6つ子に生まれたよ

使い込まれたギターの弦が、カラ松くんの無骨な指で弾かれる。そうして紡がれた音色は、松野家二階の室内に響いた。
「六つ子に生まれたよ」
「あいあい」
「六倍じゃなくて」
「六分の一」
ギターが奏でる旋律に乗って、サングラスをかけたカラ松くんが語るように歌い、十四松くんが絶妙なタイミングで合いの手を入れる。
カラ松くんはギターを構えるためにソファに腰を下ろして足を組み、その傍らに十四松くんが立つ。少し離れた畳の上で、私は彼らの歌に耳を傾けていた。

一分にも満たない短い歌は、始まったかと思えばすぐさま佳境に差し掛かる。
「六つ子に生まれたぁ」
「六つ子に生まれたぁ」
「六つ子に生まれたよ~」
各自のソロの後、二人の重なる声が反響、やがてギターの音が消えて静寂が漂う。数秒置いて私は座布団の上で膝を立て、演者の二人を労うために両手を大きく叩いた。


歌が終わるのを見計らったように、部屋の襖が開け放たれる。姿を現したのは、眉をひそめたチョロ松くんだ。
「お前らまたあの変な歌歌って───って、ユーリちゃんどうした!?
チョロ松くんが叫ぶのも無理はない。彼が部屋に入った時、私はスマホを頭上に掲げたポーズでひれ伏していたのだから。
「こいつらに何かされた!?」
「いや、ごめん…尊さ通り越して無理案件だっただけ…心臓キュッてなった
「意味分かんねぇんだけど!」
普通はそうだと思うよ。
「チョロ松、オレたちはハニーに歌を聴かせていただけだぞ。そもそも聴きたいと言ったのもハニーだ」
ギターをソファに置き、カラ松くんは言う。隣では十四松くんがうんうんと無言で頷いていた。
「…え、でも歌っていってもあれ、聞こえてたけど、六つ子に生まれたってヤツだろ?
歌詞も合いの手も意味不明な歌じゃん」
「…違う、全然違うよ──チョロ松くんは何も分かってない」
緩慢な動作で上体を起こし、私はチョロ松くんの顔を見つめる。至近距離で顔を突き合わせられた彼はギョッとした後、僅かに頬を赤く染めた。
ただでさえ魂を震わせるイケボのビブラートを効かせた腰砕けな歌声、ギターの弾き語りという高度なモテ技、『う』母音発音時のナチュラルなキス顔…どれを取っても尊さ振り切ってるでしょ!
「うん、最高にどうでもいい」
「推しと天使のデュエットってだけでも限界突破だよ!?」
「痛いナルシストと軟体狂人の間違いじゃなくて?」
「違うってば!」
歌は終盤に向かうにつれて一文字の発音が長くなる。目を閉じて唇を尖らせる蠱惑的な表情、自然に上を向く顔、何度も拝みたくなって当然ではないか。脳味噌が沸騰してもおかしくない。
私の熱い語りを否応なしに聞かされるカラ松くんと十四松くんは、満更でもなさそうに顔を見合わせてハイタッチ
「兄さん…ユーリちゃんにこんなに持ち上げてもらって、後でどんでん返しこない?戒めとく?
「フフーン、安心しろ十四松。ユーリはこれで通常運行だ、ノープロブレム
「ヤバイね!」
「ああ、そうだな…嬉しいんだが、急に言われるのは、何ていうか…心臓に悪いな」
「さすがドM松兄さん、ブレない!」
ときめく要素は皆無だったよ、と十四松くんは敢えてのツッコミ役。カラ松くんは気恥ずかしそうに首を掻いた。
そんな二人の他愛ないやりとりを眉間に皺を寄せつつ傍観するチョロ松くんが、溜息の後に私に告げる。
「僕もね、ユーリちゃんが言うことは何でも理解して肯定したいよ。好感度爆上げしてのし上がりたい欲だってぶっちゃけあるよ
でもね、こいつらの歌の良さだけは一ミリも同意できない、ごめん
謝られた。

