「実はオレ、ニートなんだ」
ハニーに話しておくことがあると、いつになく真剣な眼差しでカラ松くんから申し出があった時、私の財布から現金をちょろまかしたとか引っ越しするから遠距離になるとか、どんな爆弾が飛び出すのかと内心ひどく動揺したものだ。
だから告白されたその内容が別段大したことがなくて拍子抜けしたら、逆にカラ松くんに驚かれた。
「オレの話を聞いてたのかユーリ!?
高校卒業から社会人経験ゼロ歴を絶賛更新中のニートなんだぞ!」
「卑下してるのか誇ってるのか分からない言い方すんな。っていうか、ニートだから何なの?
そりゃその年でっていうのはまぁアレだけど、私と遊ぶのに何か不都合ある?」
手を振って追い払うような仕草をしたら、カラ松くんは鳩が豆鉄砲食らったような顔になる。
「ん、そうか、お金がかかるレジャーは厳しいか。それくらい?」
「は、ハニー…?」
「何その顔。別に私に迷惑かからないし、カラ松くんがニートでも自宅警備員でも全然気にならないよ」
費用をかけずとも遊び倒す方法はいくらでもある。楽しみ方を変えればいいだけの話だ。
私がそう言うと、カラ松くんは地獄から生還したように生気のある顔になり、勢いよく前髪をかき上げた。彼の背後に大量の薔薇が見えた気がしたが、幻覚か。
「フッ、さすがはオレが選んだミューズだ。キュートなスマイルが三割増しでいつも以上に輝いて見えるぜ」
「彼氏にするとか結婚ってなったら、全力でお断りさせていただくレベルだけどね」
「───バイト探す」
「へ?」
「ユーリに釣り合う男になる」
何なんだ。
まぁ、専業主夫路線に全力投球しない辺りは評価したい。
さて、カラ松くんが清々しくニート報告をしてくれたので、今後の遊びはその前提を踏まえたものにする必要がある。
公園のベンチで作戦会議を開いたところ、数駅先の広大な緑地公園に大人向けの本格的なアスレチックがあるという。市営アスレチックのため、使用料は何とワンコイン。屋外でも比較的過ごしやすい新緑の季節、アウトドアで一汗流すのもオツだという結論になり、ティシャツと伸縮性のあるデニム、スニーカーという本気スタイルで挑むことにした。
デザイン度外視で動きやすい服をチョイスするようにと命じたら、青いティシャツにスキニーデニムという安パイで来てくれた。本当にありがとう。
「まずは準備運動をしようじゃないか、ハニー」
「おうよ!」
本格アスレチックに挑む前に、バドミントンやサッカーボールのパス練習で体を慣らしていこうというカラ松くんの提案である。遊び半分の球技で推しとキャッキャウフフできるなんて何という甘酸っぱいイベントか、と提案を受け入れた時は思ったものだ。油断した。
カラ松くんが脳筋ゴリラだと知っていたら、全力で拒否したのに。
バドミントンの羽はカラ松くんのスマッシュ時に地中を抉るように埋まり、サッカーボールは文字通り星になった。サッカーボール消滅時に至っては、真横を通った風圧で私の右耳付近の髪を数本持っていったものだから、反射的にグーで殴った。殺す気か。
「すっ、すまないユーリ!ブラザーと運動する感覚で、つい…」
「つい、で殺されてたまるか!」
ちぎれた髪がはらはらと地面に落ちていく。顔色を変えたカラ松くんが私の傍らに駆け寄り、右側の頬を優しく撫で上げた。指先がそっと耳朶に触れる。
