次男への愛を宅飲みで叫ぶ

「いやー、女の子がいる飲みの酒はやっぱ旨いな!ありがとね、ユーリちゃん!」

乾杯の音頭があって、缶ビールを勢いよくぶつけ合う。
場所は、松野家一階の居間。時刻は夕食時の午後七時を少し回った頃。六つ子と私の合計七人、それぞれが片手にアルコールの缶を持ち、目的のないグタグタな宅飲みは幕を開けた。
男所帯に女が一人という、客観的に見れば狼の群れに飛び込んだうさぎさながらの危機的状況だが、案ずることはない。廊下を挟んだ向かいの部屋には松野家最強と名高い松代が控えている。
念には念を入れ、カラ松くんを私の傍らに据えた。少なくとも彼は私に不埒な手は出さないと信用に値する。いざとなったら肉壁として酷使するまでだ。

「ユーリちゃんの作ったおつまみ、すっごく美味しいよ!料理上手なんだね」
トド松くんが私作のポテトチーズ餅を頬張って、うっとりとした表情になる。
「いい奥さんになるね!末永くよろしくおなしゃす!
「おいこら十四松っ、なに褒めるついでにプロポーズしてんの!突拍子ない上に図々しすぎるだろ!僕だってぜひお願いしたいわ!
「チョロ松兄さんも、叱咤ついでに本音ダダ漏れじゃん…いやでもこのマグロの角煮マジ美味い、迷惑かけないからいっそおれと事実婚でもいいよ
一松くんもしれっと口説き文句を挟んでくる。何だこの無駄に押しの強い童貞たち。

そもそも松野家の宅飲みに参加するきっかけになったのは、実家から大量に送られてきた食材だ。
タイミング悪く前日にスーパーで食材を買い溜めしていたために、冷蔵庫は既に八割が埋まっていた。かといって廃棄するのは忍びなく、夏場に室内で保管するわけにもいかず、六つ子たちに消費してもらおうと画策。カラ松くんに相談したところ、食材は酒のつまみにして一緒に飲もうという流れになったのだ。
そうして、七人分の料理を詰めた大量のタッパーを提げた私は、松野家を訪れた。

「ユーリの手料理は美味いだろう、ブラザーたち?
三ツ星レストランのシェフからお呼びがかからないのが不思議なくらいの腕前だからな。美しさ賢さだけでなく料理スキルまでアメージングなミューズ、それがハニー」
ミュージカルさながらの大袈裟な手振りと声音で、カラ松くんは私への賛辞を述べる。
「は?カラ松お前、ユーリちゃんの手料理は日頃から食べてますアピール?ウザいんだけどマジで
「え、いや、そんなつもりは…」
おそ松くんに吐かれた毒をかわしきれず、カラ松くんは肩を落とす。
部外者の前でも、兄弟間のカーストは維持されるらしい。やっかみもあって、余計露骨なのかもしれないが。
六つ子に近づけば近づくほど、カラ松くんの立ち位置や家族からの扱いが明確に見えてくる。

