではない。

「優勝できて良かったぁ、僕もうしばらく手洗わない
「オレが言うのも何だが…それでいいのか、チョロ松」
「シッ、カラ松兄さん黙って!」
カラ松くんがぽつりと馬鹿正直に本音を零したが、トド松くんの両手で口を塞がれる。
何にせよ、トト子ちゃんの妙案で切り抜けることができた。次からはおそ松くんがゲームを提案してきたら、なりふり構わず全力で逃げよう




ビーチフラッグスの死闘から一時間ほどが経過した頃には、海へ入ったりシートで休憩したり波打ち際で砂の城を作ったり、各々気ままに過ごすようになった。
その時たまたまテントの下にいたのは、一松くんとトド松くんと私の三人だった。ビーチの暑さに疲弊し始めた一松くんの回復のため、トド松くんが海の家で葛アイスを仕入れてきてくれる。
「…え、何これ美味い」
葛アイスは初めてという一松くんが、目を輝かせた。
「アイスと違って溶けないし、カロリーも低め。再冷凍もできるから、人気なんだよ」
アイスを咥えた自分をスマホで自撮りした後、トド松くんはあっという間にアイスを平らげてしまう。
私がようやく自分の分を開けた時、海から上がってきたトト子ちゃんが目ざとく見つけて声を上げた。
「あー、ユーリちゃんのアイスいいな!トド松くん、トト子の分も買ってきてよ!」
「うん、いいよ。でも味の種類が多かったから、自分で選んだ方がいいんじゃないかな?」
「そうなの?じゃあ行く行く、お店まで連れてって」
ビーチサンダルに足を引っ掛けて、トト子ちゃんはトド松くんを連れて足早に去っていく。忙しない人だ。

「わぁ、これ美味しい!」
「ユーリちゃんは何味だっけ?」
「柚子。ほんのり甘い柑橘系って感じで、すごくさっぱりしてる。一松くんも食べてみる?」
食べかけで申し訳ないけど、と差し出したら、一松くんは目を瞠る。
「え、ちょ…い、いいの?社会のゴミに施したこと後悔して後から死にたくならない?
死にたくはならないが、面倒くさい奴認定はする
「しないよ。その代わり、一松くんのソーダ味も一口頂戴」
「…いいけど」
一松くんが首を伸ばして、私の葛アイスに歯を立てる。
その時───

「ハニー!」
カラ松くんが海から戻ってきて、大声で私を呼ぶ。私は反射的に振り返るが、一松くんは気にも留めずアイスに歯を立てた。
「これもうま。葛アイス開発した奴天才すぎですやん。ノーベル平和賞受賞待ったなし
「だよね、世界平和に貢献する美味しさ
分かる。
一松くんと何度も首を縦に振って、葛アイスの美味しさを共有していたら、私の傍らに腰を下ろしてカラ松くんが身を乗り出してくる。
「一松ばかりずるいぞハニー」
「アイスのこと?」
「オレにも一口、いいだろ?」
瞳を輝かせて見つめてくる姿は、さながら犬のよう。
「しょうがないな、いいよ」
断る理由もないので承諾すれば、カラ松くんは笑顔のまま大きく口を開けるので、アイスを差し向けると、彼は思いきりかぶりついた。
「あっ、カラ松くん食べす──」
「美味いっ!アイスの味のチョイスでさえ至高のものを選んでくるとは、さすがユーリだな」
食べすぎを叱責するつもりが、屈託なくそう言われてしまっては、これ以上文句が言えなくなる。本当にずるい。おかしくてつい吹き出してしまったら、カラ松くんもつられてより一層柔らかい微笑みになる。

「なになに、ユーリちゃん、何か面白いことでもあった?」
そうこうしているうちにトド松くんが戻ってきて、不思議そうに首を傾げた。




喉を潤そうとクーラーボックスを開けると、お茶が切れている。残っているのは清涼飲料水と炭酸だ。まだしばらくは海で過ごすだろうし、ついでに数本買っておこう。
自分の荷物から財布を出して、私は海水浴場から歩いて数分のコンビニへと向かう。

