あなたのことだけ知らない(前)

不変の日々は存在しない。
一見昨日と同じように見える事象も、成長や発展といった進化を遂げるものもあれば、劣化老廃して衰退していくものもある。
姿かたちが多少変わるだけなら大した問題ではない。
破損、消滅、死別、そういった類の、二度と同じ形には戻らない変化もまた、世界の至る所で実際に起こっている現実だ。

幸せだった日常を突如喪失したとして、絶望の淵に立たされた者は、それから何を頼りに生きていくのだろうか。




ガラガラと音を立てながら、松野家の玄関引き戸が開け放たれる。
出迎えてくれるのはカラ松くん。訪問予定時刻を事前に告げているので、よく来てくれた、そう言わんばかりの笑みが顔いっぱいに広がる。
「今日もいつになく麗しいな、ハニー。
雲の多い生憎の天気だと思っていたが、ユーリに会って原因がハッキリした。ユーリの煌めく美しさにサンシャインが照れて隠れているせいだな
「お邪魔しまーす」
カラ松くんの戯言はスルーして、私は靴を脱いで玄関を上がる。松野家訪問もすっかり慣れたもので、玄関の戸を叩くのに緊張感がなくなったのは、いつ頃からだったか。
カラ松くんに通されたのはいつもの居間で、中央に配置された円卓の上には、スナック菓子や酒のつまみが無造作に置かれている。
「借りてた本を探してくるから、ここで待っててくれ」
「分かった、急がなくていいよ」
「テーブルの上にあるヤツは好きに食べてくれていい。おそ松がパチンコの景品で貰ったらしい」
「いいの?やった、遠慮なくいただきます」
両手を顔の前で合わせて感激のポーズを取ったら、カラ松くんの口から、あ、と声が漏れた。それから嬉しそうに相好を崩して、私の腕を見やる。

「それ…付けてくれてるんだな」

前回出掛けた際に、ハンドメイドマーケットでカラ松くんからプレゼントされたブレスレット。カラ松くんをイメージさせるかのような紺のレザーが、私の手首で揺れる。
「うん。せっかくだからカラ松くんと会う時はつけようと思って」
「そ、そうか…いやその、そうしてくれるのを多少期待してたのは確かなんだが、いざユーリの口から言われると、何というか…」
照れくさいのか、声の音量が徐々に絞られていく。

「───幸せに天井ってないんだな、と思う」

はにかんだ笑顔が眩しい。
推しが幸せな世界にありがとう。
「このアクセが一番身につける頻度高くなりそうだよ」
「へ?」
「他の友達より、カラ松くんに一番よく会ってるからね」
連絡手段が家電かトド松くんを介すしかない不便さもにも慣れて、たまに家電に出る他の六つ子たちと会話を交わすのも、楽しみの一つになった。
声の聞き分けもできるようになって、今なら出だしの挨拶だけで誰か判別できる。
「一番…ほ、本当かハニー?」
「嘘ついてどうするの。毎週のように会ってるんだから、そりゃ一番頻度が高くもなるでしょ。こちとら仕事してる社会人だよ?」
私がカラカラと笑ったら、カラ松くんは顔を僅かに朱に染めて、人差し指で頬を掻いた。
続く言葉を紡ぐために彼が口を開きかけた時、障子を通した向こう側で玄関の戸がガラリと開かれる音が響く。誰かが帰宅したようだ。
「…余談が過ぎたな。と、とにかく取りに行ってくる!」
カラ松くんは私に背を向けて、忙しない足取りで部屋を出る。

