ラブレターは欲しいか

文字は、偉大な力を秘めた魔法だ。
羅列された一見無機質とも思える記述は、読み手の想像力を伴うことで際限なく膨張する。胸に秘めた己だけが知り得る形のない感情を、持ちうる限りの語彙でもって他者に伝達しようと試みた時、そこに類まれな表現力や文章力は必要ない。
文字に読み手の想像力が補完された時初めて、人の心が動く。




服についた抜け毛をゴミ箱に入れようとして、私ははたと手を止めた。開封された形跡のない白い封筒が無造作に放り込まれていたからだ。
場所は、六つ子の部屋である。主にカラ松くんとの約束で訪ねることがほとんどだが、その時その時で在宅している六つ子たちと戯れたりもする。
今日はトド松くんが部屋にいた。
「ねぇトド松くん、未開封の手紙が捨ててあるけど、これ捨てたままでいいの?DM?」
そう訊けば、トド松くんはスマホから顔を上げて、呆れたような表情をする。手に取って宛名を確認しようとしたが、未記入だ。切手を貼られた形跡もない──ということは。
「ああ、いいよ捨てておいて、ユーリちゃん。っていうかゴミだし。カラ松兄さんが書いて不要になったヤツだから」
「カラ松くんが…」
「前に釣り堀行った時に、ルアーの代わりに釣り針に刺してたラブレターの予備なんだって」
「釣り針に刺してたラブレターの予備」
意味不明すぎる展開に、理解が追いつかない。そこはかとなく漂うサイコパス感。
「釣り堀の魚に宛てたの?」
「そうみたいだよ。ボクは理解したくないから、それ以上訊かないで。あれはもう馬鹿通り越してサイコパスだから」
あ、兄弟でもそう思うんだ。
「バラの花束まで持ってきてたからね」
「ヤバイ」
思わず口から本音が出た。それはもうヤバイ。フルスロットル。
「封筒の中、開けて見ていい?」
「え、正気?」
精神状態を疑われてしまった。
「いいけど…あ、そんなことより、この間新しいフレーバーの紅茶買ったんだった。ユーリちゃん感想聞かせてよ、入れてくるね」
女子ウケしそうなミックスフレーバーなんだよ、とトド松くんは嬉々として一階へと降りていく。一人取り残された室内で、私は白い封筒を開けて便箋を取り出した。綺麗に半分に折りたたまれたその上には、見覚えのある癖字で書かれた文字。
窮屈な箱庭で暮らすフィッシュたちへ、という仰々しい宛名を見た時点で唇が引きつった。その後は、カラ松くん自身がどれほど魅力に溢れているか、自分の垂らす釣り針で釣られればいかに有益かがつらつらと書かれている。そしてそんな釣り人に釣られることを光栄に思うがいい、と上から目線が凄まじい文句で締め括られている

読まなきゃ良かったかと後悔の念に苛まれると同時に、襖が開いてカラ松くんが姿を現した。私を視認するなり、顔が綻ぶ。
「今日もいつになく爽やかでキュートだな、ユーリ──って、ん?その封筒は…」
「カラ松くんが書いたラブレター」
「魚に宛てたものだな。何だハニー、そんなものに興味があるのか?」
ソファに座る私の隣に腰を下ろして、手元を覗き込んでくる。もうだいぶ昔のものだと懐旧の念に浸る彼とは対照的に、私の口からは苦笑いが溢れた。
「カラ松くんは元々少し変わってるとは思ってたけど、ルアーの代わりにラブレターは奇想天外が過ぎる
「オレの愛が伝われば、魚は自らの意思でやって来るはずだ」
曇りのない瞳で断言される。ダダ漏れるサイコパス感。

