※名前のついたオリジナルキャラが登場します。
「オレとデート!?」
カラ松くんの素っ頓狂な声が室内に轟いた。
麗らかな陽気の休日、フラッグコーポレーション総元締めのハタ坊に呼び出され訪れた先は、都内某所にある雑居ビルの一室だった。
ビル入り口に設置された入居テナント一覧には、フラッグコーポレーションの子会社らしき社名が記載されていたが、エレベーターを使って辿り着いた先のドアには『探偵事務所』の文字。私とカラ松くんが唖然としたのも一瞬で、手を出す業種を選ばないのはハタ坊らしいという結論に落ち着いた。
白を基調にした清潔感のある室内、その一角にある応接室に通される。
呼ばれたのは私とカラ松くんだけだった。その時点で彼の思惑を懸念すべきだったと、後に私は少しだけ反省する。
「依頼人の希望なんだじょ」
ドアに近い下座のソファ──本革の高級そうな座り心地だった──に腰を下ろしたハタ坊が、顔色一つ変えずさらっと告げる。傍らには、例の如く頭上に旗が刺さった男性秘書。
私たちは彼らの向かいに座った。
「つまり、『カラ松くんとデートしたい』依頼がきたってこと?」
「だじょ」
「えっ、何だそれ……壮大なドッキリ?ドア開けたらカメラ回ってる?」
当事者だけが話に入ってこれない。彼のこれまでの生き様を鑑みたら、第一にドッキリを疑うのも無理はないだろう。
「依頼人の女性からSNSを通じてコンタクトがあり、探し人がミスターフラッグのご友人でしたため、格安で引き受けました。
近々進学のために海外に行き、しばらく日本に帰ってこれなくなるので、日本を発つ前の思い出としてカラ松様とデートがしたいとご所望です」
まるでドラマのような依頼だ。続けざまに語られる内容を受け止めるのに時間がかかっていたら、カラ松くんが勢いよく立ち上がる。
「断る」
「じょ?」
ハタ坊は不思議そうに首を傾げた。
「断ると言ってるんだ。 ユーリがいるのに他のレディとデートなんかできるか」
見上げた横顔は真剣そのものだった。吊り上げた眉からは苛立ちさえ漂う。
「すまんが断っておいてくれ。話はそれだけか?なら行くぞ、ユーリ」
「待って」
咄嗟に私の口から出た言葉は制止だった。カラ松くんの服の裾を引き、着席を促す。彼は目を瞠った。
「…ユーリ?」
「わざわざ探偵に依頼するくらいなんだし、何か事情があるのかもしれない。結論を出すのは、もう少し話を聞いてからでも遅くないと思うよ」
カラ松くんが逡巡するのが表情で分かる。
「しかし、それじゃあ…」
「依頼人は可愛い女性ですよ」
秘書が溢した言葉に、カラ松くんの動きが止まる。実に分かりやすい。
「やっ、べ、別に可愛いとか可愛くないとかいう問題じゃ…っ」
否定の声は裏返る。演技下手くそか。
カラ松くんの動揺を気に留める素振りもなく、むしろ好機とばかりに秘書の男性はテーブルにそっとタブレットを置いた。画面に映し出されるのは───学生服を着た、幼さの残るあどけない顔立ちをした女の子。友人と自撮りした一部を切り取ったような写真なのか、天真爛漫な笑顔をこちらに向けている。
「女子高生…?」
「小鞠(こまり)様とおっしゃいます。この春女子校を卒業したばかりの女性です」
「カラ松くん知ってる子?」
私が尋ねると、彼は即座にかぶりを振った。
「知り合いどころか、こんな子見たこともないぞ」
「何それ素敵」
率直な感想が思わず口を突いて出た。ロマンチックだ。女子校で異性に慣れていないであろう女の子が話したこともない相手に焦がれてデートを希望するだなんて展開、俄然私のテンションが上がる。
「実はもう本人が別の部屋に来てるんだじょ」
「はぁ!?」
カラ松くんが愕然とした。彼にイエス以外の返事を言わせない用意周到ぶりだ。
彼女がなぜカラ松くんに惹かれたのか。
この依頼の根本となる理由を、小鞠さん本人から直接聞きたかった。ハタ坊から聞いてもいいけれど、本人の言葉に勝るものはない。
私が言うのもアレだが、童貞ベテランニート穀潰しカースト最底辺所属、エセ英語が口癖の次男坊のどこがいいのか是非とも教えてほしい。いや当推しを貶すつもりは毛頭ないけども。ないけども!