「てかさぁ、カラ松兄さん今でこそユーリちゃんがユーリちゃんがーって感じだけど、ちょっと前にうちで同棲までしてたくらいぞっこんだった子がいたよねぇ」
早くも目の据わったトド松くんが、ビール缶を振りながらからかうような口調で言う。ちょっとその話詳しく。
「そういやいたね、異性と認めるのさえ癪に障るレベルの超弩級のデブスが
チョロ松くんの形容の仕方が容赦なさすぎる。
六つ子全員、彼女いない歴イコール年齢の童貞と聞いていたが、まさかカラ松くんには彼女持ちの期間があったとは。
興味を掻き立てられて、目を輝かせながらカラ松くんを見やれば、彼は青い顔をして足元を凝視している。
「そうそう、フラワーだっけ?
結婚式まで挙げてさ。ああいうのを共依存っていうのかな。あれマジでホラーだったからね。
でも一応あいつ、カラ松兄さんの初カノになるのかな?」
「いやぁ、彼女ってか明らか奴隷だったじゃん?
あの時はさすがにお兄ちゃんも心配したよ、カラ松。いいとこ一つもない相手なのに、自分がいなきゃ生きていけないって思うのは狂気の沙汰だよ。枯れてくれてほんと良かった、うん」
依存は、思考や行為のコントロール障害とも言える。
おそ松くんたちの会話から察するに、社会的弱者の拠り所とされることにカラ松くんは自分の存在価値を見出してしまったのだろう。トド松くんの言うように、互いの存在に囚われる共依存の関係だったと推測される。
随分ヘビーな話だなおい。
かくいうカラ松くん本人は、表面上は動揺の素振りなく取り繕っていた。しかし隣に並ぶ私からは、膝の上で強く拳を握り締めている姿が嫌でも視界に入る。

「───そういえば、バラエティとホラーのDVD持ってきたんだった。時間もあるしどっちか観ない?」
私は鞄から複数枚のDVDケースを取り出して、カラ松くんの前に突き出した。
「カラ松くんはどれがいい?」
びくりと肩が揺れる。もう一押し必要かと口を開けかけたところで、十四松くんがカラ松くんの背中に覆いかぶさった。
「兄さんっ、ぼくバラエティがいい!ここで漏らしてもいいならホラーでもバッチコイ
「ん、んん!?それは困るぞ十四松!」
二十歳過ぎた大人が漏らす宣告は止めろ。羞恥心仕事して。
「ブラザーがトイレに行けなくなるのは面倒だ。ハニーもいるから楽しく飲みたいし、バラエティにしよう」
トランプのカードを抜き取るように、カラ松くんがDVDケースを私の手から引き抜く。
「じゃ、これに決定ね。おそ松くんこれプレーヤーにセットお願ーい」
「ユーリちゃんのお願いなら喜んで──って、これ去年の年末の特番じゃん。ラッキー、見逃してたんだよこれ。ほら見て一松」
「あ、本当だ…確か録画し忘れてパチンコ行っちゃったんだんだよね、この時」

六つ子たちの興味はすっかりDVDに移行する。映像がテレビに映し出されると、彼らの口から語られる話題は、そのバラエティ番組に関連するものがメインになって、カラ松くんへの関心は失われたようだった。
ふとカラ松くんを一瞥すると、彼も同じように私を見つめていたから、二人で笑いながら肩を竦めた。




DVDを一枚見終わる頃には、松野家の居間はテーブルや畳にアルコールの空き缶が無造作に転がり、あらかた食べ尽くされて空になった皿が乱雑に置かれる無法地帯へと変貌を遂げた。
開始当初こそちゃぶ台を囲んで座布団に姿勢正しく座っていた六つ子たちも、ある者は床に寝転がり、ある者は壁に寄りかかり、自由な体勢で酒を飲む。その顔は揃いも揃って赤く染まっている。
私はというと、摂取量を調整してシラフに近い。松野家最高権力者の加護があるとはいえ、男所帯で泥酔する失態を犯すわけにはいかない。
作戦コマンドは、いのちだいじに。
「何だ、もう酒ねぇじゃん。トッティ、冷蔵庫から残り持ってきてよ」
空になった缶を振りながらチョロ松くんが追加を催促する。
「さっき持ってきたので最後だよ。ってかみんな飲みすぎ、ペース早くない?」
「ユーリちゃんが作ってくれた酒のあてが旨すぎるのが悪いんだろ。僕たちにとっては銀河系クラスで縁遠い女の子の手料理だぞ?そりゃビールだってノンストップにもなるわ」
どういう理屈だ。
だが、確かにそうだねとトド松くんも納得した様子で、腕組みをして深く頷く。

