たまには雨の日の過ごし方

「ユーリとこうやって過ごせるなら、雨も悪くないなって思えるんだ」
まるで映画のワンシーンのように。
降りしきる雨音を背にカラ松くんはそう言って、嬉しそうに笑う。




その日は朝から雨が降っていた。
女心と秋の空とはよく言ったもので、秋の空模様の変わりやすさは、数日後の天気予報さえ当てにならないことも多い。移り気な女心に関しては、ひと括りにするなと異論を唱えたいところだが。

カラ松くんとの待ち合わせを数時間後に控えた私は、松野家の固定電話に電話をかける。受けたのは運悪くおそ松くんで、こちらのカラ松くん呼び出し要求に応じず、軽い口調で口説いてくる。
「ねーいいじゃん、ユーリちゃん。俺とデートしようよ!」
スマホから聞こえるのは、弾むような快活な声。受話器の奥の表情は想像に難くない。
「しないよ。カラ松くん出して」
「何でカラ松は良くて俺じゃ駄目なの!?
同じ顔じゃん!俺の方がぜってーコミュ力あるし、ユーリちゃんも楽しいって。後悔させないから!ね?」
デートとは名ばかりのヤリモク同伴と、推しをしこたま愛でる会を一緒にしないで」
「人のこと言えなくない?」
気のせいだ。
「てか俺ならセクハラオッケーだし、触り放題だよ?むしろ大歓迎」
「恥じらいのないオープンエロスに興味はない」
「うわ…ガチトーンだ
ユーリちゃんも大概だよね、と呆れ声が返ってくる。訊かれたから答えただけなのに、心外だ。

しばらく両者一切譲らない勧誘と拒絶の応酬が続く中、ふと二階から降りてきたらしい誰かの足音が小さく聞こえてくる。
「──おそ松?」
スマホを通して聞き取れる音量は僅かだったが、その呼び名で相手がカラ松くんと分かる。げっ、とおそ松くんが声を上げた。
「何だよカラ松、俺は今取り込み中」
「…待て、その電話ひょっとしてハニーからじゃないのか?」
「ピンポン!根気よく口説いてたと───」
おそ松くんが言い終わらないうちに、突然派手な衝突音が轟いた。手から離れたであろう受話器は、吹っ飛んだらしく下駄箱の戸にゴンゴンと当たる。思わずスマホを耳から遠ざけた。
「ちょっ…すごい音したけど、おそ松くん大丈夫!?」
私の問いかけに応じたのは、カラ松くんだった。
「いや何、心配ない。赤い彗星が通り過ぎただけだ
シャアか。
赤しか合ってない。

「おそ松が迷惑をかけたみたいだな、すまないユーリ。今日の件か?」
「あー…うん。雨降ってるから、予定してた公園散策は無理だなと思って。
そっち行ってもいいし、カラオケとかの室内にするか、会うの来週に延期するのでもいいよ。何か希望ある?」
ふっ飛ばされたであろうおそ松くんの生存確認はしておくべきなのか悩みながら、当初の目的を果たすのを優先する。
「金欠だから他の場所はキツイな…かといってうちは今日は六人全員揃ってて、ゆっくりできないし…」
うーん、とカラ松くんが唸る。
「じゃあ延期かな?」
「それは嫌だ」
何その言い方、底抜けに可愛い
ガラスコップに注いだ麦茶に口をつけて、私は彼の返事を待つ。
雨の中の外出は、否応なしに人をアンニュイな気分にさせる。そんなことをぼんやり考えていたら、あ、とカラ松くんが声を発した。
「ファミレスでもいいか?」
フリードリンク代くらいならあるし、と。
「いいよ。でも何でまたファミレス?」
私は立ち上がってクローゼットを開けた。アスファルトに叩きつける雨の様子と、松野家最寄りのファミレスまでの距離と移動方法を鑑みて、着ていく服を吟味する。

「──たまには、ユーリとゆっくり話がしたい」

珍しいな、と思った。
そして同時に、昼間に長時間二人きりで語り合う機会が今までなかったことに思い至る。私たちの会話といえば、酒が絡んだり、他の面子がいたりして、そこで生まれる会話はあくまでも副産物的なもの、メインディッシュを彩る装飾だった。
スマホを耳に当てながら、そうだね、と私は言う。室内に置かれた鏡に映る自分の顔には、笑みが浮かんでいた。