カラ松くんと入れ違いに部屋に入ってきたのは、トド松くんだった。
「あれ、ユーリちゃん来てたんだ?いらっしゃーい」
ダスティピンクのシャツと七分丈のパンツという外出用の勝負服。会ってきたのは女の子か、少なくとも六つ子のうちの誰かではなさそうだ。
「カラ松兄さんが気持ち悪い笑い浮かべて二階上がっていったけど、何かあった?」
「あったっていうか、他の友達よりカラ松くんに一番会ってるなって話しただけ」
私の返事を聞いて、トド松くんは眉間に皺を寄せる。
「え、ほんとに?あの羞恥心をゴリゴリ削ってくる痛さに一番会ってる?ドMなの?人としてヤバくない?
「真顔で抉ってこないで」
誰かに指摘されると心臓がキュッとなる。
だが、確かにカラ松くんは痛い言動が多くて、もう止めて私のライフはゼロよと顔を覆いたくなることもある反面、それを遥かに凌駕する可愛さや愛嬌があるのだ。
彼に魅力がなければ、週一という高い頻度で会うこともない。
「あ、そうだ、スマホの充電もう切れかけなんだった。ごめんユーリちゃん、二階から充電器持って来るから待ってて」
そう言い残して、トド松くんもまた慌ただしく二階へと駆け上がっていく。
遠ざかる足音を聞きながら、私はテーブルのお菓子に手を伸ばした。




貸していた本を受け取るというのは、ユーリが松野家を訪ねた二つ目の目的に過ぎない。本来の目的は、明日カラ松と二人で出掛ける予定を立てるためだ。
つい一時間ほど前に、近くまで寄ったから今から行ってもいいかと打診の電話があって、兄弟が揃って不在なこともあり、二つ返事で快諾した。
「ねぇカラ松兄さん、スマホの充電器見なかった?」
カラ松がユーリから借りていた本を手にしたところで、帰宅したトド松が二階の部屋へと上がってくる。
「充電器?さぁ、オレは見てないぞ」
「えー、この部屋に置いといたはずなんだけどなぁ」
「念のため下にないか探しておこう」
お願いねというトド松の声を背に、カラ松は階段を下りる。
ユーリに出会って数ヶ月、憎からず思う相手が傍らにいる緊張感に空回りする頻度こそ減りはしたが、彼女の顔を見るたびに口角が上がる癖は一向に治らない。可愛くて愛しくて大切で、掴みどころのないふわふわした感情が、会うたびに体の中に広がっていく。
居間へと続く障子を開けたら、ユーリはいつもの柔らかな笑顔で出迎えてくれる。

───はずだった。

「ユーリ、待たせたな。何か飲み物を持ってこよう。麦茶とアイスコーヒーどっちがいい?」
菓子を提供しておきながら飲み物を出し忘れていた。
円卓の上でスマホを操作していたユーリは顔を上げ、目を瞠ってカラ松を見る。なぜか不思議そうな顔をするので、何かあったのかと思い彼女の隣に腰を下ろした。
「ん?どうした、ユーリ?」
その時、違和感は確かにあった。
肘を伸ばし切るより前に彼女に触れることのできる距離──当たり前になっている適度な距離感だ──にカラ松が並んだ刹那、ユーリは僅かにだが腰を引いて距離を取ろうとした。
「え、と…」
カラ松の双眸を見つめたまま、ユーリは口を開く。

「誰ですか?」

問われた真意を測りかねた。
「んん?どうしたハニー、オレをからかっているのか?
今日はエイプリルフールじゃないぞ。ああそうか、飲み物も出さずに待たせたから怒っているんだな。よし分かった、それなら明日はハニーの望む所どこへでも連れて行こう、これで怒りを鎮めてはもらえないか?」
左手を胸に当て、右手はうやうやしくユーリへと差し向ける。これで跪けば、王女に求婚する王子そのものだ。
しかし。
「あ、あの…ハニーって?どこかで会いました?」
戸惑いがちに紡がれる辻褄の合わない言葉たち。
この時カラ松の脳裏に浮かんだのは、ユーリの逆鱗に触れるようなことがあったか、ということだった。瞬間的に弾き出された答えは、否。彼女を怒らせる嘘偽りはおろか、明るみになっては都合の悪い隠し事さえない。
だとしたら、自分が席を外した数分間に何かが起こったのか。そもそも、目の前にいるユーリは本当にユーリ本人なのか。
事実と疑問と仮説が複雑に絡み合う中、彼女が自分に向ける眼差しに不可解なものを感じていた。
これは───

