あったかもしれない珍事件

とても緩いですが、ユーリ(あなた)×カラ松の描写があります。
(この話は読まなくても本編に影響ありません。苦手な方は回れ右で)






目が覚めたら、カラ松くんが目の前にいた。

ありのまま起こったことを話そう。
何を言っているか分からないと思うが、大丈夫安心してほしい、私にもさっぱり理解できていない。

そもそも眠っていたのかどうかさえ記憶が定かではない。
ただ気が付いたら、地面に片膝をつくカラ松くんの両脇を足で挟む格好になっていた。背中には白い壁があって、座った格好のまま壁際に追い込まれた姿という方が分かりやすいだろうか。
「…へ?」
「は、ハニー…っ!?」
カラ松くんもまた、今私の存在を知ったといわんばかりに声を上げた。
顔と顔の距離は三十センチもない。いくら何でも近すぎる。
「何これ…え、ち、ちょっと、とりあえずカラ松くんどいてくれる?」
「いや、すまないユーリ、どきたいのは山々なんだが…」
カラ松くんは顔を歪めた。そういえば彼の腕の位置がおかしい。右手は頭の横で何かを持ち上げるようなポーズを取ってはいるが、よく見ると天井に触れている。
とにかく離れようと私は足を引っ込めようとするが、まず靴の爪先が壁に当たった。続いて膝を曲げようとしたら、膝が見えない壁に触れる。
「んん?何なの、これ?」
両手を横に伸ばしたら、肘が九十度も曲がらないうちに行き止まりにぶち当たる。

箱に閉じ込められている?

何、だと?
「拉致?誘拐?人体実験用の収容所?
「ハニー、不吉なワードを羅列しないでくれないか」

よしよし落ち着けユーリ、クールになれ
なにはともあれデニムのパンツを履いている時で良かった、スカートなら社会的に死んでいた
「私たちが何でここにいるのか、カラ松くん知ってる?」
「それが…よく思い出せないんだ。朝家を出たところまでは何となく覚えているんだが…」
私は家にいたと思う。食材の買い出しに行こうと思い、買い物メモを作っていた辺りまでの記憶はある。
「とにかく、ここを出ないとね」
私たちが閉じ込められた箱は、体感的に一立方メートルほどのサイズのようだ。私は尻をついているのでマシだが、カラ松くんの跪くような格好はいずれ保つのが辛くなる。
「そ、そうだな…この密着した状況は、その…キツイ」
カラ松くんの顔が赤く染まっていく。
「ボタンとか何かないかな」
手の届く範囲で触れたり叩いてはみるものの、水族館の水槽にも似た、分厚いアクリルの板のような触り心地が続くだけで、亀裂やボタンといった脱出の糸口になりそうなものはない。
「カラ松くん、ちょっとごめんね」
彼の背中側を覗くために、私は上体を起こしてカラ松くんの脇の下に顔を突っ込んだ。自然と密着する形になるが致し方ない。
不可抗力のセクハラ美味しいです。
「な…っ、ユーリッ」
「あー、やっぱり何にもないかぁ」
息苦しくないということは、空気孔はどこかにあるらしい。そして私とカラ松くんは照明の下にいるかのように、互いに顔や体がはっきりと認識できている。ということは、この壁は白いではなく透明で、白く見えるのはこの箱が置かれている部屋の色ということなのか。


ふとひらめいて、カラ松くんに聞いてみる。
「カラ松くんの力で壊せないかな?」
「…やってみるか」
彼は右腕を動かして、どこまで肘を下げられるかを確認する。
「ユーリ、少し我慢しててくれ」
何のことかと疑問に思う間もなく、カラ松くんの左手が私の頭に回って、強く引き寄せられる。先ほどとは比にならないほど体が触れ合って、不覚にも呼吸が止まった。
そして次の瞬間、カラ松くんの重い一撃が壁に放たれる。

放出した力が吸収されるような、鈍い音が響く。
カラ松くんはゆっくりと拳を下げて、静かに息を吐いた。
「───頑丈だな」
そこでようやく私を抱いていることを思い出したらしい。カラ松くんは慌てて手を離した。
「…あ、す、すまないユーリっ!万一割れた時に怪我したらいけないと思って、他意はなく…」
「だ、大丈夫…ありがと」
危うく尊死するところだった。
どう見てもご褒美です、いい匂いした。

