短編:激まずドリンクを飲み干せ

『激まずドリンクを一リットル飲まないと出られない部屋』
私とカラ松くんが幽閉された部屋の壁には、上記のような指令が書かれていた。


はいはい、全部理解した。みなまで言うな。
通称『○○しないと出られない部屋』という、もうずいぶんと昔から二次創作で定番となっているシチュエーションネタである。閉じ込められた二人が無理難題に挑むことで、脱出までの試行錯誤や心理戦、関係性の変化を読者が楽しむアレだ。
当事者視点で述べれば、指示をクリアしない限り部屋から出られない絶体絶命の地獄

「これまた絶妙な難易度の指令がきた…」
私は頭を抱える。
私たちが閉じ込められたのは、二十畳ほどの白い壁に囲まれた部屋だ。窓はなく、出入り口らしき頑丈な扉が一つあるだけ。ノブを回すも、当然びくともしない。
部屋の中央に丸いローテーブルがポツンと鎮座しており、その上に一リットルの液体が入ったペットボトルとグラスが二つ、壁に書かれた指令を達成するために必要な道具だけが置かれていた。他には何もない。
「なぜオレたちがここにいるのかとか、この指示を達成して本当に外に出られるのかという疑問は多々あるが──やらなきゃいけないんだな?」
カラ松くんが腕組みをして眉をひそめる。さすが当推し、飲み込みが早くて助かる。
「でもまだ達成できそうな内容で良かったよ。
どちらかの目を抉らないと出られないとか、腕を一本差し出さないと出られないとか、そういうのじゃないだけ全然マシ」
「何それ怖い」
カラ松くんが青ざめる。
「…というか、詳しいな、ユーリ」
「まぁ色々見たことあるから。ただこれの定番は、キスしないと出られないとか、告白しないと出られないとかで、恋愛系が多いはずなんだけどね」
「そっちが良かったんだが」
真顔で私に文句言われても困る。というか、私だって推しに全力でセクハラかませる大義名分得られるお題がいいわ、クソが。せっかく脱がせるのにおあつらえ向きなツナギを着ているのに、お触り禁止は拷問だ。

とはいえ、ああだこうだと文句を言っても、時間が無為に過ぎるだけだ。時計がなく時間経過が分からないため、早急に脱出してしまいたい。
私たちがすべきことは助けが来るのを待つことではなく、命じられた指示を達成することなのだ。
「ただ、飲むって言ったって……激まずって書いてあるのがハードル高いよね」
「余計警戒するよな」
ペットボトルにラベルはなく、中には透明度の高い琥珀色の液体。麦茶と言われれば納得できる色合いである。持ち上げて揺らしても、液体内に不純物はなさそうだった。
「ユーリ、成分表らしきものがあるぞ」
テーブルの周りを物色していたカラ松くんが、手のひらほどの小さな紙を掲げる。
「これを信じる限り、有害なものは入ってなさそうだが…」
彼の傍らから覗き込む。漢方薬や健康茶などで見かけたことのある生薬名が羅列している。あいにく生薬の知識に長けていないため、名前を見たところでそれが全て本当に生薬かさえ判断はつかない。
ただ───
「毒はないと思うよ」
「そうなのか?何か根拠が?」
だって、この○○しないと出られない部屋ってそういうものだから。セオリーだから。
「確証ないけど、たぶん。何なら私が毒味するよ」
「毒味ならオレがする」
即座に首を振って、カラ松くんが言う。

「ユーリを危険な目に遭わせられるか」

さも当然とばかりに。
私の顔に笑みが浮かぶ。そうだ、この人はこういう人だった。私を守るって、当たり前のように言い切ってしまう。
「オレがユーリのシールドになる。この成分表が正しいかも分からないしな」
カラ松くんは円卓に置かれているコップを一つ手に取った。
「それにいくら激まずと言ったって限度はあるし、オレたちを騙して時間を稼ぐためのブラフの可能性もあるだろ。そもそも匂いだってそんなにしない」
蓋を開けて匂いを嗅ぐ。激まずを彷彿とさせるような刺激臭はなく、むしろ茶葉を炒めた香ばしさに似たほのかな香りが鼻をついた。
「まぁ見てろ、ハニー。こんなもの一瞬で終わらせてやる」
柔らかく微笑んで、カラ松くんはコップに液体を注いだ。一度私の前に突き出して乾杯のポーズを取り、それからビールをあおるように半分ほどを一気に嚥下した。

