どこまで逃げるか駆け落ちごっこ(前)

「駆け落ちしないか?」

隣に座るカラ松くんから、散歩に誘うかのような気軽さで放たれた衝撃的な一言に、私はしばし開いた口が塞がらなかった。
転機が訪れるのは、いつだって突然だ。




「あーもうっ、やだやだ、こういう日は飲まないとやってらんないよ!」
私はグラスに注がれたビールを一気に煽って、叩きつけるように乱暴にカウンターに置いた。
仕事帰りにカラ松くんと待ち合わせをして訪れた、チビ太さんの屋台である。
その日は嫌なことがあって、気分が塞いでいた。仕事でミスをしたとか、理不尽な叱責を受けたとか、社会人には往々にありがちなストレスが、運悪く複数重なったのだ。週末の金曜日、本来ならば明日からの休日を前に浮き立つ幸せな時間を、私は鬱々と過ごしている。
「飲みすぎんなよ、ユーリちゃん。愚痴ならオイラがいくらでも聞いてやるから」
空になったグラスには烏龍茶が注がれた。
「ありがとう、チビ太さん。…うん、食べる方にシフトチェンジします。チビ太さんのおでん、冬場は特に五臓六腑に染み渡りますよね」
おっさんくさい発言になってしまったが、世辞を受けたチビ太さんの顔には、まんざらでもない笑みを浮かぶ。

「おいチビ太、ハニーの一番の理解者はオレだぞ」
私の傍らに腰掛けていたカラ松くんは、眉間に皺を寄せて牽制する。お前は何を競ってるんだ。
「知らねぇよ。というか、だから何だってんだ」
チビ太さんは呆れた様子で腕を組む。完全に同意。
「ハニーもハニーだ。相手がチビ太とはいえ、オレ以外の男に軽々しく弱みを見せるもんじゃない」
これが意図的な発言なら、もう主演男優賞受賞しろ。そして矛先を私に向けるな。
「でもさぁ、もう今日はぜーんぶ嫌になっちゃったんだよね。疲れたし、仕事したくないし、家事もやだ、都会の人混みも無理」
「フッ、そのサッドなフィーリング分かるぞ、ユーリ──オレも昨日今川焼きの分け前がなかった
知らんがな。
「ストレス溜まってるのかなぁ。誰も私のこと知らないとこに行きたい、知らない街に行きたい。モヤモヤしたのパーッと発散したい」
出汁の染みたちくわをかじって、咀嚼する。荒んでいると自身で明確に自覚するくらいには、疲弊しているらしい。
カラ松くんはしばし仏頂面でおでんを口に含む私を見つめた後、心なしか目を輝かせて顎に手を当てた。
「何にも囚われず自由を謳歌する…オレ。フーン、悪くない」
「まぁ、表現を変えるとそうなるね。私もそうありたいよ」
起因する感情がポジティヴかネガティヴかいう大きな相違はあるが、私たちの利害は一致する。台詞が違うだけで、全く違う方向性のように聞こえるから不思議だ。