カラ松くんは眉間に皺を寄せて、私から視線を反らす。頬は変わらず赤く、居心地が悪そうだ。
「どうにかならないか、これ…長く耐えられる自信がない」
「いつも仕事を頑張ってる私に、カラ松くんの赤面を間近で視姦できるご褒美を神が与え給うたと思ったら、数時間は余裕
「真顔で冗談言ってる場合か」
「いや本気で」
「オレのメンタルもたないから、ごめんなさい許して見ないで
そういうとこだぞ。

「いやまぁ確かに、この格好はそのうち限界くるね。物理が無理なら呪文はどうだろ?」
「呪文…?」
「例えばほら、開けゴマ!オープンザセサミー!みたいな」
呪文の定番を叫んでみる。これは、呪文が分からない時にとりあえず言ってみる常套句だ。これを足がかりにして、何か妙案が浮かぶといいのだけれど。

───と思っていたら。

パキ、と亀裂音がした。

それから私の背中が徐々に後方に傾くから、咄嗟に手を伸ばしたカラ松くんに抱き寄せられる。ラッキーセクハラ再び。
バタバタと分厚い板が倒れる騒々しい音が響いて、カラ松くんは天井に当てていた右手を地面に下ろした。
「開いたな…」

開けゴマで開くなよ、空気読め。

逆に恥ずかしいじゃないか。
しかし私の見立て通り、やはり箱は透明で、部屋の壁が白かった。ワンルームほどの小さな部屋に、ぽつんと箱だけがあった状態だ。
そして危機を脱して思い至る。
この箱、二次創作で見たことある。
幸いにもカラ松くんはそういった界隈の知識を持ち合わせていないらしい、そのまま純粋培養で生きてほしい。
「ハニー、ここに引き戸がある」
部屋全体が白い壁に覆われていて気付かなかったが、カラ松くんが小さな凹みを発見した模様。
「良かった、これで出られるね」
「いや、まだ何かあるかもしれない。念のためハニーはオレの後ろか、扉の横に隠れていてくれ」
こういう状況でも相手を気遣うカラ松くん、いちいちイケメン。スパダリ値はカンスト間近。
彼は扉に耳を当て、扉の奥から物音がしないことを確認してから、ゆっくりとドアを開いた。




あ、と声を出したのはカラ松くんだ。

白い部屋を出た先には、さらに部屋が広がっていた。白い面に囲まれた二十畳ほどの室内に、ダブルベッドと引き出し付きのサイドテーブルだけがぽつんと置かれている。
出口と思わしき観音開きの扉はあるものの、固く閉ざされている。

マジかよ。
二段構えは聞いてない。

観音扉の上には電光掲示板が設置されていて、私とカラ松くんが近づくや否や、電源が入って文字が浮かび上がる。

『どちらかが相手を泣かさないと出られない部屋』

この部屋も、二次創作で見たことある。
さっきのより馴染み深い有名な方。

「どちらかが相手を泣かさないと出られない…」
カラ松くんが反芻する。
おあつらえ向きに用意されたベッドと、表示された指令。私の中で自然と導き出される答えに、困惑せざるを得なかった。今日どんな下着だったか、どうしても思い出せない。
「困ったな」
腕組みをして眉間に皺を寄せるカラ松くん。
「さすがにレディに暴力は振るえない」
「そっちか」

ですよね。

「この棚には何が入ってるんだろうな?」
「あっ、ちょっと待ってカラ松くん、それは━━」
相手を泣かさないと出られない部屋のベッド横のサイドテーブルなんて、中身はアレ系しかないではないか。
だが私の制止は間に合わず、カラ松くんは引き出しを開けてしまう。
「あー…」
コメントしづらいとばかりの、声にならない声が彼の口から漏れるので、私も恐る恐る引き出しの中身を覗き込んだ。

入っていたのは、ナイフ、包丁、アイスピックといった───凶器。
殺し合えと?