「そうかなぁ?
この気持ちを一番分かってくれるであろうポテンシャルを秘めてるのは、チョロ松くんだと思うんだけどな」
私は座布団での居住まいを正す。
彼は心外だとばかりに双眸を瞠って、カラ松くんと十四松くん、そして最後に私へ次々と視線を移した。
「チョロ松くんには、橋本にゃーっていう推しがいるでしょ?
ライブにはもちろん行くし、SNSもチェックして、雑誌に一ページでも掲載されてたら買うくらいの愛がある」
「ま、まぁ…にゃーちゃんは確かに好きだけど…」
「ライブでの生歌っていいよね。その場にいる観客にしか見せない表情があるし、目が合った気がするだけで胸がときめいて、この人はひょっとしたら自分のことを認知してるんじゃないかって思う」
「ああ、うん、そうっ、そうなんだよ!
何度も歌われてる曲でも、その日のそのライブは人生で一度きり!
にゃーちゃんは地下アイドルだからハコはそう大きくなくてさ、目が合いやすいんだよね!もちろん僕を見てるって確証はないけど、いつもライブ来てくれるファンだって認識してもらえたら笑顔で死ねる!
「それで本人や公式から新情報や燃料の供給があるとテンション上がるんだよね。推しの新たな一面を知る感動はひとしお、妄想も捗る」
「分かってるじゃん、ユーリちゃん!
にゃーちゃんって猫キャラで可愛くて私生活謎なんだけど、この前SNSで屋台のおでん食べてる投稿あってさ!庶民的なとこもあるにゃーちゃん超絶可愛いよ、最の高ッて叫んだよね!夕飯は飯三杯いけた!
両の拳を床に叩きつけて力説するチョロ松くんを、私は笑顔で見つめる。やはり私の睨んだ通りの人材だ。カラ松くんと十四松くんはぽかんと放心して置いてけぼりだが、この際気にしない。
「私もね、同じなんだ。カラ松くんの趣味知ったのがつい最近。ギターの弾き語りするなんて全然知らなくて」
「いやそれは誤解だ、ユーリ。ユーリにはとっくに話したと思い込んでたし、そもそも家で時間のある時にやってるだけだから、特別二人でいる時の話題にすべきことでもないと思って…」
カラ松くんは懸命に弁明しようとするが、私がそれを途中で遮る。
「しかもさ──ねぇカラ松くん、既存曲は楽譜どうしてるんだっけ?」
「…え?トッティのスマホ借りて耳コピだが」
「ほら見ろ、この才能の塊!」
ギターの弾き語りができるだけでも十分ハートを撃ち抜かれるのに、演奏曲は全て耳コピによる再現。尊さ振り切るどころか、完全に殺しにきている。無自覚アサシンと呼ぶに相応しい。
カラ松くんは無言でサングラスのズレを直した。その口角は上がっている。
「フッ、シャイなブラザーたちからはノイズ扱いしかされてこなかったが───ユーリに喜んでもらえるなんて…へこたれずに続けてた甲斐があった」
「良かったね、兄さん」
涙目になるカラ松くんの頭を、笑顔の十四松くんが撫でた。

うん、とチョロ松くんは一呼吸置いて。
「にゃーちゃんに置き換えたら、ユーリちゃんの気持ち少しは分かる気がするよ。カラ松に魅力は微塵も感じないけど、推しを貶されたら嫌な気持ちになるよね」
「分かっていただけて嬉しいよ」
「推しを持つ物同士、もっと仲良くやれる気がする」
私とチョロ松くんはどちらともなく差し出した手を強く握る。この時私たちの気持ちは、間違いなく一つだった。


