「そういや、婚活パーティってあるじゃん?」
六つ子たちとの会話が途切れて、数秒の沈黙が流れた頃のこと。
畳の上であぐらをかいた足を両手で持ち上げるような仕草で、おそ松くんがふとそんな言葉を口にした。
今回の物語は、この一言から始まる。
「トッティ行ったことある?」
松野家一階の居間にいるのは、おそ松くん、カラ松くん、トド松くん、そして私を含めた合計四名だ。
トド松くんは手のひらを模ったピンクのイスの上で、気怠そうにスマホをいじっている。
「ないよ。あるわけない。合コンだって、言うほど行ってないんだからね」
「合コンに参加できるパイプは持ってるくせにねぇ」
「そのパイプをことごとく潰してきてるのは誰だ。あ?」
ドスの利いた声でトド松くんは長男を睨みつける。長い歳月をかけて積もり積もった遺恨は、根が深そうだ。
しかしおそ松くんは鬼の形相に動じるでもなく、望んだ返答を得られなかったのが不満なのか、興味の対象を私に移した。背後には夜叉の顔をした末弟、恐ろしい絵面だ。
「ユーリちゃんはどう?行ったことないの?」
「ないよ」
間髪入れずに首を振る。視界の隅では、カラ松くんが胸を撫で下ろして息を吐いていた。そういう仕草は私の見えないところでやってくれ、可愛いが過ぎるだろ、抱くぞ。
「だよな。ハニーには必要ない。行かなくていいぞ、今後も行かなくていい、絶対にだ」
畳み掛けてきた。
「ちぇっ、何だー、つまんねぇの。
てかさ、女の子と出会えるイベントに街コンってのもあるよな?あれって、合コンと何がどう違うわけ?」
「参加者の層が全然違うんだよ、おそ松兄さん。異性と出会う場っていうのは同じなんだけど、どんな出会いを求めてるかによって選ぶもんなの」
トド松くんが体を起こしておそ松くんに言う。
「結婚相手を探したいなら、婚活パーティ一択。大手で主催するような婚活パーティだと身分証明が必要になるから、年齢詐称とかがない点が強み」
婚活を始めたばかりや、結婚相談所の利用に抵抗がある層が多く参加している。また、自己紹介の時間が設けられ、異性全員と会話する機会があるのも大きなメリットだろう。
そういう意味では奥手な人も気軽に参加しやすいが、限られた時間で相手を知り、かつ自分を好印象付けるための高等技術が要求される。これはもう、場数をこなして経験値を積むしかない。
「街コンは、初対面ばっかりの大規模な合コンって感じかな」
比較して考えたことがなかったので、私は言葉を選びながら説明する。興味深そうに目を開きながら、おそ松くんはふむ、と腕を組んだ。
「一般的な合コンは幹事同士に繋がりがあったり、参加者もその友達か知り合いが多いから、身元が確か。この安心材料は大きい。人数も数人程度の小規模だしね」
「俺が行った合コンも、そういや四人だったな」
「お前がセクハラで一人勝ちしたヤツね」
「いやいやトド松、俺その後一生モノのトラウマ植え付けられたからね。女の子は地獄の使者」
お前の身に何があった。
つまり、とおそ松くんが背筋を正す。
「婚活パーティは結婚相手探し、街コンは多くの女の子と知り合える、合コンは身元が確かで安心──ってとこ?」
「そうだね」
私は頷く。街コンが示す境界線はひどく曖昧だが、大まかにはそう判別していいだろう。
「ただ街コンは、性別関係なく気の合う人を探したいって人が参加する場合もあるから、必ずしも恋人探しの場ってわけじゃないよ。まぁ、その辺は主催側のテーマによるかな」
明確な定義はなく、合コンや婚活パーティも街コンのカテゴリに含まれることがある。言葉が流行り始めた頃こそ、街ぐるみの大規模コンパイベントと意味づけられていたが、時の流れと共に、人との出会いの場と広義の意味として捉えられるようになってきた。
「…やけに詳しいな、ハニー」
