週末、外出日和のよく晴れた日だった。
シャツとデニム、頭にはキャップというボーイッシュな格好でブラブラと外を歩く。一人での気楽な外出だから、機動性にステータスを全振りした。動きやすくて体が軽い。時間はたっぷりあるから、春服でも見に行こうかと心が踊る。
生活圏から少し出た街外れまで足を伸ばし、商店街よろしく立ち並ぶショップを見て回ることにする。
セレクトショップのショーウィンドウ越しに、マネキンが着るワンピースを眺めていた時だった。
「…あれ?」
ガラスに反射した人影に目が留まる。振り返ると、有名コーヒーブランドのロゴが入った蓋付きの紙カップを片手にしたその人が、道路を挟んだ向かい側の歩道を歩いていた。
カラ松くんとチョロ松くん。
六つ子仕様の色分けされたお揃い服ではなく、白シャツにデニム、そして足元はスニーカーという、いつになくラフな出で立ちだった。さらに両者とも、視力が悪くもないのに眼鏡を装着している。まるで変装しているようだと感じたが、まぁそんなことより眼鏡をかけた推しも眼福すぎて眩暈がするレベル。私が眼鏡フェチなら間違いなく卒倒していた。その沼に今まさに片足を突っ込んだところだが。
それにしても、彼らの生活圏からはかなり離れた場所である。二人とも心なしか足早で、キョロキョロと周囲を窺うチョロ松くんの仕草も引っかかった。
声をかけるか逡巡するうちに、私の視線に気付いたのか、横を向いたカラ松くんと目が合った。
「…ユーリ…!?」
驚愕に目が瞠られる。こんな場所で会うとは夢にも思わなかった、そんな顔だ。
「カラ松くん、チョロ松くん」
道路を渡り、彼らに駆け寄る。チョロ松くんも私の姿を認識するな否や、唖然とした。
「えっ、ユーリちゃん…!」
「奇遇だね、こんな所で会うなんて。二人で買い物?」
カラ松くんの言う予定は、兄弟との外出だったのかもしれない。邪魔をする気は毛頭ないので、挨拶だけしてこの場を去ろう──そう思っていた。
「いたぞ、奴らだ!」
しかし突如背後にかかる荒々しい声に会話は中断を余儀なくされ、私たちは一斉に振り返る。
視線の先では、サングラスと帽子で顔を隠した二人組の男が、こちらを指差していた。
こいつら、ついに何かやらかしたのか?
「ちょ…っ、何だその疑いの眼差しは!?オレたちは何もしてないからな!」
「えー…」
猜疑心の固まりのような表情で眉を寄せる私に、カラ松くんが叫ぶ。
「ヤクザの女にでも手出した?」
「オレへの信頼!」
「みんな日常的にギリギリアウトなことしかやってないから、ついに追われる身になったのかな、って」
思っちゃうよね。
しかし悠長にしていたのは私だけだったらしく、カラ松くんに強く腕を掴まれる。
「おい、カラ松!?」
「ハニーを一人にする方が危険だっ!ブラザー、急ぐぞ!」
こちらに駆けてくる男たちから逃げるように手を引かれて、突然のことに理解が追いつかないまま、私たちは走った。途中、チョロ松くんが背後を振り返り、手にしていたカップの蓋を外して、まだ湯気が立ち上るそれを中身ごと彼らに投げつけた。
「うわっ、あっちー!」
顔面にコーヒーを浴びて怯む男たち。
事情はさっぱり分からないが、もしカラ松くんたちに非があって追われていたのなら、今ので傷害罪が追加されたのでは?