ランチタイムをいくらか過ぎたファミレスの窓際。客の入りは六割といったところで、閑散でも混雑でもない、程よく人の気配がする。
有線から流れる洋楽に耳を傾けていたら、前方からよく見知った顔がやって来た。

「ユーリ」

顔を綻ばせて、カラ松くんが手を挙げる。向かいのソファに腰を下ろすと、水とおしぼりを運んできたホールスタッフにドリンクバーを注文。手の甲に付着した雨粒を払いながら、彼は困惑した表情で大袈裟に息を吐いた。
「やれやれ、オレとハニーの逢瀬に嫉妬した天界のヴィーナスが朝から泣き通しで参ったぜ。罪滅ぼしに、後で涙を拭ってやらないといけないな」
詩人が来た。
「…革靴を履いてこなくて良かった」
こっちが本音っぽい。
そう言うカラ松くんは、ラグラン袖のシャツにデニム、足元はスニーカーとラフな格好だ。デニムの裾は、跳ねた水で濡れている。
「雨だと、着ていく服はいつもより気にするよね」
ドリンクバーに飲み物を取りに行くため立ち上がり、カラ松くんを促す。
そんな私の格好は、水滴や泥が跳ねても目立たないよう、黒のボトムスにショートのレインブーツにトップスは秋らしいグレイッシュトーンと、全体的に落ち着いた色合いでまとめている。
「でもいいこともありそうだ。レイニーデー限定の特典がさっそく一つあった」
「特典?」

「雨仕様のユーリが見られる」

息を吐くように口説くイタリア人か。
これでカラ松くんのメンタルが鋼だったら、今頃は彼女がいるどころかハーレムを築き上げていても不思議ではない。豆腐メンタルの推しに栄光あれ。


グラスに注いだドリンクで時折口を濡らしながら、そういえば、という話題提示の言葉を皮切りにして会話が始まる。視界の隅に映るのは、雨粒に濡れた窓ガラス。
「子供の頃ってさ、遠足とか運動会の前の日に、次の日雨が降らないようにてるてる坊主作ったよね。懐かしいなぁ」
「てるてる坊主を作るハニー…さぞかしキュートなリトルガールだったんだろうな」
腕組みをしてカラ松くんは感慨深そうに頷く。
「話の腰を折らないの」
「オレの知らないユーリは知りたくて当然じゃないか?」
「常識だろみたいな言い方」
自分の幼少時に興味を持ってもらえるのは嬉しいが、前フリなく切り込んでこられると咄嗟に反応できない。湯気の立つコーヒーカップを指で持ち上げて、液体を喉に流し込む。

「カラ松くんの子供の頃はどうだったの?」
その問いには、そうだな、と目線を天井に向けて、彼は思い出の引き出しを開けるようと試みる。
「傘をなくすのは日常茶飯事で、水たまりに飛び込んで泥だらけになったり、傘を剣に見立てたちゃんばらで壊したり…マミーのゲンコツを受け続けた記憶が強いな。しかも全く懲りずに執拗に繰り返して損失額だけがうなぎ登り、最終的にマミーが白旗を上げた
同じ顔のTHE悪ガキが六人、どう足掻いても絶望

「──ハニーは、オレたちの傘の色を知ってるか?」
「知ってるよ。トレードカラーと同じ色だよね」
玄関の傘立てに家族分の本数が刺さっているのを何度か見た。家族の人数分と予備を含めた数は、大家族さながらの大所帯であることを再認識させられたものだ。
「何年か前だったと思うんだが、オレたちがあまりに傘を壊したりなくしたりするから、マミーが安いビニール傘を買ってきたことがあるんだ。一見、そっちの方が経済的だろ?」
カラ松くんのグラスに浮かぶ氷が、カランと揺れた。
「でもある雨の日、六人全員揃って出掛けようとした時に、傘が一本足りなかった。ダディもマミーも傘を持って出ていて、運の悪いことに予備もない。
紛失者は名乗り出ない。オレたち全員が他の五人を容疑者として認識し、誰もが疑心暗鬼になり、そのうち殺し合いになった
「相合い傘で仲良く行こうという結論にならないのが松野家らしいね」
さすがというべきか。
結局、殺し合いの再発を防ぐべく採用された対策は、トレードカラーの傘に戻すことだったらしい。さもありなん。