秘書が連れてやってきた彼女は、タブレットに映っているものより少しだけ垢抜けた感じがした。私服で、ほんのりと化粧しているのも要因だろう。
「ええと…初めまして、小鞠です」
頭を下げられて、私とカラ松くんも慌てて頭を垂れた。
「あ、松野カラ松です」
「有栖川ユーリです」
ハタ坊の隣に座った彼女は、カラ松くんと目が合うなり頬を朱に染めた。間近で推しを見る感動、分かる。
「あの、私もし邪魔なら──」
私たちは双方ハタ坊の友人であると小鞠さんに紹介されたが、得体の知れない人間が近くにいては、進む話も進まないのではないか。そう考えて離席しようとしたら、カラ松くんが遮るように片手を伸ばした。視線は前を向いたまま。
「そ、その……変な依頼してしまって、すみません。不審に思われるのも無理ないと思います。私が松野さんの立場なら断ると思うし…」
「いや、そんなことは…」
「デートっていうか、一回でいいから二人でどこかに出掛けたいな、と思っただけなんです。
どうせ日本出るし、海外に行ったらいつ戻ってこれるか分からないし、じゃあ断られてもいいからちょっと頑張ってみようかな、と」
だから探偵社に依頼をしてみたということか。提示された金額が格安だったのも、高校卒業したばかりの彼女には渡りに船だったと想像がつく。
「一つ聞いてもいい?」
ならば、勇気を出そうとした、その理由を知りたい。
「は、はい」
「どうしてカラ松くんとデートしたいって思ったの?」
小鞠さんは唇に人差し指を当て、気恥ずかしそうに微笑んだ。
「キラキラしてたからです」
「キラキラ?」
私は思わずカラ松くんを見る。
「ここ何ヶ月か、私が土日のバイトに行く時、松野さんと同じ電車に乗ることが何度もあったんです。乗ってる人がみんな俯いてスマホ見てるのに、松野さんだけいつも顔を上げて楽しそうに外を見てたのが印象的でした。
足取りとか軽やかで、それで、何か…いいな、って」
土日、同じ時間帯の電車。この二つの単語だけで、私は解を見出す。その時間帯にカラ松くんが電車に乗るのは───私と会うためだ。
いつもの場所でいつもの時間に。毎週末に会うことがお決まりになると、都度待ち合わせ場所と時間を決めるのが面倒になる。そんな時に便利なのが定位置と定時だ。小鞠さんはバイト開始に間に合うよう、カラ松くんは私との待ち合わせ時刻に間に合うよう、同じ電車に乗っていた。
「電車に乗ってるだけなのにあんなに楽しそうなら、一緒に過ごせたらもっと楽しいかもしれない。そう思いました」
その時の光景を思い出すように、彼女の視線は宙に向けられる。
「でも急に電車で会わなくなって、名前も何も知らないから探してもらった…っていう経緯です」
視線さえ交わったことのない二人が、第三者の手を借りて今膝を突き合わせている。
カラ松くんに憧れた理由が腑に落ちて何度も頷く私に、遠慮がちに小鞠さんの目が向けられる。
「それで…あの、有栖川さんは、松野さんと付き合ってるんですか?」
「へえぁっ!?」
カラ松くんが息を吸いそこねたみたいな情けない声を上げた。
「付き合ってないよ」
「ユーリ!?」
「推す側と推される側」
小鞠さんはきょとんとしたが、私の否定にひとまずは安堵したようだった。肩の力が抜け、唇には小さな笑みが浮かんだ。
カラ松くんはしばし私を横目で睨んでいたが、やがて根負けした様子で膝に手をついた。
「───オーケー。この依頼、受けて立つ」
事実上の承諾。
物語の幕は上がった。
「交渉成立だじょー。デートの日取りと集合場所はハタ坊たちが決めるじょ」
連絡先の交換はさせない流れらしい。一度きりのデートだ。
当日までの流れをカラ松くんと小鞠さんに説明するのは、秘書の役目だった。私とハタ坊はお茶でも入れようかと給湯室へ向かう。冷蔵庫からペットボトルの麦茶を出しながら、私はようやく自分の役目に思い至った。
「私が呼ばれたのは、このためか…」
彼の退路を断つための。
「楽しみだじょー」
ハタ坊は見た目も言動も幼く見えるが、事業を起こして都内の一等地に自社ビルを所有するやり手である。
ゆめゆめ侮るなかれ。
「ほんとーにドッキリじゃないんだよな?
