思えば、その日は最初から様子がおかしかった。
目が合った瞬間から感じていた違和感は、小さな雫が滴り落ちるようにぽつりぽつりと胸に広がって、乾く間もなくいつしか大きな塊になった。
「ユーリ…何か、その…」
「いや、お互いわざとじゃないから…」
待ち合わせ場所で互いの存在を確認した私たちは、そこはかとなく漂う居心地の悪さに目を逸しながら、言い訳がましい言葉を紡ぐ。行き交う人々の視線が刺さる気がして、居たたまれない。なぜなら──
私とカラ松くんの服装が、意図せず完全にペアルックだったからだ。
メーカーやロゴこそ異なるものの白いトレーナーに、細身の黒いデニム、足元にはスニーカー。ありふれた定番の組み合わせだが、まさか被るとは思ってもみなかった。
「私とカラ松くん、どう見てもカップルだよね」
「か、カップル…」
「被らないように、可愛い服で来るべきだったかな」
「その必要はないだろ?ボーイッシュな服もハニーにすごく似合ってるのに」
私が唸って思案すれば、間髪入れずにカラ松くんが真顔で否定する。それから、あーだの、えーとだのといった声を漏らすので、私は黙って彼を見る。私の視線を察してか、カラ松くんは意を決して口を開いた。
「なぁユーリ、もし良ければ、その…後で記念に写真を撮らないか?」
記念。その言葉に私の頬が緩む。
「いいね。ゲーセンでプリクラでも撮る?」
「プリクラはゴリゴリに盛ってくるから無理」
バッサリ切りおる。
「何ていうか、今のこの自然な感じの写真がいいんだ。オレとユーリ、二人の」
「なら、後でスマホで撮ろうか。ペアルック記念だね」
私は笑う。当初こそ多少の気恥ずかしさを感じていたものの、推しに寄せるスタイルも悪くねぇなと思い始める自分がいる。これが開き直りというヤツか。
この時も、カラ松くんはどこかぎこちなかった。喉に小骨が引っかかるようにどうも釈然としなかったが、憚らずもお揃いコーデになったことに戸惑っているのかと思った──否、思い込もうとしていた。
それでも、まだ平穏だったのだ。
様子がおかしいと明確に感じたのは、それからすぐ後だった。
ちらちらと私を見やるくせに、私が顔を向ければ即座にそっぽを向く。たまに目が合うと、慌てて目を逸らす。今までも、ときどきじっと見つめられることはあるけれど、今日は頻度が高い。
何か言いたいことがあるのかと問いかけても、返ってくる答えはノーだ。かと思えば、私の話を右から左へ流してしまうほど上の空だったりもして、わけが分からない。
「これ、このレーザーポインタっぽいのが照準ってことだよね?あとは引き金を引けばいいの?」
ゲームセンター特有の騒々しい環境音の中、私は声のボリュームを上げてカラ松くんに尋ねた。
これから挑むのは、銃でゾンビを倒すホラー系シューティングゲームである。手のひらよりも一回り大きいプラスチック製の銃を利き手で構え、画面に向けてみる。
「ああ。様になってるじゃないかユーリ、いいガンマンになれそうだ」
そう言うカラ松くんは、私に説明しながらも画面に向けてトリガーを絞る。
「オレの華麗なガンさばきに見惚れて、手元が疎かになるんじゃないぜ、ハニー!」
くるくると指先で華麗に銃を回転させて、カラ松くんがポーズを決める。
そして物陰や地面の中から際限なく這い出るゾンビに的確に照準を合わせ、ほぼ一撃で葬っていく。残機を示すハートは、ゲーム開始当初から一つも減っていない。
軽やかに銃を扱う推し、最高すぎない?