カラ松くんが語る顛末の詳細を聞きながら、私は声を出して笑う。程よく賑やかな店内は、私の笑い声を雑音の中に溶かす。
外は降りしきる雨。
曇った窓ガラスの向こう側には、傘を差して行き交う通行人たち。ガラス一枚隔てた先は、まるで別世界のように感じられる。

「こういう雨にまつわる昔話は、雨が降ってるおかげで聞けたのかも」
「そう考えると特別だな」
「うん、ちょっとオツだよね」
私が笑う姿を見て、カラ松くんは相好を崩した。けれどふと、何か思いついたのか彼は唇に指を当てて思案顔になる。
「…ああ、でも」
独白のように、ぽつりと口から溢れる言葉。

「───ユーリが一緒ならどんなことでも、オレにとっては」

少しだけ、照れたように。

「特別だ」


どう返すのが最善か、即座に適した言葉が出てこない。聞こえなかったフリも、誤魔化すことも、冗談と一笑に付すことも、今は何か違う気がして。
「うん、それは私も同じ。
カラ松くんといると、ファミレスでくだ巻いて喋るのもすごく楽しいもんね」
「ほ、ほんとか、ハニー!?」
「そうじゃなきゃ、今日だって来ないよ」
「あ、いや、まぁそうだよな……ただ、その…いざユーリの口から言われると、やっぱり嬉しいな」
照れを隠すように、肩を竦めて顔を綻ばせるカラ松くん。実に可愛い、今日も全力で推せる。

幼い頃は、雨の日も楽しくて仕方なかった。
私たちの目に映っていた世界は、晴れでも雨でも関係ないくらい、いつでもきらきらと美しく輝いていたのだろう。
歳を重ねるにつれて億劫になった雨の日の外出なのに、そういえば今日は、一度も面倒だと感じなかった。




ドリンクを二度お代わりし、途中追加注文したデザートで腹を満たした頃、ひとしきり続いたとりとめもない会話が途切れる。
メッセージの着信を告げるスマホの画面が明るく灯り、ふと見やると、夕刻を示す数字が並んでいた。
翳りを落とす雨雲のせいで外は始終薄暗く、時間の流れが読めない。そのせいか、かれこれ数時間二人で語っていたことになる。徒然と語り、時に笑い声を上げ、終えて残るのは言葉を出し切った満足感。
どちらともなく、そろそろ頃合いかと声に出し、互いのコップが空になったところで席を立った。

「──ジーザス」
しかし会計を終えて店を出たところで、カラ松くんが吐き捨てるように言う。
「どうかした?」
「オレの傘がない…」
傘立てを覗き込めば、色とりどりの傘が無造作に差し込まれている中で、丁寧に折り畳まれた青い傘が一本入っている。
「それじゃないの?青だよ」
「似てはいるが、柄のデザインと長さが違う。オレのじゃない」
ということは。
「フッ…きっとあわてんぼうのレディが、オレのアンブレラをミステイクで持って行ってしまったんだな」
困った子猫ちゃんだぜと悩ましげなポーズを決めた後、スッと真顔になって。
「でかい借りを作る覚悟で迎えを呼ぶか」
何そのハイリスクローリターン。

「迎えなんて呼ぶ必要ないよ。傘ならあるでしょ、ここに」
「ユーリ、しかしそれは」
自分の傘をひょいと持ち上げて、カラ松くんの言葉を制する。私はにこりと笑みを浮かべた。

「家まで送ったげる」

機械的に降り続く細かな雨が、傘の布に当たってパタパタと軽い音を立てる。
黒く染まったアスファルトをレインブーツ踏みつけると、小さな水しぶきが上がった。いつも同じように歩いているだけなのに、跳ねた水滴で黒いパンツが濡れてしまう。
長靴で水たまりに飛び込んだ幼少時の、汚れを厭わない無邪気さはどこへ忘れてきたのだろう。臆病に慎重になることが大人になることだとしたら、あまりにも虚しい。

「せめて傘を持たせてくれ」
私が広げた傘の柄を、カラ松くんが取る。
「ありがと。紳士だね、カラ松くん」
一人用の傘に二人の大人が入ると、雨粒を避けるには、嫌でも至近距離にならざるを得ない。並んだ腕が触れるか触れないかの際どい距離感を保つのが、何となくくすぐったい。
「ハニーにジェントルに振る舞うのは当然だ」
「ふふ、それって私にだけ?」
「いやもちろんハニーだけじゃなく、このガイアに生きる全てのカラ松ガールズたち全員にオレは等しく優しい───と、言いたいところだが」
言葉を区切ったカラ松くんを見やれば、彼と目が合った。