正体は美女薬飲んだブラザーとかデカパンってオチないよな?」
カラ松くんは念押しで確認してくる。疑心暗鬼がすさまじい。過去に見事に謀られた経緯があるから仕方ないことではあるけれど。
小鞠さんと別れを告げ、ハタ坊たちが別室で別の依頼者と打ち合わせをしている間、私とカラ松くんは所長デスク前のソファに腰を下ろしていた。
「確信はないけど、嘘じゃないと思うよ。
もしドッキリだったら関係者全員この世の地獄を見せてやるから安心して」
推しを愚弄する者は許さん。
私の意気込みに気圧されたのか、カラ松くんはソファの背もたれにぐったりと背中を預ける。
「…まぁ、これはアレだ、シャイなカラ松ガールズがようやく自分の殻を破ってオレに愛のコンタクトを取ってきた、ということだな」
「カラ松くんが自分からオーケー出したのは正直意外だったな」
彼は再び上半身を起こし、高らかに足を組む。
「フッ、何を言うんだハニー。オレはオールウェイズ、カラ松ガールズの味方だぜ」
ニヒルな笑みを浮かべたのは束の間で、すっと笑みを消し、膝の上で両手を組む。
「探偵に頼むのも、オレを目の前にして言うのも相当勇気が必要だったはずだ───それには応えたい」
私の胸に光が灯った感覚がした。温かさを伴ったそれはじわりと拡大して、浸透する。
「ユーリもそう思ったから何も言わなかったんだろ?」
私は目を剥いた。突拍子もない展開にのまれているだけかと思いきや、冷静に周囲の状況を見ているとは。
「私、今カラ松くんを見直したかも」
「…オレを何だと思ってたんだ」
「ニート童貞」
「合ってる」
互いに頷き合う。
「私もかカラ松くんと同じ立場なら、承諾するかもしれないなぁ」
「───そうなのか?」
カラ松くんの視線が私を捉える。彼の背後から差し込む明かりが逆光になり、黒い影に覆われるような感覚はどこか不穏な空気を纏う。
「オレ以外の男と二人きりで、相応の意味を伴って出掛けるということを?」
やべぇ。面倒くさい応酬が始まってしまった。カラ松くんは私の異性関係に言及すると途端に機嫌を損ねる癖がある。
さてどうしたものかと眉根を寄せていたら、彼はふと険しい表情を解いた。
「いや待てよ…ということは、近々オレはハニー以外のレディと相応の意味を伴って出掛ける予定になっている気が…」
気がするどころかその通りだが?