今日も新規絵が次々更新されていくから、これじゃあ写真集何個作っても足りないわデータフォルダもパンパンだわ、ごちそうさまです美味しいです。
「残弾は画面端で確認できるから、ゼロになる前に画面外を撃って充填すればいい──こういう風に」
カラ松くんが画面を見つめたまま画面の外に銃口を向けた。私は目頭を押さえる。
「これが尊すぎてしんどいって感情か…」
「え?何か言ったか、ユーリ?」
「ううん、何でもない。分かった、とにかく撃ちまくればいいってことだね」
言いながら顔を上げたら、カラ松くんと目が合った。
「あ、ああ…フォローはするから、試しに協力プレイでやってみるか?」
さっと視線が外れる。ゲームのプレイ中なので当然の行為なのかもしれないが、どうにも心がざわついた。
カラ松くんが最初のステージボスを倒し、ストーリーが進行しているところにすかさずコインを投入し、2Pとして参加する。
意気揚々と銃を握り、新ステージ開始当初までは良かった。だが、画面のあちらこちらから無尽蔵に湧き出る敵を、すぐに撃退しきれなくなる。スマートな射撃からは程遠い、手当り次第の乱射になって、弾がなくなっているのも気付かずにトリガーを引いている。口からは、わ、わ、と情けない声が漏れた。
あっという間にライフが尽きて、コンティニューの文字が画面右側に浮かぶ。私はがっくりと肩を落として、自分の銃を差込口に戻した。まぁいい、推しの勇姿を見れるだけで十分だと気持ちを切り替えようとした、その時。
「ハニー」
優しげな囁きと共に、カラ松くんの右手が私の肩に触れた。
「へ?」
「もっと脇を締めて。いきなり全部倒そうとしなくていい、一匹ずつ確実に倒していくんだ」
そう言いながらカラ松くんの銃が手渡される。近い近い。自然に肩を抱き寄せるなんて高等テクニック、どこで覚えてきたんだ。
カラ松くんの両手がしっかりと私の肩を掴んで、けれど顔は真っ直ぐに画面を見ている。
「ユーリ、肩の力は抜いた方がいい」
「わ、分かった」
突然銃を渡された驚きだけで強張っているわけではないのだが、とりあえず頷いて、大きく深呼吸する。正面に敵を見据え、接近してきた順に撃つことだけに意識を集中させる。
「うん、いいぞ、上手いじゃないかハニー」
耳元で囁かれるウィスパーボイスヤバイ。
襲いかかりたくなる衝動を堪えるのに必死で心が乱れるが、いつしか画面からザコ敵が消えて、舞台はボス戦へと移行する。私の肩を抱くカラ松くんの手に力がこもった。期待には答えねばならぬと銃を構え直し、カラ松くんの指示通りに弱点を狙い撃つ。
「…やっ、た?」
銃のリロードを終えて構え直した時、ひと目見て強敵と分かる風貌が崩れ落ち、画面から消滅した。ステージクリアの文字が浮かび上がる。
「わぁ、やった!ボス倒したよカラ松くんっ」
「グッジョブだ、ユーリ。さすがは───て、あっ、これは…違っ」
満面の笑みが間近だったのも束の間、密着した距離感に気付いたカラ松くんが慌てて私から手を離す。ここでも、小さな違和感が一粒転がった。
どこが、と聞かれれば返答に窮する。でも、違うものは違うのだ。いつもの純粋な恥じらいだけではない、拒否にも近いマイナスの感情が垣間見えた。
ひとしきりゲームを楽しんだ後、私たちはゲームセンターからほど近いカフェのテラス席に腰を下ろす。
「うーん、遊んだ遊んだ。楽しかったね」
イスに座るなり、私は両手を頭上に向けて伸びをする。
「ああ、シューティングのコツも掴んだみたいだしな。次はユーリ一人でも、セカンドステージまでは行けるんじゃないか?」
ジュースが注がれたグラスを載せたトレイを、カラ松くんがテーブルに置く。
「いやぁ、でも私はやっぱり見てる方がいいかも。カラ松くんが銃握ってるの、ずっと見てたかったぐらいだよ」
「えッ!?…あ、その…ええと、何だ…」
「どうかした?