「ねぇカラ松兄さぁん、コンビニで追加のビール買ってきてよ~」
舌っ足らずな口調と上目遣いという、甘え上手な末っ子気質をここぞとばかりに発揮して、トド松くんはカラ松くんに擦り寄ってくる。その狡猾さたるや、実に分かりやすい。
自分が被害を被らないよう先手を取るため、一瞬の状況判断でターゲットを絞り、相手を意のままに動かすカードを切る。
欠点は、わざとらしすぎる。こんな安い懇願に引っかかるような奴がどこに───

「フッ、任せろトッティ。ビールでいいんだな?」

いた、いました。疑いもせず容易く引っかかる馬鹿が。
カラ松くんは手のひらを額に当て、悩ましげなポーズを取りながらも、満更でもない様子。そして末弟のお願い攻撃が有効と知るな否や、上の兄たちが便乗するのはもはや自然な流れだった。
「クソ松、ついでにおつまみも買ってきてよ」
「俺はアルコール度数強いヤツね。さっすがカラ松、頼れる男!」
「僕は梅酒とビールで。発泡酒とかは止めろよ」
一松くん、おそ松くん、チョロ松くんが畳み掛けるように買い出しを命じてくる。けれどカラ松くんに嫌がる様子はまるでなく、むしろ兄弟の視線が集まって頼られていることに充実感さえ感じているようだった。
「十四松は何がいい?」
発言がないのを不思議に思ってか、おそ松くんが訊く。
バランスボールの上に寝そべっていた五男は、大口を開けたまま空を仰いだ。
「うーんとね──」

「買い出しなら、私行くよ」

彼らの会話を遮って、私は手を挙げる。
「え、ユーリちゃんが!?」
「食べたいお菓子自分で選びたいし。ってことで、買い出し係は私とカラ松くんでいいかな?」
行こうか、と彼の肩に手を置いて外出を促す。
まさか私が同行に名乗りを上げるとは思ってもみなかったのだろう、カラ松くんは唖然とした顔になる。

「えっ、駄目駄目!ユーリちゃん行くなら俺が行く!」
「おそ松兄さんと深夜に二人きりとか危険すぎる。それなら僕がついていくよ」
「兄さんたちに務まるなら、おれでも良くない?」
「ぼく力持ちだから、ユーリちゃんの荷物持てるよ」
「落ち着いてよ兄さんたち。ねぇユーリちゃん、この中で一番安心して一緒に行けるのはボクだと思わない?」
めいめいが同行を申し出る。こんな展開になるだろうことは薄々予想していたが。
「全員かよっ!よし分かった!どうせお前ら譲る気はさらさらねぇんだろ?
だったら…ユーリちゃん争奪戦、松野家六つ子による仁義なき殺し合いを始めようじゃないか!」
「買い出し如きで死人を出さないでいただきたい」
おそ松くんの号令で躊躇なく戦闘の構えになる彼らに割って入り、とりあえず拳を下ろさせる。
二十歳過ぎた童貞の仁義なき戦いには興味はない。
「公平にじゃんけんしようよ。負けた人が私と買い出し係」
「負けた人!?異議あり!その認識は間違ってる!
チョロ松くんが吠える。
「はぁ」
「ユーリちゃんと深夜に二人きりで買い出しとか、どう見てもご褒美、いやむしろ勲章だろ!
いいか貴様ら、この買い出しはただのお使いじゃない、勝者のみが手にすることができる栄光だ!死ぬ気でいくぞクソ童貞どもッ!
「合点!」
そうして再び拳を振り上げる。今度は、じゃんけんの手を出すために。

カラ松くんも当然のように参戦しようとするから、私は立ち上がろうとした彼を片手で制する。
「…ユーリ?」
「行きたいっていう人に任せなよ」
他の兄弟には聞こえないよう小声で告げる。
「でも」
「カラ松くんは、留守番係」


