推しからの贈り物

何気ない贈り物というのは、得てして贈る側に何らかの魂胆があることも多い。
相手との良好な関係を築くツールとしてであったり、相手の負担となる頼み事を快く承諾させる布石であったり、不要物の処分であったりするかもしれない。
平たく言えば、下心というものが、その行為には付随してくる。


「そろそろ新しいアクセが欲しいんだけど、どういうのがいいかなぁ」
場所は松野家の居間である。
開け放した窓の外は洗濯日和な晴天。円卓の上に広げた男性向けのファッション雑誌を、私はトド松くんと眺めている。
「合わせる服にもよるよね。トド松くんは可愛い感じの服が多いから、レザー物とかバングルが似合いそう」
例えばこういう感じかな、とモデルを指差して示すと、彼はうんうんと目を輝かせる。
「ピアスなんかもセクシーでいいかも」
「セクシー…?え、ちょっ、そういう目で見るの止めて!もっと好きになっちゃう!
トド松くんの横顔を見つめて感慨深げに呟けば、唐突に告白される。何この急展開。
しかし、六つ子の中では比較的中性的な要素が強い彼だからこそ、ジルコニアやフープピアスといった小ぶりなデザインが似合いそうではある。
「ピアスかぁ…ちょっとハードル高いかなぁ。兄さんたちと喧嘩した時に、耳ごと持っていかれそう
「グロい!」
破壊力のある言葉をさらっと言い放たないでほしい。
そもそも二十歳過ぎたいい大人は、通常運行で兄弟間で取っ組み合いの喧嘩をしないし、ピアスをつけた耳を引き千切るなんて言語道断だ。だが一般的という言葉が通用しない治外法権が松野家六つ子
私が眉間に皺を寄せて恐怖を示すと、さすがに失言だと思ったのか、トド松くんは慌てた素振りで両手を横に振った。
「まぁまぁ、ピアスはそういうわけだから。でもありがとね、ユーリちゃんにそう言ってもらえたのは嬉しいな」
ひょいっと肩を竦めて笑みを浮かべるトド松くん。
六つ子全員、基本は同じパーツを持っているのに、表情や表現が異なると、当たり前だがまるで別人だ。つぶさに観察していると、一人ひとり個別で会っても確実に相手を判別できるレベルになるのに、そう時間はかからなかった。

「じゃあハニー、オレには何が似合うと思う?」

話題が一段落するのを見計らったように、会話に加わるのは──カラ松くんだ。
私とトド松くんが雑誌片手に流行りのファッションについて議論している間、彼は愛用の手鏡で自分の顔を眺めていた。トド松くんに言わせると、家では手が空くと大概鏡と向かい合っているらしい。
「まぁオレは、ガイアに存在する全ての物質の源のような、唯一にして究極の男だからな。何でも似合ってしまうのは仕方ないことだが、その中でもこの松野カラ松の魅力を一際引き立てる物を、 ユーリのその愛らしい唇で教えてはくれないか?」
手のひらを広げた腕を伸ばして、誘うかのようなポーズを決めるカラ松くん。その双眸はいつにない輝きを放っている。
わなわなと肩を震わせていたトド松くんは、カラ松くんの演説が終わるや否や大きな声を上げた。
「痛い発言止めてっ、聞いてるこっちが羞恥心で死ぬ!
「ふふ、そうだね。カッコつけてるのに可愛いから、声が枯れるまで抱くぞって思っちゃうもんね」
「微塵も思わないよ!何だこの痛い奴とドSの挟み撃ち!」
トド松くんがファッション雑誌を畳に叩きつける。末弟が男らしさを最大限に発揮するのは、今のようなツッコミ時だと思う。
「だってほら、カラ松くんって推しじゃん?
「認識共有してる前提で話を進めようとしないで。知らないから。てか興味ないから」
それは残念。
カラ松くんはカラ松くんで、私の抱くぞ発言に顔を赤くして、両手で顔を覆っている。たった一度の反撃で容易くダメージを受けるくらいなら、迂闊に攻撃という選択をすべきではない。
しかも私にとって今の台詞は、反撃どころか日常会話の一環だ。言葉攻めと称するのもおこがましい。