「ユーリのことを一番甘やかしたいんだ」

は、と私の口から息が漏れる。

「ユーリが、いつもオレにしてくれるのと同じように」

「えー、私そんなに甘やかしてるかな?そりゃカラ松くんはめちゃくちゃ可愛いけど
「…さらっとそういうことを言わないでくれ」
カラ松くんは赤面する。その言葉そっくり返そう。
だって本当のことだよと笑ったら、傘を持っていない方のカラ松くんの腕が目に映った。無骨な指先から雫が垂れている。爪の先から手首、腕へと視線を向ければ、しっとりと雨で濡れている服の袖。
頭で結論を導き出すのは、カラ松くんが持つ傘の手元を握った後だった。
「…ユーリっ!?」
「これじゃ意味ないよ」
そう言って、強引に傘をカラ松くん側へと差し向けた。生地からはみ出た私の片腕にひんやりと冷たいものが触れる。
「それはこっちの台詞だ。ユーリが濡れるだろ」
「カラ松くんが濡れるよりはマシ」
「すまないが、ここは譲れないぞハニー」
雨の中足を止め、睨み合う私たち。どちらも相手を想うがために、己の意思を貫こうとする。
ならば、視点を変えよう。いずれか一方の意見を採択するばかりが、正解ではない。

半歩分の距離を詰めて、カラ松くんの胸に背中を寄せる。
「…へ?」
「要は、生地の外に体が出なければいいんだもんね?」
横並びになるからはみ出るのなら、一部を重ねて、幅を縮めれば済む。服や腕が触れ合うのも厭わず、私は彼に寄り添った。
「行こう」
声をかけて前方へと足を踏み出す。

しかし今度は互いの歩調を合わせる難易度が上がり、スピードが落ちる。自分から言い出した手前、舌の根も乾かぬうちに前言撤回は少々抵抗がある。どうしたものかと思案していたら、不意に肩を抱かれる感覚がして、反射的にびくりと跳ねた。
「カラ松くん…?」
「こ、こうすれば…その、ハニーも歩きやすいんじゃないか?」
傘のハンドルは反対側の手で持ち替えて。
「…別に、た、他意はないぞ!
うちはすぐそこだし、ユーリが濡れないようにするためであって…何だ、ええと…」
全部雨のせい。
雨が降っているから、傘をささないと濡れてしまうから、送っていくと宣言したのは自分だから。起こる事象全てを、今日の陰鬱な雨のせいにして。
「嫌だなんて思ってないよ──ちょっと、ビックリしただけ」
こういう時は決まって、彼が歴とした異性であることを再認識させられる。慣れない感覚への戸惑いと共に、頼り甲斐のような安心感が胸に広がるのだ。
「何か照れるね」
くすぐったさを誤魔化すように笑えば、カラ松くんは柔らかな微笑を浮かべて、静かに言った。

「──ほら、やっぱりハニーはオレを甘やかすじゃないか」




少しして、松野家の玄関前に辿り着く。
私に傘を渡して、玄関の軒先へとカラ松くんが移動する。雨に打たれる私と、突き出た軒に守られるカラ松くん。あちら側とこちら側、そんな言葉が脳裏を掠めた。
「ありがとう、ユーリ」
「どういたしまして。傘、早いうちに新しいの用意しなね」
私のその忠告に、あ、と声を上げた後、カラ松くんは片手で顔を覆う。
「…そうだった…またマミーに怒られる」
傘の一つくらい自分で買える財力は必須だと思うが、口にして余韻を台無しにするのは本意ではない。
空を厚く覆うくすんだ雲から零れ落ちる柔らかな雨が、降り止まないうちにいとまを告げよう。離れ難いと、胸が不穏にざわつく前に。

「何か…いいな」
「ん?」
「送ってもらうなんて初めてで…しかも相手がユーリで───嬉しい」
自然と互いの顔が綻ぶ。
明確な終わりは告げない。彼が中に入り、戸が閉まったら踵を返そう。それじゃあとカラ松くんが玄関の引き戸を開けるのが、終わりが始まる合図。