複数回のあいこの末、勝利を手にしたのは───十四松くんだった。

「やったー、ぼくの勝ち!」
バレリーナのように両手を頭上に掲げてくるくると回転し、喜びの舞を踊る。
「くっ…まさかの十四松兄さん!これは安パイなのか!?」
「いやこれはダークホース…十四松というジャンルに正解や定石は存在しない。十四松はその場その場でやりたいことをやりたい放題するだけだ、一番手が読めないだけに厄介な相手だぞ」
「ユーリちゃん!何かあったらすぐ携帯にメッセージしてね、助けに行くから!
半泣きのトド松くんに手を握られた。
十四松くんと最も近しい一松くんにすら手厳しい言われよう。冗談なのか本気なのか。
「あははー、大丈夫大丈夫、何もしないよ」
「買う物はビールとアルコール度数強いヤツと梅酒とおつまみ、他はないね?」
それぞれから一定の軍資金を徴収し、財布に入れる。
「じゃ、行ってきまーす」
「行ってきマッスル!」




最寄りのコンビニまでは徒歩数分の距離だ。
重力を感じさせない軽やかな足取りの十四松くんの隣に並ぶ。街が寝静まる深夜の時間帯、住宅街やビルの多くは消灯しており、街灯の明かりを頼りに先へと進む。
そういえば、十四松くんと二人きりになるのは初めてだ。

「ユーリゃん、ありがとね」

不意に、礼を言われる。びっくりして目を剥けば、十四松くんの笑顔が近い。
「何のこと?」
「カラ松兄さんを守ってくれて。
兄さんに負担がかからないようにしてくれたんだよね」
思わず下唇を噛む。答えに窮して、時間稼ぎついでに髪を掻いた。
「お菓子が食べたかっただけだよ」
「でも嬉しかったから、ありがと。へへ」

十四松くんは遠い記憶を思い起こすように、宅飲み開始時に話題にのぼったフラワーという相手について語ってくれる。
彼女の正体は花の妖精だという。ほんの僅かな期間松野家の居候となり、死ぬ死ぬ詐欺でカラ松くんから冷静な判断力を奪った挙げ句、結婚式を挙げている真っ只中に本体が枯れて消滅した。何というはた迷惑な奴。妖精と呼ぶのもおこがましい。
自分がいないと駄目とか思っちゃう時点でカラ松くんは完全共依存だし、希望を叶えないなら死ぬとか、それもう心が病んでるただの危ない奴。
っていうかこのご時勢に妖精って、もうどこからツッこんだらいいの。
「今はユーリちゃんがいるから、カラ松兄さんもそういうことはないと思うけどね。
ユーリちゃんといる時や、ユーリちゃんの話をする時の兄さん、すっげー幸せそうなんだよ!」
コンビニの自動ドアをくぐる。
白を基調にした清潔感のある店内で、私たちは脇目も振らずアルコールが配置されている棚へと向かい、買い物カゴの中に次々と缶を放り込む。

「けどフラワーって人のことは、ぼくたちにも原因があると思ってるんだ」
「どういうこと?」
「カラ松兄さんが欲しいもの、ずっと知ってたのに」
「…ああ、それは一理あるかも」
「だよね!」
意図を理解してもらえたのが嬉しいとばかりに、十四松くんはにこりと白い歯を見せた。

「水の入ったコップを持ってるって想像してみて。
喉が乾いたら水を飲むでしょ。飲むと喉も気持ちも満たされてスッキリする。
愛情も一緒───カラ松くんは、みんなのコップが空になる前に自分の水をあげていくの。みんながそれを飲んで満たされるのが幸せだから」
十四松くんは私の手から買い物カゴを取る。ぼくが持つよ、という声と共に。
「でもカラ松くんのコップには、誰も水を注がない。喉は乾いていく一方なのに、誰かから水を貰っても、すぐ兄弟に渡しちゃう。
でも、喉が乾いて辛いなんて弱音は、絶対に兄弟には吐かない」
だから私は、カラ松くんのコップにこれでもかと水を注ぐ。目の前で飲めと命じる。せめて私といる時くらいは、誰かに渡してしまわずに、自分の喉を潤せと。
私がカラ松くんを傷つけない誓いを立てているのは、彼のコップを欠けさせないためだ。
水がなくなったら足せばいい。けれどそもそも受け皿となるコップが破損してしまったら、注いだ水は零れ落ちていくしかない。