「んー、さてはハニー、魚にジェラシーか?
だとしたら安心してくれ。ユーリと釣り堀の魚は比べるまでもない──オレの目にはもうずっと、ユーリしか映ってないぞ」

違う、そうじゃない
本来なら、えーやだもうカラ松くんったら☆とか恥ずかしがる場面なのかもしれないが、そもそも論点が違う。
「仮に、仮に内容が愛に満ちた感動的なものだとしてもだよ、手紙の内容が分からないのに魚は引っかかるかな?」
「オレが送り主だぞ」
自信の塊。
「仮に相手が超絶イケメンでも、突然中身の分からない手紙渡されたら不安になるよ」
「そうか…封筒は必要なかったな
ポジティヴの化身。
掘り下げれば掘り下げるほど墓穴を掘っていく。私はついに我慢できなくなって、吹き出してしまった。目尻に浮かんだ涙を指先で拭いながら、きょとんとするカラ松くんにごめんごめんと謝罪を口にして。

「よっぽどラブレターに自信あるんだ?
カラ松くんのラブレターを読んだ相手を虜にさせられるくらい」
私にとっては、素朴な問いかけのつもりだった。先ほどからの問答全ては、この前提の上で交わされていたに等しい感覚だったのだ。
けれどカラ松くんは僅かに目を瞠った後、困ったように微笑んで私を見つめた。

「…一人だけ、自信のない相手はいる」

窓から流れ込む冷たい微風が私の頬を撫でる。その言葉の意味が分からないほど、幼い少女でもない。気の利いた台詞が浮かばなくて、私はただ頷く。
「そっか」
「訊かないんだな、それは誰だ、って」
「訊いてもいいの?」
意外だった。本質に肉迫するのはカラ松くんが良しとしないと思っていたのに、本人から誘導してくるとは。
「もちろん。ただ、オレが答えるかは別の話だ──そういうものだろ、ハニー?」
組んだ両手を膝に乗せて、ふふ、と彼は意味ありげに笑った。




「でも今どきラブレターなんて、古風なもの書くんだね」
カラ松くんの文字が書かれた白い便箋をひらひらと揺らして、私は感嘆の息を漏らす。
「古風?そうなのか?
間接的な愛の告白といえば、ラブレターは定番だと思ったんだが」
「今は携帯があるからね。でも無機質に並んだフォントじゃなくて、手書きの文字って温かみがあっていいよね。人からの手紙やメッセージカードって、嬉しかったものだと何度も読んじゃう」
貰った手紙の中には、捨てられなくていつまでも大事に保管しているものもある。ペンを取った時の相手の心境に思いを馳せたり、当時の思い出が鮮やかに蘇ったりと、ある種のノスタルジーを感じさせてくれるのだ。印刷では表現できない温もりが、直筆には存在する。
「ユーリほど魅力のあるレディなら、ラブレターの一つや二つ貰っていても不思議じゃないな」
言いながら、カラ松くんの眉間に皺が寄った。何気ない言葉とは裏腹に、貰っていてはくれるなよ、とその表情は物語る。
「やだな、貰ったことないよ」
「…そうか」
安堵したように、彼の口角が僅かに上がった。
もし貰ったと答えていたら、どんな顔が見れたのだろう。少しばかり気にはなった。

「カラ松くんは?」
「へ?」
「ラブレター、貰ったことある?」
問われるとは予想だにしていなかったとばかりに、素っ頓狂な声が上がった。しかし直後、カラ松くんは緩くかぶりを振る。
「手紙は貰ったことあるが…あれはたぶん、ラブレターじゃなかったと思うしな。いや待てよ、そもそもあの手紙自体、オレ宛と決まったわけじゃ…」
何をぶつくさ言っているのか。
「今のカラ松くんは、ラブレター貰ってもおかしくないくらい可愛いのにね。世の女性たちの目が節穴通り越してブラックホール
「…フッ、そうだとも、ハニーの言う通りだ。ガイアのカラ松ガールズはシャイすぎる。オレが真夏のサンシャインに引けを取らないほど眩しすぎるせいか…」
悩ましげに額に手を当てて、長い溜息をつくカラ松くん。それからゆっくりと目を細めて、畳に視線を落とした。

