短編:蝶でも雲でも

ユーリのことなら自分が一番知っていると、自惚れていた。
休日の多くを共に過ごし、限りなく恋人同士に近い駆け引きを繰り返し、一番近くにいると彼女本人からの明言が、カラ松の自信に拍車を掛けた。
けれど自分の知らないユーリを目の当たりにして、思い上がりだと気付かされる。




ユーリと出掛けたある日の夕刻、初めて入った居酒屋は個室を売りにしている店だった。とはいっても、障子やすだれで隣のテーブル席と仕切られているだけの、個室もどきだ。それでも他者の姿を視認しないというだけで、居心地の良さは格段に違う。
カラ松とユーリは、L字型のソファ席に案内される。ユーリを上座へ促し、通路側に自分が腰を下ろした。オレンジ色の間接照明が、温かみのある雰囲気を演出している。
「珍しい配置だな」
向かい合うより距離が近く感じて、何となく落ち着かない。対称的にユーリは慣れた様子で、きょとんとしている。
「何回かこういう席に通されたことあるよ。二人だと、向かい合うより話しやすかったりするんだよね」
「面積の有効活用といったところか」
「そうかも。あとカップルには喜ばれる──ほら、手を伸ばさなくても触れちゃう」
薄く微笑んで、ユーリはカラ松の頬に指先を当ててくる。肘は曲げたまま、少し手を持ち上げただけの小さな動作で。
カラ松は息を呑んだ。
「は、ハニー…ッ、からかうのは止すんだ」
「いやー、ご飯時もこんなに推しと近いと眼福だね。うっかり手が滑りまくる気しかしない
ユーリはにこにこと邪気のない笑顔で、テーブル上の両手を何かを揉みしだくように動かした。表情と言動のギャップが凄まじい。

メニュー端末をテーブルに置いて二人で覗き込むと、ユーリの長い睫毛が間近に迫った。僅かに開いた唇に指を当てる仕草が蠱惑的に映る。心臓に悪い。
「あ、そうだ、ユーリ」
「ん?どれがいいか決まった?」

「念のために聞くんだが、以前こういう席に案内された時、相手はもちろんレディだったんよな?」

問いを受けたユーリは、うっすらと浮かべた微笑を貼り付けたままだった。動揺は、微かにさえ見受けられない。
「そんなことを聞いてどうするの?」
質問に対しては肯定も否定もしなかった。緩やかに、話題の転換を図ろうとする。
カラ松は一抹の不安を覚えた。いつもなら明瞭に、違うよ、と首を振ってカラ松を安心させてくれるのに。
「どうも、しないが…」
声が掠れる。
しかし、その返事が悪手だった。本音を隠してユーリに次の一手を委ねる、いつもの癖が災いする。
「だったら、本当大したことじゃないし、この話はもう終わり。
そんなことより、お腹すいたから早く注文しよう。ここネットで調べたんだけど、アルコールメニューが豊富なんだよ。カラ松くんと飲み比べしたくて選んだんだから」
晴れやかな声音は、それ以上の追求を拒むかのようだった。


「それ、一口頂戴」
カラ松が注文した日本酒三種飲み比べセットを指差しながら、ユーリが言う。ウォールナットの木台に三つのグラスが並ぶ、洒落たデザイン。グラスに注がれた透明な液体を見つめる彼女の双眸は、きらきらと輝いている。
「フッ、キュートなハニーのおねだりを断るのは男じゃないな」
「やった、さすが!」
軽快に指を鳴らして、カラ松が差し出したグラスを受け取った。躊躇いもなくグラスに口をつけて、至福の顔をする。血色の良い唇が触れた飲み口から、カラ松は目が離せない。
「私のも飲む?これも美味しいよ」
二つ目の日本酒に手を伸ばしながら、反対側の手で鮮やかな黄色に染まったグラスをカラ松に向ける。ユーリが飲んでいたのは、一口サイズにカットされたパイナップルが浮かぶパインサワーだ。小さな気泡がしゅわしゅわと音を立てて、飲み口近くで弾ける。
「え、あ、オレは…」
押し付けられる形で、カラ松の手にパインサワーが収まる。
飲み口には微かにリップの跡がついていて、童貞には目の毒だ。これが間接キスか。否、回し飲みだけでいうならユーリと幾度か経験はあって、今回が初めてでもない。しかしそれは彼女が飲んだ痕跡がない故に心理的にフラットな状態だったから、かろうじて自然体で受け止めることができたのであって、唇の跡は超絶にエロい、動揺もしまくる、生きてて良かった
数秒の逡巡の末、意を決してカラ松がグラスを持ち上げた───その時。