カラ松くんが私を疑いの眼差しで一瞥する。
「一応結婚適齢期なもので。友達とそういう話をすることも多いよ」
「ユーリも、その…自分のことを話したりするのか?」
歯切れの悪い口調。膝の上に置いた両手が所在なげに動いて、そわそわと落ち着かない様子が見て取れる。
「私の場合は推しの良さを息継ぎなしで早口で捲し立てるから、早い段階でストップがかかるんだよね。
犯罪級のエロさとか可愛さとか、もうこれ性別逆で全然いいよね私が倒して可愛い声で喘がせて声枯らしてやりたいっていう情熱はたぎっているのに、なのにだよ!」
私は握りしめた拳をわなわなと震わせた。燃えたぎる熱量を発散できないフラストレーションは溜まる一方だ。
「ボクその友達の気持ちすごくよく分かる」
「あ、俺も」
長男と末弟が真顔で挙手。何でやねん。
カラ松くんに至っては、室内だというのにサングラスを装着して私から顔ごとそっぽを向いた。耳が真っ赤だ。そういうところだぞ、推しよ。
コホンと咳払いして話題を戻す。
「そんなわけで出会いの場にも色々あるわけだけど、婚活パーティはさくらがいたり、街コンは身元証明いらないこともあって、本気で付き合いたいなら合コンや友達の紹介っていうのが一番安心なのかも、って私は思っちゃうかな」
「となると、やっぱ人脈とかパイプが必要ってこと?あー、そういうの俺駄目、面倒くせっ」
おそ松くんは苦虫を噛み潰したような顔で、片手をひらひらと振った。彼は努力や苦労を人一倍忌避する男だ、それを乗り越えてまで彼女を求める欲はまだないらしい。
「つかさ、ユーリちゃんとカラ松が知り合った経緯って、カラ松のナンパってことになる?」
もう興味は他のことに移っている。
「えっ、ナンパ!?…そ、そうなる…のか?」
カラ松くんはサングラスをつけたまま、上擦った声を発した。
「カラ松くんは私よりもおばあさんの荷物運びを優先しようとしてたから、どちらかというと私からのナンパかも」
「全身から怪しさしか滲み出てないカラ松兄さんを、ユーリちゃんよく信用したね」
「二人で会うのはしばらく外だったし、早い段階でチビ太さんっていう友達も紹介してくれたし…」
それに、と私は続ける。
「私がカラ松くんを信用したいと思ったから、かな」
信用に値すると判断を下したのは、他でもない自分だ。他者からの進言があったわけでもない。私は私が感じた印象を信じようと思った、信じると決めた。
「うわぁ、惚気けだ」
「完全に惚気け。訊いた俺が馬鹿だった」
二人は顔を寄せ合いひそひそと、しかし私たちにしっかりと届く声量で話す。そしてカラ松くんはというと、唇を引き結んで震えていた。
「婚活で思い出した。明日私、婚活パーティ行くんだよね」
「は!?」
お茶請けのポテトチップスを口に放り込みながら告げれば、唐突な告白に三人は目を剥いた。純粋な驚きを顔に貼り付けるおそ松くんとトド松くんとは異なり、カラ松くんの眉間には青筋が浮かんでいる。ボリボリと軽快な咀嚼音だけが室内に響く。
「え、この流れでそれ言う?」
「カラ松兄さんとの惚気けを平然と言い放った後の婚活宣言」
「鬼の所業」
「天国から地獄」
ひどい言われようだ。
しかし客観的な視線でもって事実だけを取り上げれば、彼らの抱く感想に行き着くのが自然ではある。納得して私は顎に手を当てた。
「は、ハニー…オレの聞き間違いか?もう一度言ってくれ。明日どこへ行くって?」
カラ松くんは平静を装いながらも眉を引きつらせる。返事次第では容赦しない、そんな雰囲気が漂っていた。
「婚活パーティ」
「ええっ、何で!?オレがいるのに!?」
動揺と苛立ちが混在した感情でもって、ちゃぶ台に拳を振り下ろす。私たち三人は咄嗟にお茶請けやグラスを持ち上げて難を逃れる。カラ松くんの湯呑だけが転倒して、畳の上を転がった。空で良かった。