「それでも、もう誰からでもいいわけじゃないんだ。欲しいと思う相手から貰えないなら、オレはラブレターなんていらない」

回りくどい表現で語られる彼の真意を、どう汲み取るべきなのか悩んで、いつも立ち止まってしまう。差し出しては来ないのに、取ってほしいと希う手。臆病で、弱くて、けれどどこまでも真摯な。
「それに、万が一キュートなカラ松ガールから面と向かって受け取ってくれと言われても…きっと、受け取らないだろうな」
「それは──」
「誤解されたくないんだ。オレはいつだって一人だけを見ている。そのルートから外れるようなことはしたくない」
ああ、と私は思う。
クズでニートで社会人経験皆無で、そのくせいっちょ前に異性を意識する、どう贔屓目に見てもダメ男まっしぐらなのに、見た目の可愛さとイケボがさらっと全部帳消しにしてくる
「確かにカラ松くんの言うことも一理あるね。
でも私は…もしラブレターなんて貰ったら、ドキドキしちゃうんだろうなぁ」
例え自分が好意を持っていない相手からでも、想いを告げるために振り絞った勇気と覚悟は代えがたいものだ。そう思ったから故の発言だったが、カラ松くんは神妙な面持ちで私を見つめていた。
「なぁ、ユーリ…その…」

「ユーリちゃんお待たせ、紅茶が入ったよー」
鼻孔をくすぐるフルーティな香りを漂わせながら、トド松くんが襖を開けたので、私たちの会話は自然と中断せざるを得なくなる。結局、カラ松くんがその時何を言おうとしたのか分からないまま、日は過ぎた。




カラ松くんに手紙を出そうと思い立ったのは、前述したようなやり取りがあったせいなのかもしれない。仕事帰りに偶然立ち寄った文具店で、枯れ葉が散らばる秋色の便箋が目に留まった。つらつらと気の向くままペンを走らせて、差出人は無記名で、彼に送付の連絡もせずに、突然手紙を送った。
ポストに投函する時、妙に浮き立った気持ちになったのは秘密だ。

「ハニー!」
風呂上がりに電話に出るなりのつんざくような声に、思わずスマホを耳から遠ざけた。
「心臓が止まるかと思ったぞ。手紙を送るなら送ると事前に予告してくれ。危うく嫉妬に狂ったブラザーたちに命を奪われるところだった
それは申し訳ない。
兄弟間の諍い勃発までは危惧してなかった。けれど私が謝罪を口にする前に、遮るようにカラ松くんが声を発する。
「ああ違う、言いたいのはそういうことじゃなくて…何ていうか──」
閉じた瞼の裏に、戸惑う彼の姿が浮かぶようだった。

「ユーリからの手紙…嬉しかった」

噛みしめるように、ゆっくりと。
「ユーリの字は見慣れてるつもりだったんだがな。オレのために書かれた文章という認識のせいか、受ける印象が全然違う。読み進めるのがもったいないくらいだ」
「えー、そうかなぁ」
レターセットを買ったはいいが、内容には少々頭を抱えた。話したいことは何でも話してきたから、わざわざ手紙で伝えることが思い浮かばなかったのだ。
だから結果的に、その日あった出来事や、今度出掛けたい場所をつらつらと書き連ねただけの文章になってしまった。ただ、仕上げとして封筒にハートマークのシールをつけたのは、やはり頭の隅にラブレターにまつわる会話が残留していたせいだと思う。