愛するのは愛されたいから。ナルシストを気取っているのも、自己防衛のため。
今の私には、松野カラ松はそんな風に映るのだ。
「そっか、分かった!ぼくカラ松兄さんに水あげるよ!喜んでもらう!とりあえず二リットルでいいかな
十四松くんは冷蔵のショーケースから、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出そうとするので慌てて止める。
「それぶっかけるの!?単なる嫌がらせだよね!」
比喩だから、コップの水は例え話だから。

レジで会計を終え、缶ビールが大量に入った重量感のあるビニール袋を軽々と持ち上げる十四松くん。
暗く静かな帰り道、彼はいつになく饒舌に兄弟との思い出や彼らへの想いを語る。拙い言葉で、懸命に。
「兄弟だから甘えちゃってたのかなぁ。ぼくが平気だから兄さんたちも大丈夫かなって思ってたとこもあるし」
松野家の六つ子は固い結束で結ばれているように見えて、きっかけがあればいとも容易く崩れる脆さも内包している。
十四松くんは、カラ松くんへのイジリや兄弟間の亀裂を見過ごしてきたことに、いささかの後ろめたさも感じているのだろう。
「生まれた頃からの長い付き合いだから、言葉にしなくても察しろっていうのも分かるんだけど、伝わらないなら存在しないのと一緒だからさ。それは悲しいよね」
「うーん…あはは、酔ってるから頭回んなぁい。兄さんに喜んでもらいたいけど、ぼく何をすればいいんだろ?」
唸りながら首をひねる。
答えは単純明快だ。考えるまでもない。

「十松くんは、カラ松くんが好き?」
「うん、すっげー好き!」
「じゃあ、それをそのまま伝えればいいんだよ」
酔った勢いでいい。言葉にして伝えることが一番大切なことなのだ。
「そっか、うん、やってみマッスル!」
彼はビシッと敬礼のポーズを取って、それからいつものようにあははと笑った。




自宅に辿り着くや否や、十四松くんは玄関の引き戸を勢いよく開け放ち、ご両親が寝室で休んでいるのもお構いなしに居間に駆け込む。
両手に抱えていたビニール袋は、ふんぬという掛け声と共におそ松くんにダイレクトアタック。しかしそこは六つ子の長男、反射的に両手を広げてビニール袋を受け止めた。ビールへの執念凄まじい。
「カラ松兄さーん!」
ルパンが空中脱衣して不二子のいるベッドに飛び込むのを完コピしたポーズで、十四松くんは文字通りカラ松くんの胸元へ飛び込んでいく。
履いていたスリッパが宙を舞う。
「んん~どうしたんだ、マイリル十四ま───ヅォエッ!
十四松くんの頭がカラ松くんの腹部に命中した。会心の一撃だ。
目と鼻と口から液という液を噴出して、カラ松くんは畳の上に倒れる。
「カラ松兄さあああぁぁあぁぁぁん!?」
「え、ちょ…十四松何でっ!?」
トド松くんと一松くんが涙目で絶叫する。
そうだろうとも。帰宅して早々に五男が次男の息の根を止めるなどと一体誰が想像しただろうか。
この場に私がいたという痕跡全て抹消して帰宅したい。
さっきまでええ話やったやないかーい。

「それじゃ、死人も出たし私はこの辺で」
「待って待って、ユーリちゃん!色々放り投げて自分だけ現実逃避しないで!」
チョロ松くんに縋りつかれる。
凡人の私に松野家六つ子を使役するのは土台無謀な話だったのだ、帰らせてください