十四松くんが野球の練習に出掛け、チョロ松くんは私が手土産に持ってきたロールケーキを切り分けるためにキッチンへ下りる。部屋には私とカラ松くんが残された。
彼が愛用しているアコースティックギターは、細かな傷や経年変化による木材の色が目立つ。けれど音の狂いがないようチューニングされ、ソファに置く際の手付きも優しく、大事にしているのは自然と伝わってくる。
「ハニー…その、隠していたわけじゃないんだ。さっきも言ったが、話したとばかり思っていたし、ハニーといる時にギターを弾く必要性も感じなかったから…」
「分かってる、責めたいわけじゃないんだよ。そんな才能があるんだって驚いただけ。意外だったけど、何となくカラ松くんらしい感じもするよね」
私が笑ったら、カラ松くんはギターを腹部に抱え、右手の中指でサングラスの位置を正す。
「オレは第二のオザキだからな」
何て?
「いや、オザキをリスペクトしていると言った方が正しいか。オザキの生き様を倣って華々しく生き、静かに散る…オレ
二十代半ばでこの世を去ったオザキの散り様は、なかなかセンセーショナルだったと記憶しているが。
「──と、ずっと思ってたんだけどな…最近は早死にはしたくないと思ってる。できるだけ長く生きていたい」
カラ松くんの指がギターの弦を弾く。

「こうやってユーリと過ごす時間の方が、オレにとっては価値があることなんだ」

サングラスに隠れて、表情は読み取れない。私を見ているのか、見ていないのかさえも。
どう解釈すべきか悩んでいたら、カラ松くんはオザキの代表曲をギターで奏で始める。弾き慣れているのだろう、コードの押さえ間違いもない完璧な演奏だ。
「オザキ以外にレパートリーってあるの?」
「いや、ないが…何か聴きたい曲があるのか?」
「バラードとか聴いてみたいな。路上でラブソングの弾き語りしてると、つい足止めちゃうから。素敵だよね」
陳腐でもありきたりなフレーズでも、誰かを一途に想う歌は心惹かれるものがある。
カラ松くんはしばし虚空を見上げた後、サングラスを外してニヒルな笑みを浮かべた。
「オーケー、ユーリ。それくらい朝飯前だぜ。この松野カラ松、喜んでキュートなハニーの願いを叶えよう」




それから数日後の金曜の夜、カラ松くんから携帯に連絡があった。
歌を聴かせる準備ができたからいつでも訪ねてきてほしい、と。たまたま翌日何も予定を入れていなかったので、土曜の午前中に訪問すると告げて、約束通り松野家を訪れる。
玄関の引き戸を開けようと手をかけたところで、トレーニング帰りらしきユニフォーム姿の十四松くんに合う。全身泥だらけで、充実感に溢れている。
「やぁユーリちゃん、今日も遊びに来たの?」
「うん、カラ松くんが新しい曲弾けるようになったって呼ばれたんだ」
そっかぁ、と彼は口を大きく開けて微笑んだ。
「入って入って。カラ松兄さんはたぶん二階だよ。ぼくもお風呂入って着替えたら行くから、一緒に遊ぼう」
そう言って十四松くんは引き戸を勢いよく開け放ち、ただいまーと声を上げる。玄関は静まり返っていて、出迎えもない。
「お邪魔します」
「じゃあまた後でね、ユーリちゃん!」
乱暴に靴を脱いで、風呂場へと走っていく。白い靴下も土や砂で黒く汚れていて、まるで活発な小学生のようだ。かと思えば仮想通貨や株価の値動きに異常な感心を示し、彼の生態は謎に包まれている
私は玄関で靴を揃えて、二階に続く階段を上った。

部屋の襖を開けようとして、僅かに漂う嗅ぎ慣れた匂いがふと鼻孔をくすぐった。
匂いの正体を突き止めるより前に、襖が一センチほど開いているのに気付く。この時、中を覗こうという悪戯心が沸いたのは、本当に偶然だった。身を屈めて息を潜め、部屋の様子を窺う。
視線の先に───カラ松くんはいた。
ガラスが開け放された腰高窓に腰をかけて、煙草をふかしている。物憂げな瞳で虚空をぼんやりと見つめるその先で、紫煙はゆらゆらと空へ舞い上がる。気怠そうに吐く息は白い。
床に置かれた灰皿には、既に二本ほどの吸い殻があった。
そんな顔もするんだと感心していたら、足元の床がミシッと音を立てて軋む。

