※えいがのおそ松さんに関するネタバレがあります。ご注意ください。
あの時ああしていれば、と誰しも一度は思いを馳せた経験があるだろう。
選ばなかった選択肢の先にある未来を身勝手なほどに美しく飾り立て、手に入れ損ねた栄光を遅ればせながら渇望する。
こんなはずじゃなかったという現状への不満か、己の意思で進んだ道への後悔か、それとも、より輝かしい未来があったはずと思い込んだ安い夢物語か。
二度と戻れないと知っているからこそ、その後悔は時としていつまでも心の奥底で燻り続ける。
一瞬、気を失っていたような気がする。
私の目の前には、ちゃぶ台の上で頬杖をつくカラ松くん。
「あ、えっと…何の話してたんだっけ?」
松野家の居間である。
休日、いつものように手土産を持参して、客間も兼ねている居間の円卓で菓子をつまみながら、カラ松くんと他愛ない話をしていた。
話題が途切れ、テーブルの上のスナック菓子に気なく手を伸ばした──はずだった。
「話…?いや、すまんユーリ、ええと…」
カラ松くんもまた思案顔で、顎に指を当てる。
円卓の上には、何も置かれていなかった。中央向けて伸ばした私の右手は、何かを掴むポーズのまま虚しく宙に浮いている。何これ恥ずかしい。
「なぁ…この部屋、おかしくないか?」
カラ松くんが険しい表情で立ち上がる。おかしいのは私の挙動ではと言いかけて思い留まる。視界に映る光景への違和感は、同じように感じていたからだ。
壁の鴨居に飾られた賞状の数と位置から始まり、壁掛けカレンダーのデザイン、襖の模様に微妙な相違がある。つい先程まで、見慣れた光景が広がっていたはずだったのに。
「ハニー、外へ出よう」
一見穏やかな誘いだったが、有無を言わさない強制力があった。
傍らに置いていたショルダーバッグを肩に掛け、音を立てないように忍び足で家を出る。音を立てて、万一にも誰かに見つかってはいけない、そんな気がした。
「カレンダーの日付が、高校三年の頃のものだった」
松野家から遠ざかる道中で、カラ松くんがぽつりと呟いた。すれ違う他人と顔を合わさぬよう、視線を落とし気味にして私たちは歩く。
「あのカレンダーには見覚えがある。
それに部屋の様子は、オレたちが高校の頃にそっくりだ…」
「そんなまさか──」
何の冗談だと言いかけて、不意に視界に入った空き地に言葉を失う。
『あるはずのもの』が、そこにはなかった。
松野家に通う道すがら、数ヶ月かけて少しずつ建設される様子を見守ってきた一軒家が、そこにあるはずだった───いや、あったのだ、つい今朝までは。
白い外壁と青い屋根、南向きの広いベランダ、外観だって鮮明に思い出せる。
「ユーリ、デカパンに会おう」
カラ松くんが意を決したように言う。
「困った時のデカパンだ」
便利屋みたいに言うやん。
しかし、確かに何らかの手立てを講じてくれそうな存在ではある。私とカラ松くんは踵を返して、デカパン博士が当時居住を構えていた場所へと向かう。
───と、その時。
「その必要はないザンス」
カツンと、杖の先端がアスファルトを叩く音が響く。
年季の入った木製のステッキを軽やかに回転させて、イヤミさんが私たちの前に立ちはだかった。
「イヤミさん!」
「イヤミ、それはどういう意味だ?」
カラ松くんは左手を斜め後ろに伸ばしながら、私の前に立つ。スパダリ降臨の瞬間である。アザス!
