短編:青から青を

推しをイメージする、または推しを連想させる色のことを『推し色』と呼ぶ。
推しの存在をさり気なくアピールしたり、物理的距離だけでなく下手すれば次元さえも離れた推しを身近に感じるために普段使いのアイテムに取り入れたりと、活用の幅は広い。例え間接的にでもすぐ側に感じられる推しの存在に、人は活力を得る。
たかが色、されど色、それが推し色だ。




「こっち……んー、でもこれだと微妙に似たヤツ持ってるし。となると、ちょっとテイストを変えてチャレンジすべきか…」
場所は大衆向けアパレルショップのメンズコーナー。ハンガーに掛けられたデザイン違いのトップスをそれぞれ両手で持ち上げて、私は唸った。
甲乙つけ難い物を前にすると、判断力は著しく低下する。しかもどちらの在庫も最後の一点限り。今買わなければ後悔するのではと疑心暗鬼に駆られ、店のマーケティング戦略にまんまと嵌っている。
「ユーリ」
眉間に深い皺を刻む私の右耳に呼び声がかかる。思考を中断し、声の方へ顔を向けた。
「あ、カラ松くん」
本日私は、当推しであるカラ松くんの秋服選びに同行している。否、させていただいている。
カラ松くんの私服はほぼ把握している上、本人の魅力を最大限に引き出し、かつ第三者からも高評価を得る組み合わせを提案し続けてきた実績が認められ、最近は自他共に認めるカラ松くん専属コーディネーターなのだ。私のチョイスが公式に認められる喜び、プライスレス。
そして当推しは今日も今日とてグレーのVネックシャツにネイビーブルーのカーディガンを重ね、ボトムスは黒のスキニーデニムと、シンプルながらに彼ご自慢のスタイルが際立つ装い。姿勢が良いこともあり、とにかく映える。自然体が放つエロスこそ至高。ゴチです。

「なぁ、これなんかどうだ?」
頬を上気させた嬉々とした表情で彼が突き出したのは───赤のネルシャツだった。
カジュアルさを演出する羽織としては定番で、単色のインナーと相性がいい。コットン100%で肌触りも良いことに加え、カラ松くんが持ってきたのは腰回りを絞った作りだ。柄も赤と黒で悪くない。
「うん、いいと思うよ。カラ松くんがよく着る黒のインナーとも合うね」
「だろ?フッ、数多の服があろうとも、定められしデスティニーに導かれるように常にベストなチョイスをしてしまう…オレ!」
「ちょっと試着してみてよ」
気取ったカラ松節はスルーを決め込んで、カラ松くんに試着を促す。松野家において赤は長男のイメージカラーだが、なかなかどうして次男にも似合う。
「ボタン留めてもいい感じ。着丈も長くないし、ウエスト絞ってるから後ろ姿もエロ───エロい
「何で言い直しかけて同じこと言った?」
大事なことなので。くびれから尻にかけての絶妙なラインは実に蠱惑的で、隙あらば撫で回したい。
「ネルシャツはパーカーの上から着てもオシャレなんだって」
「逆じゃなくてか?」
「そうそう。だいぶカジュアル寄りになるけど、そういう着方もあるみたい」
きれいめを好むカラ松くんからは逸れた組み合わせだけれど。
「…詳しいんだな、ユーリ」
カラ松くんが眉をひそめる。声のトーンが明らかに落ちた。他の男の影を感じたが故の反応なのだろう。
私は鈍感を装ってにこりと微笑む。
「カラ松くんに何が似合うかを考える過程で、色んなジャンル学んでるからね」
「オレの…?」
僅かに目が瞠られる。彼の視線は一瞬足元に落ちて、私の言葉の意味を咀嚼しているらしかった。
「そうか、オレの……な、ならハニーがメンズファッションに詳しいのも腑に落ちるな。そうまでしてオレの隠しきれない魅力を誇示したいハニーの心意気、無下にはしないぜ」
それは僥倖。