「あ、ごめん、跡ついてたら気になるよね

ユーリはそう言って、備え付けの紙ナプキンで素早く飲み口を拭った。
「え」
「え」
「何で!?」
涙目で叫ぶカラ松。
「え、なにっ、ごめん!?

掴みどころのない雲のような人だと、カラ松は思う。
異性と過ごした経歴をひた隠しにしながらも、カラ松を特別扱いするユーリの心の内が、カラ松には読み取れない。カラ松という一人の男をどう認識してどんな感情で向き合ってくれているのか、まるで分からないのだ。それこそ、雲を掴むような感覚さえする。
小さな雫がぽとりと落ちて、波紋が広がる。しかしこの時はまだ、漠然とした不安に過ぎなかった。




転機は、突然訪れる。
平日の昼過ぎ、ユーリとのデート先候補を探すために街へ出た。ビジネス街も近く、社会人とおぼしき男女の往来も多い。慣れた様子で小型のキャリーケースを引く者、スマホで通話しながら歩く者、スーツと革靴で颯爽と闊歩する者。彼らは一様に真っ直ぐ前を見つめていて、職歴のない自分には眩しく映る。

そんな群衆の中で、一際輝く光を見つけた。
道路とガードレールを挟んだ向かい側の歩道を歩く姿は、遠目にも彼女だと判別がつく。シルエットで見分けがつくと胸を張れるくらい見慣れた外見と所作。
「──ユーリ?」
認知と同時に、口を突いて出た。シンプルなカットソーにチェック柄のワイドパンツ、足元はポインテッドトゥパンプスという洗練された装い。不覚にもドキリとして、立ち止まる。街中で偶然見かけた、ただそれだけで自然と口角が上がってしまうから、どうしようもないくらい彼女に惹かれている事実を再認識せざるを得ない。
けれど次の瞬間、思わぬ光景がカラ松の視界に飛び込んでくる。

ユーリの傍らには、男がいた。

彼女よりも少しばかり年上だろうか、スーツが似合う長身が目を引いた。こちらに声は届かないけれど、肩が触れ合うほどの至近距離で仲睦まじそうに談笑している。
排気ガスを撒き散らしながら通り過ぎていくトラックを挟んだ、道路の向こう。断続的な車の騒音が、カラ松とユーリの間に物理的な距離を作る。
声をかけるのは躊躇われた。自分は完全に普段着で、住む世界が違う気がして。

「あ」
しかし視線を外して通り過ぎようとしたら、目が合った。彼女が驚いたのは一瞬で、すぐに顔を綻ばせる。
「カラ松くん!」
ユーリは片手を挙げて、大きく振った。カラ松とのデートの待ち合わせ場所に駆けつけてくる時と同じ笑顔で。
上手く笑い返せた自信はない。カラ松が同じような動作を返したら、ユーリは背後を振り返って何か説明しているようだった。それから男がユーリからカラ松に視線を移動させて、にこやかに頭を下げてきた。カラ松も緩く頭を垂れる。
「───ら、またね!」
声を張り上げてユーリは何か告げたようだったが、車の騒音に掻き消されてカラ松には聞こえない。男と肩を並べて、ユーリは遠ざかっていく。

この時、彼女の背中を追いかけていたら、その後の展開は変わったのだろうか。
横断歩道が数十メートル先にしかなく、逡巡するうちに姿を見失う。数日経って電話で話した際も彼について言及はなく、聞きそびれてしまった。あの男は誰なんだと、ただその一言が、どうしても言えなかった。


心のうちにモヤを抱えたまま、幾日かが過ぎる。
ユーリは少なくとも表面上は変わりなくカラ松に接してくるから、杞憂だったのではと自分を納得させようとした頃──再び『あの男』と会うこととなる。
否、正確を期すならば、見かけた、が正しい。