と思ったのも束の間、開けた引き戸の奥で、廊下を歩くチョロ松くんと目が合った。
何でそんな所に、という疑問が沸いたのはきっと私だけではなかっただろう。
愕然と目を瞠られる。彼の手元からぽろりと雑誌が落ちた───エロ本だ。しかも健全なアルバイト雑誌で挟む巧妙なカモフラージュ付き。さすがはチョロシコスキーの異名を欲しいままにする三男、むっつり度合いに磨きがかかっている。
とりあえずエロ本から視線を上げて、にこりと笑顔を作っておく。
「え……ユーリ、ちゃん…?」
会釈どころか声をかけられた。
「こんにちは、チョロ松くん」
「ああブラザー、ハニーに送ってもらったもらったんだ───って、どうした、おっちょこちょいだなチョロ松、何か落ち……え、まさかそれ…エロほ
刹那、真顔なチョロ松くんの平手打ちが飛んだ
小気味良いスピード感、チョロ松の名は伊達じゃない
「…えっ、えぇッ!?」
打たれた頬を押さえてカラ松くんが唖然とする。
「エロ本じゃねぇし。ユーリちゃんの御前で名誉毀損すんの止めてくれる?訴えるよ?訴えて勝つよ?
エロ本じゃないと断言するなら、まずは床に落ちたエロ本拾おうか。証拠品をばら撒いた状態で裁判案件だと言い放つ度胸は認める。
っていうか、御前って。神扱いか。

「えーと…」
さてどこからツッコもうかと考えを巡らそうとしたら、スパーンと玄関奥の障子が勢いよく開け放たれた。松野家うるさい。
「ユーリちゃんの匂いがした!」
「わーほんとだ。やっほーユーリちゃん、今日も一段と可愛いね」
わらわらと飛び出してくるのは、十四松くんとトド松くん。
「うん、超可愛い!」
「雨に濡れてもいいようにダークトーンでまとめてるのかな?それとも秋仕様?とっても似合うよ」
十四松くんはド直球で褒めてくるし、トド松くんは私以上に女子力高く観察眼も鋭いし、お前ら何で童貞なの。

乾いた笑いを溢せば、察したカラ松くんが三人を制する。
「もうこの辺でいいだろう、ブラザーたち。ハニーをこれ以上引き止めたら、外が暗くなってしまう」
「あ、そうだね、気が利かなくてごめん、ユーリちゃん。気をつけて帰って…っていうか、駅まで送ってくよ?」
ようやく床の本を拾い上げたチョロ松くんが、心配そうに訊いてくる。
「ありがと、でもそれじゃあカラ松くん送ってきた意味なくなっちゃうから、気持ちだけ受け取っとくね」
「またねー、ユーリちゃん!」
「カラ松兄さん関係なしに、いつでも遊びに来てね」
十四松くんとトド松に手を振って、私は彼らとの逢瀬に一旦終止符を打つ。

「じゃ、またね」
けれど、別離を告げて背を向けようとした私に、カラ松くんが戸惑いがちに手を伸ばしてくるのが見えて、立ち止まる。言うか言うまいか逡巡した末に、万一私が気付けば告げようというくらいの、些末な心残りを聞くために。
「その…家に着いたら電話してくれ」
私はおどけて肩を竦めてみせる。
「次の約束?それなら今でもいいよ、来週は今のところ予定入ってないし」
そう返せば、カラ松くんは緩くかぶりを振った。

「ユーリが無事帰れたか知りたいんだ」

子供じゃないんだからと一笑に付そうとして、思い留まる。
「…うん、分かった。着いたらすぐ電話する」
まるで寂寥感に胸を押し潰されるような、片時も離れたくない熱量が胸の内で燃え上がるような、いずれにしても恋人同士さながらの会話である。彼は時に、己が感じたままを率直に告げてくるから、実に厄介だ。
こういう時、おそ松くんのように本心を冗談で包んでくれていたら、と思うことがある。そうしたら、私も軽く受け流せるのに、と。