力の限り放ったブーメランが返ってきて彼の脳天に突き刺さる。
「い、言っておくが、オレがするのは健全なデートだぞ!」
「自称なら何とでも言えるよねぇ」
私が趣向返しよろしく意地の悪い口調で呟くと、カラ松くんは眉根を寄せて語気を強めた。
「だったら、ユーリは見届けてくれ」
「はい?」
「オレと彼女が一緒にいる間、ユーリは後ろからついてきてくれ。健全さはそれで証明する」
カラ松くんは真剣だ。
「私は特に気にならないよ。結果だけ教えてもらうのでいいけど」
私の返事は彼を落胆させたらしい。気落ちした顔で肩を怒らせる。
「何で!?ほんの少しくらいはこう、オレの気持ちが揺れないかとか、ほら…そういうの気になってもいいんじゃないか!?」
今更私がノーと言ったところで一旦出した結論を覆すようなことはないと思うが、仮にこの場で私が拒絶したら自分勝手な部外者に成り下がるだけではないか。可愛い嫉妬で片付けられない。
元より、当初から否定の意思など持ち合わせてはいないのに。
「え、揺れるの?」
「揺れるわけないだろ!オレがいつユーリ以外を───」
カラ松くんは声を荒げた直後、自らの矛盾にハッとしたようだった。
「でしょ?だからだよ」
私はにこりとする。
「私はカラ松くんが言うこと信用してるから」
彼は片手で、濃い朱が差した顔を覆った。表情の半分以上は露出したままだから、どんな顔をしているかは一目瞭然である。
「…ここでその台詞はズルくないか?」
隣の応接間から漏れ聞こえる声が途切れて、数秒の静寂が漂う。
少し乾燥したカラ松くんの唇から漏れた溜息は長く、言葉にされない感情は推して知るべし、だ。
「オレを信頼してくれてるのは嬉しいが、せめてこういう時くらいジェラシーを感じてくれても損はないと思うぞ、ハニー」
カラ松くんはすっかりぬるくなった茶を飲み干した。グラスをテーブルに戻そうとした手がはたと止まる。
「最初で最後のデート、か…」
声は静かに広がって。
「終わりの始まりなんだな」
週末は外出日和の晴天だった。長時間屋外でも過ごしやすい気温と適度な日差しは、眠気を誘うほどに心地良い。
待ち合わせ場所の公園には、小鞠さんが先に到着していた。暇潰しにスマホを眺めるでもなく、ソワソワと落ち着きのない挙動で待ち人の到着を心待ちにする姿は初々しい。
「待たせてごめん!」
カラ松くんは彼女の姿を視認するなり、小走りに駆け寄ってくる。時計の針が示す時刻は約束の十五分前、どちらも早すぎる到着だ。
今日のカラ松くんは袖を捲くった薄手のネイビーパーカーにブラックのスキニーデニム、足元は存在感のあるハイテクスニーカーと、カジュアルな出で立ち。
「い、いえ!私も今来たところです」
小鞠さんは大きく首を横に振る。
「そう?あ、今日はスカートなんだね。その色いいな、似合う」
ナチュラルに異性を褒める推し。
「ありがとうございます。松野さんも格好いいです」
同じくナチュラルに格好いい返し。カラ松くんは僅かに瞠目した。推しへの効果は抜群だ。
「カラ松でいいよ」
今度は小鞠さんが驚く番だ。しかし直後、顔を綻ばせる。
「……は、はい。ええと、カラ松…さん」
「どこか行きたい場所は?特になければ、動物園なんてどうかな?」
「あ、行きたいです!」
「じゃあ決まりだな」
カラ松くんが発券機で買った切符で、小鞠さんはICカードで、それぞれ改札口を通る。そのだいぶ後ろを、帽子やら眼鏡やらで変装した私とハタ坊が続いた。
カラ松くんは先端が集音マイクになったネックレスを首から下げ、私たちはワイヤレスイヤホンを通して彼らの声を拾う。
「人のデートを尾行するのはいい趣味じゃないよなぁ」
私は未だに乗り気ではない。純粋に楽しみたい彼女の期待に水を差す形になりかねないからだ。
