このお話は、ロマンチックが俄然止まらないに関連する内容が随所に含まれています。
ハタ坊に誘われて参加したいつぞやのクルージングパーティで、遊園地のペアチケットを入手した。
けれど棚にしまい込んでいつしか存在を忘却し、先日部屋の片付けをした時に期限切れ間近のチケットを発見。すぐさまカラ松くんに連絡を取り、急遽その週末に出掛けることにしたのである。
「まだ開園前だというのに、すごい列だな」
「人気あるんだね。でも遊園地ってこんなもんだから」
入場門前とチケット売り場前のごった返すような行列を、カラ松くんはげんなりと見つめた。
時は八時半、開園半時間前だ。どうせなら一日遊び倒そうと、私たちはパンツとスニーカー、そしてリュックという機動力重視の万全装備。手には、期限ギリギリのチケットが握られている。
「ハタ坊が運営してるから、どんな異様な場所かと覚悟を決めてきたんだが…」
「普通の遊園地みたいだよ。SNSでもよく上がってる」
「普通の…?嘘だろ…ハタ坊に限って普通に寄せてくることはあり得ない」
どんな自信だ。
遊園地の名は、クズニーランド。
フラッグコーポレーションが運営しており、代表のハタ坊も設計に大きく関わったと聞いている。関東圏では隣県の某ネズミーランドの次点につく人気を誇り、地図上ではネズミーランドの半分に満たない敷地面積にも関わらず、いざ入場門をくぐれば、同程度の広さを体感できると話題だ。異空間に繋がっているとか、空間圧縮しているといった黒い噂が後を立たないが、そのミステリアスさもパークの人気に拍車を掛けた。
私がパーティで景品として入手したのは、クズニーランドのVIPチケットだ。
「関係者にしか流通してないチケットなんだって。全アトラクション優先搭乗はもちろん、特別入場口からの入場、レストランではVIP席案内、さらにお土産チケット五千円付き!」
「ジーザス…っ、大盤振る舞いじゃないか」
「そう、行かない理由はないよね」
ホログラムのあしらわれた高級感漂うチケットを握りしめ、私は鼻息を荒くする。カラ松くんは胸に片手を当て、従者の如く恭しく頭を垂れた。
「ユーリにとって一大イベントのパートナーに選んでもらえたオレは、光栄な男だな」
私は一瞥して、拳で軽く彼の胸を叩く。
「チケット貰った時から、誘う相手はカラ松くんしか考えてなかったよ」
「…っ!?は、ハニー…ッ、それは──」
カラ松くんの声は、にわかに入場門付近がざわつき始める音で掻き消える。
「あ、入場開始っぽい。私たちの入場口はあっちだよ、行こう」
私は彼を手招いて、足早に駆け出した。
降水確率0%の快晴、ジャケットで過ごせるうららかな陽気、外的要因に恵まれた私たちの一日は、ここから始まる。
メインエントランスからなだれ込んでくる大勢の客を横目に、VIP専用の入場門からパークに入る。
入場門からしばらくは広々とした直線の道で、左右には多彩なショップとレストランが軒を連ねる。その一角に、レトロな車を模したポップコーンワゴンが停まっていた。透明なケースの中にある山盛りのポップコーンは、ダイレクトに視覚に訴えかける。
「買っていくか?」
よほど私が物欲しそうな目で見ていたのか、カラ松くんが指差してにこやかに言う。今なら並ばずに購入できるから、と。