「カラ松兄さん、二階には充電器なかったんだけど、その辺に落ちてない?」
髪を掻きながら、トド松がスマホ片手に居間へ足を踏み入れる。
「トド松くん!」
途端にユーリは救われたように目を輝かせた。
そこでようやくカラ松は、ユーリから向けられていた違和感の正体に気付く───警戒心だ。
「ごめんトド松くん、この人って親戚の人?私、初対面だよね?」
問われたトド松はきょとんとする。
「え、何言ってんのユーリちゃん。カラ松兄さんと喧嘩でもした?」
「え?」
「え?」
話が噛み合わない。
トド松は呆気に取られた様子でカラ松を見やるが、カラ松もまた同じような顔をしていたために埒が明かないと思ったのか、再びユーリへと視線を戻す。

「トド松くんたちは、五つ子だよね?」

「カラ松兄さん、ユーリちゃん超怒ってんじゃん。早く謝って、土下座して。痴話喧嘩にボクを巻き込まないで
「ウェイトだトッティ!喧嘩なんてしてない!
オレが二階に上がるまではいつものユーリだったんだぞ!」
一人で対処する自信がなくてトド松に縋り付く。
「じゃあその数分の間に何かバレたんじゃない?居間に隠してたヤバイブツないの?白状しとけ
「ない!ゴッドとハニーに誓ってそんな物はなぁい!」
カラ松の取り乱しようと、基本的に自分たち六つ子に嘘はつかないユーリの性格を鑑みて、今目の前の事象に嘘偽りがないとトド松は判断したのだろう。
「ユーリちゃん、本当にカラ松兄さんが分からないの?
カラ松兄さんが妙なことしたなら頭丸めて針山の上で土下座させるから、正直に話してよ」
「何気にオレへの信頼ゼロだなトッティ」
カラ松のツッコミは、当然ながら無視された。
トド松は充電の切れかけたスマホをタップして、ユーリに見せる。
「…え、何で一緒に写ってるの?てか二人は本当に兄弟なの?
ち、ちょっと待ってよ、絶対今が初対面なんだけど、これって私の方がおかしい?」
スマホに保存された、カラ松と共に写る数々の写真を見せられて、ユーリは愕然とする。それからハッと気付いたように鞄から自分のスマホを取り出すと、目は一層見開かれた。
ディスプレイに映し出される写真にはカラ松の姿、スケジュール帳の予定の項目にはカラ松という文字が、幾つも映し出されている。
傍目にも分かるほど、彼女の顔から血の気が引いた。

「マジかー。ごめん、えーと…カラ松くん、だっけ。全然覚えてない」
「ハニー…」
「やだ、もしかしてハニーって私のこと?止めてよ、彼女っぽくて誤解されそう」
肩を竦めて笑いながらの拒否だったが、心臓を鷲掴みにされた感覚だった。
目の前にいるのはユーリの姿をした別人だと、そう思い込みたい自分がいる。日々の生きる糧であり心の支え同然だった彼女から、自分に関する記憶だけが抹消されて、心地良かった距離感さえも拒絶される。




不意に、トド松が円卓の上に菓子に手を伸ばした。
乱雑に散らかった菓子類の中から、手のひらサイズの小瓶を取り出してみせる。
「ユーリちゃんがカラ松兄さんを忘れた原因って…これじゃない?」
コルクの蓋がついた小瓶の中には、七色に光るオーロラシートに包まれた、男所帯の松野家には似つかわしくないラッピングの飴が入っていた。
反射的に壁際に置かれたゴミ箱を覗き込めば、トド松の推理を裏付けするかのように、開かれた飴の包み紙が一番上に捨てられている。
「ほら見てこれ───デカパンのシールが貼ってある」
ひっくり返された瓶の底には、縞模様のパンツのシール。推測は確証へと変わる。