「結婚相手を探してるのか!?そんなに結婚したいなら、オレに言ってくれれば…っ」
「待て待て、話を聞きなさい」
怒り心頭の推しの顔もそそるという正直な感想は置いといて、私は片手を上げてカラ松くんの発言を制する。
「友達の付き添いで行くだけだよ。最近婚活始めたばかりで、一人で行くのは怖いからどうしてもって頼まれたの。参加費用も出してくれるって言うから」
ある程度名の知れた結婚相談所が開催するパーティだが、経験のない人間にとっては得体のしれない催しに他ならない。女性の参加費は比較的低価格だが、それでも数日分のランチ代に相当する費用を二人分負担するというのだから、友人の不安と意気込みは察せられた。
「し、しかし…」
「付き添いでって話はするから、彼女欲しい人には見向きもされないよ」
「問題はそこじゃない!」
カラ松くんは声を荒げる。
「ユーリほどの魅力に溢れたアフロディーテが無防備に参加してみろ、男どもが列を成して我先にと接点を持とうとしてくるはずだ!
それだけユーリが婚活パーティに行くのはデンジャーなことなんだぞ、アンダスターン!?」
ちゃぶ台に足をのせる勢いで熱弁するカラ松くんと、まるで理解できない私たちとの間に、埋まらない溝が生じる。
「芸能人じゃないんだから、それはない」
「ユーリちゃんは確かに美人だし可愛いよ?
それくらいは俺にだって分かるけど、お前の理論は理解できない」
もはやカラ松くんは過保護通り越して毒親にクラスチェンジしようとしている。そんな次男を容赦ない言葉で切り捨てる兄弟に、私は内心でエールを送った。
カラ松くんを迎えに来ただけなのに、松野家に長居をしてしまった。
長男と末弟による鋭いツッコミによって婚活の話題には終止符の打たれ、カラ松くんと共に松野家を出る。徒歩圏内にある赤塚区のショッピングモールへと向かう道すがら、カラ松くんが不意に口を開いた。
「ユーリが参加するっていう婚活パーティ、どこでやるんだ?」
一見他愛ない質問だが、私は警戒する。これまでの経験上、カラ松くんが不機嫌になった原因についての詳細を尋ねてくるパターンは、予期せぬ展開へのフラグになりがちだからだ。少々頭を使えば誰でも思い至る、一つの仮説。
「都内のカフェを貸し切ってやるって聞いたよ」
しかし有耶無耶に誤魔化したり、白を切るのは私自身が望まない。少なくとも彼には、誠実でありたいと思う。
「ってことは、そう大人数じゃないのか」
「一人ずつ自己紹介タイムがあるしね。総勢二十人くらいだったかな」
スマホを取り出し、友人からのメッセージに記載されたURLをタップする。画面にはパーティの詳細が記載されているページが表示され、カラ松くんは傍らから興味なさげに一瞥した。
「オレは、行ってほしくない」
半ば予想していた台詞。私は驚かなかった。控えめな、けれど確固たる意思が宿った言霊だった。
どうして、と訊いたら彼は答えてくれるのだろうか。理由を知っていて問うのは無粋だと、分かりきっているのに。
「参加するのは、少なくとも彼女を作りたいとか、あわよくばワンナイトとか、そういう意図がある奴らばかりだ。そんな野獣の檻の中にユーリが飛び込むのを、見過ごすわけには行かない」
「うん」
私は時間を稼ぐように、相槌を打つ。
「でも…ごめんね。行かないと友達が困るし、本当に何も起こらないし、私は終わったら直帰するから」
「…男はまだ空きがあるんだよな?」
あ、これ絶対アカンパターン。
聡くない私でも分かる、最悪な展開にもつれ込んでグダグタになるヤツ、何なら私の信用さえ地に落ちるレベルのことやらかすヤツ。悪魔降臨の序章。
全力で阻止せねば。
「駄目だからね。何考えてるか予想つきまくるからなおのこと、ぜーったい駄目!