ついでに私も共犯者として認識されたのではなかろうか。勘弁してください。
私はただの通行人で彼らとは無関係なのだと、万一追求された時は即効で弁明しようと心に決めた次の瞬間、私のすぐ傍らに一台の白いコンパクトカーが急ブレーキで乗り付ける。
運転席でハンドルを握ってたのは──四男の一松くんだった。もう何が何やら。
「えっ、ユーリちゃん!?何で!?」
それは私が聞きたい。心の底から。
「話は後だ、一松!追っ手を振り切ってから説明する」
「ユーリちゃんも乗って!」
私には選択肢さえ与えられないまま、半ば強制的に後部座席に押し込まれる。カラ松くんが隣に、チョロ松くんは助手席に滑り込んだ。ドアが完全に閉まるより前に、一松くんがアクセルを踏みつける。
「あ、あの…これは一体…っ」
車はあっという間に制限速度を超え、時速は三桁の数字を示す。
「舌噛みたくなかったら、今は黙っておいた方がいいよ」
シートベルトを装着したチョロ松くんが、私の声に重ねて言う。何そのハードボイルドな台詞。
「シートベルトもな、ユーリ」
白昼堂々とスピード違反しておいて、そういうとこだけ法令遵守か。いや単に身の安全確保のためなのだろうが、思考が追いつかなくてツッコみたくもなる。追っ手なんて来るのか何気なくリアガラスを見ると、スピードを上げた黒い車が一台、猪突猛進とばかりに突き進んでくる姿があった。何これ怖い。
「いけるか、一松?」
カラ松くんが腕組みをして悠然と尋ねる。
「いけるだろ、たぶん。何しろこっちは改造車だし」
車検通らない車は乗りたくないんですが。これ警察に捕まったら一発免許取り消しどころか逮捕案件じゃないのか。
私の優雅でのんびりとした休日は、うっかり彼らに声をかけてしまったことで、呆気なく終わりを告げたのである。
しかし悪魔の六つ子は恐ろしいもので、追跡者を巻くのに長い時間はかからなかった。体感は数十分だったが、スマホで時間を確認すると、十分も経っていない。
都が管理する緑地公園の広大な駐車場の片隅に車を停め、カラ松くんから紙カップのコーヒー──さっき彼らが買っていたものだ──を貰い受ける。中身はまだ温かい。
「すまん…ユーリを巻き込みたくはなかったんだが」
説明は、そんな謝罪を皮切りにして始まった。
「こうなった以上はオレが必ず守る。すまないが今日一日オレの側にいてくれ」
真摯な眼差しと台詞はプロポーズさながらだが、状況が状況だけに物々しい。
「ハタ坊から、曰く付きの宝石の運び屋を頼まれたんだよね」
唐突に事案。家に帰りたい願望は初っ端から最高潮に達する。
「えーと…そういうのはプロに頼めというツッコミは、受け付け中?」
肩を落とす私に、チョロ松くんが首を縦に振る。
「うん、ユーリちゃんの気持ちは分かるよ。ハタ坊からの依頼は超絶に突拍子もないし、一般人の僕らには荷が重すぎる案件だ。でも今回はプロも大量に雇われてる」
「プロも大量に…」
意味が分からない。
「宝石に触れながら最初に見た相手に、未来永劫囚われる」
カラ松くんが呪文のような言葉を呟く。
「え」
「そんな曰くのついた魔性のジュエルなんだそうだ」
言いながら手にするのは、手のひらサイズの木製の宝箱。海賊船やゲームでよく見かける蓋の盛り上がったデザインで、頑丈な南京錠付きのレトロ感漂うデザイン。
「古代より語り継がれてきた革命の立役者たちは、このジュエルを使った、または使われたとまでと言われている。使い方次第では国の政権さえ狂わせかねない呪われた石…らしい」
ハタ坊の説明と彼は言うが、どうにも眉唾だ。
「頼まれた仕事だけ言うと、渡されたこの箱を指定された場所に届ける、それだけなんだけどね」
ハンドルに腕と顎を載せて一松くんが言う。
「はぁ…」