「え、どうしよう…でも、うん、買う、買っちゃう。お姉さん、このクマのバケットでください」
クマはクズニーランドのマスコットキャラの一つだ。つぶらな瞳のクマが背負う大きなリュックにポップコーンが入るデザインで、付属のストラップにより首から下げられる。
価格はバケット分跳ね上がるが、こういったバケットは購入地だけでなく他のテーマパークでも再利用できるから、一つくらい持っておいてもいいだろう。
「ユーリ、オレが持つ」
「いいの?ありがとう、助かる」
ポップコーンの香ばしい匂いを漂わせるバケットを、カラ松くんの首にかける。
「テーマパークで可愛いバケットをぶら下げる推し…何という超絶プライベートショット」
「二十四時間プライベートなんだが」
知ってる。六つ子にオンオフは存在しない、なぜなら無職だから。しかしそれを言っちゃあおしまいだ。
カラ松くんはおもむろに、パンフレットの地図を広げる。入り口でスタッフから手渡されたものだ。
「アトラクションに向かう前に、はぐれた時に落ち合う場所を決めておこう」
「そうだね。半時間以上再会できなかったら、っていうのを基準にしようか。時間もったいないから、絶対探さないこと。いい?」
「ハニーがそう言うなら、分かった、プロミスだ」
カラ松くんはスマホを所持していない。ランド内には公衆電話も設置されているが、そもそも台数が少なく、エリアによっては長距離移動を必要とする。
カラ松くんとの通信の不便さには慣れているけれど、万一外出時に見失うと致命的だ。今まで支障がなかったのは、別行動がほぼなかったためだと思い至ったところで、カラ松くんから折りたたんだパンフレットを手渡される。
「ユーリ」
「うん?」
「メモしておいたから、持っていてくれ。万一はぐれたら、そこに集合だ」
リュックのサイドポケットに差し込み、私は頷く。
「ありがと。万一の時は確認して向かうようにするね」
「使う機会がないことを願うよ」
苦笑して、カラ松くんはポップコーンを口に放り込んだ。
「遊園地にカップルで来ると別れるってジンクスがあるよね」
表現に正確を期すなら、某ネズミーランドに行ったカップル、ではあるが、些末なことだ。私にとっては、別段深い意味のない話題のつもりだった。
カラ松くんは数秒間の無言の後、悩ましげに前髪を掻き上げてみせる。
「…ど、ドントウォーリーだ、マイハニー。信憑性のないジンクス如きで断ち切られるほど、オレとユーリの絆はヤワじゃないだろ?」
滝のように冷や汗が出ているのは気のせいですか、そうですか。
「ま、そもそも私たちカップルじゃないから関係ないんだけどさ」
「…まぁな」
カラ松くんは不服そうに眉間に皺を寄せた。
「なぁハニー、持ち上げて落とすのもなかなか心にくるが、落とした上にさらに落とすパターンは止めてくれないか?浮上できない」
頭にぽっと浮かんだ話題を口にしただけで不機嫌になられるのは心外だが、私もいささか軽率だったかもしれない。彼の心情に思い至らないほど、初な子どもでもないのだ。
「あー…ごめん。ちょっと軽はずみだった」
両手の人差し指を口の前でクロスして、私は苦笑する。
「遊園地ってアトラクションに長時間並ぶでしょ?