地面に叩きつけられた雑誌を拾い上げて、私は思案する。
「カラ松くんの場合は、アクセサリーはゴツいのがいいんじゃないかな?
存在感があってアクセントになるようなモチーフとか、こういうロックテイストなやつ」
具体的な例を示そうとページをめくって、カラ松くんに見せてみる。ロックテイストで有名なブランドのオータムコレクションの紹介ページだ。
チェスのコマやトランプのマークをモチーフにしたシルバーアクセサリーが、紙面上で眩い輝きを放っている。
「おお…っ、イカしてるなぁ」
「あー、確かにここのアイテムはカラ松兄さんっぽいね。
…でも同じテイストを目指してるはずなのに、カラ松兄さんが選んでくる物が尽くクソダサいのはなぜなのか
それは私も知りたい。


その後トド松くんはひとしきりカラ松くんの絶望的センスをこき下ろした後、不意にこちらに視線を向けて、にこりと笑みを作った。
「ユーリちゃんは、プレゼントとして貰うならどんなアクセサリーがいい?」
「え?…うーん、何とも言いにくいなぁ」
氷が溶けて色が薄くなった麦茶のグラスを両手で握りながら、私は天井を仰いだ。
「私の好みに合う物、って感じかな。明確にこれが好きって物はないんだけど、好みじゃないとか自分で似合わないと思う物って、あんまりつけないから」
プレゼントしてくれる気持ちはもちろん嬉しい。ただ、身につけるかどうかはまた別の問題である。アクセサリーはコーディネートにアクセントを添えるもので、主役にはなり得ないし、違和感を与えるのは論外だ。
「うん、何か分かる。
ボクももし貰えるとしたら、使い回しききそうなバングルとかがいいかなぁ」
「相手との関係性にもよるしね」
「え…ガールズへのプレゼントにアクセサリーっていうのは、鉄板じゃないのか?」
カラ松くんは意外とばかりに目を剥いた。
「鉄板だよ」
私は間髪入れず肯定する。なぜなら、と理由も付けて。
「物によっては高値で買取されるからね
複数の相手から同じ品番のアクセ貢がせた後に一つ残して売っぱらって、これあなたに貰った物~っていう手法をする人には、カラ松くんは間違いなく最高のカモ」
「えー…」
童貞が抱く夢を全力で破壊していくその姿勢、ボク嫌いじゃないよ」
どうもありがとう。

「何にせよカラ松兄さんは、間違っても女性にアクセサリーなんて贈ろうとしちゃ駄目だからね」
「ホワイ、なぜだブラザー。
ハニーを始めとするカラ松ガールズに、オレのアガペーを伝えるには、愛の輝き同然のジュエリーを贈るのがベストだろう?」
「そのクソ性欲をアガペーに例えるな、アガペーに謝れ
「あと私別にカラ松ガールズじゃないからね、その他大勢と一緒にするなら泣かせるよ?
カラ松くんは悩ましげな仕草で女性にアクセサリーを贈る必要性を訴えたが、私とトド松くんから辛辣な眼差しを向けられると、意気消沈して涙目になる。
「ご、ごめんなさい…」