「ちょっとデカパン殺してくる」
「わああぁぁぁ、カラ松兄さん落ち着いて!兄さんが言うとシャレにならないんだよっ!」
トド松に腰に縋りつかれた。
「電話するから!デカパンのことだから何か策はあるはずだって!」
幸いにもデカパンはすぐにつかまった。
トド松はすぐさまハンズフリー通話に切り替えて、円卓の上にスマホを置く。
「ホエホエ、どうしただスか?」
カラ松は身を乗り出した。
「単刀直入に聞くぞ、デカパン。うちにある瓶詰めの飴、デカパンが作ったんだよな?
あれは何だ?」
「ユーリちゃんが、カラ松兄さんのことだけ忘れちゃったらしいんだよ」
カラ松とトド松の焦燥を感じ取ったかは不明だが、デカパンは変わらず気の抜けた声で告げる。

「あれは、食べた後『一番最初に見た人物に関する記憶を失う』薬だス」

言葉の意味を理解するのに数秒を要した。
咀嚼して飲み込むにはあまりにも残酷な事実が、カラ松の胸に鋭い切っ先を突きつける。その剣でもって己の心臓を貫けと言わんばかりに。
「──元に戻す薬はないのか?」
心臓が早鐘のように鳴って、自分の声さえも遠く聞こえる。
「ないだス。あれは──」
「ちょっとデカパン!ないって何!?
誰に頼まれたか知らないけど、実害出てるんだよ!製造者責任でどうにか───」
しかしトド松が最後まで言い終わらないうちに、通話が切れる。スマホの充電がゼロになったらしい。
「あー、もう、電池完全になくなった!充電器どこー!?」
円卓の上には、うんともすんとも言わなくなった無機質な塊だけが残された。
「家電からかければいいんじゃないか!?」
「スマホにしか番号入れてない。いちいち覚えてないよ」

あの、とユーリが恐る恐るといった体で発言する。
「つまり…私がデカパン博士の飴を食べた直後に見たのがカラ松くんだったから、カラ松くんのことだけを忘れた、ってこと?」
ユーリが不安げに見つめる先は、トド松だった。いつもなら、こんな時一番最初に視線を向けてくれるのは自分だったのに。
「…そうみたいだな」
「そっか。こういう超絶ヒロインっぽい記憶喪失イベントが自分に降りかかるって考えたこともなかったから、何て言ったらいいのか…博士の薬はほんと、馬鹿とハサミは使いようって感じ
結構余裕はありそうだ。
「──でも、カラ松くんはたまったもんじゃないよね。失礼な態度取ってごめんね」
ユーリは苦笑しながら頭を下げた。
そんな顔をさせたいわけじゃない。ユーリには、いつだって笑っていてほしい。

「ハニー、今からオレと出掛けないか?」

膝に置かれたユーリの手をカラ松が取ると、彼女は顔を上げて目を見開いた。
ユーリのために自分ができることは何か、思慮を巡らせることも、自分の考えをまとめることもできなかった。
考えるより先に、体が動く。
「今までオレと行った場所を案内したい。何か思い出せるかもしれない」
「カラ松くんと?」
ユーリは目を泳がせて逡巡する。断る文句を探すかのような素振りで、頭の中が真っ白になった。緩やかな拒絶は、カラ松の首を真綿で締め上げていく。
「行ってあげてよユーリちゃん」
万が一何かあったらうちの家電に連絡してくれたらいいから、と。
目を細めて笑みを浮かべながら後押しをしてくれたのは、トド松だった。

「ボクら六つ子の中で、ユーリちゃんと一番仲が良かったのは───カラ松兄さんなんだ」

トド松が敵に塩を送るとは、ついぞ思いもしなかった。
しかしその言葉を聞くや否や、ユーリは鞄を持ってすっくと立ち上がる。
「分かった。行こう、カラ松くん。私頑張ってみる!」
「ハニー!」
「いやハニーじゃないけど」
「オレにとってハニーはハニーだ。異議はノンノン、リジェクトさせてもらうぜ」
顔前で人差し指を振って気取ってみせたら、ユーリは不服げに眉をひそめた後、耐えきれず吹き出した。
ああ、やっと笑ってくれた。
喪失したものはあまりに大きいけれど、たったそれだけのことが、今は嬉しくて仕方がない。