海水浴場を出たところで、背中に声がかかった。
「ハニー、オレも行こう」
振り向かずとも誰が分かる。
「カラ松くんも、何か買いもの?」
「いや、ユーリに変な虫がつかないようにガードしに来た」
「はぁ!?」
まるで予想していなかった理由だったので、素っ頓狂な声が出る。だがカラ松くんは真剣な顔つきを崩さない。
「ハニーは自分の魅力を侮りすぎじゃないか?
地上に遣わされたエンジェルは、いくら羽を隠しても、数多の石ころの中で輝くダイヤモンドのようなものなんだぞ。現に今だって、オレが来なければ───」
カラ松くんは語尾を濁して、憎々しげに背後を見やる。なるほど、声をかけやすい一人の時を狙われかけた、というところか。魅力云々というよりは、攻略可能物件に見られた可能性の方が高いが。
「まぁ、それに…」
「うん?」

「…少しでいいから、ユーリと二人になりたかったんだ」

聞いてよ奥さん、これで私たち付き合ってないんですよ。
世の中って不思議だなと思いつつ、カラ松くんが横に並ぶ。
「ハニー、ちょっと聞いていいか?」
「何かな?」
平静を装いつつも、私は警戒する。カラ松くんがこういう風に前置きをしてくる時は、決まって返事に困る内容だったりするのだ。
「さっきのビーチフラッグスで、ハニーにはチョロ松は格好良く見えたのか?」
「ああ、あれ?」
ドキッとしちゃったとか、生涯二度と言わないであろう女子っぽい台詞を吐いた。できるだけ自然体で、本気っぽく見えるよう全力で
「まぁ格好良かったかな。優勝したしね」
他の面子に問題がありすぎたせいもあるから、マシという意味ではその通りだ。だから思ったままを口にしたら、カラ松くんは不満げに唇を尖らせた。

「…オレは?」

褒められたい子供か。でも可愛いからいい、許す。
二十歳過ぎた大人が嫉妬して拗ねるとか、面倒くせぇとか思っちゃうものだけど、可愛い推しは正義
潮風になびく髪を片手で押さえながら、カラ松くんに告げる。
「約束守ろうとしてくれたもんね。私にとっては、カラ松くんは一番格好良く見えたよ」
「一番…そうか、一番か」
あの時、心配することなんてないと紡がれた言葉と強い眼差しは、まるでヒーローのように私の心を救った。打開策を用意してはいたけれど、カラ松くんが優勝してくれたらと、心のどこかで願ったのは確かだ。
でも今はまだ、そのことは秘密にしておこう。




夕方近くまで海水浴を満喫してから、私たちは車を出して最寄りのスーパー銭湯へ向かった。仮眠を取って夜に備えるためだ。
そして夜の帳が落ちた頃、最寄りのスーパーでアルコールとつまみを買い込み、日中遊び倒した海水浴場を再度訪れる。
月夜の薄明かりに照らされた海が、幻想的にゆらゆらと穏やかに波打っている。昼間とはまるで異なる光景に、私は息を飲んだ。

海水浴場の入口から砂浜へと続くコンクリートの階段にどっかと座り込み、おそ松くんはビールのプルタブを開ける。
「夜の海でビールなんてオツだよなぁ!俺ら超夏満喫してるじゃーん!」
そう、これからが第二の本番だ。わざわざ銭湯で仮眠を取ったのもこのためである。
六つ子とトト子ちゃんはおそ松くんを囲むように腰をかけ、それぞれが気ままにアルコールを煽った。未成年にはできない、大人のオツな海の楽しみ方だ。

「トト子いい気分になってきちゃったぁ。特別に一曲歌いまーす!クソニートども、しっかり崇め奉れよ
「ありがとうございます、トト子ちゃーん!」
二本三本開けた頃には、酔っぱらいたちのできあがりだ。日中の疲労も相まってか、全員酔いが回るのが早い。
トト子ちゃんの歌声に合わせて、六つ子たちはつまみのパッケージを振り回す。