はじめに、カラ松くんは目を閉じた。眉間に深い皺が刻まれる。
続いて、片手を眉間に当てて苦悶の表情を浮かべた。血色の良かった顔色は青白く変化を遂げる。
最後に、手にしていたコップをそっとテーブルに戻す。そうしてようやく、彼は口を開いた。

「まっっっっっっっっっっず!」

めちゃくちゃ溜めて言うやん。
「何だこれっ、クっっっっソ不味い!激まずとかいう表現が可愛く思えてくる圧倒的不味さだぞ!オレの味覚が死ぬ!もうヤだ!」
カラ松くんは涙目で声を荒げた。十分の一の消費で白旗上げるのは止めて。先行き不安すぎる。
「え、そんなに?大丈夫?全然変な匂いしなかったのに…」
激まずという言葉が現実味を帯びてくる。看板に偽りなしか。
カラ松くんは自分の口の端についていた液体を手の甲で拭った。こんな時に不謹慎だが、鬱陶しそうに口元を拭う仕草がエロくてたまらん
「や、待て、そうか…オレともあろう者が油断したぜ。こういう不味いものを口に入れる時は、鼻を塞げば良かったんだ」
淀んでいた瞳は輝きを取り戻し、カラ松くんは再びコップを握る。
お手本のようなフラグが立った。
しかし私は余計な口を挟まずに、カラ松くんの行く末を見守る。

───結果。

「ゲロマズ……っ!」
フラグ回収乙です。
「ちょ、マジで何なんだ、これ!
嗅覚を遮断してなお、口内の至る所で地雷爆発させた挙げ句に脳味噌に全力ストレート叩き込まれたような衝撃!もはや不味いってレベルじゃない……これは…精神破壊攻撃だ
表現がえげつない。
「ユーリ、悪いことは言わないから、止めておけ。オレが何とかするから…二十四時間くらいで
飲み干すのに丸一日かかってたまるか。
トイレも休息アイテムもない空間で二十四時間耐久レースは無謀だ。私は大きく息を吸って覚悟を決める。
「大丈夫だよ、カラ松くん。私も半分受け持つから」
根拠のない空元気に近いが、黙って指を咥えて見ているほど弱者ではないつもりだ。私は彼と対等でありたい。
「しかし、ユーリ…」
「一緒に頑張ろうよ」
カラ松くんはあまりの不味さに悶絶していたが、私とてロシアンたこ焼きや罰ゲームでセンブリ茶の一気飲み経験者だ。えぐみや辛さにはそれなりに耐性がある。
私は一度大きく深呼吸してから、コップに一杯分を注いだ液体を半分口に含んだ。

「うん、ごめん、正直に言う……クソマズ
鼻をつまんでいたはずなのに、聴覚味覚を通り越して痛覚に直接フルスイング。人間が口にしていい飲み物じゃない。毒の方がまだマシ。
辛すぎる物を食べると辛さよりも痛みを感じるというが、まさにそのレベルだ。味ではなく痛みが口内に去来する。あと引く不味さ
「うええぇぇえ、まっず!不味いのは分かってたけど、程度ってもんがあるでしょ!なのに体に良さそうな配合なギャップが絶妙に腹立つ!
「だ、大丈夫か…ユーリ?だからオレは止めておけと言ったんだ」
むせる私の背中をカラ松くんが優しくさする。
「イケると思ったんだよ!激辛とか塩辛い味覚殺しじゃなくて、生薬の不味さなら耐えられると思ったの!無理でしたすいません!
咳き込みすぎて鼻水も出てきた。一杯目なのに早くも顔はぐちゃぐちゃだ。




しかし、全て飲みきらなければここから脱出できないのだから、降伏は私たちの選択肢にない。こういうのは勢いが大事だ。グダグダと管を巻いて文句を言う余力は、行動に使うべし。
私は意を決して、残りの半分を素早く飲み込んだ。
「ユーリ…!」
カラ松くんは目を剥いたが、私は彼の反応に構わず二杯目をコップに注ぐ。
「ち、ちょ、ハニー、待て待て!連続はさすがに危険だ、クールダウンしよう」
コップを握りしめた手が制される。それから彼はツナギのポケットから白いタオルハンカチを取り出して、私の口を拭った。
「ユーリは無理することない。時間がかかってもオレがやるから」
心苦しそうに、カラ松くんは顔を歪める。

