短編:派生の方々と一緒

※カラ松派生キャラがメインの話です。




運命の歯車が狂い始めたのは、知らない街に足を踏み入れた時からだった。

予定のない休日の午後、少し長く電車に乗って、名前も聞いたことない駅で下車をした。高層とまではいかないビルが立ち並び、人通りは多くもなく少なくもない、特段見所のなさそうな街に降り立つ。スマホも地図も見ずに気ままに一時間ほど歩けば、長らく感じたことのなかった新鮮なときめきが胸に湧き上がり、私の足取りは自然と軽くなった。
見知らぬマップを散策して新しい景色に出会う、まさしく冒険だ。


「やっべ、迷った」
しかし胸の高鳴りはそう長く続かなかった。
大通りを避け、路地を見つけるたびに入り込んでいたら、いつの間にか立派な迷子の出来上がりである。土地勘のない街での散歩は現在地を見失いがちだ。どの方角から自分がやって来たのかさえ分からない。
とはいえ、心配無用。こういう時の文明の利器、スマートフォンである。現在地から駅までの最短ルートを検索し、示す通りに進めば万事解決だ。そんな結末を見越しての無謀な散歩だった。
「便利な世の中になったもんだね」
独白してスマホのディスプレイをタップした私は、次の瞬間に絶句することになる。

圏外。

「は?何で?」
焦ってスマホを振るが、表示は変わらない。不具合かと再起動しても、電波は届かない。Wi-Fiならいざしらず、キャリアの電波が届かないほど寂れた街ではないと思うのだけれど。
不運にも、周囲は人気のないシャッター街。長らく使用された形跡のない錆びたシャッターが数十メートルに渡って並び、朽ちた外壁や塗装の剥がれた看板も相まって、寂寞感が漂う。見渡す限り、人の姿はない。
「とにかく、人を探さなきゃね」
駅までの道のりさえ分かれば、どうとでもなる。

数十メートルほど歩いた先で、ようやく人を発見した。路肩に停車した黒い車の助手席側のドアに寄り掛かり、煙草を吹かす男性。これぞ天の助けと、私は足早に向かう。
「あの、すみません!」
彼が装着する黒いサングラスに、不安げな私の顔が映る。
年は私より少し上だろうか、コバルトブルーのシャツに車のボディカラーと同じ色のスーツを着崩した若い男の人だった。鎖骨の上でゴールドのチェーンネックレスが光る。
私は言葉を失った。だって、だってそれは───

「どうした?迷子か、お嬢さん」

疑惑は確信へと姿を変えた。
けれど『彼』は、そんな物言いはしない。私に対してお嬢さんなんて呼称は使わない。
都内の街中だというのに圏外を示す携帯、まるで人気のない寂れた商店街、知らない景色。この状況が示す一つの仮説は、到底受け入れられるものではなくて。
「あ、あの…私……」
何を言えばいいのだろう。何の冗談だと、一笑に付せばいいのか。
黒目を彷徨わせる私をよそに、彼は指先で自分の前髪を払う。
「キュートなロストチャイルドのお嬢さん。交番へ案内してやりたいが、いかんせん縁遠いんだ。それにここは危険だから、離れた方がいいぜ」
「えっ、危険って…」
「オレは忠告したからな」
言うや否や、彼は素早く私の腰に片手を回した。抵抗すべきか思案する暇もなく、ほぼ強制的に地面に膝をつく格好になる。
すぐ傍らで、ガシャンと鈍い破裂音が耳を突き抜け、車体が揺れる。片側のサイドミラーがアスファルトに転がったのを見てようやく、狙撃という単語が脳裏を掠めた。
けれど脳が理解を拒否しようとする。正常化バイアス故か、恐怖感はちっとも湧いてこない。
「…間一髪、命拾いしたな」
眼前の彼は愉快そうに笑って、私の肩越しに視線を向ける。
「───あ」
振り返った先のビルの屋上で、太陽の光を受けて何かが鈍く光った。黒い影は、私たちに何かを向けている。
私がその正体に気付くより、彼が動くのが先だった。腰から引き抜いた拳銃を高く上げ、引き金を引いたのだ。