私の服を離すまいと必死なチョロ松くんを引きずりながら玄関へと向かおうとした矢先、カラ松くんの上に乗る十四松くんが口を開いた。

「ぼくね、カラ松兄さん大好きだよ!」

彼は兄のコップに水を注ぎたいと言った。溢れんばかりの水を、その手でもって。
チョロ松くんがポカンとして力を抜くから、私は踵を返して居間へと戻る。
「いつもぼくたちのこと好きでいてくれて、ありが盗塁王!普段冗談っぽくしか言えてないけど、ぼくもちゃんと兄さんのこと好きだよ」
えへへと照れ笑いしながら、カラ松くんの胸に顔を擦り付けた。
意識を失っていたとばかり思っていたカラ松くんは、おもむろに上半身を起こして、呆然としている。
「じ、十四松…?」
状況を理解できずしばらく呆気に取られていたカラ松くんだったが、向けられた言葉と行動の意味にようやく理解が追いついたらしい。目からぽろぽろと大粒の涙が零れる。
「お、オレも愛してるぞブラザーっ!」
「兄さーん!」
ええ話や。

しかしまだ水は足りていない。
抱き合っていちゃついている二人には聞こえないよう、声のボリュームを抑えて私は独白のように呟く。
「みんなからの愛情が足りないと、カラ松くんはまたろくでもない他人に奪われて都合よく酷使されちゃうかもなぁ。
っていうか、今度は私に依存してくるかも。困ったなぁ、そうなったら同棲して養って生涯大切に愛してあげなきゃいけないよねぇ
目的さえ果たせれば、手段は正攻法でなくてもいいのだ。
残りの四人を一度に確実に動かすには、彼らのコンプレックスを刺激するのが確実性が高い。
「カラ松兄さん!ずっと黙ってたけど…僕も兄さんのこと好きだよ!」
真っ先に行動に出たのはチョロ松くんだった。
「あ、ズリぃ!俺だってカラ松のこと大好きだから!ずっと家にいて!お前だけ彼女作ってリア充になったら泣くからなッ
「さらっと本音ブッ込むの止めてクソ長男!カラ松兄さん、もちろんボクも愛してるよ~」
おそ松くん、トド松くんも続けて輪の中に飛び込んでいく。
好き、大好き、愛してる。想いを告げる言葉が彼らの間で飛び交って、行為こそ打算的でも、その中に幾ばくかの本心があればいい。

残るは、一人。
最後まで抵抗すると踏んでいたので、案の定といったところだ。
「一松くんも行っとく?」
「…いや、興味ないし。ってか別にクソ松のことなんかどうでも」

「行きなさい、一松」

胸ぐらを掴み上げて、見下すように命じる。努めて、抑揚のない声で。
「は、はい…ユーリ様!」
途端に一松くんは恍惚の表情で頷き、ふらふらと兄弟の元へ向かっていく。
やりすぎた、死にたい。

しかし功を奏して、カラ松くんの持つコップには、色とりどりの水が溢れんばかりに注がれる。元々は、彼のコップから兄弟へと差し出したもの。それがやっと少し返ってきた。
カラ松くんは目が赤く腫れ上がるほどに号泣しながら、兄弟を抱きしめる。
「オレはブラザーたちを信じてたぜ…ッ。
───わあああぁぁ、良かったぁ!蔑ろにされても諦めずに生きてて良かったああぁぁあ!」
素で泣く推しもまた尊し。
それにしても、十四松くんの観察眼には脱帽する。
一見鈍感そうに見えるが、私の言動の意図を察したのは彼だけだったし、カラ松くんの希求にも気付いていた。五男、侮ることなかれ。