それも、ユーリの傍らにいる姿を、だ。

前を通りかかった知名度の高い一流ホテルの玄関口に、乗用車が一台停車した。車でやって来る宿泊客は少なくないから、それ自体は珍しいことではない。カラ松が視線を向けたのも、本当に偶然だったのだ。
だから、運転席からあのスーツの男が降りてきた時は目を疑った。彼は颯爽とボンネット側に回り、助手席のドアを開ける。そして現れたのが──ユーリだった。
「何で、ユーリが…」
男はわざとらしい仕草で、従者の如く恭しくユーリに手を差し伸べる。冗談は止めてよというような口の動きが見て取れたが、ユーリは笑って男の手を取った。ホテルスタッフに車の鍵を手渡して、二人は自動ドアをくぐる。

居ても立ってもいられず、カラ松は足早に彼らの後を追った。
どちらもフォーマルに近い装いから、ホテルの部屋で逢瀬という雰囲気ではないが、用もなく二人きりでホテルを訪ねるわけがない。
カラ松が再びユーリたちの姿を見つけたのは、彼らが高層階専用のエレベーターに乗り込んだ後だった。閉じられたドアの前で、限りなく溜息に近い息を吐く。
「…フッ、この松野カラ松とあろう者が何を焦っているんだ。ハニーがオレを裏切って他の男とデートなんてするはずがないじゃないか。
きっと、そう…きっとビジネスか何かで──」
平常心を取り戻すため声に出したその直後、エントランスホールの端に設置されている立て看板に目が留まった。高さ1メートルほどの看板の中央には、純白のドレスに身を包んだ若い女性が写っている。
「だから、あんな嬉しそうな顔をするわけが…」
このホテルで実施するウェディングフェアの案内らしい。

開催日の日付は今日、場所は───高層階の披露宴会場。

「──…嘘だろ」
思わず呟いたカラ松の側に、若いカップルが立つ。
ウェディングフェアの参加者らしい。チャペルや披露宴会場への期待感を弾んだ声に乗せる。ユーリとスーツの男の面影が、彼らの姿に重なった。

その後どうやって自宅まで戻ったのかは、よく覚えていない。




「ハニーの浮気者おおぉぉぉおぉぉぉぉ!」
大衆向けの居酒屋、もう何杯目かの日本酒のロックをあおって泣き叫ぶカラ松の傍らで、トド松は顔をしかめる。同じ顔の醜態ほど醜いものはない。唯一幸いだったのは、他の酔っぱらいたちの騒々しい声が、カラ松の嗚咽を掻き消してくれることだ。
「付き合ってないから、浮気もクソもないけどね」
スマホの画面を眺めながら、トド松は容赦なく切り捨てる。
帰宅した次男をたまたま玄関で出迎える形になってしまったのが、運の尽きだ。拉致同然に連行されて、愚痴に付き合わされている。
「オレというものがありながら、何であんないい男に…っ」
「顔もスペックも負けてるの自覚してるのは評価する」
ユーリと見知らぬ男がホテルに入っていったのが、よほどショックだったらしい。顔中の穴という穴から液体を垂れ流し、テーブルに水たまりを作っている。率直に言って、汚い
「だってお前っ、車もあっていい時計して、アイロンかかったスーツだぞ!清潔感もあって金も持ってる、勝てる要素がどこにあるというんだ!
「クソさの自覚も、評価に値する」
客観的に自分を見れているのは素晴らしい。
「ウェディングフェア見に行くくらいの仲って、もうゴール寸前じゃないか!」
「そりゃまぁ、推しと恋人は違うっていうし?」
抑揚のない声で素直な感想を口にすれば、カラ松は今なお涙が溢れる目でトド松を睨む。
「トド松っ、お前少しくらいオレを慰める気はないのか!?」
「あるわけない。一年近くも中途半端な関係やってる兄さんの自業自得だし、相手の方が顔もスペックもいいんでしょ?ボクが女の子なら絶対そっち行く」
小皿に盛られた枝豆に手を伸ばし、口の中に放り込む。