「この箱は一見おもちゃっぽいけど、金槌でも傷一つつかないくらい頑丈なんだよ。
しかも多数用意されて、本物の一つ以外は全部ダミー。そしてハタ坊が金にもの言わせて大量に雇った運び屋のうちの二組が、僕たち六つ子ってわけ」
三人しかいないので不思議ではあったが、そういうことか。それぞれがブレーンと参謀、そして前衛を二分割した構成だ。
「まぁ追っ手の多くは、運び屋本業の人たちに集中してるらしいから、僕らは要は数合わせだよ。
報酬はこの箱と交換だから、奪われたらタダ働きなっちゃう。それだけは避けたいから守りに徹してる」
「依頼者がハタ坊とは分からないよう情報操作もされてるんだって。すごくない?」
淡々とチョロ松くんと一松くんが語るが、私は血の気が引く思いだ。
六つ子への依頼はハタ坊から直接だったらしいが、他の運び屋たちには幾重にも仲介を重ね、依頼主は隠されている。今私たちが乗っている改造車も、機動性だけでなく外部から盗聴できないような細工もされているとのこと。
「なぁ、ハニー。ハニーはオレたちが猛スピードでカーチェイスをしていたのにサイレンの一つも鳴らなかったことを、不思議に思わなかったか?」
腕組みをしてカラ松くんが問いかける。私は即座に頷いた。
「あ、そう、それ気になってた!普通ならすぐパトカーが追ってくるよね?」
「ハタ坊の仕事は、このジュエルを始末することだ。どこまで事実かは知らないが、軍隊や警察にも話が通っていて、事故や怪我人を出さない限りは運び屋の交通違反には目を瞑るんだと」
そんな馬鹿なことがあるかい。
いやしかし、と私は思い直す。何しろ相手はアメリカ大統領とも旧知の仲で、国家から億単位の報酬を得る、あのハタ坊である。あながち荒唐無稽とも言い切れない。
「この宝石の存在を知る国の偉い人たちと協議した結果の、宝石の処分なんだって。
安心してよ、ユーリちゃん。そういう理由で、宝石を狙ってくる奴らは国家や軍隊じゃない、ただの欲に目が眩んだ個人だから。カラ松一人で処理できる」
物騒な物言いしおる。
私の参戦を報告するため、支給されたというスマホでチョロ松くんがハタ坊と連絡を取る。
「そうそう…うん、まぁ巻き込んじゃった以上は危険が及ばないようにするけど…え?」
チョロ松くんは片手でスマホを耳に当てながら、カラ松くんを見やる。
「カラ松、お前の通信機をユーリちゃんに渡せって」
「オレのを?」
「うん。あ、ユーリちゃん、それね、通話が傍受されない通信機。半径数キロなら僕たちと連絡が取れるから」
通信機は腕輪タイプだった。見た目は太めの白いバングルで、腕から外したものをカラ松くんが私の左手につけてくれる。タッチパネル式で、画面をタップして通信や音量を調節できる。
「チョロ松、オレの通信機はどうしたらいいんだ?」
「予備代わりの試作品がダッシュボードにあるって…ああ、これか。これ使えってさ」
チョロ松くんが取り出してカラ松くんに投げる。試作品というだけあってかくすんでおり、良く言えばベージュホワイト。
「何でオレが予備なんだ…」
不服そうな彼に、チョロ松くんがスマホを寄越した。ハタ坊の声が私にも漏れ聞こえてくる。
「ユーリちゃんと一緒に行動しないのかじょ?」
「する、するに決まってる」
「だからだじょー。試作品はいつ不具合が出るか分からないんだじょ。それに白いのは女の子がつけてる方が似合うじょ」
分かるような分からないような理論だ。まぁカラ松くんは前衛なので、激しい動きで通信機が損傷する可能性もあるから、私がつけていた方が安全というのは筋が通る。
「でも壊したら弁償だじょ」
鬼だ。
ハタ坊との通話を終え、カラ松くんが長めの溜息をついた。
「オレたちと出会ったのが運の尽きだな、ハニー」