それから数日後、カラ松くんとショッピングモール内の一角に店を構える雑貨店に立ち寄った日のことだ。
特にこれといった目的のない、暇潰しの冷やかしだったのだが、ショーウィンドウに飾られている腕時計が目に留まる。
私が隣から消えたことに気付いたカラ松くんが振り返るのと、私がその場を立ち去ろうとしたのがほぼ同時だった。そしてこういう時は決まって、オレも見たいから見ていこうと彼は言う。また後日改めて来ればいいいかと思った私の胸中を見透かすかのように。
「腕時計が気になるのか?」
腰の高さほどの透明な陳列ケースを上から覗き込みながら、カラ松くんが言う。ケースの上に設置された手のひらサイズの鏡に、私たちの顔が映り込む。
「実用じゃなくて、アクセサリー感覚でつける物買おうかなぁって思っててさ。でも耐衝撃とか防水とか、実用性に全振りしてるのも捨て難い」
「実用性に全振り…ああ、なるほど。こういう時計本体が大きいタイプか」
私の意図を理解するや否や、カラ松くんは店員を呼びつけて、アクリルのケースに鎮座している腕時計の試着を願い出る。
白い手袋をつけた店員によって、陳列ケースから凹凸のある黒い大型ケースにブルー液晶の腕時計が取り出された。それが私の腕に巻かれると、半袖から覗く腕の上で際立った存在感を放つ。
「ユーリの手首につけると、白くて華奢な腕が引き立つな」
言いながら右手で私の左手を持ち上げ、覗き込むように時計をまじまじと見つめるカラ松くん。
近い近い。
何なら肩は触れ合ってるし、長い睫毛との距離は三十センチもないし、これ完全にカップル

「似合ってるぞハニー。何ていうか…可愛い」

口元を指で隠すようにして、カラ松くんはふにゃりと笑う。
格好良くあろうとする表層の意識が失われた素のカラ松くんは、無意識でタラシてくるし、普段とのギャップ萌えを用いて一撃で殺しにかかってくるから厄介である。可愛いのはお前だ。
「…あ、その…ち、近づきすぎたな、ごめん」
その上、密着に気付いて慌てて離れる初心なところももはやたまらん、推せる。もっとこの魂の叫びを正しく表現したいが、称賛に関する語彙に乏しいことが悔やまれた。

「ユーリがどう感じてるかは分からないが、オレはいいと思う」

笑顔で被せてきた。
生憎と現金の持ち合わせがないけれど、もうこの腕時計はクレジットカード切ってでも購入するしかない、そう思い詰めるところまで無自覚で追い込んでくるのが、カラ松くんが天然タラシたる所以。
「だよねぇ。うん、私もこれ格好いいと思う」
眼前に左手をかざしながら力強く頷けば、カラ松くんは胸を撫で下ろすかのように目を細めた。
「でも気軽に買える値段じゃないし、ちょっと考えることにするよ。
付き合ってくれてありがとう、カラ松くん」
店員にも礼を述べ、私たちは店を後にする。
他の商品とも比較して、それでもなお魅力的に感じるようなら購入候補にしようか。
そんなことを考えながら軽やかな足取りで別の店舗へと向かおうとする私とは対照的に、カラ松くんは名残惜しそうに何度か雑貨店を振り返っていたのだけれど、私はまるで気が付かなかった。




都会の喧騒から逸れた静かな緑地公園が今日に限って賑わっているので、何事かと人混みに流されて先へ進めば、イベント用のタープテストが整然と設営されているエリアへと辿り着いた。
テント下には長テーブルが横一列に並んでいて、その上に様々な雑貨やハンドメイド製品が趣向を凝らしたディスプレイで飾られている。
通路を埋め尽くす訪問客数と賑わいの様子から、開催から数時間は経過していると思われる。ハンドメイドマルシェとロゴの入ったトートバッグを持つ客もいて、比較的大きなイベントらしかった。

「わぁ、ハンドメイドマーケットやってるよ、カラ松くん」
「見ていくか?」
「もちろん!」
逸る気持ちを抑えて、マーケットの門をくぐる。
ハンドメイド市では、アクセサリーや雑貨、家具といった手作りの品が並ぶ。出店者の嗜好やこだわりが反映された品からは、大衆向けに開発された物とはまるで違う温かみを感じる。
「ハニーはこういうのが好きなのか?」
私が目を凝らしてディスプレイを覗き込んだり出店者と言葉を交わす姿を、カラ松くんは斜め後ろから不思議そうに眺めている。
「宝探しみたいでワクワクするから好きだよ。
ハンドメイドってその名の通り手作りで、同じ物は二つとない場合も多いからね」
言わば蚤の市だ。
掘り出し物に出会えるかもしれない、未知への期待感に胸を膨らませながら店舗を回っている時間が一番心が弾む。琴線に触れる物に巡り合えば感動するし、もし結果は芳しくなくとも、非日常的な高揚感は残る。