ずっと気になってたんだけど、今日のカラ松くん何か変だよ。体調悪い?」
いつもならすぐさま切り替えて、常日頃から危険な香りを漂わせるオレに銃が合うのは当たり前じゃないか、無闇に近づいたら火傷するぜベイビーなんて洋画の吹き替えさながらに気障な台詞を垂れ流してくるところだ。
しかしカラ松くんはただ首を横に振るだけだった。
「…悪くない。いつも通りだ」
微かな、不自然な間があった。
「何か悩み事があるとか?」
「ない。ハニーが心配するようなことは何もないぞ」
カラ松くんの顔には困ったような笑みが浮かぶ。
「そう?なら、いいんだけど」
納得したわけではないが、本人が言及したがらないことを追及するのは気が引ける。モヤモヤした気持ちを抱えながらも、私はトレイの上のグラスに手を伸ばした。
「…あ」
どちらともなく発した声。
同じタイミングでグラスを取ろうとしたカラ松くんの手に、私の指先が触れた。
「…ッ!」
がたんと大きな音を立てて椅子から立ち上がったのは、カラ松くんだった。まるで想定していなかった拒絶に、私はしばし呆然とする。倒れたグラスから溢れた液体がテーブルの縁を伝い、私の膝を濡らしたと気付くのは、少し経ってからだった。
「カラ松くん…?」
戸惑う私の声に、彼はハッとする。
「あっ…す、すまんっ、ユーリ!」
「ううん、大丈夫。濡れたの少しだけだから」
バッグから取り出したタオルハンカチで膝の水滴を拭いながら、私は微笑んだつもりだったのだけれど、上手く笑えていただろうか。自分では、よく分からなかった。
「し、しかし、ベタつくだろう?
このままというわけにはいかないし、かといってこれでハニーと解散するのも嫌だし、ええとどうしたら…」
「そうなの?」
「え?」
互いに目を瞠る。
「解散の案はなし?」
そう訊けば、言っている意味が理解できないとばかりに複雑な顔をされる。
「当たり前だ、ハニーに会うのは一週間ぶりなんだぞ。…待ってくれ、ひょっとして…ハニー、怒ってるのか?」
「怒ってはないけど…」
戸惑っては、いる。
接触に対して明確な拒絶の意思を示されたにも関わらず、別れるのは嫌だと言う。許容と拒絶が忙しなく繰り返される中で、カラ松くんの本心が見えない。今だって、私のことを案じながらも、極力目を逸らそうとするのに。
「それなら、予定変更して私の家でDVDでも観る?」
カフェからの徒歩圏内に、私が一人暮らしをするマンションがあるのは幸いだった。
黒いパンツだから乾けば目立たないが、糖分がベタついて歩くたびに不快なのが正直なところだ。カラ松くんは私の部屋にもすっかり慣れたようで、私が脱衣所で着替えている間、定位置のソファに腰を下ろしてテーブルの上の旅雑誌を眺めていた。
「ごめんね、お待たせ」
「あ、いや…」
オレのせいだしな、とカラ松くんは呟いて頬を掻く。
「何観よっか?DVDはそんなにないから、動画サイトでレンタルしてもいいかも」
手持ちのDVDを引っ張り出して、ローテーブルに載せる。それからカラ松くんの隣に座ったら、彼の肩がぴくりと揺れた。キョドる推しも可愛いっちゃ可愛いのだが、その可愛さはあくまでも気恥ずかしさの上に成り立ってこそ、だ。
今日のように拒否感を伴うものは、私もいい気がしない。
「ユーリ…あの、さすがに近くないか?その…き、距離が」
いつもガンガンに寄ってくるのはどこのどいつだ。健忘症か?
「そんなことないでしょ、いつもと同じくらいだよ。っていうか、今日はむしろ少し離れてるくらい」
脳内でのツッコミをオブラートで何重にも包みまくり、何でもないように応じる。少し体を動かせば肩が触れるくらいに距離を詰めてくるのは、いつもカラ松くんの方だ。
「やっぱり何かおかしいね、今日のカラ松くん。もしかして熱でもあるんじゃない?」
私は体を捻り、彼の額に向けて手を伸ばす。
「な、ない!ユーリっ、そんなに寄ら───あ」
背中の後ろに片手をついて姿勢を保っていたカラ松くんが、避けるためにのけぞろうとして──手が滑る。後ろに傾く体と、瞠られる双眸。転倒した先にあるのは、フローリングの床だ。
「カラ松くんっ!」
咄嗟に身を乗り出して、片手を彼の後頭部に回す。
引き上げようとするものの体勢を立て直すことができず、体が引っ張られて、私はカラ松くんもろとも床に倒れてしまう。
結果的に、カラ松くんの上に伸し掛かる格好で。
「…は、はははははハニーッ!?」
「ごめん。助けようと思ったんだけど、失敗した」
狼狽するカラ松くんを見下ろしながら、私は上体を起こす。下敷きになった左手の甲に鈍い痛みが走った。赤くなっている。
「ちょっと待ってね、すぐ起きるから──あー、でも…いい眺め」
事故とはいえ、二人きりの室内で推しを組み敷くシチュエーションが展開されるとは、これ何てエロゲ?