「ミーはこの世界でチミたちを導く案内人ザンス。ここがどこなのか、なぜチミたちがここにいるのか、知りたいんザンショ?」
イヤミさんを信じられる根拠はどこにもない。過去の悪事を鑑みれば、信用に値しないどころか、まず疑ってかかるべき危険な存在だ。
しかし、私たちが欲しい答えを所持していると彼は言う。
「話を聞いてみようよ、カラ松くん」
「ユーリ…」
「だって本人がこう言うんだよ、手がかりくらいにはなるかもしれない。それに、デカパン博士には後からでも会えるよ」
出口の見えない迷宮で下手に足掻くよりは、解決の糸口になりそうな材料は少しでも多く得ておく方が得策だ。
「賢い選択ザンス」
イヤミさんはいつになく白い出っ歯を輝かせて、不敵に微笑んだ。不承不承といった体でカラ松くんが腕を組む。
彼の背中に隠れるようにしていた私が、後ろ手にした自分の手の甲を思いきり摘み上げると───鈍い痛みが走った。
一軒家が建っていたはずの空き地へと手招きで誘導される。
「ここはチミたちどちらか、あるいは両方の『この時代に向けた強い願望』が反映された世界ザンス」
イヤミさんは背筋を正して告げた内容は、あまりに抽象的で、ピンとこない。
口を半開きにして呆気に取られていると、彼は続けた。
「夢または思い出の世界、そう表現した方が分かりやすいザンスね」
夢、その仮説には異議を唱えたい。先程私が感じた痛覚はどう説明するのか。
「人は、かつて進まなかった道の果てに、今より良い未来があったのではと夢見る哀れな生き物ザンス。
過去に戻ることも、選ばなかった道の先を見ることもできないと知りながら、あの時ああしていればと悔やむ。その強い後悔や願望が、この世界を作り上げた」
選択肢によっては、回避できた不幸もあったのではないか。そんな思考に至ったことはもちろんある。回数だって、一度や二度ではない。
「あまり長居はしない方がいいザンス。この世界の物や人に触れるのも、極力控えてチョーよ」
「それは、黄泉戸喫かな?」
「よもつへぐい?」
カラ松くんが首を傾げる。
「黄泉の国の食べ物を食べてしまうと、この世には戻れなくなるってこと」
度を越した干渉をすれば、この世界に取り込まれて元の世界への帰還は絶望的ということか。俄然、緊張感が高まる。
「もし仮にオレたちどちらかが作り上げた世界だとしたら、オレたちはどうしたらいい?どうやったら戻れるんだ?」
「いつか目覚めるかもしれないし、願望を叶えれば戻れるかもしれないザンス」
掴みどころのない曖昧な回答。クエストクリアへの明確な一本道が用意されていると期待しただけに、拍子抜けだ。
私の表情から落胆の色を感じ取ったらしいイヤミさんは、くく、と小さく笑う。
「そんなに簡単にミーを信じていいんザンスか?」
「何を──」
「ミーの言うことが真実かどうかなんて、保証はどこにもないザンスよ」
私とカラ松くんはどちらともなく顔を見合わせる。
「でもイヤミ、お前は──」
私たちが再びイヤミさんへと顔を向けると───そこにはもう、彼の姿はなかった。
だだっ広く、身を潜める場所など皆無な平地である。私たちが目を逸していたのも、数秒という僅かな時間。
そして極めつけに、アスファルトの歩道から空き地に続く地面に残された足跡は、二人分。ぞわりと、背筋に冷たいものが走った。
「と、とにかく情報を整理しよう、ユーリ」
「整理も何も…有益な解決策は何一つなかったよ」
「とっ散らかした上に丸投げだったな」
カラ松くんの瞳が絶望に濁る。
「イヤミーっ、帰ってこい!ギブミーヒント!」
「せめてフラグ立てるか回収可能な伏線置いてけ!深いこと言ったようで全体的にフワフワさせただけとか、案内人名乗るな!導かれるどころか、がっつり迷子だわ!」
何しに来たんだ、あの出っ歯。
顔を上げて世界と向き合ってようやく、非日常的な異世界感を突きつけられる。