ひとしきり続いた野郎どもの抱擁が一段落ついた後、宅飲みの第二幕が始まった。
とはいえ、時刻は草木も眠る丑三つ時を過ぎ、ある程度酔いが回ったところへのアルコール追加なので、前半戦ほど長くは続かない。体力の大半は既に消耗している。
手のひらを象ったピンク色の椅子に腰掛け、六つ子たちが一人ずつ倒れるように意識を失っていくのを傍観していたが、私の瞼も次第に重さを増していく。
彼らが全員畳の上に転がって寝入ったのを確認して、私もまた椅子の上で意識を手放した。




微睡みから意識がすくい上げられる。煌々と明るい照明の眩しさで、瞼が持ち上がらない。庇を作るように片手を持ち上げたら、ぱさりと手元から何かが落ちる───タオルケットだ。
「…ん?」
光に目が慣れて、かろうじて片目が開く。しかし意識の半分はまだ夢の中にあって、いつでも眠り世界へと帰還できそうなくらい、ふわふわとした感覚だ。
ふと、眼前に大きな影ができた。

「ハニー…すまない、起こしてしまったか?」

泣き腫らして腫れぼったい目が、優しく細められる。
「何だ、カラ松くんか…このタオルケット、カラ松くんがかけてくれたの?」
「ハニーに風邪をひかせたくないからな。二階にソファがあるんだが、そっちに行くか?」
「ううん、面倒だしここでいいや」
そうかと返事をするカラ松くんが、不意に私の足元に跪く。まるで王に謁見する兵士のように。
「な、何?どうしたの?」
思わず飛び起きる。

「…ありがとう。ユーリには本当に頭が上がらない」

唐突すぎて返事を躊躇する。頭の中には霧がかかっていて、思うように働かない。
「フラワーのことも、買い出しのことも、十四松のことも───全部」
その双眸から今にも涙が零れそうな気がするのは、泣き明かした痕跡のせいか。
「ハニーはオレを守ってくれた」
本人にもバレていたらしい。しかし素直に認めるのは何となく癪なので、首を横に振って否定した。
「私がしたいことをしただけだよ。十四松くんのことは、相談に乗っただけ」
手を伸ばそうとしたら、カラ松くんが先回りして円卓から取ったコップを私に手渡す。
半分ほど残っていた烏龍茶を一気に飲み干した。温い液体が喉を使う感覚と共に、意識は次第に現実世界へと引き戻されていく。

「ハニーがいる今、フラワーのことは正直あまり思い出したくないんだ。
他にいくらでもやりようがあったとは思うし、ブラザーたちに心配もかけて、そのことは反省している…でも、彼女を救おうとしたことを後悔はしたくない」
「そっか」
私なら黒歴史確定だけどな、という本音は飲み込んだ。
「まぁでも、結婚式はさすがにやりすぎたとは思ってる。オレの人生を安売りしすぎた
自覚はあるんだ。
「でも今は」
続けてカラ松くんが言う。

「───ブラザーたちがいて、ユーリがいて、オレはなんて幸せなんだろうな」

噛みしめるように口にされる想い。
他の六つ子と同様にそこそこクズで。カッコつけのくせに、本当は打たれ弱くて繊細で、愛してほしいのに言葉にできなくて苦しんで。
「礼にもならないが、せめて夜明けまでの数時間はハニーのナイトになろう。
万一にもブラザーたちが君に手を出そうものなら、オレが必ず守るから、安心して休んでくれ」
そう言って私に背を向け、ピンクの椅子にもたれかかると、カラ松くんの頭が私の膝のすぐ横に並ぶ。
何と返事をしようか思案したのは、僅か数秒のことだったと思う。こつんと彼の頭が私の膝に当たるから、何事かと顔を覗き込めば、瞼を閉じて寝息を立てている。

「不安になったらいつでもおいで」
預けられた頭を優しく撫でて、私は囁く。
いつでもたくさん水を用意して、欲しいだけ注いであげるから。
そして推しに感じる私の萌えという萌え、熱き血潮を、何時間でも熱く語って差し上げよう