「怪我はないか?本当にすまない。ユーリに怪我をさせていたら、オレは───」
近距離での潤んだ瞳と上擦った色っぽい声は危険だ、押し倒したくなる。衝動に任せて不埒を働かないよう、私は息を止めて体を硬直させた。
しかしカラ松くんはそんな私の態度を緊張と誤解したようで、耳まで赤くして手を離す。
「あ、いやっ!…その、ハニーに傷をつけたら…責任は取る。もちろん傷をつけるような真似は絶対しないが、その覚悟はしてる、つもりだ」
ナチュラルに口説いてくるの本当止めていただきたい。
本人にその自覚はないのだろう、私に対する申し訳なさでその時その時の本音を口にしているだけなのだ。逆に尊敬する。え、これどうしたらいいの尊い。
準備運動になったような、なっていないような、よく分からない脳筋劇場を見せられた後、私たちはアスレチックへと挑む。
全長一キロに渡る、丸太渡りやターザンロープ、ロープ渡りに斜面ネット登り、定番の雲梯といった、市営とは思えぬ完成度の遊具が順番に配置されている。随所随所には監視スタッフも配置されている。
本格的なアスレチックを前に、スタート前から胸が弾んだ。
「ハンデつけて競争しようよ、カラ松くん」
「望むところだハニー、オリンピック選手も裸足で逃げ出す華麗な美技を見て、フォーリンラブするんじゃないぜ」
「よし───ではここに、2キロのアンクルウェイトが2つあります」
「ユーリ、どこから出したのかは聞いてもいいやつか?」
カラ松くんが一瞬素になる。
「カラ松くんは両足首にこれつけてスタートね。あと1キロのリストウェイトもあります」
「勝つために手段を選ばないハニーの心意気は買おう」
リストウェイトをカラ松くんに手渡し、私は彼のくるぶしにアンクルウェイトを巻きつける。片手で持つだけでもずしりと重い。
屈む私を見下ろす形になったカラ松くんは、なぜか目を反らして照れていた。
「ユーリ…こ、この角度はまずい」
「は?」
「その…伏せた目に睫毛がかかる表情が、ひどく扇情的だ」
マニアックな性癖キタ。
気の強い女が跪く姿がサディズムを掻き立てるならいざしらず、そんなレアな部分で欲情しないでほしい。
「…そんなものより、両手両足にウェイトをつけられて、まるで拘束されたのようなカラ松くんの方がよっぽどイヤラシイよねぇ」
「え?何か言ったかハニー?」
「ううん、何にも喋ってないよ☆」
スナップをきかせた手首を顎に当てて、うふふと微笑む。危ない、口が滑った。
勝負のルールは簡単。
相手に物理的な妨害を仕掛けない、他の挑戦者に迷惑はかけない、先にゴールに足がついた方が勝者。
そして敗者は勝者に好きなだけおやつを奢る。至ってシンプルなものだ。
「よーい、ドン!」
私の掛け声で一斉に地面を蹴った。
次の瞬間、私は彼に勝負を持ちかけたことを最高に後悔する。
カラ松くんから目を離した、ほんの一瞬の出来事だった。
重力を無視した超人的な跳躍と身体能力で、障害物をもろともせず疾風の如く駆け抜けていく。ああそうだ、カラ松くんは脳筋だったな。
ゆらゆらと揺れる丸太渡りは、丸太を吊り下げているロープにつかまるどころか、足を載せた丸太が傾くまでのほんの僅かな時間に、数個先の丸太に移動。斜面ネット登りは体重を感じさせない軽やかさであっという間に天辺だ。妖精かな?