「これも仕事なんだじょ」
依頼人の希望が叶ったか確認すること。
「要は見失わなきゃいいんだよね。そういうのはハタ坊に任せるよ」
音量を絞り、私は意識と視線を極力よそへ向けるよう努めた。
「いい天気になって良かったですね」
ホームで電車を待ちながら、小鞠さんが言う。
「うん、動物園日和だ」
「一日カラ松さんと二人だと思ったら緊張しちゃって…どもりまくったらすみません」
緩く頭を下げる小鞠さんに、カラ松くんは肩を揺らした。
「大丈夫だよ」
「え」
「オレも緊張してる。緊張してる同士だし、バランス的にはちょうどいいんじゃないかな」
カラ松くんは右手の指先で一文字を描く。互いに優劣なく立ち位置は同じということを示しているのだろう。
それを見て、小鞠さんも笑った。
「そんなことより、今日の資金は潤沢だぞ、小鞠ちゃん。何しろハタ坊が全額出してくれる。行きたい場所、やりたいことは何でも言ってくれ。動物園でも水族館でも───」
カラ松くんは両手を広げて高らかに言い放とうとしたが、はたとして言葉を切った。微かに首を振る。
「…カラ松さん?」
「え、や、その……動物園の方がいいな。
おあつらえ向きの晴天だ。室内で過ごすのはもったいない」
「確かに。写真もいい感じに撮れそうですね!」
朗らかな笑顔の彼女とは対照的に、カラ松くんの笑みには心なしか翳りが窺えた。何の憂慮があるのかと疑念を抱くうちに電車がホームに滑り込む。途端に周囲は騒々しくなり、マイクが拾う音にも雑音が入り混じった。
私とハタ坊も隣の車両に乗り込み、動物園入口の駅へと向かう。
顔を合わせた瞬間から、終幕へのカウントダウンが始まる。終わるために始まる一日。
今どき珍しい清廉な願いを叶える、心に残る思い出作りのために始めたことだった。双方にとって達成感を感じられそうな、期待に満ちた心躍る依頼のはずだった。
なのに、胸が詰まる物悲しさが漂う、そんな気さえするのはなぜだろう。当事者でもないのに胸が締め付けられる。私が彼らから目を逸らそうとするのは、現実逃避なのか。
入場券を購入した彼らは、順序に従って園内を見て回る。
まだ互いに初々しさはあるものの、当初のぎこちなさは少しずつ薄れているようだ。小鞠さんの顔に微笑が浮かぶ回数も増えている。象の餌やり体験では、カラ松くんの手のひらに載せた野菜が鼻に吸い込まれるのを見て、スマホを抱えながら大きく口を開けて笑っていた。体験した当人は顔を絶妙に青くしていたが。
「ハタ坊、アイス食べない?」
「食べるじょー」
我々も尾行は程々にして、動物園を楽しむことにする。何が悲しくて貴重な休日を不本意な尾行に費やさにゃならんのか。
「カラ松さん、コアラアイスありますよ。あ、でもライオンも可愛い」
売店ではクッキーやチョコなどを組み合わせて動物の顔をモチーフにしたアイスも販売されていている。コアラはチョコアイスをベースにして、チョコクッキーと一口大のチョコで耳と顔を表現。対してライオンは、キャラメルアイスの周囲にキャラメルクッキーを纏った存在感のあるデザインだ。どちらも愛くるしい顔でSNS映えする。
「小鞠ちゃんはどっちがいい?」
「えー、悩むなぁ。どっちかというとコアラなんですけど、ライオンもいいし…」
「オーケー。じゃあこうしよう」
カラ松くんは指を鳴らす。
「オレはライオンにする。二つ買って半分こしよう。そうすれば、二人ともどっちの味も楽しめるよ」
当推しはしれっと手練れみたいなこと言いおる。
爽やかな笑顔が眩しい。彼に他意はないのだろう。だからこそ罪深い。
案の定、小鞠さんは頬をピンクに染めて黒目をあちこちに彷徨わせた。
「い、いいんですか?」