「ハニーのラブレター、心に響いたぜ…」
「いや、本当大したものじゃないよ。てかラブレターでもない。ただの日記…というか、交換日記みたいな感覚かな」
書き上げてから、子どもの手紙交換かとセルフツッコミを入れたくらいだ。
「ユーリにとっては大したものじゃないかもしれない。
でもオレには違う。最後の一言が特に…何て言えばいいか分からないくらい…嬉しかった。
ハニーの字で書かれてるだけで、こんなにも感動するものなんだな」
結びの文句が脳裏に浮かぶ。
また色んな場所に遊びに行こうね、カラ松くんと一緒にいると楽しいです、と。時折本人を前にして口にしている私の本心だ。もっとも、下手にそんな内容のことを口から滑らせれば、カラ松くんから数倍の口説き文句がボディランゲージと共に返ってくるので注意が必要だ。油断すると尊死待ったなし案件になる。
「喜んでもらえたら嬉しいよ。私も、手紙書くの楽しかった」
ローテーブルに置かれた残りのレターセットに目をやって、私は微笑んだ。
どんな顔をして、カラ松くんは手紙を受け取ったのだろう。郵便受けを覗いて首を傾げたのか、それともおばさんから手渡されて目を瞠ったのか。
「早くも来年の誕生日プレゼントを貰ってしまったみたいだ」
「大袈裟だなぁ」
「ハッハー、モテる男はツライぜ。ラブレターのお礼は、オレの慈愛に満ちた熱いハグで構わないな、ハニー?」
「是非お願いします」
「え」
「え」
言い出しっぺがきょとんとするな。
「あ、え…そ、そういうことを軽々しく言うもんじゃないぞ、ユーリ」
そしてなぜか叱責を受ける私。解せぬ。
それから、とカラ松くんは付け加える。

「オレ以外の男には、手紙なんて送らないでくれよ」

「他愛ない内容でも?」
片手でスマホを耳に当てながら、空いている反対側の手でお茶の入ったグラスを持ち上げる。液体の中で氷がカランと音を立てた。
「どんな内容でも、だ。オレの預かり知らぬところで、他の男がハニーの手紙を受け取るのは想像もしたくない」
自分がどれほど独占欲丸出しな発言をしているかなんて、きっと気付いていない。
向かい合っての会話でなくて良かったと私は息を吐く。テレビの黒いディスプレイに映る自分の顔は、いつの間にか口角が上がっていた。

「…ありがとう、ユーリ。ずっと欲しかったんだ──ユーリからの手紙が、ずっと」




カラ松くんへ送った手紙は、自己満足の産物だった。
驚くだろうかという期待や悪戯心も多少含んでいたことは否定しないが、例え無反応でも私は全く構わなかったのだ。もちろん、電話口で大袈裟なくらいに歓喜されて、嬉しくないと言えば嘘になるけれど。

だから、先日の返事だと言ってカラ松くんから白い封筒を手渡された時は、呆気に取られてしまった。

「返事って…」
「この間ハニーからハートのこもったラブレターを貰っただろ。返事もせずにハニーを待たせるのは、男が廃る」
返事は待ってないし、だからそもそもラブレターじゃない。どこからツッコめばいいんだこれ。
待ち合わせ場所の公園を訪れた時、カラ松くんが珍しくワンショルダーのバッグを肩から下げているのを見て不思議に感じた。いつも手ぶらで身軽なスタイルだったから、その相違は奇異に映る。バッグ持つなんて珍しいねと声に出したら、実は、とバッグの中から取り出されたのがその封筒だったのだ。
ご丁寧に青いハートのシールもついている。
照れ顔の推しは可愛いんだよ、今夜のオカズにさせていただきたいくらいなんだよ。なのにこの苦行。
「ええと、これは…帰ってから開けた方がいいかな?」
もしこの間読んだ釣り堀の魚に向けたものと類似する内容ならば、笑いを堪えたまま読了する自信はない。不安で手が震える、ツライ。
「今開けてほしい」
マジかー、回避不可の強制イベントかー。
私は頭を抱えた。

けれど、封を開けて取り出したそれは、私の想像に反するものだった。
中に入っていたのは──しおりだ。

数枚の赤く色づいたもみじの葉がラミネート加工された、ハンドメイドのもの。私の手のひらにすっぽりと収まるサイズで、上部に開けられた穴からは青いリボンが垂れていた。四つ角は丸く処理されているが、ハサミで無造作に切ったような偏りがあった。
そしてその紅葉には、既視感がある。
「カラ松くん、これもしかして…」
私が言えば、彼はにこりと微笑んだ。
「…ああ、気付いてくれたか。さすがはハニーだ」
「この間紅葉狩りに行った時のもの、だよね」