耳をつんざく轟音。立ちのぼる硝煙。床に落ちる金の薬莢。
「まだ追っ手がいるな」
「…はい?」
認識の処理が追いつかない。
「乗りかかった船だ、お嬢さん。安全な場所まで連れてってやるから、オレに命預けてくれるか?」
全力でお断りします。
反射的に口にしそうになったのを、すんでのところで飲み込む。彼は返事を待たずに、私を車の助手席に押し込んだ。




追っ手がいると彼は言った。そして強引に車に乗せられ、シートベルトを厳命される。思いきりアクセルが踏み込まれる。その時点で次の展開はやすやすと予測できた───カーチェイスだ。
シートベルトがなければ体がフロントガラスを突き破っていたに違いない。ベルトが幾度となく胸元を圧迫し、吐き気を催しながらも私にとっての命綱をしっかと握る。文句の一つでも言いたいが、口を開けば舌を噛みそうだった。
ハンドルを握る黒いスーツの彼は、サイドミラーで照準を合わせながら、背後に向けて何度かトリガーを絞った。
手慣れてやがる。もう何が何やら。後ろの車が横転して火を吹いた気がしたが、見なかったことにしよう。
「お嬢さん、名前は?」
「えっ!?あ、ええと……ユーリです」
「…ユーリ、か」
彼は片側の口角を上げる。

「オレは───カラ松だ」

ああ。
やはり。
私は驚かなかった。確かめないようにしていた現実が、ただ突きつけられただけ。
これがパラレルワールドってヤツかと、私は気が遠くなった。


いつの間にか日が暮れていて、辺り一面が茜色に染まる。車に乗っていたのは一時間もなかったと思うが、雑居ビルが立ち並ぶ閑静なビジネス街と思わしき場所でようやく解放された。
その内の、一階が車庫になっているビルに車を入れた。騒々しい音を立ててシャッターが下り、彼はガレージの奥に設置されたドアを開け、私をその先へと促す。
待て待て。
「…あの、カラ松く──さん」
「ん?」
「もう外暗いし、追いかけてくる人もいないなら…私、ここでお暇していいですか?」
私は帰りたいのだ。無関係を装いたいのだ。本物の銃を慣れた手付きでぶっ放すような危険極まりない輩とは、今すぐ他人になりたい。いや最初から他人だけども。
カラ松くん──面倒なので名目上この名で呼ぶことにする──は、腰に手を当て、気怠げに溜息を吐いた。
「奴らに顔を見られたのにか?」
有無を言わさず関係者として巻き込まれる絶望感ってこういう気持ちか。

事件の目撃者はいつも切ない。
「…や、でも、私本当に関係ないですし……」
「一般人に素性を知られたオレの身にもなれ」
知らんがな。お前の落ち度やんけ。
「ブラザーたちにプロ失格と罵られる」
あ、五人の悪魔たちもいるのか。意味もなくホッとする。
「絶対誰にも言いませんから」
「見ず知らずのお嬢さんを信じられると思うか?」
カラ松くんは腰のホルスターから銃を抜き、私の胸に突きつける。僅かな躊躇もない。向ける眼差しは冷徹で、やはり私の知る彼ではないのだと思い知らされる。
だとしても。

「私はカラ松くんを悲しませないよ」

押し返すように触れた銃口は冷たかった。
言ってから、くん付けしてしまったとハッとする。私よりも年上らしい彼に対して、失言だ。
「あっ、違うんです!あの、知り合いにすごく似た人がいて、その人も同じ名前で、それでつい──」
カラ松くんの右手の人差し指にはタコができている。銃の扱いに慣れた手だ、親指の腹も厚い。そして全体的にセクシー、物憂げな表情も加わって尋常でなくセクシー。セクシーの神と呼んで差し支えない。
可愛いの権化であるカラ松くんとは異なる様相が眼福すぎるからぶっちゃけ離れがたいし、呼吸するように欲情もする。
「……ユーリ」
その呼び方も、声も、本当にそっくりで。
抱きてぇなぁと心底思ってしまうのも致し方ない。仕方ないね。
「えっと、だから、本当に!推しの名に誓って口外はしませんので!」
言いながら私はスマホを取り出す。幸いにも圏外は解消されていて、ヒャッハーこれで帰宅じゃああぁぁと歓喜して地図のアプリを立ち上げる。
しかし私を待ち受けていたのは、落胆だった。現在地から自宅までの経路を検索しようとして、エラーが出る。該当する住所は存在しない。最寄り駅の名前も微妙に異なる。次いで松野家を調べるも、同じ結果だった。
何でなん?
「──で、帰れそうなのか?」
絶望を顔に貼り付けた私をからかうように、カラ松くんがニヤニヤと尋ねてくる。私は無言で首を横に振った。
「仕事に支障が出るから放流したいところだが、奴らを潰すまでの辛抱だ。しばらくメイドとして雇ってやる。
ブラザーたちには、オレの女とでも言っておくか」
「……お願いします」
答えた私は、苦虫を噛み潰したような顔だったに違いない。