「誰かいるのか?」
「まずっ…」
私は慌てて立ち上がり、何でもないように表情を取り繕って、襖を開けた。カラ松くんは私の顔を認識するなり、口から煙草を抜いた。
「ユーリ!もう来てたのか?」
「…あー、うん、家の前で十四松くんに会って、入れてもらったの」
「そうか、気付かなくてすまん。…あ、空気悪いよな、ちょっと待っててくれ」
煙が立ち上る煙草を灰皿に押し付けようとするから、私は咄嗟に制する。
「気を使わなくていいよ。煙草、まだ火を付けたばっかりでしょ?」
カラ松くんの指の間から伸びる煙草は長い。
「しかし…」
部屋の臭いと副流煙のことを気にしているのだろう。煙草の煙は、喫煙する当人の主流煙よりも、喫煙者の周囲にいて受動的に煙を吸う副流煙の方が有害と言われている。
カラ松くんは、私といる時は絶対に煙草を吸わない。多くの場合、所持すらしていない。不意に鼻をつく特有の匂いから、カラ松くんが喫煙することは知っているけれど。
「新鮮だから、もうちょっと見ていたいな。
カラ松くんのことは、よく一緒にいるから結構知ってるつもりだったけど、私に見せない顔も多いんだね」
隣に座って、私はにこりと微笑む。
彼は煙草の灰を灰皿に落としながら述懐した。
「レディの前では格好良く見せたいのが男心ってヤツだ」
だとしたら。
「情けないところも全部見たいのが女心かもよ」
男と女の思考は、ときどき相容れない。
「ユーリは…」
カラ松くんは一旦言葉を区切る。

「ユーリは、どっちがいい?」

そんなの決まってる。
「もちろん、色々知りたいよ。でも全部じゃなくていいかな。心を開いていくのに合わせて少しずつ見せる感じ。今日みたいに不意打ちだと、ビックリして面白いもんね」
「フッ、意図せずハニーのハートを射抜いてしまったか…ヴィーナスどころか恋のキューピットさえオレに従属してしまうとは、魅力がオーバーフローしたようだな」
寝言は寝て言おうか。
「──でも」
カラ松くんは真顔になって続ける。

「今後もユーリの前では吸うつもりはないんだ。ユーリにはずっと元気で…そうやって笑顔でいてほしい」

窓枠に置いた片膝に頬を添えて、カラ松くんは目を細めた。どストレートに殺し文句を吐いてくる。無自覚アサシンのお時間です。
「それに、毎日吸ってるわけじゃない。何日かに一度くらいで、金欠の時はしばらく吸わなくても全然いけるし──いつかは、止めようと思ってる」
「へぇ、何でまた」
「そりゃそうだろ。キスする時に口が煙草臭かったら───って、あ、その、これは…まぁ、いつかのそういう時にも備えたい、というか…」
語尾は次第に小さくなり、カラ松くんの顔はみるみる赤く染まっていく。これは聞かなかったことにしてあげるべきか。童貞で彼女いない歴=年齢のピュアボーイだしな、キスにロマンや夢も見るよなと内心で納得して。
「あっ、そう、そうだ!新しい曲を聴かせるんだったな!今準備する!」
短くなった煙草が灰皿に押し付けられる。先端に灯っていた火が消えて、残骸のようにポツンと残った。




カラ松くんが窓際に座り直し、ギターを抱えた。幾度か弦を弾いて音を出した後、前奏の音色が流れ始める。
心地よく耳を通り抜けていくメロディ。知っている曲だ。何年か前に流行って、私自身何度も繰り返し聴いた懐かしい歌。
穏やかな旋律にのって語られるのは、男が女へと宛てた愛の告白。

自分たちの出会いは偶然なのか運命なのか分からないけれど、きっと奇跡だと思うんだ。
昨日よりも君が好きで、明日もきっと今日よりも好きになる。いつもありがとう、好きだよ、愛してる、どんな言葉でも想いは伝えきれない。
一生側にいてほしい君へ、永遠を誓おう。二人を分かつ最後の一瞬が訪れるその時まで。
君がいるから、この世界は美しい。