「てかさ、ユーリちゃん本人には何も確認してないんだよね?」
トド松は呆れ顔で、テーブルに頬杖をついた。
二人が平日の街中に連れ添って歩いていたことと、一流ホテルに行ったのは事実だ。しかしユーリと彼の関係性と、ウェディングフェア参加云々は、カラ松の憶測に過ぎない。
「…ユーリに聞けるわけないだろ」
「何で?何でそういうとこだけ少女漫画乙女チック街道まっしぐらなのかな、この痛松は。違うかもしれないじゃん」
絶望するのは真実を確かめてからでも遅くはない。
だがトド松とて、カラ松の心境が分からないではないのだ。他人事だから冷静に正論を突きつけられるが、いざ当事者の立場になったら、同じように取り乱すに違いない。
カラ松は下唇を噛んで、トド松から目を逸らした。
「それは…もしユーリの口から肯定されたら、オレは…オレはどうしたら──」

「私の口から否定されるパターンは、考えたことないの?」

「え…」
トド松の背中にかかった、呆れ果てたと言わんばかりの声。カラ松ははちきれんばかりに双眸を見開いて、トド松の背後を凝視した。
「来てくれてありがとう、助かったよ」
スマホをポケットに仕舞いながら、トド松は笑って後ろを振り返る。

そこに立っていたのは──スマホを片手に掲げ、白けた顔のユーリ。

「っ、ユーリ…!?」
「そうだよ」
にこりともせずユーリは頷く。
トド松はジョッキに残っていたぬるいビールを一気に飲み干して、イスから立ち上がった。
「それじゃ後はよろしくね、ユーリちゃん。ここの代金はカラ松兄さん持ちだから」
「了解、お疲れ様」
投げられた挨拶には、ひらひらと手を振って応える。
え、あ、と言葉にならない声を溢すカラ松は、席を立ち出口へ向かう末弟を追いかけたりはしない。眼前に立つ相手に、意識の一切を奪われているからだ。

「トッティ、今日も頑張った。出来の悪い兄弟の尻拭いしてあげるなんて、ほんっといい子」
トド松は独白して、繰り返される受難の日々を密やかに労った。




突如として現れたユーリを、戸惑いでもってカラ松は出迎える。滲んだ視界に映る彼女は、僅かだが眉間に皺を寄せている。
「ど、どうした、マイハニー。さては一週間オレに会えない寂しさを募らせて、恋の翼で舞い降りてきたな?」
袖で涙を拭いながら努めて冷静に振る舞おうとするが、ユーリは無言でトド松の腰掛けていたイスに座った。
「勝手に勘違いしてやけ酒?私に説明の余地はないのかな?」
カラ松が飲み干したグラスをゆらゆらと振って、ユーリは口をへの字に歪めた。
「…あ、ええと、その…」
「事実を誤認したまま突っ走るのは良くないよ」
誤認。
「で、でも…男と親しげに歩いてただろ?」
仲睦まじそうだったのはカラ松の主観だとしても。間を開けず、二度も同じ相手と共に過ごしていた事実は消せない。
「うん、それは否定しない。親しげなのもまぁ、そう見えるだろうね。
着眼すべきは、関係性とシチュエーションだと思う」
「関係性とシチュエーション…」
カラ松は唖然として反芻する。ユーリは側を通りかかった店員に、ドリンクとグラス一杯の水を注文した。

「あの人は会社の先輩。カラ松くんが見かけたのは、買い出し途中の私たち」

パズルのピースが繋がって、絵柄が見え始める。しかしそれは、カラ松が想定していたものとは百八十度異なる様相を呈している。
「甘いものつまみながら会議や打ち合わせすることもあって、それ用のストックね。もちろん仕事だし、勤務時間中だよ」
だからカラ松に会っても手を振るだけに留めたのだと、ユーリは述べる。確かに、辻褄は合う。
仕事中だからまたね。前半が掻き消えたあの台詞を補完するなら、こんなところか。
「なら、ホテルで一緒にいたのは…」
カラ松が肩を竦めて訊けば、ユーリは、ああ、と笑った。
「取引先の祝賀会のことかな。見かけたのは入り口?なら、入ってすぐの所で上層部の人たちと合流したんだけど、そこは──なるほど…見てない、と?」
運ばれてきたドリンクに口をつけて、ユーリは肩を揺らした。
「どっちも仕事だよ。それ以前に私は相手を先輩としか見てないし、先輩に至っては既婚者で愛妻家だから。間違ってもそういう関係になることはないなぁ」
「彼氏候補とか、そういうのも…」
「ないない」
ユーリは手と首を同時に振った。
彼女の説明によって全ての事象に合点がいくけれど、確証はどこにもない。辻褄合わせの口実とも判ずることもできる。でも──