「人前ではオレの連れらしく振る舞うんだ。分かったな───ハニー」




連れてこられたビルは彼にとってアジトのようなものらしく、私には客間が与えられた。ベッドやデスクといった最低限の家具が備えられており、ビジネスホテルの一室のようだ。
共有スペースとなるリビングはダイニングと繋がっているために間取りは広く、開放的だった。その半面、インテリアはひどくシンプルで、彼の趣味や感性はほとんど感じられない。悪い言い方をするなら、殺風景な印象。
私は彼の家政婦として、生活空間の清掃や食事を任された。家事で衣食住が保証されるなら安いものだし、打開策を見出すまでの我慢だ。

さて、そんな歪な生活を始めて数日が経った頃。最寄りのスーパーで食材の買い出しを終えた帰り道のことである。
スニーカーのつま先にコツンと何かがぶつかる感覚がして、私は足元に視線を落とす。銀色の懐中時計だ。持ち上げた私の手のひらでカチコチと時を刻む。
「落とし物?」
近くに交番はあるだろうかと周囲を見回した次の瞬間、私の目にうさ耳が飛び込んでくる。正確を期すなら、うさ耳をつけた子供の後ろ姿だ。可愛いなぁと思ったのもつかの間、振り向いたその子と目が合う。

カラ松くんだ。

否、カラ松くんの顔をした小さなうさぎ、それが子供──と私が当初認識した──の正体だった。きらびやかな青いスパンコールのジレに、赤の蝶ネクタイ。パンツの下から覗く足は白い毛に覆われ、形状もうさぎそのもの。
私は無言で目頭を押さえた。これ、見なかったことにして帰ってもいいだろうか?
私のキャパはもうとっくにゼロよ。何なんだこの世界、推し祭りか
「えーと…カラ松…くん?」
不思議の国のアリスに出てくるような白うさぎに、声をかける。正しい呼び名かは自信はない。
「時計を見なかったか?」
「え?」
「時計を落としてしまったんだ。このままでは遅刻してしまう」
ハートの女王でも待っているのか。
「もしかして…これ?」
「ああ、それだ!ありがとう、これで間に合う」
私の腰ほどの小柄なうさぎは、幼さの残る顔で私に微笑む。
「それじゃあ」
別れの挨拶もほどほどに、軽やかなステップで私の傍らを駆け抜ける。跳ねるような足取りで狭い路地裏に入るので、私は、あ、と声を漏らした。
「待ってカラ松くん!その先は───」