そんな内容の歌だ。
ありきたりな表現と言われればそれまでだが、誰にでもあてはまるからこそ多くの共感を呼び、誰もが一心に耳を傾けた。ある者は愛する誰かを想い、ある者はまだ知らぬ深い感情への憧れを抱いた。
演奏を終え、カラ松くんの指がギターの弦から離れる。何と言葉にしていいか分からないまま、私は惜しみない拍手を贈った。
「ありがとう!自分でリクエストしておいて何だけど、想像以上!歌も演奏も最高、本当にすごいね。
カラ松くんは元々声質もいいし、コピーバンドやったら絶対売れるよ、金の匂いがする!
「有名になるのがいいが、ガイアのカラ松ガールズどころか天界のヴィーナスたちさえも、オレの歌声に酔いしれてしまうのは困るな。世界戦争が勃発するじゃないか
レディたちの愛に応えようにも、この身は生憎一つしかないし、十四松のように分身はできない
本人は何気ない発言のつもりだが、十四松くんが分身できることに驚きを隠せない。忍者の末裔か何かか。

「…オレの歌は、ユーリだけが聴いてくれればいい」

ぶっ込んできたよ、この人。
「ハニーのために選んで練習した曲だしな」
私明日熱出してぶっ倒れるんじゃなかろうか。
「これも耳コピでしょ?
すごいなぁ…ギターのこと詳しくないけど、もっと時間かかると思ってたよ」
「フッ、この松野カラ松にかかれば造作もないことだ」
得意げに悦に入るカラ松くん。やはり才能かと目を瞠っていたら、突然障子が開いて一松くんが姿を現した。会話に意識が向いていて、階段を上る足音にまるで気付かなかった。
「──嘘つけよクソ松、寝る間も惜しんで練習しまくってたくせに。
おかげでこっちは歌詞完全に覚えるわ、暇な時うっかり鼻歌で出るわ、今ならカラオケで十八番と胸張れるレベルだ。どうしてくれる
チッと大きく舌打ちして、それから私にぺこりと頭を下げる。
「いらっしゃい、ユーリちゃん。あ、この前のロールケーキ最高に美味かった。後で店の場所教えて」
「ほんと?気に入ってもらえて良かった。
遠くないし、カフェも併設してるから、何なら今度一緒に行こう。あそこね、他のケーキも美味しいんだよ」
定番品で、黒猫の顔を模したチョコレートケーキもあるのだ。一松くんはきっと驚いて、そして喜ぶだろう。猫を前にすると途端に瞳を輝かせる彼は可愛い。
「ハニー、オレの目の前でブラザーとデートの約束するのは止めてくれないか」
ずいっとカラ松くんが私と一松くんの間に体を割り込ませる。その眉間には、不機嫌ですと言わんばかりの皺が寄っていた。
「デートじゃねぇよ」
「デートじゃない」
しかし一松くんからは踵落としを、私からは肘鉄を食らい、カラ松くんは無残にも畳に沈む。私は長い溜息をついて吐き捨てる。
「男女で出掛けたらすぐデートって思うの、モテない童貞の思考だから」
「あ、でもユーリちゃん…カラ松のこれはむしろ嫉妬──」
「ブラザー!おおマイブラザー!黙ってくれないかブラザー!」
一松くんが言い終わらないうちに、彼の肩をがくがくと揺さぶりながらカラ松くんが大声で被せてくる。その目は血走っていて、余裕のなさが窺えた。
彼の表情で内容は何となく察したが、聞こえなかった素振りをしておこう。

「で、でもまぁ、曲を選ぶのは楽しかったぞ。
普段オザキばかりで、歌詞に自分の気持ちをのせて歌うことはしないんだが…たまには悪くないな」
カラ松、おいこら推しお前。突拍子もなくビックリ発言を日常会話に織りまぜて発するのは止めていただけないか。ほらもう一松くんに至っては気まずさ爆発寸前で私から視線を逸している。下手にツッコめば面倒なことになる、私も一松くんと同様に「お、おう」程度で流すことにした。
「ん?どうした、ユーリ?」
無自覚アサシンどころか、無差別無意識ヒットマンでしたか」
「人聞きが悪すぎる異名!」
何もしてないだろうと困惑の表情を浮かべるカラ松くん。あなたの天然砲で絶命の危機に陥る人もいることを忘れないでほしい。