「ハタ坊の金なんだし、こういう時は思う存分使った方が得だしな───あ、コアラとライオン一つずつ」
絶妙に素のクズさが漏れ出てきている。
小鞠さんが不快な気持ちにならなければいいのだけれどという私の懸念をよそに、彼女の興味はすっかりコアラアイスに向かっていた。
アイスを食べた後は小動物と触れ合えるコーナーで、うさぎやハムスターと戯れる。この頃には緊張感もあまり見えなくなり、気の置ける友人同士のような距離感に近づいていた。
「…あの、カラ松さん」
「うん?」
カラ松くんが振り返る。日差しを受けた血色のいい顔。
「その……腕、組んでもいいですか?」
「え!?」
瞠られる双眸。そう、これはデートだ。ダラダラと遊び倒す気楽な企画ではない。
カラ松くんは焦りの色を浮かべて小鞠さんの背後に──要は私とハタ坊に──視線を向けた。私たちはパンフレットを広げて気付かないフリを装う。
彼が逡巡したのはほんの数秒程度だったと思う。すぐさま視線を小鞠さんに戻し、頷いた。
「──ああ、いいよ」
照れくさいな、そんなことを呟きながら。
「そういうこと言われ慣れてないから、変な態度になってごめん」
動揺は拒絶ではないとのフォローも万全だ。
カラ松くんが差し出した腕に、おずおずと細い手が伸ばされる。彼よりも小柄な小鞠さんにはちょうどいい腕の高さのようだった。
「えへへ」
はにかんだ笑顔が眩しい。
限られた時間、名も知らず言葉も交わしたことのなかった相手と恋人のようなデートをする。
彼女の胸の内に広がる感情の名は、何と呼ぶのだろう。
夕食は動物園近くのファミレスだった。全国展開のチェーン店で、メニューも通年で大きな変化のない定番ものが多い。
学生から家族連れまで老若男女がガヤガヤと賑やかな店内で、カラ松くんは不安げに小鞠さんに問うた。
「こんな店でいいの?
いや、ここが嫌ってわけじゃなくて…せっかくならもっといい店でも──」
「こういう所がいいんです」
小鞠さんはカラ松くんの言葉を遮るように言った。メニュー代わりのタブレットを手元に置き、手慣れた様子で画面に指を当てる。
「普段のデートっぽい感じで終わらせたいから」
カラ松くんがハッとするのが遠目にも分かった。
「特別じゃなくて、もう何回も会っているような、そんな普段どおりの場所がいいです」
彼女の目に留まらないよう両手を膝の上で一度強く握りしめた後、カラ松くんはその手を肘ごとテーブルに置いた。上半身を前のめりにさせる。
「───オレは肉がいいな。唐揚げ定食とかハンバーグとか、とにかく肉。ノーミート・ノーライフだ」
「それなら、今なら期間限定のハンバーグとステーキセットがありますよ。ちょっとどころか結構ボリュームあるけど」
タブレットの画面を見せて、二人で覗き込む。
「何だ、この程度の量なら全然イケるぞ。日頃ブラザーたちに横取りされてる分を取り返すと思えば余裕だ」
「えっ、ご飯奪い合いになるんですか?」
「大皿に唐揚げやフライが盛られた日は戦争だな。
唐揚げや天ぷらは揚げたてが最高だろ?そうそう、旨い唐揚げと言えば特に
ユーリの作───」
そこまで言いかけて、カラ松くんは口を噤んだ。
「…いや、唐揚げは作った人によって味付けが違うから面白いな。肉に衣をつけて揚げるだけなのに奥が深い。
で、小鞠ちゃんは何にする?」
タブレットを彼女に差し向けて、カラ松くんは微笑んだ。
食事を終えてファミレスを出る頃には日が暮れて、街灯が灯り始める。
別れの時間が近づいているにも関わらず、二人の顔には笑みが浮かんでいた。他愛ないことを談笑しながら駅へと歩を進める。
ホームに上がった頃合いに、小鞠さんはカラ松くんの腕から手を離した。どこか名残惜しそうな表情をしながらも、躊躇いなく。間もなく訪れる終焉のため。