それ悪役の決め台詞では?というツッコミは寸での所で飲み込んだ。偉いぞ、私。
空になったカップを近くのゴミ箱に捨てるため、私から受け取った一松くんはドアを開けて外へ出る。何となく小休止の空気になり、チョロ松くんは後部座席のカラ松くんに、口元に二本指を当てて煙草に誘うような仕草。
「ユーリがいる場ではオレは吸わん」
「だったらお前のヤツ頂戴。家に忘れてきた」
誘いではなく要求だったか。カラ松くんは苦笑して彼と共に車外に出るので、私もつられてドアを開けた。
「一松くんは、喧嘩とかは苦手?」
カラ松くんがチョロ松くんに煙草を差し出して、今後のルートについての打ち合わせを始めたので、私は一松くんの傍らに寄った。
「ま、そうだね。少なくとも好戦的ではないな。相手が兄弟以外なら、そういうシチュエーションになるのは避けまくる。面倒じゃん」
公園の利用を終えた家族連れやカップルたちが、まばらに駐車場へ戻ってくる。適度な人気と空を舞う鳥の鳴き声に、ハードボイルドな話を聞かされている今この場が、紛うことなき現実であることを突きつけられる気がした。
「得意な奴に任せといた方が効率いいでしょ」
「確かに。適材適所で目的達成まで最短ルートを目指す、って感じかな」
私の要約に、一松くんはニッと笑った。
「強いて言うなら、おれは遠距離攻撃型かな」
刹那、一松くんの背後から人影が躍り出る。
私たちの近くを通り抜けようとした観光客らしき集団の中から、鋭利なナイフを振り上げた黒い影。突然の襲撃に、私は言葉を失う。
「い──」
危険を告げる私の声は、間に合わなかった。なぜなら───
一松くんを襲おうとした男の腕に、突如野良の三毛猫が飛びかかり牙を立てたからだ。
「ほらね」
彼は私を横目で一瞥しながら、静かに言う。その後ろでは、どこからともなく出現した大量の猫に伸し掛かられて気を失った襲撃者。猫ピラミッドの頂点では、先程真っ先に噛み付いた獰猛なボス猫が、一松くんに向けてフンと得意げに鼻を鳴らす。あっという間の出来事だった。
「危険だから、あんまり使いたくないんだけど」
襲撃者ではなく、猫が。万一にも彼らに危険が及んではいけないから。
唖然とする私の視界の中で、一松くんは腕に飛び乗る三毛猫の頭を優しく撫でてやる。
「これ…一松ガールズになるなという方が無理な神回では?」
「は?」
「ここぞという時だけ発動する動物との絶妙な連携プレーとか絆とか、色んな属性の方々の色んな琴線をくすぐってくるヤツ…ッ」
私は目頭を押さえた。
「ユーリ!」
そして一松ガールズと聞くと否や、駆けつけてくるどこかの次男坊が一人。
「オレだって猫の気配がしてたから駆けつけなかっただけで、あれくらいの奴一撃だったんだからな!」
猫に張り合ってどうする。
「ズルいぞ、一松!」
何が。
カラ松くんは私の肩を抱きながら、一松くんに怒鳴る。
「お前さ、自分で何言ってるか分かってる?そういう嫉妬は醜いからな」
チョロ松くんに同情気味に肩を叩かれ、不服げに眉を寄せる一松くんと私の白けた視線を受けるカラ松くん。
「だって、オレだってユーリを守れた!」
だってって何だ、だってって。しかし私が彼に対して抱かせろと思うのは、往々にしてこういう時だったりするのだ。
「あ、ユーリちゃんも参戦すんの?やっぱつくづく縁があるんだな、俺たちって」
車内に戻り、チョロ松くんが別チームに私の参加を報告した。おそ松くんは難色を示すどころか、あっけらかんとした様子で笑って、普段と変わらない軽快な声は、私の心をふっと軽くする。
「てかさ、俺たちのチームに来たら?こっちの方が絶対安全だよ、デカパンたちもいるし」
「デカパンとダヨーンも参加してるの?」
「そう。たまたまあいつらが応戦してる時に会って、ゴール地点が同じだったから、じゃあ一緒に行くかーって感じ」
