短編:しようとして落ちたもの

チビ太にとって松野家の六つ子は、いつまで経っても悪ガキのままだった。
歳を重ねて彼らが得たのは、悪巧みへの狡猾さ、酒癖の悪さ、こじらせた貞操観念といった、同年代カースト圧倒的最底辺所属も頷けるたちの悪質さだけ───そう思っていた。

ユーリという新参者が現れるまでは。


季節の移ろいに合わせるように、松野家次男は緩やかに変化を遂げていく。尖りまくった誰得なファッションセンスは鳴りを潜め、独りよがりではない思いやりを持って他者に接し、価値観の多様性を認めるようにもなった。
松野家六つ子と知らなければ、それなりにいい男と認識する者もいるかもしれない。元来の性質である非常識さが今なお現役なのは、甚だ嘆かわしいことではあるけれど。

その晩、チビ太の屋台を訪れたのは六つ子の半分だった。おそ松、カラ松、チョロ松の、いわゆる兄三人である。
珍しい組み合わせだな、という正直な感想が、出迎えの際に口から漏れた。
「ひどいんだよ、聞いてよ、チビ太!あいつら三人で焼肉食べ放題行くんだって」
暖簾をくぐったおそ松が早々に吐き捨て、カウンターに拳を叩きつける。
弟間でしか通じない手話を用いるほど結託してるのには驚きを隠せなかったけど…あいつらもたまには息抜きも必要だよね。クズ政権にはほとほと疲弊してる
続いてチョロ松が長男の隣に腰を下ろす。
「いつまで文句垂れてるんだ、おそ松。
フッ、あいつらの不在はむしろ好機。今宵はオレたち三人で腹を割って、心ゆくまで語り合おうじゃないか」
最後にカラ松が大袈裟に両手を広げた口上で、チビ太から見て右端に座った。
今晩のおでんはいつになく絶品に仕上がった自負があったのだが、最初の客が六つ子とは不運だ。支払いは踏み倒し前提のツケな上、最後はコップ一杯の酒をちびちびやりながらいつまでもくだを巻くので回転率も大きく下がる。腐れ縁でなければ蹴り出しているところだ。
「とりあえずビールね」
「ツケは受け付けねぇからな」
「へへ、だいじょーぶ。今回はちゃんと母さんから貰った軍資金があるから」
おそ松はフフンと誇らしげに鼻の下を指先で擦る。隣でチョロ松が小さく頷くので、今回に限っては支払い能力はあるらしい。

「チビ太のおでん食べるの久しぶりだよね。一ヶ月ぶりくらい?」
乾杯もそこそこに、ガラスコップに口をつけながらチョロ松が言った。
「おめーらが来ると売上落ちるから、半年くらいはご無沙汰でいてくれていいんだけどよ」
「あ、ひっでーチビ太!客に対してその言い草!」
「ツケ全額払ったらいくらでも客扱いしてやるよ、てやんでぇバーロー」
おそ松の文句を軽くいなして、三人の前にビール瓶とガラスコップを置く。キンキンに冷えた瓶からは水滴が伝い、ぽたりとテーブルに落ちた。
「つーか、カラ松はユーリちゃんと先週も来たけどな」
「そうだな」
ほんの少し笑みを浮かべて、次男は自分のコップにビールを注いだ。
ユーリを話題に出すと彼はすぐ相好を崩す。非常に分かりやすい性格と言える。
「は?待て待て」
「おいコラ」
カラ松の先週も来た発言に顔色を変えるおそ松とチョロ松。
「お兄ちゃん聞いてないんだけど」
「言ってないからな」
カラ松の返事はにべもない。
おそ松は両手で顔を覆った。
「やだもー、何なのこいつ。二匹目の松野家ドライモンスター爆誕。
本人の口からデートの報告されるより、間接的に先週こいつデートだったんだぜって知らされる兄弟の気持ち分かる、カラ松?地獄だよ
「ただでさえ弟たちに焼肉抜け駆けされて僕ら心痛めてるのに?助走つけて笑顔で殴りかかるの止めてください
「え?…えぇっ、これオレが悪いの!?」
「圧倒的に悪いな」
「最悪だわ」
長男と三男がジト目で次男を睨む。こういう時同じ顔が並ぶと効果は抜群だ。
「ええー…」
うっかり自分が口を滑らせたばかりに、カラ松を針のむしろにさせてしまった。少々の罪悪感を覚える。
とはいえ、ユーリと共に来るカラ松をチビ太は歓迎している。料金を一括で支払ってくれる、迷惑行為も皆無と、お手本のような客になるからだ。今回はオレの奢りだとか大口叩いた挙げ句ツケにして逃げることもあるが。
「どうせユーリちゃんにはいい顔してんだろ。知ってんだからな、俺」
「そりゃそうだろ。兄弟と来る時と彼女と来る時と同じ態度だったら、気味悪いじゃねぇか」
当たり前なことを言うなとチビ太が一蹴したら、いち早く反応したのはカラ松だった。彼女という単語に顔を赤くする。