「次の電車に乗ります」
「うん」
「今日は一日ありがとうございました」
小鞠さんはぺこりと頭を下げた。
「礼を言うのはオレの方だ───楽しかった」
「私もです」
彼女の頬に朱が差す。
「次はブラザーたちとよく行く釣り堀を案内しよう」
「はい、楽しみにしてます」
「気をつけて帰るんだぞ」
電車到着のアナウンスが鳴り響き、ドアが開く。入り乱れる足音と雑音に彼らの声がかき消されそうになる。
いっそ聞こえなければいい。最後の会話は彼らだけのものだ。私はイヤホンを外して、ハタ坊に返した。
「私、下にいるね」
「分かったじょ」
変装用の帽子やサングラスも取り払う。電車を降りた乗客の流れにのって、私は長い階段を一段ずつ下りる。
階段を下りきった頃、電車がホームを離れる音がした。
「ユーリ」
戻るべきか逡巡していたら、背中に声がかかった。反射的に振り返る。
浮かない顔をしたカラ松くんが立っていて、そういえば今日彼と口をきくのは初めてだななんて感想が浮かぶ。現実から意識を逸らすみたいに。
「お疲れ、カラ松くん」
かけるべき言葉は見つからなかった。どう解釈しても満場一致のハッピーエンドではない結末に、他人の私が歯がゆさを感じるのだから、当人のもどかしさはいかばかりだろう。
「…ああ」
しかし彼は私の予想に反し、腰に手を当てやれやれと長い溜息を吐いた。
「フッ、今日もまた一人の悩めるカラ松ガールズを救ってしまったぜ。ガイアのトレジャーに等しいオレを独占した今日のことは、海を渡った先でも胸を張っていい誉れだ。男を選ぶ目も自慢していい」
「そうだね」
「最後も実にいいスマイルだった。オレから溢れ出る魅力に触れたガールズを例外なく幸せにしてしまうのも、実にギルティな仕様だな」
彼女が笑っていたのなら、良かった。
もし私なら、たった一回デートしたくらいで満足できるだろうか。ほんの僅かでも共にある未来を期待してしまったら、その片鱗を見せずに潔く引き返せるか。独占欲というのは根深い執着だから。
「いいことだよ。笑って終わりにできたなら、それで」
やらない偽善よりやる偽善、そんな言葉が過ぎる。
カラ松くんは私の目をじっと見つめた。
「───とはいえ、こういうことはニート童貞にやらせるもんじゃないな」
「それは言えてる」
「せめて悩むフリくらいしてくれ、ハニー」
彼はようやく、少し笑った。
「ユーリ」
「うん」
「抱きしめてもいいか?」
唐突な申し出。
「は?今?え、ここで?」
「ここで」
カラ松くんが一歩近づく。構内の壁際とはいえ、人通りは決して少なくない。今だって途切れることなく人の往来がある。
私が出した結論は───仕方ない、だ。
「ん」
広げた両手の中にカラ松くんがすっぽりと収まって、彼は私の背中に両腕を回す。幾つか向けられているであろう好奇の目から意識を逸らして、私の目は地面を見つめた。
「…晴れ晴れとした寂しさが残った」
「何それ」
両者の意味合いは相反する。一般的に並べて用いられることのない表現だ。
「爽やかな物悲しさとも言える」
「一緒じゃん」
笑ってしまう。
けれど、彼が意味するところは察することができた。依頼自体は無事に成功して当初の目的を達したものの、大団円と胸を張るには至れない、そんな行き場のない複雑な心境を持て余している。
今回限りではなく、もう何度も会っているような雰囲気のまま終わりたい。カラ松くんと小鞠さんは彼女の願いを演じたまま、再び相まみえる約束をしながら終止符を打った。まるで社交辞令だ。双方に叶える気もないのに、また今度、なんて口約束。
「 ユーリは離れていかないでくれ」
「カラ松く──」
「いつものように別れて、それっきりなんてオレは嫌だ」