「同じ物は二つとない、か」
ふむ、と声を出してカラ松くんが思案顔になる。
「世界に一つしかないトレジャーを探求する果てしない旅路というわけだな。
松野カラ松という男がこのガイアに一人しか存在しないように、美の化身であるユーリを華やかに仕立て上げる装飾もまた一つであると───つまりはそういうことだな?」
全然違う。
「そこまで壮大なものじゃないけど…」
「そうか…いや、そうだったな。オレとしたことがうっかりしていたぜ。
ハニーのためにしつらえたと錯覚するほどに似合う物は確かに星の数ほどある。ただその中で、お眼鏡にかなうのはハニーに選ばれし物のみということか
頼むからもう黙って。
カラ松節に当てられた出店者の女性が、口を半開きにしたまま呆然としている。ポエムの聞き手が私一人ならば容易く受け流せるが、初見ならば理解が追いつかないのが自然の反応だ。
認識を新たにすると共に、すっかり適応している自分の行く末を、今更ながら懸念した


カラ松くんを連れて順繰りに店を回る道中、これは思うアクセサリーに出会う。それは、ディスプレイ用のワイヤーネットに吊り下げられていた。
天然氷を切り出したようなエッジの効いた形のレジン製のペンダントパーツで、パーツ上部から下へ行くほどにグラデーションが色濃く広がり、その中で細かなラメが光を反射して輝いている。透明感のある階調には、心惹かれるものがある。
グラデーションにも幾つか種類があり、新緑の季節を感じさせる爽やかなライム色、夕暮れから夜の帳までを表現した宵闇の色、波打ち際から深海にかけて濃さを増す青など、実に多様だった。
「カラ松くんはどれがいいと思う?」
全色購入したくなる衝動を抑え、カラ松くんに意見を求めたのは、単なる気紛れだった。

「青」

即答だ。
コンマ一秒の躊躇もなかった。
「青…」
思わずオウム返しで彼の言葉を反芻する。
「ハニーには青がいいと思う」
「青が似合いそう?」
「似合うのもあるが、青は、その…」
目を逸して言い淀むカラ松くんの意図を、彼の出で立ちから察する。松野家六つ子におけるカラ松くんのシンボルカラーが、それだ。

「じゃ、この緑ください」

「ええッ、何で!?今の流れだと青を買うのが自然じゃないか!?
「参考にはしたよ」
「緑だとチョロ松になる!」
いちいち六つ子に変換するな。
その解釈ならば、かき氷でイチゴ味を食べたらおそ松くん推し、レモン味食べたら十四松くん推しになるのか。
「この前言ったでしょ、アクセサリーは自分の好みに合う物がいいって」
「…言った。でもなユーリ、ここは忖度しないか?」
「しない」
カラ松くんを無視して緑のペンダントを頼むが、私の背中で諦めずに青がいいのにと唸る輩がいるものだから、売り子の女の子が戸惑っている。
私は深い息を吐いてから、カラ松くんに告げた。
「その代わり、食べ物はカラ松くんの好みに合わせる。
あっちに唐揚げのお店があるから、飲み物も買って少し休憩しよう。奢ったげるよ」
カラ松くんの好物と、奢りという魅惑の言葉を提示すると、カラ松くんの目が輝きを増した。
効果はてきめんだ。
「フッ、本当にユーリはワガママな子猫ちゃんだな──仕方ない、その条件でディールだ!」




広いエリアの端に設けられた休憩スペース。揚げたての唐揚げと飲み物を抱えた私たちは、並んでベンチに腰を下ろした。
カップに刺さったストローに口をつけて、喉の渇きを潤す。冷えた液体が喉を通過して、体の中へと流れていく感覚がする。

