短編:不毛な会話に花が咲く

「カラ松のどこがいいの?」

脈絡もなく突然おそ松にそう問われたユーリは、一瞬微かに当惑を滲ませたように見えたが、すぐに笑みをたたえて淀みなく答えを明示した。
好ましい相手がいると告げた時、往々にして他者から上記のような質問が投げられる。返事を聞いたところで質問者が得られるメリットなど皆無に等しいのに、なぜ訊かずにはいられないのか。
実に不毛な問いかけだと、トド松は思っている。




昼食を終えて一時間ほど経った頃のこと。松代から買い物を命じられたカラ松が、財布と買い物メモをデニムのポケットに入れて出掛けたのを見かけた。
だからその数分後に、まるで入れ替わりのようにユーリが訪ねてきた時は驚いたものだ。

「カラ松くんいないの?買い物?
おっかしいなぁ、この時間に行くって言ってたつもりだったけど。私が時間間違えたかな」
「歩いて行ったから、戻ってくるのは半時間後くらいだと思うよ。まぁとりあえず上がって上がって。ちょうどみんな揃ってるんだ」
ユーリが手土産を手にしているのを見るに、松野家で過ごす予定だったことが窺える。
「ふふ、実はそれ見越してお菓子買ってきたんだ。みんなで食べよう」
上がり框で脱いだ口を揃えて、ユーリはにこりと微笑んだ。明るく快活なその声は、静かな空間によく通る。彼女は同世代カースト圧倒的最底辺かつ暗黒大魔界クソ闇地獄カーストの住人と自負する自分たちに対しても、別け隔てなく接してくれる。向けられる笑顔も時にトド松をドキリとさせるから、カラ松でなくとも、ユーリに惹かれるのは自然の理と言えるだろう。
しかし、彼からユーリを掻っ攫おうなどとは思わない。
ユーリに関して次男を敵に回せば、死神が速やかに首を狩りに来る


ユーリが手土産に持ってきたのは、徳用のスナック菓子だ。彼女はチョロ松から受け取った直径三十センチほどの木製サラダボウルに菓子を流し入れ、ちゃぶ台の中央に置く。はいどうぞと差し出され、どちらが客なのかと笑ってしまいそうになる。
「てかさぁ、カラ松いないから訊くんだけど」
さっそく手土産のクッキーに手を出しながら、挨拶もそこそこにおそ松が切り出した。

「ユーリちゃん、カラ松のどこがいいの?」

トド松は茶を吹き出しかけた。空気を読まずに場の雰囲気をぶち壊すことに定評のある我らが特攻隊長が、クラッシャーの名に相応しい働きをする。確かにその内容はこの場にいる全員が興味を示すものではあるし、カラ松不在時にしか訊けない問いではあるが、タイミングくらいは考えて発言しろクソ長男
「どこが…」
案の定、ユーリはきょとんとする。
「そう。無害っていう評価はあるけど、それはあくまでも俺たち六つ子の中でのことであって、一般的な男と比べたら明らか底辺じゃん?
世の中にはもっといい男しかいないのに、何でよりによってカラ松なわけ?」
「ああ、それは気になる。ユーリちゃんほど綺麗な子がカラ松に執心なのは疑問しかない」
背中を丸めた一松が、おそ松の発言に乗っかった。
「そんなの決まってるでしょ」
しかしユーリは不愉快な素振りも見せず、即答する。

「全部」

迷いのない回答だった。こう訊かれたらこう答えようと、最初から回答が用意されていたみたいに明瞭な。
「全部?」
「加点方式で推しに昇格したわけじゃないんだよ。こういうのは感覚的っていうか、私の中に推さねばなるまいっていう使命感が生まれたの。分かる?」
「さっぱり」
何名かが口を揃えた。
「カラ松くんの一挙手一頭足が、生きる原動力になるの。視界に入るだけでテンション爆上がり」
「それもういっそ恋愛感情として好きなんじゃ…」
「あ、待って、なるほど」
ユーリの発言に理解が及ばず唸る一松を、チョロ松が制する。
「一緒くたにするなよ、一松。推すことと恋愛って似て非なるものなんだよ、推しがいないお前らには分かんないかなぁ。そりゃイコールになるケースもあるし、同担拒否ってタイプの人もいるけどさ」
「…あー、うん、あのさ、チョロ松兄さんの通りなのかもしれないけど──ドルオタの童貞には言われたくないかな
トド松は首を傾げながら真顔で言い放つ。異性と付き合った経験がない以上、我々は優劣なく横並びだ。
それぞれが不快さを顔に滲ませる中、ユーリだけは両手を合わせてにこやかな表情になる。
「さすがチョロ松くん、分かってくれて嬉しいよ」
「え?」
ユーリが何か言い出した。
「当然。同じ志を持つ者同士だからね」
ドヤ顔で握手を交わす二人。
「おいチョロ松、お前分かった風な口きいてるけど、所詮は彼女いない歴=年齢だからな」
「女の子絡むとポンコツだしね」
「今がまさにそれ」