その後もしばらくはああだこうだと議論を交わし、最終的にカラ松くんは私が太鼓判を押したネルシャツを購入する。自動ドアをくぐる彼の足取りは軽く、傍目にも分かるほど頬を緩ませていたから、私もつられて気分が高揚した。

カラ松くんの独創的かつ壊滅的なファッションセンスは、少しずつ改善の兆しを見せている。セレクトショップでは今だに奇抜な服を嬉々として選びがちだが、私の顔を見て思い直すことも増えた。
とはいえ、そもそもセンス良し悪しの定義は曖昧だ。一概にカラ松くんの審美眼に問題があるとは言い切れないが、彼のセンスを好ましいと感じる人は少数派どころか絶滅危惧種に指定されるレベルだから議論の余地がない。

「ユーリ、これ最高にイカしてるぞ!」
シルバーアクセサリーを扱うショップで、そう言いながらカラ松くんが見せてきたのは、骸骨の手首から先が指を掴んでいるようなデザインのリングだった。
何でよりによってそれ選ぶかな。夜中に見たら叫ぶわ。前言撤回。




日が沈む夕刻、購入したネルシャツを手持ちの服とどう組み合わせるかの意見を交わしながら、私たちは帰路に着く。
明日も休日という気安さも手伝って、我が家で夕飯でも食べていかないかと誘えば、カラ松くんは二つ返事で頷いた。道中でスーパーに寄った後、玄関ドアを開けて二人でリビングへと向かう。

「カラ松くんがネルシャツを選んできたのは意外だったなぁ」
炊飯器で米を炊いている間に、野菜と肉を鍋で炒めてカレーを作る。パッケージ通りの分量でカットした具を炒めて水とルーを投入するだけの作業で、容易に美味しい一食ができるのだから、カレールーは実に画期的だ。追加で輪切りにしたナスを放り込むだけでも、まるで別物になる。
「そんなにおかしいか?」
カラ松くんはテーブルにカトラリーを並べながら、不服そうに片方の眉を吊り上げた。
「昔はほら、一点ものとかオンリーワンにこだわったりしてたでしょ。着回しのことなんて考えもしてなかったから、着眼点が変わったなぁって」
鍋から立ち上る湯気が香辛料の香りを運び、空腹を刺激する。程よいとろみもついて、そろそろ食べ頃だ。
「…ああ、そういうことか」
彼は口角を上げ、食器棚からカレー皿を二つ取り出した。

「ユーリが喜ぶからな」

危うく、おたまを鍋に落としそうになった。カラ松くんは炊飯器からできたての白米を皿によそう。視線は皿に落としたまま、何食わぬ顔で。
「ユーリが選んだ服を着て行くと、すごく嬉しそうな顔をするだろ。べた褒めしてくるし、その後もオレをチラチラ横目で見てはニコニコしてる。
その顔を見てると、オレはすごく幸せ者だなと思うんだ」
彼が手渡してくる皿の重みに、私の意識は現へと引き戻される。顔を上げたカラ松くんと視線が絡み合うと、彼はにこやかに微笑む。
「心配するな。ユーリに盲目的だったり依存してるわけじゃない。
もし仮にそうだとしたら、オレは一年通してユーリの選んだ服しか着てないはずだろ?」
「それはそれで病的だよね」
「ホラーの域だ」
カラ松くんが肩を揺らすので、私も笑った。境界線の認識はあるらしい。
確かに彼は私が選んだ服を着る機会は多いけれど、目潰しさながらの閃光を放つスパンコールのパンツや自分の顔がプリントされたタンクトップも現役だ
「ガールズたちからの視線を感じることも増えた気がするしな」
笑止。
「当たり前だよ。服装変えるだけでカラ松くんはキングオブ眼福で二十四時間視姦していたい、具現化したエロスと言っても過言じゃなく──」
いかん、口が滑った。頬を赤くしながらも若干引き気味のカラ松くんの前で、私は一度意識して呼吸する。