そしてハンデとは何だったのか。
「あ、あのゴリラめ…ッ!」
必死に追いかけるが、天と地ほどの能力差を見せつけられるだけだ。背中を追うべくスピードを重視するあまり、技術が追い付かない。
私がコースの三割も行かないうちに、カラ松くんのスニーカーがゴールの地を軽やかに踏み抜いた。
ベテランと思わしき監視スタッフも、彼の身体能力には目を丸くしている。
カラ松くんはシャツについた砂を払い、それから私に気付いて、高台の上から大きく手を振った。小さくしか見えないけれど、笑顔が眩しい。ああくそ、ムカつくけど可愛い。
敗北は確定したが、ゴールするまでがアスレチック。半分ほど到達した時点で、私の息はこれでもかとばかりに上がっていて、日頃の運動不足が悔やまれる。
カラ松くんが跳躍してクリアしたクモの巣ネットをのそのそと下り終え、五メートルほどの高さの斜面をロープで登るステージへ辿り着いた。既に体力を削られているため、手の力は体力マックス時の七割出るかどうか。
登りきれるか断言できないが、挑むしかない。
「ハニー」
ロープを握って斜面に足をかけたところで、頭の上から声がした。
「か、カラ松くんっ」
カラ松くんが、斜面の上部から顔を覗かせている。その額には一筋の汗も浮かんでいないのだから、開いた口が塞がらない。
「額から流れる汗と上下する肩がセクシーだぜ、さすがは神々のいたずらで地上に降り立った魅惑のエンジェル」
「からかいに来たならゴールに戻ってくれない?ここが正念場なんだから」
切れのいいツッコミを考える余裕もない。口から言葉を吐けば、その分だけ腕から力が抜ける。
斜面を半分ほど登ったところで右腕をロープから外して、さらに上部をつかもうとした───が、足を滑らせて右手は虚空をつかむ。体が後ろに傾く。これはまずい。
「ユーリッ!」
名を呼ばれたところまでは、覚えている。
次に気が付いた時には、カラ松くんに腰を抱きかかえられた状態で宙に浮いていた。もう一方の彼の手は斜面に垂れ下がるロープを握っている。
「ハニー、怪我してないか?」
「え…えっと、大丈夫…だと思う」
「そうか、ならよかった」
カラ松くんはにこりと破顔する。今にも肌が触れてしまいそうなくらい、彼の顔が目と鼻の先だ。
「ご、ごめんカラ松くん!私は大丈夫だから、重いし、下ろし───」
「このまま登るぞ、離れるなよ」
そう言うとカラ松くんは私の腰を一層抱き寄せ、斜面を蹴り上げた。軽々とした動作だったが、重い一撃だ。その反動を利用して私たちの体が頂に着地する。
着地寸前にカラ松くんの片手が私の膝裏に添えられ、プリンセスホールドさながらの体勢でふわりと降り立つ形になった。何という紳士。っていうかゴリラマジゴリラ。
「はは、どこが重いって?
ブラザーたちに比べたら、ユーリはフェザーみたいなもんじゃないか。腰も細いし、まるでガールだな」
申し訳ないが、その発言には異議を唱えざるを得ない。
「女ですが」
「…え?」
凍りついた後、私の腰に回っている左手の存在に気がついたらしい。直後、ズザザと音を立ててカラ松くんが飛び退いた。コントか。
「わーっ!ご、誤解だっ、すまないユーリッ!
そ、そういう変な下心はなくてだな、とにかく助けたい一心で…その、気安く触るつもりは全然なくて…」
タコみたいに顔を赤く染めながら、地面の上で正座する。弁明が進むにつれて少しずつ音量が落ちていくのは、釈明は受け入れてもらえないだろうという自信の欠如のようにも感じられた。
根拠のない自信に満ちあふれているかのようで、本当は誰かからの信頼を渇望している。
「……信じてほしい」
絞り出すように紡がれた言葉。
救いを求めるかのような懇願だった。
「当たり前でしょ、信じるよ。危ないところを助けてくれたのに、誤解なんてするわけない」
地面についた彼の手を取って、私は笑う。私を助けるために服が汚れてしまっても、文句一つ言わずに気遣うような人なのだ。
「ありがとう、カラ松くん」
このままいい雰囲気っぽいところで終わらせておこう。推しの顔が近すぎて鼻血噴出寸前だったなんて、口が裂けても言わないでおくべき台詞だ。
地面についたカラ松くんの右手を取って、私はその無骨な手の甲に口づけた。
「…いっ!」
「さぁ、ゴールまであと半分。エスコートしてもらえるかな、カラ松王子?」
大袈裟な口調でおどけてみせれば、カラ松くんは頬を朱に染めながら笑って、私に手を取られた体勢のまま立ち上がる。
「オフコースだ、マイレディ」
それから私はカラ松くんに先導されながら、息も絶え絶えにアスレチックのゴールに辿り着く。日頃体を動かしていない社会人の体力のなさを舐めていた。明日は間違いなく寝込む。
ただ、いつになく楽しそうにはしゃぐカラ松くんを見ていたら、疲れなんて吹っ飛んでしまうから不思議なもので。
「カラ松くんがこんなに脳筋だなんて想像しなかったよ」
「のうき…?