ユーリはいい子だ。彼女を選んだカラ松の審美眼は確かだと太鼓判を押したくなるほどには、見目も性格もいい。ただ推しのチョイスは残念の一言に尽きる。しかし、だからこそ変人揃いの松野家に馴染めているとも言えるかもしれない。




「じゃあさ、敢えて好きなパーツを上げるとしたら?」
おそ松が追加で投げかけた問いは、明らかに興味本位なものだった。
「顔とスタイルと声かな。内面で言うなら、カッコつけなのに抜けてるところとか特に。でも、カラ松くんからどれか一つがなくなっても推さなくなるわけじゃないよ」
湯気の立つ湯呑に口をつけて、ユーリは語る。
要素を言語化すれば、その瞬間から嘘になる。最初に強い感情の噴出があって、他者に説明するための理由はあと付けで用意することが多い。そして自分で明文化しておきながら、要素だけで好きになったわけじゃないと、前提を覆すジレンマに陥るのもままあることだ。

「カラ松くんがカラ松くんなら、それでいいんだよ。私はただ──幸せになってほしいだけ」

にこりと微笑むユーリに、なぜかトド松はたまらなく気恥ずかしい気持ちになった。人前で躊躇いなく優しく言い切ることのできる強さには、羨望さえ覚える。
「何かすっげー盛大なノロケ聞かされた気分…俺もユーリちゃんみたいな子にそう言われたい!」
「正しくはノロケじゃないけど、童貞には似たようなもんだよね」
おそ松の叫びに、チョロ松が同調した。


「でもカラ松兄さんとエロいことしたいんだよね?」
指が隠れるほどに伸ばした袖で口元を覆って十四松が尋ねると、ユーリは腕組みで大きく頷いた。
「したい、是が非でもお願いしたい」
即答か。さっきまでのいい雰囲気どこいった。
だが、十四松が口にした表現に対してはユーリは異議を唱える。
「厳密にはカラ松くん『に』エロいことしたいんだよね。私が一方的に攻める感じ?
気持ちよくなるよう頑張るから、可愛い顔で啼いてほしい
何でもない会話の一部であるとばかりに、平然とした口調でユーリは言う。
「ヤバい」
「爽やかな笑顔でとんだどエロ」
「変態の領域」

自分たちの性癖や性的趣向を完全に棚上げして、トド松たちはユーリに白い目を向ける。ユーリは気にも留めず、クッキーを頬張った。軽やかな咀嚼音が居間に響く。
「でもなかなかオッケー出ないんだよね」
「そりゃその辺はあいつにもプライドあるんじゃね?俺らの中じゃ人一倍格好つけだし。ほら、やっぱ普通は抱きたい側じゃん?
まぁ俺は、女の子がエロいことしてくれるなら何でも大歓迎だけど」
頭の後ろで手を組み、おそ松はへへと軽く笑う。
「んー、でもさ、体だけの関係って虚しくない?」
トド松は懐疑的な目をユーリに向けた。
「順序踏みたいよね。何せこっちは童貞こじらせてるし、せめて最初はそういうとこはこだわりたい」
「分かる。いやエロいことはしたいんだけど、すぐさましたいくらいなんだけども
「待ってよ、トド松くん、チョロ松くん。それだと何か私がゲスいみたいな感じになる」
心外とばかりにユーリは眉をひそめた。感じではなく、まさしくそうだと言っているんだが。