人を好きになるのに理由なんてない。
その言葉を、脳で理解して腑に落ちるところまでを身を持って経験したこの歳になって、ようやく心から同意することができる。
なぜ好きになったかを探求する時点で、既に好きになっていることが多い。原因はきっとあるのだろうけれど、理由の認知はしばしば遅れ気味だ。
そもそもカラ松の場合、理由付けをする必要性は微塵もなかった。互いに側にいて心地良い関係を築けているなら満足で、好みと感じるポイントを細分化すればするほど、好きな箇所の増減に一喜一憂することになるからだ。
逆もまた同様で、自分が相手に必要とされている理由の分析は疲弊する。
自己肯定感が低くなりがちだったカラ松が、この境地に至るようになったのはつい最近のことで、それもこれもユーリという存在があったからだ。

時間が許す限り、ユーリと通った多くの場所の中から、特に印象深い地をなぞる。
運命的に出会った街中、初めて二人で出掛けた水族館、打ち上げ花火を見上げた土手。
いずれもユーリにとって既知の場所だった。しかしやはりカラ松に関わる過去だけすっぽり抜け落ちて、カラ松を落胆させる。

「他の五人のことは覚えてるのに、一番仲が良かったっていうカラ松くんのことだけ分からないって、よく考えるまでもなく失礼だよね。
でもほら、デカパン博士の作った薬だから、副作用とか失敗とかあるかもよ。そのうち急に思い出すとか。くよくよしなさんな」

あははとユーリはあっけらかんに笑った。
何の脈絡もなく突然六つ子一人分の記憶を失い、初対面にも関わらず馴れ馴れしい他人、まるで身に覚えのない記録、自分だけが蚊帳の外という過酷な状況下で、それでもユーリはカラ松を気遣う。
一番不安なのはきっと、彼女自身なのに。
「ユーリ、その…手首につけてるレザーのブレスレットなんだが───」
つい先日カラ松がユーリにプレゼントしたものだ。
記憶を取り戻す糸口になり得ないかと切り出したが、最後まで台詞を紡ぐ前にユーリが言葉を被せてくる。
「あ、これ?いいでしょ?すごく気に入ってるんだ!」
ユーリは晴れやかに破顔する。
向けられた相手の唇が思わず緩んでしまうほどの活力に溢れた、大きな向日葵が咲き誇るような、カラ松にとっては愛しくてたまらない彼女の表情の一つ。
「どこで買ったかは覚えてないんだけどね」
「ああ、ハニーによく似合ってる…そうか、そんなに気に入ってるのか」
それ以上はなぜか言えなかった。
自分が贈ったという真実は、彼女の笑顔を壊してしまうような気がしたからだ。

どうせ忘れられるなら、長い歳月が経ち記憶の中の姿さえ朧げになって、いいこともそうでないことも全部ひっくるめてノスタルジックな思い出として彼女の中から消えていく方が、よほどマシだ。
少なくとも幾ばくかの間は、記憶の中で生きることができるから。
だから、こうやって突然物語の舞台から降りて、もう戻らないと告げられると、それまで共有してきた思い出は行き場をなくして宙ぶらりんになるしかない。
どんな思いだったのか、何を考えていたのか、この先どんな未来を想像していたのか。いつか聞けたらいいと思ってた問いに、答えてくれる者はもういない。

───なのに。

「持ってるアクセの中では、一番のお気に入り」

カラ松の憂いを一蹴するかのようにユーリは言って、暗く沈むカラ松を容易くすくい上げる。
彼女の記憶は消滅したのではなく、薬の作用によって封じられているだけなのではないか。
何となく、そんな気がした。