来たら本気で怒る──っていうか、その場で脱がしてエロいことするよ?もうこの街歩けなくするよ、いいの?」
「うぐ…っ」
カラ松くんは怯む。だが白旗を上げたわけではないらしい。
「じ、じゃあハニーにハイエナが寄ってくるのを、指を咥えて黙って見てろっていうのか?」
「ハイエナ言うな。真剣に結婚相手探しに来てる人もいるんだよ」
「余計看過できん」
くそ、言葉選びを間違えた。
「とにかく、明日の婚活パーティは邪魔したら駄目だからね!私の視界に入るのも禁止!」
いかに推しと言えど、友人との関係性を破壊しかねない目は早期に摘んでおくに限る。友人は安くない費用を負担してまで私を頼ってくれているのだ、その信頼には応えなければ。
念押しして制止をかけたが、カラ松くんは最後までイエスの言葉を口にしなかった。
そして私の不安は的中することとなる。
参加者が各々席につきスタッフが開始の挨拶を始めた時──男性席が一つ、空いていた。
「今日はほんっとありがとう、恩に着るよ、ユーリ!」
友人の乃月(のつき)は、また合わせ場所で私と会うなり、手を握って両目を潤ませた。彼女は学生時代のクラスメイトで、社会人になってからも交流がある友人の一人だ。
「もしいい人がいたら、私のことは気にしないで二次会でも何でも行っておいで」
「そういう人がいるといいんだけど」
乃月は胸に手を当て、緊張を解すように大きく深呼吸する。
「ユーリも、いい人と出会えるかもよ?」
「興味ない」
ばさりと切り捨てれば、乃月はニヤリととほくそ笑む。
「ユーリって本当に推し一筋なんだね。会えば推しさんの話ばっかりだし、どんな人かちょっと興味出てきた」
「沼への誘いとなるけど覚悟はいい?」
「あ、やっぱ前言撤回」
その拒絶の姿勢たるや、道端で差し出されたチラシをスマートに拒否するかの如し。
司会者の持つマイクのスイッチが入り、店内のスピーカーから音が反響する。
店内はブラウンとグリーンを基調とした落ち着いた雰囲気が漂い、歩道に面した一面は大きなガラス窓で開放感もある。参加者が座る四人がけのテーブルは、それぞれが十分な距離を空けて配置されていることもあり、周囲の会話で自分の声が掻き消される心配もなさそうだ。窮屈さも感じられない。
「本日は私どもが主催するパーティにご参加くださり、誠にありがとうございます」
時刻通りに婚活パーティは始まった。司会者からはパーティの目的と、おおまかな流れや所要時間が説明される。
基本的な流れは、次の通りだ。
最初に、自己紹介カードに記入した内容に沿って全員と数分ずつ会話をする。その後、誰が気になるかをメッセージカードに記入しての中間集計が行われ、カードは次のフリータイムで該当する相手に手渡される。受け取った側が向かうも良し、記入した側が積極性を発揮するも良し、気になる相手と話せる最後のチャンスだ。
終わりには、各々がカップルになりたいと思う相手の番号を記入したメモをスタッフに提出。カップルが成立した場合は、二人で帰れるよう送り出される。
「初めまして。よろしくお願いします」
「あ、えと、はい、こちらこそお願いします」
一人に与えられた時間は三分。通路側に座る男性が席を移動していくスタイルだ。
自己紹介カードには名前や年齢に始まり、趣味や特技、好きなタイプや食べ物を記入する欄が設けられている。A4サイズのそのカードを、向かい側に座った相手と交換して、トーク開始である。