待ち時間のストレスでイライラして喧嘩しやすい環境になるから、その延長で別れちゃうのかなって言いたかったんだ。
でもそういう意味では、私たちは並ばずに乗れるから、喧嘩する要因もなくていいよね」
おかげで、入場門が開くと同時に目当てのアトラクション目指して全力疾走する客を尻目に、エントランスエリアでのんびりと過ごせる。VIPチケットさまさまである。
しかしカラ松くんは、目をぱちくりとさせた。
「待ち時間でストレス…そうか、一般的にはそういうこともあるんだな」
まるで自分には無関係とでもいうような言い草だ。そう思っていたら、彼は続けた。
「オレは、こうしてユーリといられるだけで幸せなんだ。待ち時間の間ずっと隣にいられるのに、ストレスを感じるはずがない」
自信に満ちた力強い声は、群衆の奏でる騒音に紛れても、鮮明な音色で私の耳に届いた。
照れくさいことを唐突に真顔で言い放つくせに、自分の発言を反芻して慌てるそのギャップを私は可愛いと感じている。
しかしいつかはそんな台詞でも、照れも恥じらいもなく穏やかに紡がれる日が訪れるのだろうか。思考は横道に逸れる。
「──そもそも」
彼は照れ隠しの咳払いを一つして。
「オレはどんな姿のハニーであろうと、ビッグな器で受け止める自信があるぞ」
だから安心して醜態を晒すんだと、フォローにならないフォローをするから、私はついに吹き出した。
スーベニアショップで、お揃いのクマ耳帽子を購入する。ブラウン色のキャップのトップに丸いクマ耳がついているものだ。クズニーランドのロゴは控えめに、ツバの端に描かれている。
「クズニーランド専属のファッションモデルにすべき愛らしさだと、ハタ坊に進言しよう」
私が嬉々として帽子をかぶる姿が反射する姿見を眺め、カラ松くんは真顔でそんなことを抜かしおる。
「まさに魅力の権化」
「さすがに言い過ぎ感が否めないんだけど…」
手首で振り払う仕草をすれば、彼は大きくかぶりを振った。
「ノーキディング。トップクラスの魅力を兼ね備えたユーリに、愛嬌の象徴であるクマ耳のオプションだぞ?
可愛いの一言で済ませてしまうほど、オレは無作法じゃない」
カラ松くんは拳を握りしめて熱く語る。気持ちは嬉しいが、背中に突き刺さる店員の視線が痛い。うちの推しが騒々しくてすみません。
「そう言うカラ松くんの方が可愛いからね」
可愛いの応酬になるのは覚悟の上で、私は恨みがましい視線を送る。
カラ松くんも同じ帽子をかぶっているのだ。ただでさえ存在が尊い推しに、幼さを感じさせるクマ耳とか絵面が卑猥。趣味ではないファッションを強要されて居心地が悪そうに顔をしかめるその反応も、愛くるしいの一言に尽きる。
「…しかし、格好良くはないだろ?」
「格好良くはないね。可愛らしさアピール用のアイテムだから」
「こういうのはテンション上がった勢いで購入して当日はそこそこ楽しむが、翌日起きたら何でこんな物買ったんだと後悔するヤツじゃないのか?」
「気のせいだよ」
ふふふと私は笑う。
確かにクマ耳帽子なんて汎用性もないし、街中で装備すれば確実に奇異の目で見られる。言われるまでもなく、今後装着する機会が著しく少ないことは分かっているのだ。
でも──忘れられない思い出には、なる。
「私はカラ松くんとお揃いのが欲しいんだけど──駄目かな?」
上目遣いで見つめれば、カラ松くんは複雑そうな面持ちで唇を噛み、頬を朱色に染める。
「…オレがユーリの頼み事を断れると思うか?」
「そう言ってくれると思ってた」
クマ耳装着は本意ではないが、私の頼み事は断りたくない。そんな感情が読み取れた。最初からその反応を想定していたと白状したら、カラ松くんは怒るだろうか。
「お礼に、最初のアトラクションはカラ松くんが乗りたいものでいいよ。何がいい?」
「一番スリルのあるジェットコースター一択だろ」