ニートのマイナスイメージを払拭するのはちょうどいいと思ったんだが、ハニーのその様子じゃあまりグッドインプレッションではなかったようだな」
「だから、別にマイナスイメージじゃないってば」
「幻滅される要素の方が多いから、少しでもユーリにはいいところ見せたかったのにな」
何度もないようにカラ松くんはそう言ったが、目の奥に翳りが見えたのを私は見逃さなかった。
この時私は、どう答えればよかったのだろう。
彼が所望したアイスとスナック菓子を、公園に隣接するコンビニで購入してから、アスレチックの近くまで戻ってベンチに腰かける。私はリュックから除菌シートを出して、一枚カラ松くんに差し出した。
「はい、これで拭くといいよ」
「嫌だ」
「は?」
「拭いたら、ハニーのキスが消えるじゃないか」
早くも忘れたい黒歴史を思い出させるな。
「拭かなきゃ雑菌やら何やらが増殖するでしょう!ああもうっ、いいからとっとと拭けーっ!」
静かな緑地公園に、私の叫びがこだました。
コンビニで買い込んだスナック菓子をつまみながら他愛ない会話に花を咲かせていたら、時刻は夕方の六時を回っていた。
少量ずつを定期的に口に入れていたから、がっつり食事を摂りたいという気分ではないが、夕食を抜くほどの満腹感ではない。フードコートやファストフード店で軽く食べて帰ろうかと私が提案したら、それならいい場所があるとカラ松くんが言うので、彼の案に乗ることにした。
とある公園の側に案内され、そこにあったのは今時珍しいリアカータイプの屋台。ハイブリッドおでんという珍妙な看板が掲げられている。
カラ松くんは慣れた様子で屋台に近づき、暖簾をくぐった。手招きで誘われるので、私も恐る恐るといった体で彼の隣に並んで椅子に腰を下ろす。
什器の中では様々なおでんの具材がぐつぐつと煮込まれていて、香ばしい出汁の匂いが食欲をそそった。立ち上る湯気の奥で、大将とおぼしき男が声をあげる。
「へいらっしゃ…何だカラ松か」
男と呼ぶには幼気なスキンヘッドの青年(少年?)が、カラ松くんの顔を見るなり気安い言葉をかける。どうやら顔馴染みらしい。
「今日は一人か───って、え?……ええぇぇえぇぇぇッ!?」
カラ松くんを一瞥した直後、傍らに並ぶ私の存在に気がついたらしいが、目が合うなり絶叫された。
「そんな大声出さなくてもいいだろう、チビ太。オレだってカラ松ガールズの一人や二人連れてくるさ」
「ユーリです、初めまして」
カラ松ガールズじゃないけど、と訂正するのは何となく面倒だったので省略する。
「お、おいらはチビ太だ、よろしくユーリちゃん───じゃなくて、えっ…カラ松、お前ついに彼女できたのかよ!」
「フッ、ヴィーナスをも魅了するオレと、ゴッドに愛されしマイエンジェルユーリが出会ったのは運命のいたず───」
「友達です」
カラ松くんの痛い台詞をバッサリと切り捨てて断言する。
「ははは、言われてやんの」
「ほ、放っといてくれっ!