「有栖川さん、っていうんですね。俺こういうところ初めてで、緊張しちゃって…」
「私も初めてです。どんな話をしたらいいか悩みますよね」
定番とも言える切り出しを幾人かと繰り返し、営業スマイルを顔に貼り付けてやり過ごしつつも、私の心は浮足立つ。男性席の空席が気になって会話に集中できない。
カラ松くんの前で申し込み画面を開いた時、男性席が一つだけ空いていたのを覚えている。
そして、カラ松くんと別れてしばらくして──満席になった。
気もそぞろのまま、パーティは進行する。
誰とどんな話をしたのかどころか、どんな顔の異性と向かい合ったのさえ全く記憶に残らない。
途中の休憩時間に席を立ち、トド松くんに電話をかける。彼は家にいて、容易く捕まった。
「カラ松兄さん?さっき出掛けたよ」
「どこ行ったか知らない?」
「さぁ…普段着だったし、パチンコとかじゃない?」
室内にいる他の兄弟にも確認してもらったが、誰一人としてカラ松くんの行方を知る人はいなかった。しかしそれもそうだろう、何しろ相手は二十歳過ぎた大人だ、いちいち目的地を告げて家を出る必要性はない。
それに普段着で外出したのが事実なら、婚活パーティに参加者として乗り込んでくる可能性は低いと判じていいかもしれない。ドレスコードこそないが、全員が上品な大人カジュアルに定義される出で立ちが暗黙のルールだ。男性陣はシャツとチノパン、またはスーツが目立つ。パーカーやスタジャンならば、まず間違いなく、浮く。
だが、受付という包囲網を掻い潜って突如出現する危険性も否めない。
例えば、異性と会話すしている最中に音も立てず背後に忍び寄り、抑揚のない声での牽制。もしくは私がトイレに立つなどで一人きりになるのを見計らい、声をかけてくる、などだ。
まるでドラマや漫画のような、けれど実際やらかされると最高にはた迷惑なシチュエーションで妨害してくるのも、奴ならやりかねない。十分に起こり得る。ドラマチックに野獣の檻からハニーを救い出すオレ、とか自分に酔ってそう。
獲物を狙うスナイパーの如き鋭い眼光で周囲を警戒し続けていたら、いつの間にかパーティは終わりを迎えていた。
見事カップルとして成立した男女を称える拍手を聞きながら、私は拍子抜けした気持ちだった。一つ空いたままの男性用については、パーティの終盤に思い立ってスタッフに訊けば、何のことはない、体調不良で欠席とのこと。
結果的に、カラ松くんは会場に現れなかった。至極喜ばしいことなのに、同時に落胆もしている自分に驚く。
「カップル成立おめでとう。二次会楽しんでおいて」
乃月は気になる相手とのカップリングが成立し、会場を出て早々に二人での飲みに誘われたという。私は喜んでそれを見送る。
「ありがとう!ユーリが一人になっちゃうけど本当にいいの?」
「元々付き添いって約束だったでしょ。気にしないで」
「そう?じゃあ遠慮なく。でも初めての人と二人で飲みとか、ちょっと緊張するなぁ」
胸に手を当て不安げに息を吐く彼女に、私は微笑んだ。
「少なくとも乃月にはいい印象を抱いてると思うよ、あの人」
「どうして?」
乃月は瞠った目を私に向けた。
途中の休憩時間に彼女から気になる参加者がいると報告を受けてから、彼の動向を注視していたのだ。
「話す時必ず向かい合うようにしてたし、腕も組んでなかった。話題も積極的に振ってくれてたでしょ?