建築物や生き物といった、この世界に存在する全ての物質は、所々で歪な形を成していた。欠損、歪み、他物質との結合。澄み切った青い空には電柱や家電といった粗大ゴミが、重力を無視してゆらゆらと浮遊している。
ひと目で現実世界でないと判別できる、異様な光景だ。
「オレかユーリか、どちらかが作り上げた可能性もあるんだよな」
あてもなく歩きながら、カラ松くんが溢す。
「もしオレの夢だとしたら、オレの目の前にいるユーリは、オレの記憶から作られた架空の存在ということになるのか?」
私とカラ松くんの存在から疑問視する。全ての根底を揺るがす問いかけだ。
「その可能性もあるね。もちろん、逆も」
ということは。
「私の夢なら際どいセクハラしまくりたいんだけど、万一夢じゃなくて思い出の世界だったら、元の世界に戻った時に気まずさマックスだよね。悩むなぁ」
「悩むな!」
カラ松くんは両手を胸の前に交差してガードの構え。女子か。
私たちとすれ違う他人は、一見何の変哲もない人間そのものだ。ときどきのっぺらぼうだったり、パーツの一部が欠損していたりと怪奇ではあるけれど。
不思議なのは、その中でいわゆる一軍と呼ばれるスタイルのいい美女に限っては後光が指していることだ。モブが多い中で美人の存在感が半端ない。
「これ間違いなくカラ松くんの世界」
「き、決めつけないでくれ、ハニー!」
「だってそうでしょ」
「オレじゃない!だって見てみろ、オレはこんな難しい字は今も読めないぞ!」
本屋のショーウィンドウに貼られたポスターの新刊名を指して彼は言う。
書かれていたタイトルは『魑魅魍魎が跋扈する』。一般的にも難読の部類だが、二十歳すぎのいい大人が読めないことに胸を張るな。
「ということは、私たち二人共通の夢?思い出の世界?そういう可能性もあるのかな…」
「何とも言えないな、まだ情報が少ない」
カラ松くんは下唇を尖らせて唸った。
デカパン博士に会いに行って事情を説明するかとも考えたが、イヤミさんの語りを信用するなら、他人との必要以上の接触は危険だ。博士も例外ではない。
「───あ」
不意に、カラ松くんが声を上げた。
前方から向かってくるブレザー姿の女子高生たち。その中に一際輝く、見慣れた姿を発見する。
トト子ちゃんだ。
栗色の長い髪をしなやかな指先で掻き上げ、周りを囲む友人に向けて明るい微笑を浮かべている。邪気や自己顕示欲の欠片もない、慈愛に満ちた笑顔。
「トト子じゃなかった。ドッペルゲンガーかな?」
世界には自分に似た人物が二人はいるという。
「気持ちは分かるが、あれはトト子ちゃん本人だぞハニー」
マジでか、闇が深い。
「こっちに来るぞ。隠れるんだ、ユーリ」
カラ松くんは彼女に顔が知られている。咄嗟に電信柱の影に身を潜めて、彼女たちが通り過ぎるのを待った。
「トト子は進路どうする?やっぱ都内の女子大受験するつもり?」
「うーん、どうしようかな。今年で卒業って実感沸かなくて、実はあんまり絞れてないの」
友人からの問いかけに、悩ましげに頬に手を添えて溜息をつくTHEヒロイン。
トト子ちゃんとその友人たちは、模試の結果や残りの高校生活をいかに有意義に過ごすかに話題を転換しながら去っていく。その後ろ姿は次第に小さくなり、やがて笑い声も聞こえなくなった。
電信柱から離れて、私たちは再びあてもなく歩き出す。知り合いと接触しては不都合が多いため、二人揃ってカラ松くんのサングラスを装着。簡易的な変装だが、一定の効果は見込めるだろう。
「今年卒業だって」
「やっぱりそうか。ということは高校三年の時期で間違いないな」
カラ松くんが見たカレンダーの日付とも符合する。
「高校三年…よりによって、何でこの年なんだ」
表情が強ばった。
何かあったのかと、事情を尋ねるのは誰にだってできる。しかし不用意に口にした疑問に回答を得られたとして、何らかの責任を持つことができるかと問われれば、答えは否だ。聞こえなかったフリをして、私はカラ松くんの出方を窺う。