カラ松くんは無言で引き出しを閉じる。見なかったことにしたよこの人。
「手っ取り早いのは、やっぱりカラ松くんが私を殴ることじゃない?」
「それはできない、オレのポリシーに反する」
最短にして確実な解決法は、にべもなく拒絶された。
「ユーリの言いたいことは分かるが、脱出のためとはいえ君を殴ったら…オレは一生自分を許せない」
そう言うと思った。なぜ聞いてしまったのだろう、答えは聞くまでもなかったのに。
「それじゃあ、私がカラ松くんにガツンと一発お見舞い」
「フッ、ハニーのマシュマロのような柔らかい手では、ペインを感じるどころかラブに満ちたスキンシップになってしまうぜ」
「悲しい話する?」
「持ちネタがないな。ブラザーたちから蔑まれ存在を忘れられた話ならあるが
「それはガチすぎて泣けない」

泣くだけなら簡単なのだ。目を開けっ放しにして眼球を乾燥させれば事が済む。
だが指令は『どちらかが相手を泣かす』ときている。引き出しの中身を見たせいで、バイオレンス前提のアイデアしか浮かんでこない。どうしよう。
「他の手段を考えようハニー。幸いにも、制限時間はないようだし」
「そうだね、ちょっと休憩しよっか」

実は、案はあったのだ。
何でもいいからきっかけを作ってカラ松くんに因縁をつけ、人格否定といった類の罵詈雑言を浴びせるというもの。
彼の涙腺は比較的緩いと聞いている。他者からの、しかもある程度信頼している相手から、存在価値やアイデンティティの否定、攻撃的な言葉をダイレクトに受ければ、いとも容易く彼は折れるだろう。
しかしこの方法を選択すれば最後、後にいくら弁明しても遺恨は残る。二度と元には戻れないほどの深い溝さえ構築されるかもしれない。
それは絶対に避けたい。

カラ松くんが私に手をあげないと約束するように──私は、カラ松くんを傷つけない。




どれくらい経っただろう。時計がないから時間の感覚が分からない。
ベッドに腰掛けてカラ松くんの筋トレを眺めていたが、しばらくすると空腹を感じ始めた様子で、腹部を押さえながら肩を丸めて私の横に並んだ。
密室での閉塞感で冷静な判断力が失われる前に、彼に告げておくことにする。
「私、カラ松くんに嫌な思いはさせないからね」
「…ユーリ?」
「怪我させたり、嫌な気持ちにさせたり、そういう手段でここを出ようとするのは絶対しないから」
カラ松くんは目を大きく見開いた後、優しくその目を細めた。

「なぁユーリ、オレは君がそう思ってくれてるだけでいい。それだけで十分嬉しい。
ユーリが無事にここを出ることの方がよっぽど大事なんだ」

だからこそ、だ。
ここは松野家ではないから、カラ松くんが犠牲になる道理はない。自己犠牲の精神はいらない。
「大丈夫、私が必ずカラ松くんを必ず外に出してあげる」
私がすべきことはそれだけだ。
あとは痛みや苦痛のない妙案さえ浮かべば解決する。再び頭をフル回転させて案を練ろうとした傍らで、カラ松くんが嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ユーリがそう言うと、本当に解決できそうな気がするから不思議だ。
もしオレにできることがあれば言ってくれ、何でも協力する」
「何でも…」

言ったな?

一つ、アイデアが浮かぶ。
苦痛を伴わない方法だが、成功率は五分五分といったところか。失敗すれば代償は大きいが、成功に導く根拠のない自信が私にはあった。
後で思えば、この時点で普段の冷静さは既に失われていたのかもしれない。
「───本当に、私に任せてくれる?」
「策があるのか?」
「成功するは分からないけど…やってみる価値はあると思う」
カラ松くんは躊躇わず、首を縦に振った。
「分かった、ハニーに任せる」


カラ松くんが宣言すると同時に、彼の肩を押してベッドに横たえる。腹部を跨いで馬乗りになってから、私は努めて抑揚のない声でカラ松くんに告げた。
「これはノーカンだから。
この部屋を出たら、全部忘れるって約束して」
「え…えっ!?」
「あと…えっと、抵抗しないでもらえると助かる」
まさか推しを組み敷いて見下ろす日が来るとは、夢にも思わなかった。推しとの過度な接触は死を意味するからだ。気恥ずかしさも相まって、顔が熱い。
「ユーリ、一体──」
その問いには答えず、持ち上げたカラ松くんの右手に口づけると、彼が息を飲むのが分かった。