「ユーリには苦しい思いをさせたくないんだ…分かってくれ」

自分の境遇を顧みず自然に他人を気遣えるのはカラ松くんの強みだ。頼られると喜び、頼り甲斐があると認識されることを美徳とする。
しかし、自己犠牲との境目はとても曖昧である。彼が誤った方向へ片足を突っ込みそうになったら必ず止めようと、私は心に決めているのだ。
「──私も、そう思ってるよ」
ペットボトルを持つカラ松くんの手が止まった。私を見る。

「幸せなことはカラ松くんに独占してほしいけど、辛いことや悲しいことは誰かと分けた方が、ずっと楽だよ。私がいつでも半分受け持つから」

彼からペットボトルを奪って、彼のコップに一杯、私のコップにも同じだけ注ぐ。ほら、そうすればもう半分以上消費したも同然だ。
「早くここから出て、美味しい物食べに行こう」
「───…うん」
はにかんで、心の底から嬉しそうにカラ松くんは笑う。
「よしっ、そうと決まったらこんな辺鄙な所とはとっととおさらばだ!ハニーとのデートのためにオレはやるぜっ」
私たちは決起の意を込めてコップの縁を合わせた後、ひと思いに中身を煽った。


人間の飲むドリンクではないと先ほど記述したが、同じ感想が再び脳裏を過った。激辛で有名なデスソースとはまた次元が違うが、自分の意思とは裏腹に走馬灯が巡る。
視界が白濁して、体に力を込めなければ意識を手放してしまいそうだ。死へのカウントダウンが現実味を帯びてくるが、推しを抱かずに死ねるかという煩悩が私を現世に繋ぎ止める。推しへの下心は生命線。
極力平静を装ってチラリとカラ松くんを見やれば、肩で息をする彼もまた限界が近いことを物語っていた。
これ以上の消耗は危険だが、意識と引き換えになら最後の一杯がいけそうだ。共倒れになっては元も子もないし、カラ松くんのことだから私が倒れても介抱してくれるだろう。

私のそんな思惑を察したのかは分からないが、カラ松くんが先手を打ってきた。
「残りはオレが飲む」
「え、駄目だよ。だって、さすがに──」
「声が震えるほど疲弊してるユーリに、これ以上無理させられるか」
毅然と発したつもりだったが、自分の声は想像以上に掠れて弱々しいものになっていた。カラ松くんの手が、テーブルに置いた私の手に重なる。

「ラストくらい、オレに格好つけさせてくれ」

嘘つき。
危うく声に出してしまいそうになった。喉まで出かけた言葉を飲み込んで、仕方ないなぁ、と私は腕を組む。そこまで言うならと、不承不承譲歩した体で。
「その代わりと言っては何だが……無事出られたら、褒美をくれないか?」
「ご褒美?何がいいの?」
「フッ、さすがは聡明なハニーだな───内容はユーリが決めてくれ。それが褒美だ」
私は首を縦に振った。
「いいよ、期待してて」
二つ返事で了承すれば、カラ松くんは破顔する。一瞬の躊躇さえ、彼の決意に対して失礼な気がしたから。
昼か夜かも分からない白い部屋で平静が維持できる間に、脱出しなければ。

茶褐色の液体の残りをコップに流し入れ、カラ松くんは「よし」と声を出して気合いを入れた。液体が常温であることもまた、想像を絶する破壊力を生み出す一因である。冷えや熱で誤魔化されないから、味がダイレクトに伝わってくるのだ。本気で殺しに来ている。
「いくぞっ」
「いったれ!」
カラ松くんの奮起に呼応して、私も拳を振り上げた。
彼の喉がゴクゴクと鳴る。カラ松くんの顔が苦痛に歪むにつれ、不可思議な液体の量が徐々に目減りし、やがて空になった。テーブルにコップが叩きつけられる。
「っしゃ!オラアアアアァァアァ!」
カラ松くんは天を仰ぎ、両手を上げて盛大なガッツポーズを決めた。筆舌に尽くしがたい達成感に荒ぶる当推し。長らく優勝から遠ざかっていた贔屓の球団が九回裏で逆転優勝決めたみたいな喜びようである。