「──オレたち、さ」
困ったような表情で眉間に皺を寄せ、彼は切り出した。
「うん」
「この頃…すごく仲が悪かったんだ。
周りが大人に近づいたせいか、六人いつも一緒なのをからかわれたり、人格を勝手に区別されたりし始めた。卒業後の進路だって、全員同じというわけにはいかない。
変わらなきゃいけないことに嫌気が差して、向き合うこともしないまま、少しずつ話さなくなって…正直、高校の頃のことはよく覚えてないんだ」
苦笑交じりに述懐される、かつての松野家を覆った暗い過去。
何だ、と私は思う。そんなことか、と。
「そういう時期ってあるよね。
特にカラ松くんたちは生まれた時からずーっと一緒なんだもん、仲悪い時期もあって当然。でも思い出したら恥ずかしくなるんだよね、何でそんなことしてたんだろう、馬鹿だなぁって。
いわゆる黒歴史ってヤツ。私にもあるよ」
教えてあげないけど、と付け加えて一笑に付せば、カラ松くんは僅かに瞠った双眸を緩く細めた。
内的要因外的要因どちらにも影響されやすく、自分の信念こそが絶対と盲信する多感な時期。精神的にも未熟な成長過程で、誰もが通る道だ。他人が聞けばそれこそ笑い話だが、当人にとってはいつまでも目を背けたい古の記憶。
多大な後悔と僅かな懐古の念がごちゃ混ぜになった記録を、私たちは親しみを込めて黒歴史と呼ぶ。
「ユーリがそう言うと、大したことじゃない気がするから不思議だ」
「でも当事者にとっては一大事なんだよね」
うん、とカラ松くんは一呼吸置いて。
「それでも───オレは救われる」
抑揚のない声で、独白のように想いは小さく紡がれた。
やがて目に飛び込んでくる、赤塚高校のブレザー。
すわカラ松くんの知り合いかと手を庇代わりにして見やれば、顔を確認する前にカラ松くんに首根っこを掴まれて建物の影へと引き込まれた。
「な、何!?」
「ハニー、静かにっ」
地面に膝をついたカラ松くんは手を伸ばして、私の口を塞ぐ。
「───あれはオレだ」
何だと?
「高校三年のカラ松くん…?制服姿、の…?」
尋常じゃない威力を持つパワーワード。
記憶に刻むまでは死ねないと意気込んで手を振り払い、建物の影から顔を覗かせる。視線の先からやって来るのは、俯き気味に背を丸め、不安げに眉尻を下げた内向的な少年だった。
誰あれ。
頬にできたニキビが思春期の若さを彷彿とさせる。
「え…えっ?──ええぇぇえッ!?」
ブレザーの少年とサングラス姿のカラ松くんを交互に何度も見比べて、私は驚きの声を上げた。
「ちょっ、ハニー!気付かれるぞ!」
「何が起こったら内気な少年がポジティブナルシストにクラスチェンジするの」
真逆すぎる。生命の神秘。
それにしても、まるで覇気のない風体だ。足の運びは重く、歩を進めるのさえ億劫と言わんばかりである。
自宅へ帰る途中かと、彼が向かう先へと何気なく目を向けたその先で、私は思いがけない人物を目撃する。
「あれは…」
私よりも先に、カラ松くんが驚きの声を発する。
有栖川ユーリ───数年若い私自身が、反対側からやって来たのだ。
何年も前に着ていた記憶のある服装と、少しだけ幼い顔立ち。ショルダーバッグの紐に片手を添えて、真っ直ぐに前を向いている。風で靡く髪を指先で抑えながら、背筋を正した軽やかな足取りが、カラ松くんとは対照的だった。
視線を地面に落とすカラ松くんと、前だけを見据える私が、数メートルという距離を保ったまますれ違う。視線は一瞬も絡まない。相手の存在を認知さえしないまま、互いの背中が通り過ぎていく。
「過去の自分を見るって変な気分…ドッペルゲンガーに会うって、こんな気持ちなのかな」
自分の姿は、鏡や写真といった媒体を介して知覚する。人物として対象を目にするのは、居心地が悪いような、おかしな感覚だった。
「それに、この頃の私たちは他人なんだよね。生活圏が少し被ってたとはいえ、すれ違ったらまぁこうなるのが自然か」