…まぁいい。ハニー、チビ太とはオレたち兄弟が子供の頃から付き合いだ。口と性格は悪いが、おでんの味は保証する。何が食べたい?」
「どれも美味しそうで迷うなぁ。それじゃあ、まずは大根とこんにゃくと卵と、あと牛すじで」
「チビ太、二人前で頼む」
あいよ、とチビ太さんは応じて、慣れた手付きでおでんの具材を皿に載せていく。
「いやぁ、カラ松が女の子連れてくるなんざ、明日は雪でも降るんじゃねぇか。しかもこんな美人、おめーにはもったいなさすぎだろ」
お世辞のうまい大将ですこと。もっと言ってくれていいのよ。
「ブラザーたちには、しばらくシークレットにしておいてくれよ、チビ太」
カラ松くんは、異性の友人の存在を兄弟に知られるのを恐れている。よほど不味い事情があるらしいのだが、私にはまるで想像できない。けれどチビ太さんは彼の一言で全てを察知したようで、眉間に皺を寄せて深く頷いた。
「サービスするからたくさん食べていってくれよ、ユーリちゃん」
「はい、いただきます!」
両手を合わせてから、おもむろに割り箸を手にする。パキンと割り箸を割る音が小さく響いた。
「───でよぉ、こちとらカラ松を誘拐したって言ってんのに、あの兄弟誰も心配しやがんねぇでやんの。あん時ゃ、さすがのおいらも肝が冷えたな」
他に客がいないのをこれ幸いと、チビ太さんはカラ松くんの悲惨すぎる壮絶な過去を次々披露してくれた。エピソードは尽きることを知らず、私は一度吹き出したらもう駄目だった。抱腹絶倒とはまさにこのことで、笑いすぎておでんを食べるどころではなく、涙も止まらない。
すぐ隣ではカラ松くんが憮然とした表情でおでんをつついていて、さすがに申し訳なくて声をかけようとするのだが、ここにきて思い出し笑いが加わって息もできない。
「ハニー、いくら何でも笑いすぎじゃないか?」
隣に本人がいるんだぞ、とカラ松くんは拗ねた様子。
「は、はひ、ごめっ…だって、いちいち面白いことやらかしてる上に、カラ松くんの扱いが尋常じゃなく不遇のコンボはきっつい」
「女の子をおいらの店に連れてきたら、こういう話になるに決まってんだろ、バーロー。何期待してたんだカラ松」
呆れ顔になるチビ太さんの向かいで、カラ松くんは琥珀色の液体を煽った。
「さすがにそこまで話す必要ないだろ…」
「盛り上がったじゃねぇか、なぁユーリちゃん」
チビ太さんはどこに問題があるのかと言わんばかりだ。その事実に相違はないので、私は深く同意しておく。
しばらくして、不意にカラ松くんが意味ありげな視線をチビ太さんに投げた、ような気がした。ただ彼の顔を見ただけなのかもしれないけれど、チビ太さんは直後僅かに目を瞠って、あ、と思い出したように声を出した。
「悪ぃ、釣り用の千円札金が切れそうなのを忘れてたぜ。
ユーリちゃん、ちょっとここ見ててもらえるか?すぐ戻ってくるから」
「あ、はい、いいですよ」
私が返事をするや否や、チビ太さんは財布を持って駆けていく。小柄な後ろ姿は、今でも少年で通用する。
「今日は一年分笑ったなぁ、カラ松くんたち武勇伝持ちすぎ。でもカラ松くんが嫌な思いしたなら、ごめんね」
「ハニーのキュートなスマイルを見れるなら、オレはいくらでもピエロになろう」
カラ松くんはいつもの気障ったしらい口調と仕草でポーズを決める。しかしすぐに元の体勢に戻り、唇に緩い笑みを浮かべて私を見やった。
「言っただろ?幻滅されることの方が多いって」