「可愛いから」

この一言に全てが集約される。
望む姿とは対照的な評価にカラ松くんは不本意だろうが、事実だから仕方ない。案の定、彼はプラスマイナス両方の感情が入り混じった複雑そうな表情になる。
しかし次の瞬間、ハッと目を瞠る。
「いや待て…なるほど、分かったぜ、ハニー。
以前のオレはオリジナリティ溢れるが故にあまりにも崇高で、カラ松ガールズにとって孤高で近寄りがたい存在だったんだな。だから彼女たちは影から見つめることしかできなかった…。
そして今、親しみやすい服で身を包むことにより、コモンピープルに自ら歩み寄る慈悲深く博愛な……オレ!」
見習いたいポジティヴシンキング。
「つまりユーリもオレをより身近に感じたいと、そういうわけだな?」
「そうだね」
「へッ!?」
自分で言って驚くのはなぜなのか。
「カラ松くんは着飾らなくても十分素材がいいんだって、もっと世間に広めたいってのはあるかも」
「ユーリ…」
カラ松くんは私からカレーが盛られた皿を受け取って、先ほど購入した服の入った袋をチラリと一瞥する。

「…オレはずっと、一目見ただけで目に焼き付くほどのオンリーワンを目指してきた。オレほどのいい男は服も当然スペシャルであるべきだ、と」
その結果のスパンコールとフェイスプリントか。想像を絶する発想の飛躍。
「ただ、その考えはユーリと出会ってから少しずつ変わっていったんだ。
不特定多数対象じゃなく、オレが望む相手にとってのオンリーワンになる方がよっぽど難しくて…幸せなんじゃないかって」
会う回数を重ねれば重ねるほど、カラ松くんの突飛な出で立ちは鳴りを潜めるようになった。愛読する雑誌が変わり、シンプルなアクセサリーをつけるようになるその過程を、私はずっと見てきた。
「私はカラ松くんに似合う服を選んできたつもりだけど、カラ松くんの好きな服を着たらいいと思うよ」
私の好みを強要したことは一度もないが、そう言えば了承も得ていなかったことを思い出す。彼は肩を揺らした。
「ドントウォーリー、ハニー。オレはずっと好きな服を着てる」
「迷惑じゃなかった?」
「ゴッドに誓おう、そんな考えは一度たりともオレの脳裏には浮かばなかった。ブラザーたちに服を変えろと言われた時は、なぜオレのセンスが理解できないかのかと不思議に思ったくらいなのにな」
「あはは。でも怒られてもスルーするカラ松くんが目に浮かぶよ」
圧倒的存在感を発揮することにパラメータが全振りされた服装は、オンリーワンを目指す彼の戦闘服でもあったのだろう。兄弟の助言はありがた迷惑だったに違いない。

「───でも一番はやっぱり、ユーリが嬉しそうにするからなんだ。
それだけは知っておいてくれ」

照れる推しは今日も尊い。




空になった食器を洗い終えた頃、カラ松くんが冷蔵庫から取り出したピッチャーで麦茶のお代わりを注いでくれる。
けれど、冷蔵庫にピッチャーを戻して扉を閉める音が聞こえても、カラ松くんはしばらくキッチンから戻ってこなかった。リビングのローソファに背を預けてスマホを眺めていたから、彼の戻りが遅いと気付くのに時間を要した。
「カラ松くん?」
私が画面から顔を上げると、彼はまるで何かを探すように室内を見回していた。その手には青色のキッチンタオルが握られている。
「ユーリ……いや、その…オレの勘違いかもしれないんだが」
「うん」