実際見ると不思議だねと笑って相槌を求めても、カラ松くんは去っていく昔の私の背中を無言で見つめたままだ。
──どこか、思いつめたように。
「お待たせー!」
若い私がきらきらした眼差しで手を振った。
それに呼応するように数メートル先でにこりと微笑む爽やかな青年。彼の隣に並んだ私は、差し出された左腕に手を絡めて寄り添う。
「やべぇ」
思わず声に出していた。
この時期に付き合っていた彼氏がいたのを、思い出したのだ。
こまめに連絡を取って、精一杯のおしゃれをして、彼しか見えなくて。すぐに別れてしまったし、今はもうきっかけがなければ思い出せないけれど。
「何この地獄…過去の自分の乙女っぷりを否応なしに直視させられる拷問キッツイ…」
確かにそういう時期もあったし、嫌な過去でもないが、廃れて久しい初心な乙女心を自分の姿で再現されると心臓が痛い。服も化粧も気合い入れちゃってまぁ。
「彼氏が、いたんだな…ユーリ」
ぽつりと溢された言葉は、私から視線を外したまま。ひゅ、と空気が冷える。
「短い期間だったけどね」
「そうか」
「…うん」
何だこの気まずさ。
「───自分の目で見るのは、想像してたよりキツイな」
壁に背を預けて、カラ松くんは自分の額に手を当てる。口からは重苦しい溜息が漏れた。
「過去の話だよ。私だって今思い出したくらいだし」
「分かってる。分かってるんだが…すまん、自分でもどういう感情なのか説明できない」
カラ松くんの苦悩をよそに、仲睦まじい男女は商店街へと消えていく。
高校生のカラ松くんはというと、閑静な住宅街の中にある、遊具の少ない小ぢんまりとした公園のベンチで、A4サイズの冊子を読み込んでいた。台本のようにも見える。
「でも、分かったことがある」
忌々しく吐き出すかのような口調だった。
「ここは、オレが望んでた世界なんだと思う」
突然口にされたその言葉を、咀嚼して飲み込むのに時間がかかった。
今にも泣き出しそうな顔で、カラ松くんは私を見やる。
「もしも、と夢を見てた世界だ」
それは。
「もしかしたら、とずっと思ってた」
世界から、一切の音が消える。人の会話や車のエンジン音、工事音、複数の音色が奏でる騒がしい演奏がぴたりと止んで、カラ松くんの声だけが広がった。
「オレとユーリは、もっと以前に会ったことがあるんじゃないか──って」
平行線の二つの運命が、交わる時。
「ユーリは覚えてるか?
いつだったか、オレたちの家近辺の土地勘があるって言ってたこと」
とんと記憶にない。ただ彼の言うことは事実だから、私自身がそう語ったのだろう。
「年も住む地域も出身校も違う。でもさっきもハニーが言ってたように、生活圏が重なっていたなら、オレたちが覚えてないだけで、ドラマみたいなことが実はあったんじゃないか。
それを確認できたらいいのにって、ずっと思ってた」
だからこれはオレの願望の世界なんだ、と彼は紡ぐ。
「カラ松くん…」
「でも、そうだよな…もし本当にたまたますれ違っていて、それが今見たようにこの時期のこの瞬間だったとしたら、こういう結果になって当たり前だ」
何で考えもしなかったんだろうな、と彼は忌々しげに自嘲する。
視線が絡むことはおろか、個体として認識さえしないまま、通り過ぎる赤の他人。一人は他人と会話をするのさえ躊躇する内向的な性格で、もう一人は特定の恋人がいて他の異性が眼中にない状況。
私はにこりと微笑んで、カラ松くんの肩に優しく触れた。
「ユーリ…」
「ドリーマーが過ぎる、帰れ」
「辛辣」
待て待て、とカラ松くん。
「ツンデレのツンが過ぎるぜハニー。
ここは感傷にふけるオレをフォローして、仲を深めた暁に熱いハグがあって然るべきなんじゃないのか?
さては照れてるんだな。ビンゴ~?」
「控えめに言って、童貞こじらせクソロマンチスト」
「控えめの意味知ってるか、ハニー?」
存じ上げません。