紅に染め上げられた世界を堪能した日のことを、まだ鮮明に覚えている。地面に敷き詰められた道をレッドカーペットに見立てて優雅に歩いてみせたり、落ちたばかりの葉を紙吹雪にして戯れたりした。
あの時カラ松くんがもみじの葉を数枚手に乗せたまま、ふと考え込む仕草をしたから、不思議に思ったものだ。興味のまま尋ねれば、何でもないと笑顔が返されて、手の上のもみじがひらひらと地面に落ちていったから、些末なこととすぐに忘れてしまった。
「最初は、手紙の返事を書こうと思ったんだ」
カラ松くんは照れくさそうに首筋に手を当てる。

「でも文字にした途端に、全部嘘になる気がした。
ユーリに話したいことはたくさんあるんだ。伝えたいことも、書ききれないくらいある。でも方法は手紙じゃない。
ユーリには、オレの気持ちはオレの口から伝えていきたい」

子どもたちが私たちの傍らを駆け抜ける。歓喜に満ちた賑やかな声も掻き消えてしまうくらい、私は意識をカラ松くんに向けていたことにはたと気付く。
「だからオレがユーリに手紙を送るとしたら、二人で過ごした思い出を形にして渡すことの方がいいんじゃないかと思ったんだ。
…こうすれば、ユーリの側にオレがいたことを、ユーリに覚えていてもらえる。それを見るたびに、オレを思い出すだろう?」
まるで呪いだ。強く印象づけて、忘れさせないなんて。
安っぽい美辞麗句を並べ立てた手紙なら、一笑に付すこともできたのに。
ラブレターなんて比にならないほどの口説き文句を口走っていることは、本人は間違いなく無自覚で。
「ほんとロマンチストだよね、カラ松くんって」
いっそ突き抜けてくれた方が清々しくていい。
しかし私の言葉を非難と受け取ったらしい彼は、落胆した表情で双眸を不安定に動かした。
「…や、やっぱり駄目だよな?
すまん、ハニーをガッカリさせたなら、次までにはちゃんと返事を──」
「ううん、違う」
カラ松くんの台詞を私は制する。
「嬉しいって意味だよ。ありがとう、すごく綺麗だね。カラ松くんが作ったの?」
「マミーに作り方を教わったんだ。初めてだから上手く作れている自信はないんだが…」
「そっか。カラ松くんが作った世界に一つしかないしおり、ってことだよね…大事にする」
おばさんにしおりの作り方を習うカラ松くんがイメージできなかった。さぞかし勇気を要したことだろう。誰にあげるつもりなのか、なんて問答も両者間で発生したに違いない。

私が割れ物を扱うように慎重な手付きでしおりをショルダーバッグに収めるのを、目を細めて眺めていたカラ松くんが、おもむろに口を開く。
「この前二人でラブレターの話をした時から、初めてユーリにラブレターを渡す男になりたかった。まぁ、ハニーに先を越されてしまったが」
「お互い初めてのラブレターってことだね」
私が出したのは交換日記紛いのもので、カラ松くんから貰ったのはプレゼントと称して差し支えないから、厳密にはどちらもラブレターと言えないかもしれない。
だから何だ、というのが私の感想だ。目に見えるものだけが真実ではない。そしてその真実さえ、受け手次第でいかようにも姿を変える。
カラ松くんが嬉しそうに笑っている──私にとっての真実は、それだけでいい。