行き止まりのはず。

我に返った私が静止すべく覗いた時には、彼の姿は既になかった。




「遅かったじゃないか、ハニー。寄り道か?」
リビングのソファで、シャツ姿のカラ松くんがタブレットから顔を上げた。サングラスを外し、スーツの上着を脱いでいるだけなのに、ラフな格好に見えるから不思議だ。相変わらず表情は冷ややかだが。
「帰りに変な物を見て…」
どうせ言っても信じてもらえないだろう。私も幻覚を見たような気持ちだ。自分の目に自信が持てないのは心細い。
「ふむ」
けれどカラ松くんは私の言葉を否定しなかった。
「まぁ、少なくとも寄り道しなかったのは確からしいな」
「何で分かるんですか?」
エスパーか?
私が目を剥いていると、カラ松くんは立ち上がって私の襟に触れた。
「ここに発信器をつけてる。万一ユーリが攫われても助け出せるようにな」
「それは…心配してくれてるってこと?」
目の前にいるカラ松くんの眼光は鋭い。滅多に笑わないし、愛想も悪くぶっきらぼうだ。懐いた飼い犬のように屈託なく笑う『彼』とはまるで違う。
でも───
「匿うと約束した手前、安々と奪われちゃプロの名折れだからな」
信頼できる人だと思うのは、思い違いだろうか。
「既にお前の存在は知られているだろうから、オレの弱点として狙われる可能性がある。…誤解もいいところだが」
早々にその誤解を解いて解放してくれませんかね。
「なら、せめて足手まといにならないよう努力します。何ができるか分からないけど、迷惑かけないよう──」
それに、早くこの夢から覚めなければ。
「不要だ」
「でも」
私の反論は、カラ松くんによって遮られる。彼の無骨な手が、私の髪に触れた。

「しばらくいろとユーリに言った責任は取る。
攫われてもすぐ助け出してやるから、安心して拉致られろ」

安心できないし拉致られたくないんですがどうしたらいいですか。

「───それで、いつまでそうやって突っ立ってるつもりだ?」

カラ松くんは煙草に火をつけ、口の端に咥える。紫煙を立ちのぼらせながら、蔑むような一瞥を私に向けた。
「可愛がってほしいなら、ソファに移動してやってもいいぜ」
クククと肩を揺らして、意地の悪い台詞を投げてくる。
「遠慮します」
「シャイなハニーだ。我慢は体に悪いぜ」
「最高に冷静で平常心です、どうぞお構いなく
たちの悪い冗談だ。彼の本心が読めないから余計に、受け流すのに労力を要する。




自室の窓を開けたら、涼しげな風が私の頬を撫でる。そよそよとカーテンが揺れた。
この世界は夢なのか平行世界なのか、それさえ判断がつかないまま数日が過ぎた。本当は全部今まで通りで、私の認識だけエラーを起こして幻を見ているような、そんな気もするのだ。
順応するよう努めているが、ふとした瞬間に途方もない不安が押し寄せる。万一帰れなかった時のことも、想定しておくべきかもしれない。

「ユーリ」

いつの間にかドアが開いていて、カラ松くんが入ってくる。
「まだ起きてたのか?」
私は思わず笑ってしまう。
「深夜に堂々と異性の部屋入ってくるあたりは、本家とは違うんだよねぇ」
「ほんけ?」
珍しくきょとんとするカラ松くん。
「前に言った、そっくりな人の話ですよ。顔も体格も声も同じなのに、性格が全然違うから変な感じだなって」
「ユーリが帰りたいのは、そいつに会いたいからか?」
突然、不穏な空気が漂う。あいにくと、変化に気が付かないほど私は鈍くない。
「それもあります」
「…お前の男か?」
「違うけど、違うとも言いきれないような関係でして」
何せ唯一にして至高の推しなので。私の知る彼が元祖で本家なら、今目の前にいるマフィアか殺し屋の一味のようなカラ松くんや昼間出会った白うさぎは、派生といったところか。

「そうか」
小さく呟いて、カラ松くんは私の肩を抱き寄せる。
「……より一層帰したくなくなった」
一軍みたいなこと言うやん。
「冗談キツイです、カラ松さん」
さん付けは未だに慣れない。気を抜けば、いつもの癖でカラ松くんと呼びそうになる。
「どんな仕事をしているかは聞きませんが、私は足手まといにしかなりませんよ。
私のせいでカラ松さんが危険な目に遭うのは嫌です」
「そう…なんだよな」
「でしょ?」
「ユーリのような素人を守りながらできる仕事じゃない。お荷物なのは間違いないんだ。
なのに…手放すのを惜しいとさえ感じてる」
カラ松くんはハッと忌々しげに自嘲する。
「お前がスパイじゃないという確証さえ持てないのに、だ」
信じてと懇願することは容易い。
しかし最終的に結論を出すのは彼自身な上、辿り着くまでには長い時間をかけて信頼を積み重ねる必要がある。たかだか数日衣食住を共にした薄い関係性で、信用しろと言う方が無理な話なのだ。
「その辺は行動で示すので、見ててください」
だから取るべき行動は一つ。
「推しは幸せでなければいけませんから!」
私の行動原理は揺るがない。例え平行世界の別人でも、夢の中の幻想でも、推しは幸せであれ。