無防備な首筋と戸惑いを浮かべる表情がエロい。さすが当推しなだけはあるわと恍惚として眺めていたら、唐突に両肩を掴まれて、乱暴に引き剥がされる。
「どいてくれ!」
示されたのは、強い拒絶。
羞恥心で顔を背けたり、弱々しく押し返されたりは想定していた。断固とした意思を込めて突き放されるなんて、思ってもみなかった。
私は瞠目したまま、言葉を失う。
「ッ…す、すまん。ユーリ、手は…ああもう、こんなに赤くなって!」
拒否ったり赤くなったり怒ったり忙しいなお前。
私の顔からは表情が消える。どんな態度を接するのがベターなのか、答えが出てこない。
「ごめん…」
そして私の口を突いて出たのは、謝罪だった。今度はカラ松くんが驚く。
「嫌な思いさせるつもりじゃかったんだけど」
上手くいかなくてごめんね、と苦笑いを作れば、カラ松くんの顔が苦悩に歪む。苦々しげな彼の表情に、何とも言えず胸が痛んだ。今日はことごとく上手くいかない。
「違う!…そうじゃないんだ、ユーリは何も悪くない」
その一言が、引き金になった。
原因もなく一方的に拒絶され続けるなんて、あまりに理不尽ではないか。同じ時間を共有する目的は、有意義なひとときを過ごして満足感を得るためだ。
私に原因があるなら、解決法はいくらでもある。だが私に非はないと語られれば、打つ手はない、八方塞がりだ。何の因果で、片道通行の絶望に終日耐えねばならないのか。
「そう。私に原因はないんだね?」
「もちろんだ、あるわけない」
カラ松くんに対して純粋な怒りを覚えたのは、この時が初めてだったと思う。
「ごめん、今日はもう帰ってくれる?」
苛立ちが隠しきれなかった。彼の切なそうな顔すら癪に障り、可愛さ余って憎さ百倍の意味を痛感する。
「ユーリ、違うんだっ。ユーリが悪いわけじゃ──」
「今は私も冷静じゃないしさ。
それに、理由があるのかもしれないけど、そういう態度取られ続けて笑っていられるほど心広くないんだ」
私だって傷つく、と。
カラ松くんの言葉を制して、私は努めて抑揚のない声で告げる。感情のまま声を荒げて罵倒すれば、状況は悪化の一途を辿るだけだ。私はカラ松くんと喧嘩をしたいのではない、関係性を改善したいのだ。
ひとまず物理的に距離を取るために立ち上がった、その瞬間──カラ松くんが私の腕を掴む。
「待ってくれ、ユーリ…っ」
縋るような、懇願の言葉。
「ごめん。ユーリにそんな辛い思いをさせていたなんて思わなかった…オレの問題だから、ユーリにはいつも通り振る舞っていたつもりだったんだが……本当に、ごめん」
掴まれた腕にこもる力は、振り払えば容易く離れてしまうほどに、弱い。
「ユーリが怒るのは当然だ。気が済むまでいくらでも罵倒してくれていい───だから」
躊躇いがちに、言葉が紡がれる。
「…嫌わないで」
上向いて私を見つめる顔は、今にも泣き出しそうなほど歪んでいた。
この男は卑怯だ。
的確に弱点をついて、導火線についた火をたった一言で安々と消してしまう。何より厄介なのは、本人は嫌われたくない一心で本心を曝け出しているに過ぎないことだ。相手を懐柔しようとする思惑なんて欠片もない。だからって潤んだ瞳で上目遣いとか、痴女ホイホイにも程がある。
「大丈夫、嫌わないよ。少しも嫌いになんてなってないから、安心して」
再度腰を下ろして、カラ松くんに目線の高さを合わせる。頭から冷水を浴びせられて、私はすっかり冷静さを取り戻していた。
「私のせいじゃないって言うけど、もし私が何かしたなら正直に言って。気に障ることしたなら、今後は改めるから」
「そんなこと、あるはずないだろう。すまん…ハニーにそんな顔をさせたいわけじゃないんだ。そんな台詞だって、言わせたくない」
「なら、何が原因なの?」
率直に訊けば、カラ松くんが面白いくらいに動揺する。
「いや、それは、えー…」
目が泳ぎ、視線は外された。
「カラ松くんが言いたくないなら聞かないでおこうと決めてたよ。でもね、ここまで拗れたら、聞いておいた方がお互いにとって有益だと思うんだよね」
「ハニーにはあまり言いたくないんだが…は、話さないと駄目か…?」
「駄目ってことはないけど、しこりが残ったままになるのは気持ち悪いよ。え、もしかして法に抵触するとか犯罪やらかした話?」
「それはないが…」
「じゃあ大丈夫だね、観念して洗いざらい吐け」
しかしカラ松くんはフローリングの床を凝視したまま、下唇を噛んで唸る。彼がこれほど躊躇するのは珍しい。心なしか目尻も赤く、理由にまるで見当がつかない私はますます混乱する。
「その…」
言い淀むカラ松くんの前で、私はとりあえず正座待機。
「…ユーリに似た女優が出てるAVを観た」
何、だと?