煌々と明るい構内に響く、弱々しいけれど強い意志の宿る願い。私を引き寄せる腕に僅かに力がこもった。
私は顔を上げて、抱擁を解く。驚くカラ松くんと視線がぶつかった。
「そんな心配いらないでしょ」
何て心配をしているんだろう、この人は。
「ハニー…?」
「だってほら、まぁ不慮の事故でいなくなるのは仕方ないとしても、それだって宝くじに当たるくらい確率低いよね。
それに私とカラ松くんの場合、物理的に遠距離にはならなくない?」
「何でそう言い切れるんだ?」
不満げな表情に、ニッと笑みを返す。
「カラ松くんは一緒に来るでしょ?」
彼は言葉を失った。私が何を言っているのか理解できないと、その表情は語る。
「例え私が遠くに引っ越しても」
保護者の庇護が必要な年齢はとうに過ぎた。婚姻さえ親の許可なしに行うことができるのだから、居住地変更などわけもない。
私たちは、自らの意思で進むレールを決められる。
「それとも、今の場所じゃなきゃ駄目な理由があったりする?」
「ない」
即答か。
「 ユーリは…いいのか?」
「何が?」
「その……もし東京から離れることになった時に、オレがついて行っても」
迷惑ではないか。
日頃、被害を被る相手──主にイヤミさんやチビ太さん──のことなど眼中になく思うまま好き放題やるくせに、こういう時に限って気遣いするのは何なの、可愛いが過ぎる。
「無職を養う気はないから、それでいいなら」
「──ユーリ!」
見開いた双眸はキラキラと輝いて、声が弾む。
「もちろんだ!ユーリのいない世界にいるくらいなら、多少法に触れるような危ない橋だって余裕で渡れる!」
「お縄案件は止めろ」
マジで。
「ほらね」
私は腕組みをする。
「物理的な距離は私たちの問題にはならないんだよ」
カラ松くんの耳が赤くなる。照れくさそうに口角が上がった。
「はは、とんだ口説き文句だ。人目がなければ攫っていきたいくらいにクールだぜ、ハニー」
「攫われる方の覚悟ができたらいつでも言ってよ」
こんな私のフリを、馬鹿言うなとカラ松くんがあしらうのがいつもの流れだ。イニシアチブの奪い合い、手綱を引く役目の争奪戦、私たちの主張は常に平行線を辿る。だからこその挨拶のようなもの───のはずだった。
「…できてる、と言ってしまいそうになる」
だから、カラ松くんの返答には度肝を抜かれた。完全に想定外だったからだ。独白ではなく、私に語るのも。
これはもうしんどいオブ・ザ・イヤー。
「ごちそうさまです」
推しを褒める語彙力なんてとうに尽き果てた。
そして呆然と呟く私の不審者っぷりに、慌てて我に返るカラ松くん。
「わあああぁああぁ、待て待てっ、ウェイト!今のナシ!ナシで!聞かなかったことにしてくれっ」
「100万回いいね押したい」
「悪かった!オレが悪かったから!」
両手で肩を掴まれ、強引に突き放される。私が悪者みたいじゃないか。
でも顔一面を朱色にして私から必死に目を逸らすのは可愛いの権化でしかなく、その可愛さに免じて聞かなかったことにしてもいいかなという思いも出現する。
「か、帰ろう!ASAPでゴーホームだ!送っていくから」
ASAP、できるだけ早く。
「なら、ハタ坊に一応挨拶していかなきゃね」
彼はまだホームにいるだろうから。
「ハタ坊にはオレが後で連絡しておく。今日使った経費精算の件もあるしな。まぁ、どうせこの声も聞こえてるだろうか───あ」
カラ松くんの顔から血の気が引く。
彼が首から下げたネックレスに仕込まれたマイクの電源は、小鞠さんと別れた後も入ったまま。それはつまり、今までの私たちの会話は全て───
次の瞬間、カラ松くんはネックレスを引きちぎり、勢いよく地面に叩きつけた。その顔はまさに鬼神だったと、後の私は語る。