仕切り直して、私はカラ松くんに向き直る。
「じゃあカラ松くん、もう一回アンコールお願いします」
おれはもう耳タコだからいいやと、一松くんは下唇を尖らせて部屋を出ていく。丸まった紫色の背中を二人で見送って、足音が聞こえなくなってようやくカラ松くんはギターを抱え直した。
「ユーリのお望みとあらば、この声が枯れるまで何十回でもアンコールに応えよう──行くぜ」
穏やかな旋律に彼の声が重なる。
空は青く晴れ渡り、開けた窓から通り抜ける爽やかな微風。明るく眩しい世界は、美しいメロディをどこまでも運んでいった。




汗ばむ陽気に誘われて、灰色のアスファルトを軽やかに駆ける。
道中で買った、六人分のカラフルなアイスキャンディー。自宅から持ってきた大きめの保冷剤に挟んだとはいえ、溶けてしまわないかと一抹の不安を抱えながら。
松野家まであと数メートルのところで、塀の前に設置されている木製のベンチで猫を撫でる四男が視界に入った。彼の膝の上で、恍惚の表情をしながらされるがままな三毛猫がたまらなく愛らしい。
「一松くん発見伝」
猫を驚かせないよう控えめに声をかければ、一松くんは僅かに唇で笑みを作って私を出迎える。
「あ、ユーリちゃん。最近毎週来るね」
「カラ松くんがお財布に百円しかないって言うからさ。今日はアイス買ってきたよ、おやつに食べよう」
小学生の財布事情かよとのツッコミは無意味である。おれも所持金それくらいかなぁと同意するニートが目の前にいるからだ。
どこからともなくギターの音色が聞こえてきて、私は顔を上げた。二階の、六つ子たちの窓は閉まっている。一松くんは私の視線の先を目で追って、静かに答えた。
「…ああ、カラ松だよ。たまに縁側の方の屋根で練習してる」
「そ。じゃあ二階上がらせてもらうね。アイス、冷凍庫入れておいてもらえる?」
「分かった…いつもありがと」
一松くんにアイスと保冷剤の入ったクーラーバッグを押し付けて、私は極力音を立てずに二階へと上がる。足を忍ばせて、まるで泥棒だ。幸いにも、家の中では他の兄弟に出会わずに彼らの部屋に辿り着くことに成功した。

窓を少し開けて、ベランダに人がいないことを確認する。一松くんの言う通り、屋根に登っているのだろうか。ギターの音はその先から聞こえてくる。
ベランダに出ると、私に背中を向ける格好でギターを抱くカラ松くんが目に入った。不意に見えた横顔は目を閉じていて、楽器が奏でる旋律だけに意識を傾けている。歌う姿は心底楽しそうだ。自然と笑みが溢れる。
ウォーミングアップの練習を終えた後の曲の伴奏には、聞き覚えがあった。

「六つ子に生まれたよ」
十四松くんの合いの手は入らない。屋根の上にいるのはカラ松くんだけのようだ。
「六倍じゃなくて」

「六分の一」

手すりに頬杖をつきながら歌った私の声が、カラ松くんに届く。彼はハッと振り返って驚きの表情を作ったが、私がへらっと笑って応じると、これ以上ないくらいに嬉しそうに目を細めた後、私の方へ向き直って続きを奏でる。
「六つ子に生まれたよ」
「ウィー」
「育ての苦労は」
「考えたくない」
「六つ子に生まれたよ~」
「ポーン」

私は目を閉じて、十四松くん担当の合いの手を紡ぐ。
くだらない歌と一笑に付すのは簡単で。けれど、癖になるテンポと、カラ松くんと十四松くんの掛け合いのような仲睦まじい姿は、いつまでも記憶に残って離れない。いい歌だ、とても。


弦から指を離して、カラ松くんが私を見る。
それから声を上げて笑うから、私は満足気に口の筋肉を緩めた。
カラ松くんがいて、六つ子たちがいて、あっという間に過ぎる時間。こういう何てことのない穏やかな日々さえ楽しいと思えるのは、実はとても贅沢なのではないか。頬を撫でるそよ風に秋の気配を感じながら、私はそんなことを思うのだった。