まさかの理由が飛び出してきた。
「えーぶい…」
想定外の単語を咀嚼して飲み込むまでに、数秒の時間を要する。その間カラ松くんは、顔を赤く染め上げて唇を引き結ぶ。
「あー、なるほど。だから私を見るとその女優を思い出してしまう、と?」
「…うん」
「経緯と結果を詳しく」
「え、ちょっ、そこまで!?理由を話したんだからいいじゃないか!」
もう勘弁してくれとカラ松くんは声が上擦る。
しかし私が彼の懇願に屈しないと悟ると、やがて重い口を開いた。話してくれた経緯は、以下のとおりだ。
レンタルビデオショップで何気なく手にしたDVDが、事の発端だった。表紙を飾る女優が私に似ていることに驚き、裏面のあらすじを読んだ。AVに物語はあってないようなものだが、近所に住む年上のお姉さんが主人公の筆下ろしを手伝う、そんな設定だったらしい。
「何かこう、親近感もあって…」
「うーん…確かに似てるといえば似てる、かな」
嫌がるカラ松くんからタイトルを聞き出し、スマホで検索をかけると、検測結果トップにメーカーサイトが表示される。パッケージ写真を眺めて、私は唸った。
髪型こそ異なるが、年頃やパッと見の印象、全体的な雰囲気は似ていると言えないこともない。そういえば私もカラ松くんより年上だった。
「お姉さんが君の童貞貰っちゃうぞ、か。定番っちゃ定番なシチュだよね──で、肝心の感想は?良かった?」
「え…えッ、何この羞恥プレイ!それ訊く!?」
「訊く」
カラ松くんは不安定に黒目を彷徨わせたが、ほどなくして首筋に片手を当てると、ぽつりと溢した。
「まぁ…ここ最近のものでいえば、結構……抜けた」
「へー」
驚いて感嘆の息を漏らすと、カラ松くんは不服とばかりに眉をひそめた。
「へー、じゃない!当然だろう!何しろユーリに似た女優がベッドの上でしこたまエロいことを──って、違ぁう!何を言わせるんだ、ハニー!」
自分で言ったくせに。
「でもまぁ、こんな理由で私は今日一日カラ松くんの拒絶を受ける羽目になったわけだ」
腕を組んで私は盛大な溜息をつく。
「本当にすまない…」
相応の罪悪感は感じているようで、彼は言い訳なしに深々と頭を下げる。鬱憤はとうに霧散していっそ清々しささえ感じているのだが、ざわついた心と共存させられた相応の代償は払っていただきたいところだ。
「ジュースを落とされて着替えを余儀なくされた」
「…はい」
「挙句の果てに、転ぶのを助けたのに突き飛ばされた」
「ご、ごめんなさい…」
早くもカラ松くんは涙目だ。
思わず笑ってしまって、私は早々に白旗を上げざるを得なくなる。
「あはは、ごめん、ちょっと意地悪しちゃった。まぁ同じ経験はないけど、気まずいって気持ちは何となく理解できるから、許すよ。もう怒ってないし。
──でも私に似た女優が出るAVかぁ、ちょっと観てみたい気もする」
画面をスクロールしていくと、参考画像として動画のワンシーンを切り取った写真が複数枚表示された。その中には際どいシーンはもちろん、男女が重なる生々しい場面もあって、似ていると言われたせいもあってか、どことなく気恥ずかしい気持ちが込み上げる。
「あ、サンプル動画もあるんだ」
「…止めてくれ」
「何で?興味ある。後学のために」
画像の一枚を拡大しようとした私の指がスマホから離れる。
カラ松くんに、手首を掴まれたからだ。
「──わざとか…ユーリ?」
上気した頬と僅かに苛立ちを含んだ双眸が、私の視界に広がる。息遣いは荒い。
好ましいと感じる異性の気を引くがための行為を、私たちは駆け引きと呼ぶ。それは時に焦燥感を、時に愉悦を誘い、視線ごと意識を釘付けにさせて離さない。一度絡め取られたが最後、逃避することは敵わない。