「だってカラ松くんが可愛いんだから仕方ないでしょ!笑ってる顔とか声とか、ほんと可愛いんだから!」
裁判官が判決の印とするようにちゃぶ台を叩き、ユーリは声を荒げる。複雑な面持ちの面々の中、十四松だけは笑みを浮かべていた。
「確かにカラ松兄さん、ユーリちゃんといる時や、ユーリちゃんの話するときはすっごく幸せそうな顔してるよね。その顔見ると、ぼくも嬉しくなるよ」
「そうそう。カラ松くんの笑顔って、こっちまでホカホカさせる威力があるの!」
同意者が現れた喜びか、ユーリは眩しいくらいの笑顔になる。

「で、そんなにカラ松がいいんだ?」
あわよくば次男の地位を横取りできないか、おそ松の質問にはそんな分かりやすい思惑が見え隠れする。ニヤついた表情から彼の内心は察しやすかったに違いないが、ユーリは気にした様子もなく首を縦に振った。
「うん!全力で推してる!
みんなとも友達になれたし、人生すっごく充実してるよ。こうやってまったりしてる時間も結構楽しいしね」
無邪気なユーリとは対称的に、目頭を押さえる五人
六つ子に対しては基本的に裏表なく正直に感情を吐露してくれるユーリと知っているからこそ、不意に放たれた一撃はトド松たちの胸を射抜いた。
「え、普通に好き」
「推せる」
「トト子ちゃんとは別次元の攻撃力」
「オナシャス」





それからしばらくユーリによる演説は続いた。
時間にすれば十分程度だったと思うが、血を分けた兄弟の男の部分をこれでもかと説かれるのは、なかなかに精神を消耗する。トド松たちにとっては見慣れたカラ松の姿でも、分厚いフィルターを通せばアバタもエクボになるらしい。
あの次男のどこがいいのかと、確かにその質問を口にしたのは我々の方であったけれども。
「───とまぁ、当推しがいかに推せるかは、今ざっと説明した通りだよ」
喋り倒して喉が渇いたのか、ユーリは湯呑をあおる。ようやく開放されて、トド松たちはちゃぶ台の上に崩れ落ちた。炬燵の人工的な温もりが、板を通して頬に伝わってくる。
「カラ松兄さんいなくて良かったよ…ボクもう胸焼けしそう、リア充は爆ぜろ
「あいつが聞いたら絶対図に乗ってたよね」
ヒヒッと一松が肩を揺すった。

「え?カラ松兄さん、ずっといたよ」

十四松の言葉に、ガバッと身を起こすトド松他三名
スパンと勢いよく襖を開け放つ十四松。
そしてその奥には──片手にビニール袋を下げて目を瞠るカラ松の姿。
「おかえりー」
間の抜けたユーリの声が、緊迫した空気を溶かしていく。
「え、あ……た、ただいま…」
戸惑いながらも帰宅を告げるカラ松の顔は、遠目にも真っ赤に染まっている。次男の胸中を瞬時に察するトド松たち。
「帰ってたなら入ってきたら良かったのに」
「い、いや、その…」
「ちょうど良かった。これからユーリ厳選カラ松くんのエロ可愛い仕草十選を話そうと思ってたんだよね」
いそいそとスマホを取り出すユーリに、カラ松はより一層頬を赤らめ、トド松たちに至っては戦慄する。
「はぁッ!?」
「ちょっと何言ってるか分かんないです」

「こういう時、普通『え、嘘っ、聞いてたのヤダー!カラ松くんのバカバカ、もう知らない!』ってなって逃走を図るシーンじゃないの!?」
「平然と続けようしてるよ」
「何という剛の者」
カラ松は廊下で硬直するわ、トド松たちはこれ以上のノロケに等しいカラ松談義は勘弁願いたいわで、松野家居間は静かな地獄絵図と姿を変える。
十四松だけが目を細めてユーリとカラ松を交互に見やり、張り詰めた空気を打破する役を買って出た。おそらく本人に、明確な意図はないのだろうけれど。

「良かったね、カラ松兄さん」
「んんっ!?な、何がだ、ブラザー…」
「ユーリちゃんに大事にしてもらって」
ときどき十四松は、六つ子の中で誰よりも大人びた恋愛観を口にすることがあって。そういう時トド松の脳裏には、彼がかつて想いを寄せた女性の姿が過ぎる。もう姿形はぼんやりとして輪郭さえ怪しいのだが、トド松の記憶にある彼女は、いつも笑っていた。
そして当のカラ松はというと、悩ましげに片手を額に当てる。
「と、当然だ!世界のアイドルと言っても過言ではないこのオレの魅力は、そうそう隠しきれるものじゃないからな。ハニーが魅了されるのも無理ないぜ」
「へぇ」
虚勢であることは見目にも明白だったが、敢えて反応したのは一松だった。
「ってことは、別に嬉しくないんだ?」
「えっ、そ、そういうわけじゃ…ッ」
「だって当然なんだろ?」
「これは、こ、言葉の綾というか…」
カラ松は言葉に詰まる。
「どうしよう…照れながら戸惑うカラ松くんが超絶可愛いくて今すぐ抱きたい
ユーリはユーリで、恋する乙女のような熱視線を向けながらのド攻めな欲情発言をするから、カラ松はますます萎縮した。