屈むと、黙っていれば愛嬌のある顔がすぐ目の前にあって、吐息が顔にかかるほど距離が縮まる。親指の腹で彼の乾いた唇をなぞりながら、首筋にキスを落とす。何度かついばむようなキスをして、おもむろに舌を這わせた。
「…ッ、ユーリ…っ、何を」
カラ松くんの両手が私の肩を押し返そうとする。力では到底敵わないが、中断する勇気も仕切り直す強引さも、私は生憎持ち合わせていない。
だから手首を掴んで、ベッドに沈める。抵抗してくれるなよという意図を込めて。

それから彼の右手の指を一本一本くわえて、指の間も丁寧に舐めあげる。その間、視線はずっとカラ松くんから逸らさない。彼がどんな表情をするのか、この手段が成功するかを見極めるためだ。
「ッ…ちょ、待っ…」
抗おうとするも、その力は徐々に弱まるばかりで。眉間に皺を寄せながらも、私を見るその顔はみるみるうちに朱に染まっていく。
「───あ…っ!」
五本目の指を口に含んだところで、一際高い声が上がった。カラ松くんは私の手を振り払い、慌てた様子で両手で自分の口を覆う。

私は思わず内心でほくそ笑んだ。
いける。

「怖かったら、背中につかまっていいから」
どこからどう見ても狼側の発言、正気に戻ったら吐血しそうだ。
今は行為に集中しなければと、文字で書くとゲスの極みでしかない決意を固めて、私は再びカラ松くんに覆いかぶさる。
不用意に言葉を発せば言葉攻めになってしまいそうなので、無言のまま頬を寄せて耳朶に緩く歯を立てた。びくりとカラ松くんの腰が跳ねる。
「ユーリ…ほんとに、待っ…」
「大丈夫、心配しないで」
強張る体と潤んだ瞳、掠れて艶めく声に、ぶっちゃけたぎる。そんな顔を間近で見せつけられて欲情するなという方が土台無理な話だ。
私はカラ松くんの耳の裏や周りにゆっくりと舌を這わせて反応を窺う。
「っ…む、無理…っ」
衝撃を逃がそうとシーツを強く握りしめる彼の様子には、嗜虐心が刺激された。声を出すまいと耐える様子もたまらない。本人には決して言えないけれど。
カラ松くんに触れながら、冷静にタイミングを見計らう。

もういい頃合いだろうか。
「───ッ!」
仕上げとばかりに耳の中に舌をねじ込んだら、声にならない声がカラ松くんから上がった。
つ、と一筋の涙が彼の目尻を伝う。

直後、観音扉が音を立てて開かれた。



「っしゃ、開いた!」
私はカラ松くんの腹の上で渾身のガッツポーズを決める
「……へ?」
「成功したよ。こんな場所からはとっとと脱出しよう」
カラ松くんは顔を赤くしたまま呆然としている。事後みたいな表情止めて、死にたくなる。
「あ…そ、そうか、そうだったな…」
私はカラ松くんからから離れて、ベッド際に座り直す。
「それで、えっと、その…落ち着いたら、言って」
カラ松くんから視線を逸しながら告げると、その意味を理解した彼は、あ、だの、う、だの言葉にならない声を発した後、枕を腹部に抱えて顔を埋めた。傷つけはしなかったが、非常に申し訳ないことをした
でもノーカン、これは不可抗力だからノーカン。
呪文のように私は心の中で唱え続けた。




「あれ、ユーリちゃんも来てたの?」
部屋から出た私たちに軽やかな声をかけてきた人物がいる。チョロ松くんだ。
「…はぁ?」
何がなんだか分からず、メンチ切るような声を出してしまったが、よくよく周りを見回すと、怪しげな機材や実験用具が至るところに置かれている。
デカパン博士の研究所だ。以前カラ松くんと来たことがあって、見覚えがある。
「え、ってことは、あの部屋はデカパンさんが作ったってこと?」
「何の話?
あ、カラ松も勝手にウロウロするなよ、どんな危ない薬があるか分かったもんじゃないんだからな」
チョロ松くんは溜息をつきながらカラ松くんに言う。
「あ、ああ…すまない」
「何だよボーッとして。顔赤いぞ、熱でもある?」
「いやっ、何も…っ、何でもないぞチョロ松!」
「ユーリちゃんはユーリちゃんで夜叉みたいな物騒な顔してるし、ほんと何なんだよ」