「図に乗るな」
自由に動かせる片手でDVDのパッケージを取り、カラ松くんの顔に叩きつける。
駆け引き?アピール?何それ美味しいの?純粋なAVへの興味を勘違いするなよ新品。
「すいません」
憔悴したカラ松くんは肩を落とす。
「罰として、後で太巻き買ってくるからエロく食べて」
「エロく!?」
「快感を感じつつも苦悶の表情で」
「求められる演技力!無茶振りがすぎる!」
「それを私が動画で撮る」
「もうオレのハートは再起不能レベルでブロークンだぞハニー」
ノンノン、と私はカラ松くんさながらの仕草で指を振り、笑う。
「仲直りの印に、一緒にご飯食べようってお誘いだよ──ね☆」
ひょいっと肩を竦めておどけてみせると、カラ松くんはなぜか一層赤面する。理由が分からず首を傾げれば、押し退けるように片手を出して私の接近を制してくる。けれどもそれは先ほどまでの強い拒否とは程遠い、やんわりとした抑制だった。
「ユーリ…」
「ん?何?」
「ユーリのその態度の方が、AV女優よりよっぽどクるんだが」
「…は?」
状況把握ができず呆気に取られる私をよそに、突然カラ松くんは瞳を輝かせて私の両手を握りしめる。
「全裸のAV女優よりも、着衣のハニーが断然エロい!分かりやすいエロスに惑わされてたオレを許してくれ!」
すごい言い草だ。
「フッ、長きに渡るテンプテーションで己を見失っていたが、ようやく目が覚めたぜ、ハニー…っ」
しばらく眠っておけばいいと思う。
「そうだ、朝約束してたお揃コーデの記念写真撮ろっか」
スマホのカメラアプリを立ち上げて、インカメに変える。画面に映るのは、全身の服装ができるだけ入るよう角度を調整する私と、その傍らでスマホと私を交互に見やるカラ松くん。
「ハニー、覚えていてくれたのか?」
「そりゃね。約束したでしょ」
「頼んだオレ自身が忘れてたくらいなのに。ユーリに嫌われたのかと思って、それどころじゃなかったし」
「待ってよ、それ私の台詞なんだけど」
素っ気ない態度にどれだけ翻弄され、戸惑ったか。原因が明らかになるまでの数時間、気が気じゃなかったのは私の方だ。けれど私の驚愕とは裏腹に、カラ松くんは毅然と言い放つ。
「オレがハニーを嫌うなんてあり得ない」
根拠のない断言だと思う。人の心は移ろいやすいものだ。永遠に愛し続けると交わされた婚姻の誓いでさえ、少なくない割合で破綻している。けれど──
「私だって、カラ松くんを嫌いになるなんて考えられない」
今この瞬間胸に広がる気持ちは、永劫と信じていたい。
迷いなく断言された私の言葉に、カラ松くんは破顔する。
「いやでも…もしオレがユーリに何かとんでもないことをしてしまって、もう二人で会うことも叶わないなら…いっそ嫌われた方がいいのかもしれない。好きの反対は無関心だ。興味を失われて、どうでもいいと思われる方がずっと、オレは辛い」
好きと嫌いは表裏一体だ。オセロのゲームのように、小さな要因でも容易く反転する。
「どんな種類でも、強い感情を向けられている方がいいってこと?」
「どうだろうか。結論を出すほど深く考えたことはなかったな」
ふむとカラ松くんが腕組みをして思案しようとするから、私は肩を竦める。
「いずれにせよ不毛な会話だよね」
はい笑ってと合図をして、カラ松くんの視線がスマホに向けられたのを機に、シャッターボタンを押した。
「そんな未来──ないんだから」
だから、考えなくていい。決して訪れないと知っている絶望への心構えなんて、必要ないのだ。