パーク内で最も人気が高く、最長の待ち時間を誇るアトラクションである。入場開始から半時間ほどしか経っていないのに、電光板に表示される待ち時間は既にことごとく一時間に近い。さっそくVIPチケットの出番だ。
「ユーリ、次はお化け屋敷だ!行くぞ!」
一時間も経った頃には、頭にかぶったクマ耳の存在など失念したとでも言うかのように、カラ松くんは率先してアトラクションへ向かうようになった。優先搭乗の場合、待ち時間は十分を少々超過するくらいで済む。
「お化け屋敷かぁ…」
「ん?ユーリはお化け屋敷苦手なのか?」
歩きながら彼は訊いた。進行方向は明らかにお化け屋敷の方角で、問答無用じゃないかと私は文句を溢しそうになる。
「幽霊とかおばけのビジュアルじゃなくて、急に飛び出てきて驚かしてくるのが苦手…かな。それがホラーの醍醐味なんだろうけど」
気が重いことを正直に告げると、カラ松くんは朗らかに笑った。
「ははは、何だ、そんなことか。心配する必要はないぞ、ハニー」
その表情があまりにあっけらかんとしていて、私の胸に巣食う暗雲が少し晴れる──そう感じた矢先。
「オレも叫ぶ」
駄目じゃねぇか。
決め顔を作ったかと思えば、堂々と役立たず宣言。絶叫を繰り返す挙動不審まっしぐらな大人二名など、他の参加者を阿鼻叫喚の渦に巻き込む迷惑千万な輩に他ならない。
最悪なコンビ爆誕。
お化け屋敷の外観は、廃墟一歩手前の巨大な洋館だ。
六人の兄弟が何者かによって惨殺されたことから、物語は始まる。生々しい痕跡が残る館内を歩き回り、六人の霊魂と彼らが残した痕跡を辿りながら事件の真相を解明するアトラクションだ。
参加者は十名前後のグループとなり、ルートに従って館の中を進む。
『我らの一人が、助手として君たちについていこう』
薄暗がり中、鏡張りの壁伝いを歩いていたら、不意に頭上のスピーカーから不穏な声が降ってきた。
「は?」
「え?」
『誰が君たちについたか、是非確認してくれたまえ』
腹の響く重低音での囁きに従い、私とカラ松くんはこわごわと周囲を見回す。背後から上がった他の参加者の悲鳴に怯んだ視線の先で、壁に掛かった鏡に映るのは血まみれの手を私の肩に置く亡霊の姿。
「──んんんーっ!?」
「うおぉっ!…すまん、ユーリっ、少し離れてくれ!」
カラ松くんは即座に目を逸らし、私から一歩遠ざかる。覚えとけよこの野郎。
グループ内で一際声高な絶叫を繰り返しながらも、亡霊の手助けもあって幾つかのヒントを入手し、真相解明への糸口を掴む私たち。
軋む音を立てながら重厚感のある木製の開き戸が開くその先は、中庭とおぼしき屋外だった。無論屋根のついたアトラクション内なのだが、鬱蒼と生い茂る木々や欠けた墓石が薄気味悪さを演出している。
「一番新しいお墓にヒントが隠されているって話だけど…」
夜の墓場というホラー定番シチュエーション、もはや何か出る気しかしない。
「ハッハー、まるでディテクティブだな、いいだろう引き受けた。安心しろハニー、この松野カラ松の華麗な捜索で、お目当ての墓を速攻で見つけ出してやろう」
「そう願いたいよ…」
他の参加者もこのアトラクション初見ばかりらしく、全員が恐る恐る中庭をうろつき始める。その不安げな空気感が私の恐怖を増幅させた。
とにかく、カラ松くんを盾にして警戒しながら進もう。そう思い直して背中に隠れたところで、彼の眼前にあるプレート型の墓石の背後から、前触れもなくゾンビが飛び出した。
「ぎゃあああああぁぁぁぁあぁ!」
カラ松くんが飛び退き、私のつま先を盛大に踏む。
「いったああぁああぁー!」
「わあぁあぁっ、何でそんな所にいるんだ、ユーリ!すまん!」
その後何とかヒントを集めきり、犯人を突き止めることに成功したのはもはや快挙と言っていいだろう。疲労困憊になりながら館から脱出して浴びる日差しが、今日ほど清々しいと感じたことはない。