カラ松くんが望んだ色を購入しなかった事情を説明すべきか、目まぐるしく頭を回転させる。グリーンが気に入ったのももちろん動機の一つだが、実は他にも理由があったのだ。そのことを弁明する道理も義務も私にはない。
しかし、たまたまグリーンを選んだだけでチョロ松推しと勘違いされるのは遺憾ではある。

そもそも私が青を選ばなかったのは───推しに関わるグッズは厳選しているからだ。

推しは日常生活における癒やしであり肥やしだが、愛で方や崇拝方法は人によって大きく異る。身の回りを固めたいタイプもあれば、よりすぐりのみを配置するタイプも存在する。
わざわざ声を大にして公言するような趣向ではないから、先ほどだってカラ松くんの意見を一蹴したのだけれど。
「あのさ、カラ松くん、さっきのこと───」

「ユーリ、ちょっと待っててくれないか」

突然ベンチから立ち上がったカラ松くんから、飲みかけのドリンクと唐揚げを押し付けられる。まさか遮られるとは思ってもみなくて、あまりに突然のことだったから、ついうんと気の抜けた返事をしてしまう。
それを了承と受け取ったカラ松くんは人混みの中へと駆け出して、あっという間に視界から消えた。
トイレは方角が違うし、そもそも目的を告げずに離れるのは珍しい。私は脳が空っぽになったみたいに、しばらくカラ松くんが向かった方角を見つめていた。
「何か食べ物でも買いに行ったのかな」
独り言を呟いて、カップに入った唐揚げを口に放り込む。にんにくと生姜の風味が口内に広がって空腹が満たされていく。自覚はなかったが、お腹は減っていたらしい。
暇潰しがてら、入口でスタッフから渡されたパンフレットを開き、出店者の販売商品をチェックする。八割方は回り終えていて、あとの二割はペット関連のグッズが多い。
一松くんが猫好きだから、足を運ぶとしたら猫関連かななどと考えを巡らせながら。


スマホを眺めていたため待ち時間はさほど苦にならなかったが、それでも半時間ほどは一人で過ごしただろうか。カラ松くんが連絡手段を保たないので、私は約束通り彼の帰還を待つしかない。
それにしてもどこまで出掛けたのかと訝しんだところで、息を切らしたカラ松くんが戻ってくる。
「す、すまない、ユーリ…遅くなった」
「ううん、いいよ。何か買い物でもしてたの?」
何気ない問いかけのつもりだったが、カラ松くんの肩がぴくりと動く。
「あ、うん…何というか、まぁ…」
歯切れが悪い。肯定も否定もせず曖昧に誤魔化す時は、イエスと同意義と相場が決まっている。
私は口を閉ざして、カラ松くんの出方を窺うことにした。隠すにしろ打ち明けてくるにしろ、彼の意向に沿うつもりだ。無理に聞き出すつもりは毛頭ない。

数秒の沈黙の末、カラ松くんはポケットから紙袋を取り出して、私に差し出した。
「これを…貰ってくれないか?」
「へ?」
渡されたのは、ロゴのスタンプが押されたクラフト紙製の紙袋だった。
手のひらに収まるサイズで、そのロゴには見覚えがある。先ほどパンフレットを広げた際に、出店者として掲載されていた店舗名だ。
「…いいの?」
「ああ。開けてみてほしい」

マスキングテープの封を剥がして取り出した中身は───ネイビーレザーのベルト型ブレスレット。

ハニーには青がいいと思う。
ついさっき告げられた言葉が脳裏を過る。

「もし気に入ったら、つけてみてほしいんだ」
らしくなく低姿勢だ。
普段なら、これはまさしくハニーのために作られたオーダーメイドに違いない、いやむしろハニーがこのアクセサリーにオーダーメイドされたんじゃないかハァンとか自信たっぷりに講釈を垂れそうなものだが。
「いやいや、気に入るとかのレベルじゃないでしょ!これすっごく格好いいよ!ありがとう、大事にするね!」
ブレスレットを両手で包み込んで、私は声を張り上げた。
推し本人からのプレゼントなんて、貰わない理由がない。別枠、別腹。
さっそく左手首に巻きつけようとするが、なかなかベルトがバックルに入らない。気ばかりが急いてもたついていたら、カラ松くんが両手を伸ばして私の腕に通してくれる。
そして小さく笑みを浮かべる唇と細められた瞳が、今の彼の感情を如実に物語っていた。
私の腕に触れる無骨な指をぼんやりと見つめていたら、バックルを通して隠れた部分のレザーに刻印された英文字が目に入る。