女慣れしているかまでは分からないから、注意するに越したことないけどね」
他の女性と接する際に、何度か腕を組む彼を見た。腕組みするのは、面倒だったり警戒しているサインとも言われている。
加えて、乃月に投げていた話題の多くはオープンクエスチョン、相手にイエス・ノーではなく自由に発言させる機会を与える質問形式だ。人の性質にもよるので一概には言えないが、相手に興味を持っていることを示す根拠の一つとなる。
分析しながら、ふと私の脳裏に浮かぶ姿があった。
「…ふふ」
我知らず笑いが溢れる。全部、カラ松くんが私に対してやってくれていることだったから。あなたに興味を持っていますと、彼はいつも全身全霊でもって示してくれる。
「ユーリ?」
乃月は不思議そうな顔をして首を傾げた。
「ごめん、ちょっと思い出し笑い」
カラ松くんは真摯に私と向かい合ってくれているのだ。ずっと、最初から変わることなく。そう思ったら、無性に会いたくなった。
婚活パーティではカップルにならずとも、異性の顔見知りは増える。会場出口付近では、話が盛り上がった者同士で連絡先を交換したり、複数人で二次会へ繰り出そうとする姿もちらほら見受けられた。
私もグループの一つから誘いを受けたが、断って駅へと向かう。
何もないからと、彼に誓った。パーティが終わったら真っ直ぐ帰る、と。
「ユーリ」
だから。
私の希求を見計らったように背中に声がかかった時は、世界から一瞬音が消えた。その声だけが、この世に存在する全てだとさえ思えた。
「…カラ松くん」
推しいいいいぃぃいいぃぃいいぃぃ!
「すまん…どうしても気になって、もう終わる頃かと…」
首筋に手を当て、申し訳無さそう視線を私に向ける。
「尊…じゃなくて、謝る必要ないでしょ」
今日も推しが尊い。顔がいい、声がイケボ、スタイルも抜群、可愛いのにエロい。総合的に見てもはや存在が罪。
脳内の私が雄叫びを上げて狂喜乱舞するが、懸命に律して爽やかな笑みを浮かべる。
「ずっと待っててくれたの?」
カラ松くんはスマホどころか暇を潰すアイテムさえ、常日頃から所持していない。待つのには慣れていると聞いたことはあるが、しかし。
「いや、つい数分前に着いたところだ」
「あ、そうなんだ」
「婚活パーティが予定通り終わって駅に向かうなら、このくらいの時間だろうと思って」
私は息を飲んだ。
カラ松くんは約束を守ってくれたのだ。昨日言葉にされなかった様々な葛藤や文句を、全部飲み込んで。
「…まぁ、会えなかったら会えなかったで、公衆電話から携帯に鬼電するだけなんだが」
物騒なこと抜かしおる。
「一人か?」
「友達はカップルになった人と飲みに行くって。だから私はお払い箱だよ」
任務終了の意味合いだったが、カラ松くんは緩く首を振る。
「ノンノン、違うだろ、ハニー」
それから人差し指を自分の口元で振って、おどけてみせた。
「ハニーの目の前には、その友達が選んだ奴よりもっといい男のオレがいるじゃないか。これからがメインだ」
気軽に口にできない本音を、気安く吐ける冗談に込めて。
私は否定もせず、曖昧に笑う。
「時間はあるんだろ?一杯付き合わないか、マイレディ」
「そうだね」
私はポーズの一貫として差し出されたその手を取って、恭しく口元まで持ち上げる。
「では、しばらくお付き合い願おうかな──王子様?」
カラ松くんは予想だにしていなかった私の反撃を食らい、一瞬にして首から上を真っ赤に染め上げたのだった。
「婚活パーティは堅苦しかったから、何にも考えずまったりしたいなぁ」
成果を上げるつもりはさらさらなかったが、それでも愛想笑いと営業トークの長時間使用で消耗し、いささか肩が凝った。
「頑張ったな、ユーリ」
「気を張るから疲れるし、私には合わないってよーく分かった。でも疲弊せずに楽しめるタイプなら、いい出会いの場なんだろうなぁ」