彼が訝しんでいる間に、部屋の奥からホエホエと独特な声を発しながら、研究所の主がやって来る。その手には、怪しげな液体の入った小瓶。
「頼まれた薬を持ってきただス。
ホエホエ、ユーリちゃんも来てただスか、こんにちはだス」
「こんにちは…って、ちょっと博士!あの箱は博士が作ったの!?」
「何のことだスか?」
「四角い箱の中に閉じ込めたり、指示されたことしないと出られない部屋のやつ!」
ああ、とデカパン博士は腑に落ちた様子。チョロ松くんはきょとんとしている。
「お蔵入りになったサンプルのことだスな。
部屋の端に置いていたはずなんだスが、触ったんだスね?」
「え…オレ!?」
カラ松くんが唖然とする。
「まぁ覚えていないのも無理はないだス。
あれは、触った人間を箱の中に閉じ込めて実際に体験させるもの。精神崩壊や重篤な危機を回避するために制限時間も設けているんだスが、より本格的にするために、箱に触る一時間ほど前の記憶も消しているだス」
「何それ怖い」
記憶操作までやらかすのか、このパンツは。
「で、でもハニーは家にいたはずだ!何で巻き込まれたんだ?」
そうだ。たまたま今日が休日だから大きな問題にならなかったが、勤務中だったらどうしてくれる。バックレ疑惑浮上か事案だぞ。

「触った人物が、その時頭に思い浮かべていた人物を呼び出すようになってるからだスな」

カラ松くんの顔が一瞬で赤く染まる。
「な、何を…っ」
彼がしどろもどろになっているのを無視して、チョロ松くんが小声で私に尋ねる。
「ねぇユーリちゃん、うちのカラ松が何かやらかした?」
「別に。二次創作でよくある、○○しないと出られない部屋を体験させられただけだよ」
「おい待て最高じゃねぇか」
チョロ松くんのお口が悪い。
「で、何?ああいうのって、男女の関係性を深めるために使われるやつでしょ?
ってことは、カラ松とユーリちゃんの間にそういうことがあったって解釈になるよ?あいつだけちゃっかりいい思いしたってこと?」
息継ぎなしに畳み掛けてくるチョロ松くん。さすがその界隈に精通しているだけあって詳しい。
「おいカラ松、お前ユーリちゃんに手出した?」
突然話を振られて、カラ松くんはあからさまな動揺を見せる。こういう時に隠し事ができない素直さは裏目に出そうだ。
「だ、出してない!ゴッドに誓って何もしてないぞ──オレは!
お前はもう黙っとけ。

「カラ松くんは私に何もしてないよ。
泣いたら出られるって指示だったから、カラ松くんに泣いてもらっただけ」
「…それならいいんだけど。でも普通はキスするとか愛を叫ぶとか、そういうもんじゃないの?二次創作舐めてんの?
「あれは興味本位で作ってみただけだス。脱出後の人間関係に支障が出ないよう、緩い指示しか入れてないだスよ」

十分遺恨を残しそうな命令を引いた気がするが?何なの、大当たりなの?

そもそも研究所で変な物触るなよ馬鹿かと、チョロ松くんがカラ松くんに説教をしている間に、私はデカパン博士に小声で確認を取る。
「ねぇ、記憶操作できるくらいなら、今日あったことを忘れる薬もあるんでしょ?とっとと出しやがれください
「それなら心配ないだス。
一晩寝たら、箱の中であったことは全て記憶から消去されるだス」
「…そうなんだ」
私は胸を撫で下ろす。だとしたら、今日の出来事は夢だ、長くてリアルな夢を見ていたに過ぎない。
このことはカラ松くんには告げないことにする。万が一にも彼が、今日のことを忘れないようにと記録を残したら厄介だから。
明日目が覚めたら、私たちは元に戻るのだ。何もなかった。関係性を変えてしまいかねない出来事なんて、何一つ起こらなかった。

ターニングポイントは───まだ来てはいけない。


だからこれは、「あったかもしれない」事件の話。