その文字は───

「気に入ってもらえて良かった」
確かめるより前にカラ松くんが口を開いたので、私の意識は彼に向けられる。
「この前トド松に美的センスがズレてると散々言われたから、売り子の人にも意見を貰ってたんだ。それで、話し込んでるうちに遅くなってしまった。
…女性にアクセサリーのプレゼントなんて初めてだから、何がいいかも分からなかったし」
最後の一言の破壊力。
「これ、どうして──」
貰わない理由はないが、そもそも貰う理由もないのだ。思い当たる節は何一つない。

「オレの選んだアクセサリーをつけるハニーが見たかったんだ」

その思いは上澄みだ。掘り出せば、もっと複雑に絡み合った感情が下層に沈殿している。なのに言葉にしないのは、言葉にすることを良しとしないのか、それとも本人さえも無自覚なのか。
「勝手だよな。センスはズレてるし、自分で選びたいユーリの気持ちも尊重してない。完全にオレの独りよがりだ」
カラ松くんの手が私の腕から離れる。
「──でも、こうしてユーリに喜んでもらえて嬉しい」
太陽を背にして、照れくさそうに笑う。髪の一部がきらきらと金色に輝いて、眩しいくらいに。
「自分で選んで贈った物をつけてもらえるのって、こんなに嬉しいものなんだな。
すまん、どうしてもニヤけてしまうから…あんまり見ないでくれ」
表情を覗かせまいと噛んだ唇を手の甲で隠して、顔ごとそっぽを向いて私から視線を反らす。
ジュースや菓子のような、気軽に手を出せるほど安い買い物ではなかったはずだ。私の反応も気を揉んだに違いないし、数日前のトド松くんの罵倒も尾を引いていた。
だから、そんな不安の一切合切を振り払っての彼の決断には、言葉が出ない。
「その顔スマホで撮影していい?」
「何でそういう話の展開になる。止めてくれ」

携帯を向けたら、両腕で顔を隠された。




駅の改札口でカラ松くんと別れて、定刻通りホームに入線した電車に乗り込む。私の背中でドアが閉まり、窓の外の景色が流れていく。
吊り革に伸ばした左手、カラ松くんから貰ったレザーのブレスレットにふと目が留まって、その時ようやく刻印された文字のことを思い出した。
ブランド名や作家名といった類だろうかなんて些末なことを考えながら、手首からブレスレットを外して文字を見た瞬間、私は目を瞠る。

───やられた。

帰り際、ハニーだけの一点物だぞ、とカラ松くんはいたずらっぽく笑った。
ハンドメイドだから、同じ商品は作らないという作家のこだわりだと思って、そうなんだとその時は気のない返事をしたのだけれど。
その本当の意味を、油断しきっていたタイミングで目の当たりにさせられた。

プレゼントには、贈り手の思惑が隠されていることがある。
例えばブレスレットは手錠を暗示するが故に、『束縛したい』思いを込めるとも聞く。そんな上等な魂胆を彼は持ち合わせていなかったに違いないが、レザーの巻かれた左手首に体中の熱が集中する気がして、相好を崩しそうになるのを必死に耐える。
ド天然装って核爆弾投下してきたよ、うちの推し。
いや、装うというのは語弊がある。きっと本気で無意識なのだろう、彼はひたすらに真っ直ぐだから。

次会う時、どんな顔をしてブレスレットをつけていけばいいのだろうか。
ベッドに入って寝付くまでの数時間、私は今後の対応に頭を抱えることになるのだった。

ブレスレットに刻印されていた文字は─── From K。