「青が増えてないか?」

束の間、部屋はしんと静まり返る。静寂を破ったのはカラ松くんだった。
「え、あ、何だ…ええと、以前よりも部屋の中に青い色が増えたような、そんな気がして……すまん、変なこと言った、忘れてくれ」
彼は気恥ずかしそうに指先でこめかみを掻いた。
「あー…気付いちゃった?」
私は私でばつが悪い。
「え」
「青ってほら、カラ松くんのトレードカラーでしょ?
私も意識してなかったし、そういうつもりはなかったんだけど…何か選ぼうとした時に、ふと目にいくのは青だったりするんだよね」
カラ松くんが握るキッチンタオルも右に同じだ。買い替えるために売り場を覗いた時、真っ先に目に飛び込んできたのは青色だった。インテリアとの兼ね合いも考慮した上での合理的な選択だったとその時は自負していたが、今となっては所詮言い訳だ。結果が先にあり、もっともらしい理由を後から用意した。
だから最近は意識的に青を外すようにしている。厳選しているのだ、これでも。直感で選ぶと真っ先に青が候補に入ってしまう。
「でもね、色だけで決めたわけじゃなくて、例えばそのタオルは使い心地ももちろん重要視したよ。吸水性高いし、洗濯にも強いし」
事情を説明すればするほど言い訳がましくなる。墓穴を掘っている。
「───ハニー」
リビングの床でカラ松くんが膝を折る。まるで跪く騎士のように。

「…それ以上言ったら、自惚れてしまうぞ」

蛍光灯の光を受けて輝く茶褐色の瞳が、私を映す。
「今自惚れなくていつ自惚れるの?」
今でしょ、なんて古いネタで茶化すのは止めた。
カラ松くんは目元を朱に染めて視線を私以外のあちこちに向けた後、小さな溜息と共に私と向かい合う。湧き上がる衝動を必死に押し留める、そんな印象を受けた。
「カラ松くんは好きじゃないの?」
「へ?」
「青色」
私の問いに、彼は首を傾げる。
「好きとか嫌いとか……そもそも六人もいるから分かりやすく区別するための記号的な意味で、紆余曲折の末に青になったんだ。男らしい色の代表格だから嫌いではないが、特別思い入れがあるかと訊かれるとそうでもない。
まぁ、さすがに付き合いが長くなった今は、オレの色だとは思うけどな」
六人が同格だった幼少時とは異なり、各人が別人格であることが主軸となり、個々や私物の明瞭な判別が必要になった結果、視覚的区別が採用された。結果論かもしれないが、それぞれの持ち味を的確に表現した色だと思う。
「青はカラ松くんに合うと思うよ。二度目に会った時が青い服だったから、それがスタンダードって刷り込みされてるだけかもしれないけどね。
でも、例え別の色でも───」
もし青でなくても。例えば赤や緑でも。

「カラ松くんの色を、私は好きになるよ」

それが推しカラーというものだ。青だからではなく、カラ松くんの色だから。カラ松くんを連想させる色だから、私は選ぶ。
自分で言っておきながら、ああそうだったのかと思い至る。そこまで考えたことがなかったから、目から鱗だ。
価値観の一つを言語化できた清々しさに浮かれて、カラ松くんが長らく無言だったことに気付かなかった。どうしたのかと見やれば、彼は一層顔を赤くしていた。
「カラ松くん?」
「ユーリ…その台詞は、その……これ以上ない愛の告白に聞こえるんだが」
口元を腕で隠して紡がれた言葉に、私は僅かに目を剥く。
「あ、やっぱり?」
声を出して笑う私とは対照的に、カラ松くんは不可解だとばかりに眉間に皺を寄せた。
「私も途中から、これ告白だなって思った」
私の推し。その事実は今も昔も変わらず、私たちの関係性の根底にあるもの。
意図せずカラ松くんを口説いてしまっていたらしいことに苦笑していたら、彼は私の左手をそっと自分の手のひらにのせた。

「ならオレはその想いに応えるために、いつかブルージュエルのリングをユーリに捧げよう」

青から青を。
「指輪?」
「サファイアでもタンザナイトでも、ジュエルはユーリが望むものを」
もう片手は自分の胸元に当て、騎士は忠誠を誓う。

「ユーリの指を生涯美しく彩る色も、青に決まってるからな」