風が吹いて、ゆらゆらと屋台の暖簾が揺れる。
氷と液体が注がれたガラスコップに触れる私の指に、つと透明な水滴が垂れた。辺り一帯を包むのは、虫の鳴き声が微かに聞こえる程度の静寂。
「やだなぁ、今までの話のどこに幻滅する要素があるの?」
「へ?」
「付き合いが長くて、大人になっても馬鹿に付き合ってくれるなんて、いい友達じゃん。
幻滅どころか胸張って自慢できることだよ、カラ松くん」
カラ松くんは目を見開いた。そんな風に考えたことなどなかった、とでも言うかのように。
「そう、なのか…」
「いい友達持ったね」
羨ましいくらい、と私が本音を紡いで微笑めば、驚きの表情を浮かべていたカラ松くんはやがて照れくさそうに私から視線を反らす。
私はそんな彼の様子を横目で眺めながら、味の染みた大根を箸で二つに割り、口の中に放り込んだ。
「よぅ、客なのに店番させてすまねぇなユーリちゃん」
そういうしているとチビ太さんが駆け足で戻ってきた。いえいえ何もしていませんよと手を振って返す。
「ん?何だカラ松、顔が赤いぞ。酔ってんのか?」
「……そうかもな」
カラ松くんは手で口元を押さえる。チビ太さんに見られたのが気まずそうだ。
「烏龍茶しか飲んでねぇくせに」
ひとしきり堪能して、夜は更けていく。軽く食べて一時間程度で帰る心積もりだったが、いつの間にか日はどっぷりと暮れて、黒い夜空に星が瞬いている。
「すっかり遅くなっちゃった。そろそろ帰ろうかな」
ごちそうさまでしたと両手を合わせたら、チビ太さんは嬉しそうに笑った。
「楽しかったから、ここは私が出すね」
「ハニー、それは──」
「いいからいいから。美味しいおでんと楽しい話のお礼」
そういえば、カラ松くんと夜まで遊び倒したのは初めてだ。
異性と二人で出掛けるなんて、そう何度も続かないだろうと当初は思っていた。
けれどカラ松くんとは思いの外フィーリングが合うもので、話が途切れた沈黙さえまるで気にならない。レディファーストは徹底するし、さり気なく道路側を歩いてくれるし、気遣いも紳士レベルなのだが、聞き手を苛立たせる痛い言動が全てを相殺している。
逆に言えば、それさえなければモテるのではないだろうか。
たぶん、顔も悪くないのだし。
「ユーリ」
カラ松くんが私の名を呼んだ。
「夜も遅い、送っていこう」
ほら、こういうことが自然とできるのだ、カラ松くんは。
「あ、いや、家を知られるのが嫌なら、近くまででもいいんだ。オレが誘って遅くなったんだし、帰るまでのユーリのガード役にさせてくれないか?」
私が唖然としたのを勘違いしたらしい、慌てて両手を振ってやましい気持ちがないことを強調する。
「他意はないって分かってるよ。ちょっとびっくりしただけ。
でも送ってもらうと、カラ松くんが遠回りになりそうなんだけど、いいの?」
「送らせてほしいんだ」
そこまで言われては断れない。
「そっか、じゃあお言葉に甘えて」
私が答えると、またなチビ太と屋台の奥に言葉を投げて、私の隣に並ぶ。デニムのポケットに無造作に両手を突っ込んだ格好で。
「こっちの方角でいいか、ハニー?」
「うん、ありがと」
隣に並ぶことに、いつの間にか違和感がなくなっている。初めて二人で出掛けた時は、一応異性だという認識が自分の中にあって、大なり小なり緊張したものだが、今や私のパーソナルスペースに侵入されても大した拒否感はない。
肩が触れ合いそうな距離の中、私たちは帰路に着いた。