「なぁ、ユーリ──駆け落ちしないか?」

箸で掴んでいた大根がぽろりと皿に落ちる。チビ太さんも無言で目を剥いていた。
「はい?」
「いわゆるランナウェイだ」
いわゆるの使い方がおかしい、逆だ逆。
「駆け落ち?恋人でもないのに?」
「こいび…っ、いや、うん…まぁ、そうなんだが」
前提を覆されてカラ松くんは狼狽するが、めげずに前のめりの姿勢で続ける。
「向かい合わなければいけない現実から目を背けるには、逃げるのが手っ取り早い。
それに、何も本当に駆け落ちするわけじゃない。日帰りにするし、要はユーリのストレス発散のための駆け落ち『ごっこ』だ」
その言葉は、かつての某事変を彷彿とさせる妙な説得力があって、私は──
「いいね、採用」
人差し指を彼に突きつけて即答する。
「ええっ!?ちょっ…気は確かか、ユーリちゃん!
駆け落ちは百歩譲ってまだいいとしても、相手は童貞ゴミカス職歴なしクズニート二号のカラ松だぞ!?」
「チビ太お前言い方気をつけろ」
カラ松くんが真顔でチビ太さんをたしなめる。いやしかし紛うことなき事実ではある。
「さっそく明日決行しよう。腹括ったら善は急げ」
「ナイス決断力だ、ハニー!」
力強く拳を握りしめた後、互いに合意を取った意味合いのハイタッチ。私たちの手のひらがぶつかる軽快な音に、チビ太さんの溜息が重なった。
「そう心配するな、チビ太。ハニーの身の安全はオレが保証する」
ビールが半分ほど残ったグラスを傾けて、カラ松くんはニヤリと笑う。
「駆け落ちごっこかぁ…何か新鮮な遊び方でいいね」
「オレとハニーのランナウェイは、ブラザーたちにはシークレットで頼むぞ」
「へいへい」
カラ松くんの依頼に肩を竦めて生返事のチビ太さんが、本当にいいのかと言わんばかりに心配そうな目を向けてくるから、緩い笑顔でもって答える。
推しと逃避行とか、課金してでも這いつくばってでも参加すべき限定イベントでしょうが。




私たちの駆け落ちごっこは、翌朝駅での待ち合わせから始まる。
ただの遠出にならないように、一泊分の宿泊セットを詰めたボストンバッグを下げて臨場感を演出。そもそも日帰り予定なので、邪魔になったら駅のコインロッカーにでも預ければいい。
着替えの入ったバッグを持って待ち合わせるだけで、十分すぎる非日常感だった。妙な照れくささを感じて、カラ松くんと目が合った瞬間に思わず笑ってしまう。
「目的地は決めずに、適当に遠くに行こう。とりあえず東京は脱出して、目指せ他県!」
「なら、方角だけ決めるか。こっち側に向かうなら温泉街に辿り着くぞ」
持参したガイドマップを開いて、カラ松くんが言う。
「温泉かぁ、いいなぁ。っていうか、昨日の今日でガイドブック用意とは、なかなか用意周到だね」
「フッ、お遊びのランナウェイとはいえ、ハニーを未開の地へエスコートするわけだからな。一流のガイドは必須だろう?」
カラ松くんは恭しく敬礼するかのようなポーズを決める。

「本日はハニーの仰せのままに」

大袈裟すぎると一笑に付そうとして、止める。顔を上げたカラ松くんの頬が赤く染まっていたからだ。居心地が悪そうに、視線が逸らされる。
「…というか、本当は、その……例え嘘でも、ユーリと駆け落ちするんだと思ったら浮き立ってしまって、他のことは何も手につかなかったんだ」
私は両手で顔を覆って天を仰いだ。
言葉にならないとはまさにこのこと。朝の一発目で心の臓を鷲掴みしてくる尊さ襲撃。
「何か、カッコ悪いよな」
「カラ松くんは可愛い属性だから問題ない」
「かわ…え?」
「その可愛さは誇っていい。見た目はどっちかというと雄々しいんだけど、照れ顔とか笑顔は可愛さメーター振り切ってブチ壊す勢いだし、デフォでイケボとエロい腰のラインとか本当もう語彙を喪失するレベルで───」
「すいません、もう勘弁してください」
今度はカラ松くんが両手で顔を隠す番だった。後に私は、この時のカラ松くんはさながらタコのようだったと語ることとなる。

郊外行きの電車は比較的空いていて、乗換駅までは座席に座りながら、制限時間を決めて電車に乗ろうかなんて、普段では決して交わさない内容の会話に花が咲いた。
温泉街のある県へ向かうために、途中で特別特急に乗り換える。せっかくの機会だからと奮発してグリーン券を購入したが、それでも乗車券込みでニ千円ほどだ。一時間車たっぷり窓からの景色を満喫できるなら、安いものである。
リクライニングで頭までゆったりと預けられる座席に、カラ松くんは感嘆の息を漏らす。窓際を譲ったら、目が一層の輝きを宿した。可愛い。