軽く一杯飲みに行くような言い方である。口を大きく開けた彼の笑顔が脳裏に浮かぶ。いずれにせよ、超絶危険な仕事を請け負ってるのに余裕綽々な六つ子マジ怖い。
そんな矢先、運転席の窓がノックされる。
ガラス越しに突きつけられる銃口と二人組の両者とも黒ずくめに近い出で立ちから、道に迷った観光客ではないことは明らかだった。チッと忌々しげに舌打ちしたのは、カラ松くんだったか一松くんだったか。
「手を上げて外へでろ」
私たちが外へ出ると、片言の日本語でそう指示される。
「大丈夫だ、ユーリ。言われた通りにすればいい」
ドアに手をかけた私の肩に手を置き、耳元で囁くのはカラ松くんで。不思議と、恐怖感は湧いてこなかった。
彼らに従い、私たちは全員両手を顔の高さに上げて車外へと出る。四人が一塊になり、二人と対峙する。彼らとの間には三メートルほどの距離が空いた。
「宝石を出せ」
私は真っ直ぐ彼らに目を向けたまま、状況把握に努める。敵は宝石が運び屋の手に渡ったことは知っていても、保管形態までは知らないのか。
宝石を入れた箱は、車のトランクに転がっている。
「マナーを知らないメンズだ。キュートなレディに向けるのは銃口より花束の方がロマンチックだぜ?」
嘆かわしいとばかりにカラ松くんが肩を竦めるが、銃口の向け先が変わっただけだった。
「宝石さえ出せば、命は助けてやる」
「…本当だな?」
「約束する」
悪役との口約束は完全にフラグだ。
馬鹿なのかと思ったのは私だけではなかったらしい、チョロ松くんと一松くんも苦虫を潰したような顔をしている。
「宝石はハニーの尻ポケットだ」
私はカラ松くんから視線を外し、二人組を見据える。
「お前、こっちへ来い」
一人がこちらに手招きする。私は呆れ果てたとばかりに息を吐き、手を高く上げたまま一歩を踏み出した。
彼らとの距離が一メートルほどまでになった、その時──
「ユーリ!」
名を呼ばれると同時に、私は思いきり後ろに飛び頭を低くした。
私の挙動に度肝を抜かれた男たちに隙が生じ、その一瞬をついて距離を詰めたカラ松くんが銃を持つ男の顔面に拳を叩き込む。もう一人がハッとして胸元に手を差し込むが、チョロ松くんが「あ」と気の抜けた声であらぬ方向を見るから、それに意識を奪われる。
視線が逸れた瞬間を見計らい、カラ松くんは地面に片手をつき男の足を払う。そしてバランスを崩して仰向けに倒れる男の胸に、無言で肘を振り下ろす。あっという間に大きな図体が二つ、意識を失って地面に転がった。
「何だ、本物っぽいけどモデルガンじゃん」
アスファルトに落ちた銃を拾い上げた一松くんが、鼻で笑う。本物とおもちゃの区別がつくのはなぜなのか。
「囮にさせるような真似してごめんね、ユーリちゃん。でも素人の二人くらいなら、カラ松一人で殺れるから」
チョロ松くんが苦笑いを浮かべる。
「暴力は好きじゃないんだがな。オレのガイアに生きとし生けるものは、みな平等にラブアンドピースの精神であるべきだ」
「最低限の納税しかできてない分際で所有を主張すんな」
一松くんが悪態をつくが、消費税以外はほぼ親任せなのはお前ら全員だぞ、ニートども。
手についた砂を払い、カラ松くんが私に手を差し伸べる。その時になってようやく、私はまだ屈んだままだったことに気が付いた。
「ユーリ、怖がらせるようなことをしてすまない…」
「ううん。不思議なんだけど、あんまり怖くなかったんだよ。大丈夫だってカラ松くんが言ってくれたおかげかな」
正常化バイアスがかっていただけなのかもしれないけれど。私が微笑むと、先程勇ましく攻撃を仕掛けたとは思えないほど幼い顔で、カラ松くんは顔を赤くした。
「あ、で、でも、よくオレの意図が分かったな。さすがだぜ、ハニー」