「…カラ松くん、ちょっと休憩しよう」
「ゴリゴリにSAN値削ってきたな」
げんなりとして肩を落とすカラ松くんの姿も珍しい。
「ハタ坊は力の入れどころ間違ってるよね。夢と希望のクズニーランドじゃないの?亡霊とゾンビが夢に出たらどうしてくれる…」
「──忘れればいい」
カラ松くんは微笑んだ。私は呆然として彼を見やる。
「まだここに来て半日も経ってないんだ。これからオレと過ごすメモリーを全部楽しいものにして、上書きしてしまえばいいんじゃないか?」
「カラ松くん…」
くすりと、私の口から笑いが溢れる。何て人だろう、本当に。
お化け屋敷強行したのはお前だろうが。
適度に休憩やウィンドウショッピングを挟みながら、パーク内のアトラクションを遊び倒した頃には、すっかり日が暮れる時間帯。レストラン街では、店内に入り切らない待機客が店外で待つ姿が目立ち始める。
しかし先述したように、私たちが所有しているのはVIPチケットだ。優先的に案内されるだけでなく、VIP専用の特等席へ案内される。
訪れたレストランはメニューと価格こそ大衆的ではあったが、通された窓際の席からはパークの広大な湖が一望できた。店内はアーリーアメリカンをイメージしたような落ち着いた配色の内装で、私たちはのんびりと夕食に舌鼓を打つ。
「一日があっという間だったね」
「ああ、いい一日だった。ハニーと過ごすスペシャルメモリーが、また一つ刻まれたということだな」
カラ松くんは腕組みをして感慨深げなポーズを取るが、頭上に常時クマ耳があるせいで、いまいち決まらない。
「実を言うと…少し憧れてたんだ」
「憧れって?」
私が訊くと、うん、とカラ松くんは逡巡するように頷いて、それから指先で頬を掻いた。
「ユーリと二人きりで遊園地に来ることを、さ」
食後のコーヒーで口を潤しながら、カラ松くんは言う。
「こういう定番のデートスポットとも言える場所にユーリと来れると、特別だと言われているようで嬉しいんだ。今回のチケットの相手だって、真っ先にオレを選んでくれた。どれだけオレの心が浮ついたか、ユーリは知らないだろ?」
「…それを言ったら、私だって同じようなもんだよ」
テーブルに頬杖をついて外の景色を眺めるフリをしながら、窓に映った彼の表情を窺う。
「一緒に行く日程決めて、今朝起きて家を出て、待ち合わせ場所に着くまで──私も、楽しみで仕方なかったんだから」
「ユーリ…っ」
カラ松くんの頬が上気するのが、ガラス越しにも分かった。
「…ええと、その…あ、あとは花火が上がるまで時間を潰さないとな」
クズニーランドでは週末になると、閉園一時間前の午後八時に、パークの中心から花火が打ち上がるのだ。暗がりに咲く花々は幻想的な一方で、夢の終わりを告げる残酷なカウントダウンでもある。
「まだ一時間ほどあるから、あと一つくらいはアトラクションに乗ってもいいんじゃないか?」
「じゃあアトラクション一個乗って、その後はいい感じに花火が見られる場所を探そうか」
立ち上がって外へ出た。
私たちはまだ夢の国にいる。あと少し猶予もある。
けれど確実に、終焉が音もなく足元に忍び寄るのをひしひしと感じている。楽しみで仕方なかった今日という日が、間もなく終わりを迎えようとしていた。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるから、カラ松くんこの辺で待ってて」
アトラクションへ向かう途中、私は片手を挙げて彼の進行を制する。
「まだ時間あるし、一緒に行こうか?」
「来た道戻ることになっちゃうから、それは悪いよ。すぐ戻るから」
道中でトイレを示す表記を見た気がするのだ。急げば、それほどカラ松くんを待たせずに済む。
「分かった。もう暗いから気をつけるんだぞ、ユーリ」