機嫌よく熱唱する彼らを肴に、私はちびちびとお茶を飲む。
全員すっかり忘れているだろうが、この酒盛りが一段落つけば車で帰宅するのだ。車を動かすには運転手がいる。運転手は当然シラフでいなければいけない。
誰か一人くらいはそれに思い至るかと期待したが、一斉に缶ビールを飲み干すのだから参った。
「ユーリ」
ふと、カラ松くんが私の隣に並ぶ。彼はトト子ちゃんのオンステージに参加していなかった。
「カラ松くんは、飲んでないの?」
酒の臭いがしない。
「帰りはオレが運転するから、ユーリは飲んでいいぞ」
何ということでしょう、気遣いの紳士現る。
「ブラザーたちもトト子ちゃんも既にあの調子だからな」
「車の中で爆睡しそうだよね」
せめて車に乗るまでは意識を保っていてほしいものだ。
「もしみんなが微睡の世界に落ちてしまったら、オレとハニーだけで秘密の話でもしよう」
唇に人差し指を当てて、カラ松くんはいたずらっぽくウインクしてみせる。それは性癖とか属性とかいう卑猥な話だろうか。ぜひお願いします。

不意に、私とカラ松くんの間に静寂が訪れた。少し離れた場所ではトト子ちゃんたちが大声で騒いでいるのに、ひどく遠く感じる。
コンクリートの上に置いた手は、数センチも動かせば触れ合うほどに近い。タンクトップから覗くがっしりとした腕と骨ばった手に、彼が異性であることを嫌でも認識させられた。
「…なぁ、ユーリ」
うん、と私は応じる。

「来年もこうしてみんなで…いや、できれば来年は、二人で来れたらいいな」

何気なく、さり気なく。
打ち寄せる波の音と、カラ松くんの瞳に映る月明かりに、眩暈さえしそうなほどに。
「うん、来年も来ようね」
「それは」
「次は───二人で」
素直な気持ちを吐露する。全部、夜の海が見せる幻想のせいにして。
けれど、カラ松くんがこれ以上ないほどに顔を綻ばせるから、これでいいのだと思うことにした。今年は人目もあったから自制したが、来年は人前でもセクハラかますし、むしろ抱く。




SNSで、トド松くんから海で撮った写真が送られてくる。彼の可愛い自撮りや他者とのインカメ写真はもちろん、私たちが思い思いに過ごしている風景を切り取ったものまで、ざっと数十枚。そこに私が撮ったものを追加して、一つのアルバムが完成する。
増える思い出の数だけ、六つ子との距離は縮まっていくのだろうか。そしてその道は、どこに辿り着くのだろうか。

ある日、電話口でふとカラ松くんが零した。
「海水浴で一つ心残りなのは、ハニーとの写真を撮るのを忘れてたことだな」
確かに撮らないままだったなと思ったのもつかの間、トド松くんから送られてきた写真の中身を頭の中で反芻して、カラ松くんに声をかけた。
この時私の顔は、きっと笑っていたに違いない。
「ううん、すごくいい写真があるよ」

差し出した葛アイスを大口でかぶりつかれた時のものだ。互いに顔を見合わせて、これ以上ないくらい楽しそうに笑っている。
意識したことはなかったが、私たちはいつもこんな顔をしているのだろうか。

「トド松くんが撮ってくれてた」
「えッ?は、ハニー、ちょっと待っててくれ」
ガチャン、と受話器が荒々しく台の上に置かれる。
それから廊下を走る足音に、障子を勢いよく開け放つ音が続いて、六つ子の誰かうわっと驚く。
「トッティィィイィィィィ!」
「えっ、ちょっと何、キモいんだけど!」
「この間の写真見せてくれ!」
保留のない黒電話だから、松野家の騒々しいやり取りが筒抜けだ。
カラ松くんご所望の写真が見つかるといいのだが。

スマホを通して彼らの騒々しい声を聞きながら、アイスコーヒーを注いだグラス片手に、カラ松くんが戻ってくるのをのんびり待つことにした。