「こういうこともあろうかと、お菓子持ってきたんだー」
私は言いながら、鞄の中からポテトチップスと個包装されたチョコの袋をそれぞれ取り出して、前列シートの背面に付属のテーブルに載せる。
「ハニー…どっちが用意周到だ。人のこと言えないじゃないか」
「道中も立派な旅路だよ?」
「ノンノン。旅行じゃない、駆け落ちだ」
恨みがましく向けられる眼差しに、からかうような色を滲ませて。
「そうでした。誰も私たちを知らない場所に逃げ込むんだよね。たまたま行き先が温泉街になったってだけで」
「オーケー、いい子だ」
ご褒美をやろう。そう言ってカラ松くんはキューブ状のチョコを私の口にの中に放り込む。
「…これ、私が買ったヤツなんだけど」
「ユーリのような聡明なレディは、小さいことを気にしないもんだぞ」
犬も食わない応酬の果てに、揃って吹き出す私たち。子どもみたいに邪気のない彼の笑みは、私の目にとても好ましく映った。

電車は動き出し、車窓の景色が目まぐるしく変化する。
ポテトチップスを頬張りつつ、私はスマホの電源を切った。それから無造作に鞄に仕舞う私を、カラ松くんは不思議そうな顔で見やる。
「携帯、いいのか?」
「東京にいる友達から連絡きたら、現実に引き戻されちゃう気がしてさ。せっかくの非日常体験なんだから、俗世との繋がりは断っておきたいんだよね」
「トッティから鬼電がくる可能性もあるしな」
「それな」

我が意を得たりとばかりに私は首を縦に振る。
今日私と外出することは六つ子も了承の上だろうが、帰りが遅くなれば心配を装って迷いなく電話で妨害をしてくる連中だ。日帰りとはいえ、遠出故に帰宅時間は遅くなるに違いないから、不安の種は事前に摘んでおくに限る。
「駆け落ちは本来帰らない前提のものなんだし、帰る時間は決めないで行こうよ」
「もちろん構わないぞ。今日はユーリの好きなようにする日だ、オレはどこでも付き合う」
「何だか、ちょっとドキドキするね」
「数多のカラ松ガールズを差し置いて、ガイアのトレジャーであるこのオレと駆け落ちするんだ。ハニーといえど緊張して当然じゃないか?んー?」
双眸を輝かせ、悩ましげに気取った仕草をするカラ松くん。
「…そうかも」
「へぁっ!?」
素っ頓狂な声が上がった。何だ、へぁって。




電車はゆっくりとスピードを落とし、温泉街最寄りの駅に停車する。大きなリュックやボストンバッグを抱えた観光客と思わしき人々が下車するのを見送って、私たちも未知の地へと降り立った。
「目的地にとうちゃーく!」
開け放たれたドアから軽やかなステップでホームに出る。その後ろにカラ松くんが続いた。
「ガイドによると、ここからはバスで半時間ほどだ。無料の送迎バスが出てる」
「マイクロバスかな?旅って感じするね、さぁ盛り上がってまいりました!」
まだ見ぬ温泉街への期待感と共に、私のテンションも俄然高まっていく。
「ご機嫌だな、ハニー」
「そりゃもちろん。
旅と温泉ってだけでも楽しいのに、そこに推しがついてくるわけだからね。これはいうなれば、推しと行く魅惑の温泉ツアー!一般的には鬼のような高倍率抽選を突破し、ボッタクリ同然の課金をしてようやく得られる栄光。その上、他の連中を出し抜いてやろうという黒い思惑の同行者たちがないから、不用意に推しに近づこうものなら目で殺しに来る恐怖もない!
素晴らしい世界、と私は両手を組む。
「ええと、んー…すまないが、ハニー…公衆の面前で高らかにシャウトは止めてくれないか
カラ松くんが赤く染まった顔を片手で覆いながら、困惑げに言う。いつもと立場が逆。
「旅の恥はかき捨てだよ、カラ松くん」
「ああ、ユーリの言いたいことは分かる。よーく分かるが──やらかした本人が免罪符に使う言葉じゃないぞ
真っ当に叱られた。