彼は側のベンチに腰を下ろして、私を気遣う。にこりと応じて、私は駆け足で来た道を戻った。
「ヤバイ…迷った…」
私が頭を抱えたのは、それから僅か数分後のことである。
来た道のトイレは長蛇の列で、仕方なく近辺で探そうと右往左往していたら、いつの間にか別エリアに辿り着いていた。カラ松くんの待つ場所どころか、現在地さえ分からない。
落ち着け、ユーリ。こういう時のための園内マップだ。私が半時間戻らなければ、カラ松くんは合流ポイントへ移動する手はずになっている。スマホに映る時刻は、別れてから二十五分経ったことを示していた。
「仕方ない、約束の場所に移動し───えっ…」
リュックを下ろしてサイドポケットに手を差し込んだ私は絶句する。
カラ松くんから貰ったパンフレットが、ない。
「…は?え、いやいや、ちょっと待って…」
誰に聞かせるでもない制止の台詞が口を突いて出た。
入場して間もなく、カラ松くんがマップを開いて合流地に印をつけてくれた。手渡された時、必要になったら確認すればいいやと、中身の確認もせずにポケットに突っ込んだのだ。
そして致命的なことに、絶対に相手を探すな、そう念を押したのは私自身だった。
彼は忠実に私の約束を守ろうとするだろう。冗談抜きで閉園まで待ち続けるかもしれない。警備員に追い立てられてなお、そこに留まろうとかる可能性だって否定できない。
「──探そう」
広い園内、見つかる保証なんてない。自分の中で期限を決めて、それを超過するようなら近くのスタッフに捜索の依頼をしよう。けれどそれは最後の手段だ。
私は意を決して、駆け出した。
目星をつけたエリアを駆け足で巡り、行き交う大勢の人をかき分けながら、彼がマークをつけた時のことを必死に思い出す。
カラ松くんは立ったままパンフレットを広げ、右手に持ったペンをマップの中央近くに寄せていたような気がする。分かりやすい場所で、かつ合流地点として意味を成すとしたら、おそらくはパーク中央付近。
しかし昼間と違って著しく視界の悪く、一人で探すにはエリアはあまりにも広い。
「…もうすぐ一時間、か」
花火が始まってしまう。離れたまま見るテーマパークの打ち上げ花火なんて、ただうるさいだけの、味気がないものだ。自分の危機管理のなさと不甲斐なさに、苛立ちが募る。
目頭が熱くなって、視界が滲んだ───次の瞬間。
「ユーリ」
振り返った先で、息を切らしたカラ松くんが立っていた。
「カラ松、くん…」
彼の口から吐き出される白い息が、空気中に溶ける。私は、自分が告げるべき言葉を発するため口を開こうとしたら、カラ松くんが先制して言葉を重ねた。
「すまない」
「…え」
「探さないって約束、守らなかった。オレが約束した場所にいなくて不安にさせてしまったな」
心の底から悔やむみたいに。自分の失態だとでも、言うように。
私は強くかぶりを振る。
「違うよ。私が悪いの、ごめん。だって今朝貰ったあの地図、なくし──」
「ノンノン、キュートなハニー。オレを気遣ってくれるのは嬉しいが、自分を悪者にするもんじゃないぜ」
どんな私でも、ビッグな器で受け止める自信がある。
彼は確かに最初に、そう言った。あれはフラグだったのか。
有言実行かよ、スパダリが行き過ぎて神の領域。お賽銭はどこに入れればいいですか。
「もはや尊すぎて語彙が追いつかない…。お詫びも兼ねて、何でも好きな物一つ奢るよ。何がいい?」
「いらない」
彼は穏やかに首を振ってから、自分の腕時計を一瞥する。
「ユーリ、こっちだ」
奪われるように掴まれた手を引かれて、高台へと向かう。高台と表現したものの、ジェッタコースターのアトラクションへ向かう途中の道だ。数メートル程度の高低差だが、クズニーランドの中央エリアが一望できる。
猫の額程度のただの道だが、多くの人が道の途中で立ち止まり、何かを待ち焦がれるように揃って顔を上げている。