「ああ。これでもう、誰からもいらない」

目を閉じて、自身に言い聞かせるようにカラ松くんが溢した言葉を、聞かなかったことにするか私の中で一瞬の葛藤があった。
ラブレターについて互いの意見を交わしたあの日、彼が口にした台詞全て引っ括めると、一つの結論に集約される。そして今、それは私の前に提示されている。
「もういらないんだ?」
「そうだとも。もうオレにラブレターは不要だぜ、ハニー」
「私からのも?」
「……え」
真顔だ。考えてもみなかった、という顔。
「そっかぁ、じゃあ今後はカラ松くんに手紙を出すのは止めておくね」
「waitwait」
流暢な発音のウェイトが繰り出される。
「言い方が悪かった。他のレディからのラブレターはいらないという意味なんだ。ユーリからのはいる、是が非でも欲しい
「えー、でもなぁ」
「ハニー!」
「さ、そろそろ行こう。話してるのも楽しいけど、遊ぶ時間なくなっちゃうよ」
冗談めかした駆け引きに終止符を打って、私は今日の目的地に向けて一歩を踏み出した。カラ松くんが慌てて追いかけてくる。後ろを振り返ったら、当然のように彼と目が合うから、何をそんなに焦る必要があるのかと私は笑った。




手紙の返事を貰ってから数日が経った頃。
生憎の雨で外出の予定がなくなり、松野家最寄りのファミレスで他愛ない会話に花を咲かせていた。頻繁と呼べる頻度で逢瀬を重ねていても、話題は無尽蔵に湧き出て会話が弾む。不意に訪れる沈黙さえ心地よく感じるから、やはり我々の相性はいいのかもしれないと、何度目かの再確認。
「でね、その服を見た瞬間、絶対カラ松くんに似合うなぁって思ったんだよね」
拳を握り締めて力説する私に、カラ松くんは微笑を浮かべてうんうんと相槌を打つ。テーブルに肘をついた腕組みの格好で、一心に耳を傾けてくれる。
Vネックのカットソーから覗く、浮き出た鎖骨が眼福すぎる。食べたい。
「あ、そうだ、あの服スマホで撮ったんだった。ちょっと見てよ」
価格もプチプラで手が出しやすかったはず、と口にしながら、バッグにしまい込んだスマホを手で掴んだ。それを持ち上げた時、バッグから飛び出した何かがひらひらと宙を舞う。ふわりと地面に落ちて、私は身を屈めた。
「どうかしたか、ユーリ?」
「あ、うん、ちょっと…」
落ちたのは──もみじの葉のしおり。
鮮やかな朱色の葉を視認した途端、突然再生のスイッチを押されたみたいに、カラ松くんと見た紅葉の美しい景色が脳裏を過ぎった。同時に、赤々とした葉が舞い散る世界でカラ松くんが優しく笑う姿も鮮明に。

「ユーリ…?」
ハッとして顔を上げれば、本人が目の前だ。
何だかおかしくて、小さな笑い声が口から溢れた。
「何を笑ってるんだ?」
「カラ松くんのことを思い出したの」
「思い出した?目の前にいるのに?」
ぽかんとするカラ松くんに対し、まんまと策略にはまった自分への不甲斐なさも相まって、私は少し呆れた気持ちになる。しかししおりを掲げて見せると、彼の表情が一層柔和なものへと変化していく。頬には朱が差して、口元を手で覆う。
「それ…持っててくれたのか」
「大事なものだからいつも持ってるよ。見るたびにカラ松くんを思い出してたけど、本人と向かい合ってる今が一番鮮明な気がする」
やはり当人が眼前にいるのと、脳内の記憶で補完するのとでは、映像の再現率がまるで違う。
「そうなのか?
オレといない時にそれを見て、オレに会いたくなってくれればと思っ──あ、いや…今のは独り言だ、何でもない」
カラ松くんは顔を赤くしたかと思うと、誤魔化すようにグラスに注がれた水を口に含んだ。

しおりを貰ったあの時、呪いのようだと思った。でも考えようによれば、加護なのかもしれない。
もしも本当に呪いだとしても、永遠に解けなくてもいいのではないだろうか。呪われた本人がダメージを受けないなら、むしろ喜ばしいものと感じているなら、の話だけれど。だって、少なくとも、私は──