「カラ松くんが不安になることは、何もないよ」

力強く断言される、その言葉だけを待っていた。
ただ一言、ユーリの口からそう言ってほしかった。
目の前から手が伸びてきて、優しく頭を撫でられる。人目がなければ、胸に飛び込んで泣きたいくらいの安堵感がじわりと広がる。自分なんて比にならないほど、ユーリは格好いい。見せかけだけの自分とは根っこが違う。
だからこそ憧れ、希求し、腕の中に抱きとめておきたいと望んでしまう。
いつも掴み所がないくせに、こういう時だけ強く痕跡を残していくところも、特に。




温かいタオルで涙の跡を拭われた。気恥ずかしいから辞退しようと頭では思うのに、されるがままにカラ松は目を閉じる。躊躇なく顔に触れてくる細い指が心地いい。
一息ついた頃、カラ松は意を決して切り出した。
「ユーリ…どうして隠してたんだ?」
「何を?」
「その先輩とやらと一緒にいたことを、だ」
「隠してないよ。だって仕事だよ?」
言われてみればユーリの言う通りだ、腑に落ちる。彼女にとっては業務の一環に過ぎず、取り立てて会話に上らせる話題でもない。間を置かず、何なら平日毎日会うのも、職場なら当然だ。
「それに、前の居酒屋の件は…」
ここぞとばかりにカラ松は恨めしそうな視線を送る。
以前居酒屋でカップル向きの席を利用した相手の性別を隠されたことを、まだ根に持っている。ここぞとばかりに蒸し返したのは、ちょっとした仕返しのつもりだった。
「あー」
ユーリは大きく口を開けて、それから微笑を浮かべる。
「言ったら面倒くさいことになると思って。カラ松くん妬くから」
「……ッ」
反論できない。

「…妬いたら、おかしいか?」
「カラ松くん…」

「ヤキモチくらい、オレだって焼く」

カラ松は口を尖らせて抗議する。
けれどユーリがどんな反応を示すのか直視する勇気がなくて、直後にすっと視線を外した。まるで拗ねた子供だ。目指しているはずの男らしさなんて、欠片もない。

二人の間に、しばし静寂が漂った。
「……ユーリ?」
肩透かしを食らったみたいで慌てて正面を見やれば、ユーリは眉間に寄った皺を指で押さえていた
「ど、どうした?オレ、何か変なことを──」
「シコい」
「は?」
「拗ねる推しとか、シコい要素しかない。シコいの最上級シコティッシュホールドであると言わざるを得ない
悩ましげに長い溜息を吐くユーリ。
「シコティッシュホールド」
猫好きの一松が聞いたら卒倒するぞ、と脳内でツッコミを入れるほどの余裕は出てきた
「…はは」
自然と笑いが溢れる。
馬鹿馬鹿しい。本当はとても簡単なことだったのだ。ああだこうだと思案を巡らせた挙げ句に辿り着いた結末は、単純明快な犬も食わない些末なもの。
「やっぱり、カラ松くんは笑ってる方がいいね」
「そうか?」
「うん、可愛い!」

ユーリにはもっと相応しい男がいる。
例え真実がそうだとしても、納得して受け入れるかどうかは全く別の問題だ。それができないからこそ、こうやって足掻いているのだから。
ユーリが蝶でも雲でも構わない。いつかきっと──捕まえてみせる。

決意を新たにカラ松が意気込んだところで、実は居酒屋で飲んでいる途中からトド松とユーリ間で通話が繋がっていて、愚痴が当人にダダ漏れだと知り、果てしない羞恥心と後悔で死にたくなるのだが、ここでは割愛しよう。