私の中で点と点が繋がる直前、腹に響く爆音が耳を突き抜けた。
ランドの中央にそびえ立つ、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城を模したような美しい古城から、大輪の花が打ち上がる。
「わぁ…!」
カラ松くんに再会できた喜びで、打ち上げ花火のことをすっかり忘れていた。
「ここからが一番眺めがいいらしい。ハニーを探す途中で耳にしたんだ」
確かに彼の言う通り、遮るものもなく、花火を存分に堪能できる。一眼レフを構えてしきりにシャッターを押す姿も見受けられた。
そしてそれ以上に、仲睦まじく寄り添う恋人同士の姿も多く、私たちを取り囲むのも男女の組み合わせだ。
手を繋いだままの私たちも、きっと他人からは同じように見えているのだろう。
「幻想的だね」
「ああ、実にビューティフルだ」
彼は力強く頷いて、私に微笑みかけた。
「この光景をユーリと見たかった。でもやっぱり──ユーリの方が断然綺麗だな」
澄んだ瞳でタラしてくるの勘弁して。
夜空に色とりどりの花が盛大に咲いては、余韻を残してぱらぱらと消えていく。誰もが同じ想いを共有する一体感に包まれるのを感じていた。
勢いよく打ち上がるのは一瞬で、消えた後はランド全体がしんと静寂に包まれる。明暗の対比で、空が一層暗く見えたりもして。
「花火ってさ」
「うん?」
「上がってる時は綺麗だけど、終わった後の静けさには、魔法が解けたみたいな物悲しさがあるんだよね」
この時自分がどんな顔をしていたかは、分からない。繋いだ手を離してしまう数分後の未来に対し、寂寞感さえ感じている。
「らしくないな」
カラ松くんが小さく笑う。
「うん、ほんとだ。何か急に感傷的になっちゃった」
「でもそういう部分も含めて、ユーリなんだろ?
だったらオレは受け止めるだけだ」
私は目を見開いた。仏の懐かよ。広すぎる。
「不思議、何だかカラ松くんが格好良く見えてきたよ」
「フッ、何を今更。ユーリと出会った当初から変わらず…いや、むしろ格段にレベルアップはしているが、オレは元々いい男だぜ」
気障ったらしく髪を払うポーズを横目に、私は曖昧に笑うに留める。
だって私の正直な意見を言ったら、彼は間違いなく図に乗るだろうから。
「おはよう、ハニー」
翌朝、掃除洗濯を一通り終わらせた頃にカラ松くんから電話があった。ディスプレイに松野家の文字が出るだけで、心が躍る。推しから直々にモーニングコールいただけるなんて、もうこれアラーム音に設定するしかなくない?毎日飛び起きるわ。
今度会ったら録音しようと心に決める。
そしてカラ松くんが口火を切ったのだが───
「クマ耳、部屋の中で尋常じゃなく浮くものなんだな」
「奇遇だね、私もだよ」
気持ちはよく分かる。置き場所に困り、昨日頭から外して放り投げたまま放置されているクマ耳帽子を私はちらりと一瞥した。
特に男所帯では違和感しかないブツだろう。
「十四松が欲しがってるからあげてもいいか?」
「私とお揃いになっちゃうけど、十四松くんはいいの?」
まぁ、同じ場面で両者が揃って被ることはないだろうが、念のため。私の問いを受け、カラ松くんは受話器の向こうでしばし無言になる。
「いや、オレが良くないな。前言撤回だ、誰にも絶対やらん。相手がブラザーでもだ」
私は空いている手でクマ耳帽子を手に取って、くるくると指先で回転させる。本当に何で買ったんだ、これ。テーマパークマジック恐るべし。きっとアドレナリン出まくってたんだろうな。
「あ、いい解決策を思いついたぞ」
「何?」
「また一緒に行けばいい。その時につけて行こう、二人で」
瞼を下ろしたら、昨晩目に焼き付けた光景がリフレインする。まるで魔法がかけられた空間の中、家に着くまでクマ耳帽子を脱ごうとしなかったあの高揚感。
「…うん!」
夢と希望は確かにそこに、あった。