数日が経ったある日のことだ。
休日にカラ松くんと出掛けた帰りの電車の中、窓に水滴が叩きつけられる音で降雨に気付く。私の最寄り駅まであと二駅というところだった。空を見上げれば、灰色の空。
スマホの天気予報アプリが示す天気は、曇りときどき晴れ、降水確率二十%。雨が降るなんて夢にも思わなかったから、生憎と傘を持ってきていない。
「奥の方は雲が薄くなってるし、夕立かな?」
「先週に引き続き今日も雨、か…フフン、巷のカラ松ガールズを愛の奴隷にしてしまうほどギルティな、雨も滴るいい男になってしまうじゃないか」
「濡れて帰ってもいいけど、今着てる革ジャンは終わるよ」
「ノン!それは困る」
真顔で首を振ってきた。
私の推測が正しくこれが夕立ならば、長くても数十分で止むだろう。傘を買うのは不経済だし、駅のホームで時間を潰せばいい。
別れた後の予定を何気なく告げれば、カラ松くんは何を思ったか「ならオレも付き合う」と、私の最寄り駅で共に電車を降りた。

幸い時間には余裕がある。
温かい缶コーヒーを二つ買って、電車が出たばかりで人気のないホームのベンチに並んで腰をかけた。一つをカラ松くんに渡し、蓋を開ける。

「実は──」
コーヒーを一口飲んだところで、静寂を破るようにカラ松くんが切り出す。
ちょうど天気予報アプリの、雨雲の動きをリアルタイムで確認できるボタンをタップしようとしたところだった。
「雨はあまり好きじゃなかったんだ。
外出は面倒だし、服や靴は濡れるし、革ジャンは死ぬ。今日みたいな夕立なんて、特に」
線路に激しく叩きつけられる雨と、倦怠感を誘う雨音。

「でも…ユーリとこうして過ごす時間が少し延長になるなら、夕立も悪くないなと思うんだ」

私はカラ松くんからスマホに視線を戻して、アプリから指を離した。ホーム画面に戻して、かばんの中に仕舞う。
「…ユーリ?どうした、何か調べ物があったんじゃないのか?」
ううん、と私は首を振る。
安易に解答が得られる機械は、いつしか私たちにとって手放せない物になった。でも何となく、生き急いでいるような気がしてならない。時間に追われて、依存しているような、支配されているような感覚に陥ることがある。

「終わりが分からない方がいいこともあるかな、と思って。
この夕立は数分かもしれないし、数十分かもしれない。昔はみんなこうやって、止むのを待ってたんだよね」

調べれば何でも手に取るように分かる時代の弊害か。人は容易く答えを求めたがる。
私の意図を汲み取ってか、カラ松くんは優しく目を細める。それからゆっくり噛みしめるように言った。
「いいな、こういうの」
「うん、たまにはいいね」
「いつ止むか賭けないか?」
「いいね、何賭ける?ランチ一回分?」
うーん、と彼は唸って。
「負けた方が、今度会うときの行き先を決めて、当日も相手をエスコートするのはどうだ?」
「えー、そんなのでいいの?」
張り合いないなと笑えば、じゃあ、とカラ松くんは突然顔を近づけてくる。私の手元に黒い影がかかった。

「──もっと欲張ってもいいって言うんだな、ハニー?」

いつになく真摯な眼差しと低い声音が、私を捉えた。軽口も気障なポーズも、愛嬌のある笑顔もないそれは、彼に力で敵わない現実を容赦なく突きつけてくる。
「それは…」
関係性の変化は、博打の代償として差し出すものでも、勝利の栄光として得るものでもない。仮に手に入れたところで、一時的なかりそめの従属に過ぎない。
だからこれは絶対に──
「違う、と思う」
平静を装って、絞り出した私の答え。目は逸らさない。彼に伝わるように、伝えなければならないからだ。
「うん」
カラ松くんは視線を缶コーヒーに戻して、ぽん、と私の頭を撫でる。緊張の糸がぷつりと切れた瞬間だった。
「…冗談が過ぎたな、すまん」
私は大きく吸い込んだ息を、時間をかけて吐き出す。
「あと少し冗談が続いてたら、息の根止めるレベルで締め上げてたよ」
「え、あ…ご、ごめん」
「謝り方がちょっとなぁ…アンアン泣かせたいから今夜うち来る?
「本当ごめんなさい!」
カラ松くんはベンチに両手をついて深々と頭を下げた。少々やり過ぎた気がしないでもないが、溜飲を下げることはできた。


雨の日だからといって、別段普段と何ら大きく変わることはない、私たちの過ごし方。

いつの間にか、雨は止んでいて。
白い雲の谷間からは、オレンジ色の優しい光が射し込んでいた。