日頃異性と出会う機会のない人にとっては、同じ目的を持った同士が顔を突き合わせる場が用意されるのは、有り難いことだろう。自分は不向きと知れただけでも、いい経験にはなった。
しかしカラ松くんは表層のネガティヴ部分だけを受け取って、我が意を得たりとばかりに唇を尖らせる。
「だからオレは行ってほしくないと言ったんだ」
「行ったからこそ合わないと分かったんだよ」
反論すれば、彼は眉を吊り上げた。
「婚活パーティだぞ、合う合わないの問題じゃない。彼氏や彼女が欲しく金払って来てるわけだろ、意気込みが違う。
それにユーリは相手に困ってないじゃないか。主催者の想定するターゲットですらない」
ド正論をぶちかまされる。
「誰かに連絡先は教えてないだろうな?」
「信用ないなぁ。何もないって約束したでしょ」
「信じてないわけじゃない。男の方がユーリを放っておくはずがないと思っただけだ。オレでさえ声をかけたレディだしな」
そう言われて、私はくすぐったい気持ちになる。
「カラ松くんが真剣に参加したら、女の子の連絡先くらい余裕で貰えると思うなぁ」
「はぐらかすな」
「だって、こんなに可愛い成人男性だよ?世の女性が放っておくわけない。
向かい合ってお酒飲む絵面だけで翌日断食でも余裕。ほろ酔いで頬を染めた推し、呂律の回らない推し、箸が転がっただけで爆笑する推し…何と尊いことか」
「ハニーッ!」
声高に怒られた。
「オレは絶対に参加しないからいいんだ。女の子の連絡先もいらない」
苛立ちの混じった横顔が、遠くを見つめる。
「え、そう?」
驚いた私にちらりと視線を向けて、フッと目を細めた。穏やかな黒目には、私の顔しか映っていない。
「一番欲しい連絡先は、もう持ってるからな」
いつだって明確には語られない言葉の真意を、私が知らないとでも思っているのか。それともこれは言葉遊びの一環か。
私は駅の方角へと一歩踏み出して、息を吐く。
「私は欲しいなぁ」
「…え」
視界の隅に映った彼の顔は、絶望に打ちひしがれていた。ほんの一瞬まで、花が咲き誇るみたいに微笑んでいた面影はどこにもない。
「今持ってるのは家族共用だから、その人にだけ繋がる専用の連絡先があったらな、って思うよ」
ハッと瞠られる双眸。
「…あ…そ、それは、ユーリ、あの──」
頬には朱が差し、声は上擦った。ころころと変わる表情は見ていて飽きない。カラ松くんは慌てて私の背中を追いかけてくる。
「でも、今日は誰が出るかなって予想しながら電話するのは楽しいから、悩むところ」「ユーリ…その言い方だと、ユーリの欲しい連絡先というのは、つまり」
私はにこりと微笑む。
「待ってるよ、カラ松くん」
私はカラ松くんの腕を取って、先へ促す。
「さー、とっとと行こ!疲れたし、チビ太さんの所で二人で愚痴聞いて」
それからは二人でハイブリッドおでんへ向かい、私の婚活パーティに纏わるあれやこれは終止符を打つ。大団円、ハッピーエンド───のはずだった。
「えーと、すまん、ハニー…実は、金が…」
カラ松くんが逡巡を見せるので何かと思えば、彼は申し訳無さそうにそう告げる。何だ、そんなことか。
「迎えに来てくれたお礼に半分出すよ」
「いや、あー、その…帰りの電車代でギリなんだ」
どれだけ金がないんだと呆れたところで、ふとある事実に思い当たる。ああ、そうか、婚活パーティに乱入しなかったのは私を信じていたわけではなく、参加費が捻出できなかったのか。
す、と現実に戻る私のハート。
「ん、待てよ、チビ太の店…ということはツケがきく──よし行くか、ハニー!金のことは気にするな!」
正真正銘のクズがここにいます。
けれど笑顔を顔に広げてご機嫌なカラ松くんに水を差したくなくて、ツケ云々のくだりは聞かなかったことにする。
チビ太さんには後でカラ松くんの分も払っておこう。