どこまでも伸びている錯覚に陥りそうな高い石段の足元に、宿が無償で提供している足湯がある。長い歳月の経過を思わせる腰掛け用の木材が足湯を囲むように敷かれ、茶褐色の湯からはゆらゆらと湯気が立ち上る。
「あー、生き返るねぇ」
腰掛けに両手を付いて、私は長い息を吐き出した。
「旅の疲れが癒やされていくようだな。レトロな町並みも風情があっていい」
傍らには、デニムパンツを膝までたくし上げて足湯に足をつけるカラ松くん。
浴衣姿の観光客、温泉街の名物でもある長く続く石段の左右に並ぶ江戸の城下町を彷彿とさせる古い外観の建物、土産物屋の年季の入ったのぼり。いずれもどことなくノスタルジーを感じさせる。
「気持ちいいだけじゃなく、推しの生足を拝めるサービスシーン付きだなんて贅沢の極み
「…ユーリ?」
「冬場だったからぶっちゃけ油断してた。全身しっかり着込んで、露出ゼロですか何か?みたいな鉄壁だったのに、ここにきてまさかの素足とは
足湯に足を入れる姿はもちろん凝視させていただいた。動画で撮らなかったのは失態だ。悔やまれてならない。
「血管が浮く足の甲ってエロいよね」
「何でオレに言うんだ」

確かに。

「いやね、本当贅沢だなと思って。
駆け落ちとはいえ温泉に来て、こうして足湯につかってただでさえ気分は最高潮なのに、一緒にいるのがカラ松くんだから余計に」
最高だよね、と笑って告げれば、名を呼ばれた本人は目を剥いて僅かに頬を赤くした。
「フッ、大胆なハニーだ。真っ昼間からオレへのラブを囁くとは。
しかしいいだろう引き受けた!ランナウェイのパートナーとして最高に相応しい働きを見せてやろうじゃないかっ」
カラ松くんは舞台役者のように大袈裟な素振りで、両手を広げて自分を抱きしめるポーズを作る。
「わー、頼もしー」
対する私の返事はというと、完全に棒読み。わざとらしい感想に興味はない。
本調子ならまぁ何よりだと気分を改めたところで、ふとカラ松くんが私の顔をじっと見ていることに気付く。促すように首を傾げれば、おもむろに言葉が紡がれる。

「…たった一日限りの駆け落ちでも、ユーリの相手役を務められるのは光栄だ。オレの誘いを受けてくれて、ありがとう」

尊い。
感極まりそうだ。当推しは本日も素晴らしく尊い存在です。
「ううん、こちらこそ。誘ってくれてありがとう」
「断られたらどうしようかと思った」
「普通は断るよね。よりによって駆け落ちだもん。冗談言わないでよってなる」
「ユーリは断らなかったじゃないか」
膝に頬杖をついたカラ松くんの顔に、意味深な笑みが浮かぶ。どこか自信に満ちた、けれど茶化すような。
「うん、断らなかったね。あの時は気持ち的にもそんな選択肢なかったし」
「ハッハー、需要と供給が一致したグッドタイミングだったわけだな。さすがオレ!
「どうだろ。でもそうなのかも」
曖昧に笑ってこの話題に終止符を打つ。
駆け落ちしないかと誘われて即座に拒絶しなかったのは、酔いが回っていたせいか、現実に嫌気が差していた心境のせいか──それとも。もしもあの時、真剣な眼差しで問われてたら、私は首を横に振ることができただろうか。
「…ん?ハニー、どうかしたか?」
「え…あ、ううん、何でもない。これからどこ行こうかなって考えてただけ」
今さら過去を振り返っても栓ないことだ。
「土産物屋でも見て回るか?チビ太には口止め料を払わないといけないしな」
「なら、地酒でも探そう。おでんに合いそうなヤツ」
口では駆け落ちだ何だと言いながらも、私たちが交わす会話は全て、帰宅する前提で成り立っている。後戻りできない切迫感や悲壮感が似合わないせいもあるのだろうけれど、結局は今の生活圏を気に入ってるのだと再確認させられる。