ああ、と私は目を細める。
「あの二人をカラ松くんの射程範囲に入れるには、私に目を向けさせる必要があったからでしょ」
四人の中では最も弱い立場に意識が集中すれば、自ずと警戒心も薄れる。
「ユーリ…」
カラ松くんは目を丸くした。
「功を奏したみたいで良かった」
「ただ…もう無茶はさせない。ユーリに何かあったら、オレは一生自分を許せなくなる」
「ふふ」
「はいはい、イチャつくのはそこまで」
唐突にチョロ松くんが私たちの間に割って入る。
「い、イチャ…っ!?何を言うんだ、ブラザー!」
「そういうお決まりの応酬も耳にタコだから。こいつらが目を覚ますと面倒だし、そろそろ移動しよう」
ハタ坊からの依頼は、目的地に時間厳守で宝石を届けること。
「早くても遅くても駄目なのは、なかなか厄介だな」
「襲撃に遭わないよう、時間を潰す場所も考えないといけないんだからな」
一松くんはさっさと助手席に乗り込んでおり、僕が運転かよとチョロ松くんが毒づきながら運転席のドアを開ける。
「オレたちも行くか、ユーリ」
「頼りにしてるよ」
「もちろんだ。ビックシップに乗ったつもりでいてくれ」
私の腰に手を回して、大袈裟にウインクをするカラ松くん。大船というよりは間違いなく泥船だが、何だかんだで結局何とかなりそうな気がするから不思議だ。
カラ松くんチームのゴールは、都内郊外にある解体作業中の大型施設だ。ハタ坊が話をつけて今日だけは中に入れる手はずになっているらしい。撹乱のため、各運び屋の目標到達地点と時間は分散されている。
「どうしてユーリとあんな場所で出会ってしまっただろうな…」
チョロ松くんと一松くんがトイレに立った時、車内でカラ松くんが額に手を当てながら呟いたので、私は異論を唱える。
「それはこっちの台詞。ちょっと離れた所でお店の新規開拓しようと思ってた私のワクワク返してほしいよ」
「あ…いや、うん…そうだよな、それは…すまん」
反論が来るとばかり予測していたので、殊勝に謝罪されると立つ瀬がない。私は慌てて両手を振った。
「ううん、ごめん、八つ当たりした。アレだね、お互い不運というか、タイミングが悪かったね」
「フッ、オレとハニーの巡り合いは、もはや時の定めとして運命づけられているのかもしれないな」
冗談めかした仕草で、カラ松くんが悩ましげに言う。
「事前に話してくれてたら、会わずに済んだと思うよ」
カラ松くんは先約があるとしか言わなかった。
「話したら、ユーリは快く送り出してくれたか?」
「それは…」
間違いなく反対しただろう。危険だから、と。何なら引き止めるために乗り込んだ可能性も否定できない。
「万一にもユーリを危険な目に遭わせたくなかった。だから話さなかった。カジノの時とは違うんだ。
カジノは相手の目的は売上金だっただろ。しかし今回は一つの判断ミスで怪我をするかもしれない」
カジノ船で私が襲われかけたのは、様々な偶然が重なった結果の不運としか言いようがなかった。今は、常に狙われている身だ。今この瞬間だって、もしかしたら。
「ただ…ユーリを巻き込んだのはオレの責任だ。何があっても、命に替えてもユーリは必ず守る」
射抜くみたいな強い瞳。しんと静まり返った車内。
どう見ても死亡フラグ。
「そういうことは言わない方がいいような…うん、あの、深い意味はないけど」
私は目が泳ぐ。フラグだから、とはさすがに言えない。
だがカラ松くんは幸いにも私が彼の身を案じていると認識したらしく、頬に火が灯るような朱が差した。
「なら、約束をしよう」
「約束?」
「この仕事が終わったら、オレとユーリの二人で祝杯を挙げる──どうだ?」
「…うん」
回避しようとすればするほど畳み掛ける死亡フラグ。もうこれ任務失敗が約束されているのではなかろうか。