ガチャリと、扉の方から解錠の音が聞こえた。
「ユーリ、とっととずらかるぞ。オレはもうこのペットボトルを一秒たりとも視界に入れたくない
新たなトラウマ爆誕。
普段と比べ荒っぽい口調で吐き捨て腰を上げようとするから、カラ松くんの手を取ってそれを制する。
「…ユーリ?」
「ご褒美の件について、今ちょっとだけ話してもいい?」
「一刻も早く出たい」
やべぇ真顔だ。
「何分もかからないから」
私の二度の要請に彼は不満げに顔をしかめたが、再び床に腰を下ろした。
「あ、ついでに後ろ向いて」
カラ松くんの背後を指さして言うと、彼は渋々ながら従った。私の意図が分からないせいもあってか、そこはかとなく機嫌が悪い。私は声を立てずに苦笑した。

そして───後ろからカラ松くんの首にそっと腕を回す。

「……ッ!?」
カラ松くんの胸元で自分の手首を掴み、彼の肩ごと抱きしめた。私の顔の側に、彼の耳が来る。
「は、ハニー…っ、何を──!」
カラ松くんの声が上擦る。表情こそ窺えないが、耳は一瞬で赤く染まった。
「頑張ってくれてありがとう、カラ松くん」
ぴくりと肩が揺れる。
「一緒に閉じ込められた相手がカラ松くんで良かった。すごく見直したよ。私の推しはやっぱり最高だね」
「…や、それは、あの……」
「もし次何か起こったら、今度は私が必ず守るよ」
「……ん」
カラ松くんは小さく頷いて、私の顔に頬を擦り寄せてくる。まるで甘える犬か猫だ。男らしく気丈である体裁を望む反面、心を許した相手には別の側面を垣間見せる。これは、私だけに許された特権。
「化粧ついちゃうよ」
「構うもんか」
成人男性にしては弾力のある肌だ。いつだったか、トド松くんほどではないが丹念にケアしていると得意げに話してくれたことがある。なるほど、誇るだけあって効果は出ているらしい。

「で、本題なんだけど」
「は?本題って…何の?」
カラ松くんがきょとんとして私を見つめる。
「今日のご褒美の話。お礼言うのに時間かけちゃったよ、でもすぐ終わるから」
「え、今の…このハグは違うのか?──ジーザス、とんだ策士じゃないか
お褒めに預かり光栄。
このハグは私が推し成分を摂取したいからです、他意はないです、礼なんて口実です。ツナギを着崩した次男の色気おいしい。
「ふふ。これでご褒美なんだけど、『昼寝』ってどうかな?」
「昼寝?」
「うん。家で」
「ユーリの…」
「動いてないけど疲れちゃったから、一緒に並んで昼寝したい気分なんだよね。カラ松くんはどうかな?」
自分の希望を先に述べて意向を伺う形式は、他者とのコミュニケーションを円滑にする。
カラ松くんが褒美を私に一任する旨を口にした段階で、彼の望みをある程度推測するのは容易いことだった。だから私が先回りして語ることで、彼の独りよがりではないと背中を押すのだ。

カラ松くんは私の腕に触れる手に、僅かに力を込めた。
「…フッ、そうかそうかマイハニー!このオレと二人きりでまったり惰眠を貪りたいと、そういうわけだな?
男のフェロモンを放ちすぎるオレと密室で長らく共に過ごしては、独占欲が増長しても致し方ない!いいだろう、麗しのハニーには特別に、オレの時間を欲しいだけ進呈しようじゃないか」
「わぁユーリうれしー」
感激しておく。うっかり棒読みになったけど。


私たちは立ち上がって、扉へと向かう。蝶番が擦れる金属音と共に、外の世界の明かりが差し込んでくる。室内では感じられなかった温い風が、そよそよと私たちの頬を撫でた。
とりあえず私とカラ松くんをこの部屋に閉じ込めた首謀者はギチギチに締め上げるとして、今は脱出の喜びを共有しよう。
「ちなみに昼寝の後に晩ご飯もつけるよ」
「パーフェクトな案だ、文句のつけようがないな」
「でしょー」

扉を開け放つと、眩いばかりの白い光が私たちを照らす。カラ松くんと笑みを交わしながら、私たちは部屋を後にしたのだ。