「…あの、だから、ええと…何というか…」
カラ松はあちこちに視線を彷徨わせ、やがて逃げ場がないと悟ったのか顔を覆った。
「…勘弁してくれ」
そしてあっけなく白旗を上げたのである。

「もうっ、ほら照れちゃったじゃん!ほんと、ユーリちゃんはカラ松兄さんをどういう目で見てるの」
「常に性的な目で見てる」
恥じらう様子もなく、間髪入れずに答えるユーリ。トド松は頭を抱えた。
「訊いたボクが悪かった、ごめん!」




日が暮れて空一面に闇が広がる頃、ユーリは松野家を後にする。彼女を駅まで送るのはカラ松の役目だ。
知り合った当初こそは、他の面々も同行を望んだが、いつしかそれはカラ松に託されて、ここ最近はカラ松以外の六つ子とは玄関口で別れを告げるのが定番になった。
「ユーリ…さっき、家で言ってたことなんだが…」
道中、カラ松が躊躇いがちに口を開いた。松野家を出て数分が過ぎた頃のことである。
「ん?」
「…あ、いや、何でもない…大したことじゃないんだ」
しかし応じようとするとカラ松は視線を逸して口ごもるので、ユーリは口元に小さく笑みを浮かべた。カラ松が聞きたいことは分かっている、そんな顔だ。
「全部聞いてたんでしょ?」
「へっ!?あ、ああ…あの時はその、入るタイミングを失ってしまって…すまん」
ううん、とユーリは首を振った。謝る必要なんてないよ、と。
「本心だし、隠すようなことじゃないから」
「ユーリ…」
カラ松の頬が紅潮する。
それから言葉を探すように黒目を動かして逡巡するが、やがて大きく息を吐き出してから、再びユーリと視線を重ねた。歩む足は止めず、けれど少しだけスピードを落として。

「…嬉しかったんだ。オレのいないところで、ブラザーたちにああ言ってくれて」

足元を照らす街灯の明かりが、アスファルトに黒い影を作る。
「ユーリはオレに良くしてくれる。でもそれはあくまでも表の顔で、本当は不満を溜めてるんじゃないかって不安は、ずっとあった…もちろん、ユーリを信じてないわけじゃないんだが」
「うん、分かるよ。自分のいない所では悪口言われてるんじゃないかって、疑心暗鬼になったりするってことだよね」
ユーリが理解を示せば、カラ松は胸を撫で下ろして目を細めた。
自分が好意を抱く相手に対しては特に、嫌われたくないという心理が働く。相手からも相応の反応を感じれば感じるほどに、自分が受け取っているものが本心なのか確信を得たい欲望が首をもたげる。
襖の引手に手をかけたあの時、室内から漏れ聞こえる内容に聞き耳を立てたのは、悪魔の囁きに耳を傾けたからに他ならない。それでも──

「だから、オレがいない場所でもオレといる時と変わらないユーリで…安心した、というか。オレが勝手に理想を作って、それが叶って喜ぶのは独りよがりだとは分かっていても──」

自分で言っておきながら、あまりに無神経な物言いであることに気が付いた。
「すまない、喜ぶとこじゃないよな」
いつも、ユーリの信頼を裏切るようなことばかりしている。眉を下げてカラ松が謝罪すると、ユーリは優しく笑った。
「ほんとにね」
見捨てられないのが不思議だと、事あるごとに兄弟は言う。欲望に忠実で、気遣いは空回りして、目指すスマートさとは縁遠い所作の数々。世の中にはもっといい男しかいない、まったくもっておそ松の言う通りだ。
なのに、ユーリはいつだってカラ松を選んでくれる。その優しさに胡座をかいて、現状維持に甘んじる。

あと、少しだけ。