両手の拳を握って鼻息荒く力説する私に、ついにカラ松くんは吹き出した。ここに来て初めて見る、彼の笑顔だ。
「ははは、何だ、推しって。お前本当に変な奴だな、ユーリ」
まだ幾分警戒心はあるが、彼の頬に赤みが差した。ほんの少しだけ声が軽くなる。
「ま、なるようになるだろ。起こってもいないことを考えるのは不毛だな」
「一理ある」
「少なくともカタがつくまでは、ユーリはオレの連れ合いだ」
不意に、耳元に唇が寄せられる。耳朶に触れるか触れないかの近距離、微かな吐息が皮膚にかかって、思わず目を瞠った。

「よろしく頼むぜ、相棒」

イケボは人を殺す。




それ以来、何かにつけて私の部屋にカラ松くんが訪れることが多くなった。晩酌の誘いだとか夜の警護だとか様々な建前でもって、すげーグイグイ距離を詰めてくる。ニートの本家もこう積極的であったなら、今頃は名実ともに一軍所属だったに違いない。
私も私で、推しの誘いを断れず許容してしまう。絵面が最高すぎるからだ。特に余裕ぶった眼差しで銃の手入れをする姿に至っては、具現化した尊さの襲撃でしかない。気を抜いた時に見かけようものなら、神々しさで目がやられる。つまりは弱いのだ、推しに。

だからといって踏み込んだ関係性になりたいのかというと、答えに窮する。前にも後ろにも進めずに困惑しているというのが正直なところだ。

この世界に来てからもう何度目か分からない溜息を吐いたら、額が何かにぶつかった。
「わっ」
慌てて視線を上げると、イケてる顔面と目が合う。ブルーのインナーに白いシャツを重ねた、学生服を着崩したような格好の青年だ。艶のある青い髪を、鬱陶しげに掻き上げる。
「いってぇな、前見て歩きやがれ」
声が。
「ご、ごめんなさい!よそ見、してて……」
誰か、どうか嘘だと言ってくれ。
「つまんねぇ顔してるからだろうが、ブス」
力の限り殴りてぇ。
開幕五秒で喧嘩売るスタンスを売りにしてるのか、こやつは。
「あの…」
言い淀んでいると、彼は腕組みをして私の顔を覗き込んできた。近い近い。
「あー、何だそのツラ、悩みでもあんのか?」
「はぁ、うん、まぁ…」
他人に言っても詮無いことだ。そういう思いもあってか、返事が投げやりになってしまう。
「このオレ様が目の前を通ってるってのに気付きもしねぇんだ、よっぽど大層な悩みなんだろ?
特別に聞いてやってもいいぜ」
「ええー……」
いらん、帰れ。
本音は表情に出たが、幸か不幸か言葉にはならなかった。私に構わず今すぐ解放してくれという願いは誰に届くこともなく、呆然と立ち尽くす。

小さなメモを手渡される。白い紙に、右上がりの癖字で書かれた文字が並んでいる。
「どうしようもなくなった時は連絡しろ」
ポンと頭を撫でられて。
「一回だけなら助けてやる」
言葉を返せずにいる私にカブスカウトのように二本指で敬礼し、彼は背を向けて去っていく。細く長く影が遠ざかり、やがて雑踏の中に紛れて消える。
私は受け取ったメモに目を落とす。そこには携帯番号と、彼の名前が書かれていた。

───カラ松。

推し祭り開催中か?




さて、その後のことを少しだけ記述しておこう。
同じ顔をした五人の黒スーツ集団が窓を蹴破って突撃かましてきたり、デレ期が訪れたツンデレカラ松くんに溺愛されたり、げっそりとやつれて行き倒れるリーマン姿のカラ松くんを街中で目撃したりとこれまた散々な目に遭うことになる。

だからこれは、私が見た長い長い夢の、ほんの始まりのお話だ。




※続きません。