「いやー…しかし何だ、酔ったな」
何杯目かの空になったビールジョッキをテーブルに叩きつけて、カラ松くんは大きく息を吐き出した。目は据わっている。
観光地から少し離れた場所にある個人経営の居酒屋のテーブル席で、温泉地名物に舌鼓を打ちながら私たちは酒を飲んでいる。大将と女将の二人で切り盛りする小さな店で、客の入りは七割といったところ。程よい賑やかさは、BGMとして耳に心地よい響きをもたらす。
「カラ松くん飲みすぎじゃない?
ビールのチェイサーにウイスキーのロックは狂気の沙汰だよ」
ただでさえ六つ子の中では酒に弱い部類に入るというのに。しかし私の心配など気にも留めず、カラ松くんは愉快そうに肩を揺らす。
「ドンウォーリー、ハニー。ユーリを無事に家まで送り届けるオレの使命は、もちろん忘れちゃいないさ」
「そうじゃなくて…」
「んー、どうした?他に心配事か?遠慮せずこのオレに言ってみるんだ」
酒が入ったせいか気が大きい。仕草もいちいち大仰だ。私は溜息をついて、水の入ったグラスを彼に差し向ける。

「私の家までは私がいるからいいけど、その後に一人で無事に帰れる自信ある?
私が心配するから、チェイサーは水にしておきなよ」

「……っ!」
息を呑んだカラ松くんの顔が、一気に朱に染まる。
ほら、と声をかけながらもう一度グラスを向ければ、彼はおずおずと躊躇いがちにグラスを両手で包み込んだ。促されるまま、冷えた水で喉を潤す。
「ハニー…その、今のは…ズルいんじゃないか?」
「何が?」
わけが分からなくて問うと、カラ松くんはグラスに浮かぶ氷をじっと凝視しながら答えた。
「東京に帰ったらオレたちは夢から覚めて、元の生活に戻る。でも例え一日限りでも、全部嘘でも、ユーリの駆け落ち相手でいられたことがオレにとっては光栄なことだった。なのに…」
雑音に紛れてしまうほど消え入りそうな音量なのに、私にははっきりと聞こえる声。
「なのにそうやって優しくされたら──帰りたくなくなるだろう?」
逸らされたままの視線は、やがて地面に落ちて。

「このままユーリを攫って逃げてしまいたいと…そんなことを考えてしまう」

これはイベント突入の序章か、と内心前のめりで意気込んだが、決して顔には出さず当惑の表情を作る私。
だがその後カラ松くんが紡いだ言葉は、私が抱いた僅かな期待を勢いよく容赦なく全力でへし折ってくれた。
「でも、寂しいから帰るのヤだって言ったらユーリは引くだろ!?だからっ、飲んで理性をなくしてバーサーカー状態になるのが手っ取り早いんだ!
おおっと気遣いは無用だぞ、ハニー!この松野カラ松、酒にはさほど強くないが古代より隣国に伝わる酔拳の使い手、ハニーの一人や二人守るなんてワケないぜっ」
追加で注文したビールジョッキをあおって、はははとカラ松くんは高らかに笑う。

ああ、そうだった、こいつべろんべろんの酔っぱらいだった
戯言真面目に取り合うべからず。というか、そもそも実際の酔拳は飲酒しない武術だ、本物の使い手の方々に謝れ
しかし、まぁ何というか、寂しいからヤだって台詞は駄々っ子の如く叫ばれたらフル無視するが、可愛く半泣きで言われたら即座にホテル連れ込むだろうな、うん。そういう意味でも残念。

「──そんなわけで、そろそろいい頃合いじゃないか?」
取皿に残った料理を口に放り込んで箸を置き、カラ松くんは手を合わせた。
「スマホないと時間確認しなくなっちゃうね。今何時だろ?」
程よく酔いが回って気分は高揚している。笑いながら店内の壁掛け時計を見上げて───私は絶句した。
「……は?」
「どうした、ユーリ?」
「えーと、あのね…」
咄嗟に言葉が出てこない。震える指で時計を示したら、彼は私の指先を追って時計に目を向けた。そして同じく言葉を失う。

「え…十時?」

終電にはもう、間に合わない。