「ユーリちゃんと一緒の時のカラ松って、チビ太からどう見えるわけ?」
二本目のビール瓶を手にしながらのチョロ松の問い。弟たちに除け者にされた疎外感と次男への苛立ちが飲酒ペースに拍車を掛ける。
「えー…んなこと言われても……そうだなぁ…」
チビ太は腕組みをして天を仰いだ。

「カップル」

紛うことなきカップル。
「何なら、人前で堂々とイチャつくカップル」
これに尽きる。
「あー、うん、だよね」
「分かりみが深すぎる」
おそ松とチョロ松が顔を見合わせた。
アルコールによって頬を朱に染めた二人とは対照的に、異なる意味合いで首から上に熱が集中するカラ松。
「なっ、チビ太、おま…っ!」
「だってよぉ、他の客が来たらユーリちゃんを端に座らせるし、寒そうにしてたらてめぇの上着を着せるし、おでんを相手にあーんして食わせたりって、もうまさにじゃねぇか」
やり取りが完全にカップルのそれ。ユーリもユーリで嫌がる素振りはまるでなく、カラ松の気遣いを嬉しそうに受け入れているし、何なら似た動作を返すこともある。
しかしよくよく観察すると、彼女の方が一枚上手なのが垣間見える。カラ松の趣向に付き合いつつも、手のひらの上で転がしているような空気感。余裕があるのは、いつだってユーリの方だ。
「さっさとくっつけ、ボケ」
「傍観者の僕らの方がやきもきするのって、おかしくない?」
「もー、俺もありのままの俺を好きになってくれる子いねぇかなぁ。俺すっげーいい男なのに」
おそ松の溜息には、チョロ松が眉を吊り上げた。
「そんな選ぶ側目線で余裕ぶっこき続けてきた成れの果てがこれだろうが!
素の状態で女の子にキャッキャ言われんのは、一軍かイケメンだけなんだよ!性根がクズだからせめて表層くらいは一般人に擬態しないと土俵にも立てねぇんだよ、弁えろクズが!
激昂し、コップの中の液体を煽る。
チョロ松が吐き出した言葉は表現こそ荒々しいが、内容は真理だ。年頃を過ぎてなお自然体で好かれることがなかったなら、清潔感や真摯さといった好印象を抱いてもらえる要素を身につける必要性は出てくる。そうして相手の選択肢に潜り込むのだ。
「…チョロちゃん情緒ヤバくない?」
「誰せいだ!」
チョロ松が中身の少ないコップを荒々しく置いたせいで、カウンターに液体が数滴飛び散った。それを無言でカラ松が拭き上げる。視線は兄弟に向けたまま、自然に。
長年、己の一挙手一投足のアピールが鬱陶しいくらいのカラ松だったのに、他者に気付かれない気遣いを条件反射のように行うようになったのは、ユーリの影響に他ならない。

「でもユーリちゃんはほんっと男見る目ないよな。同じ顔六つなら、俺が断然一番じゃん」
おそ松は半分に切った卵を口に放り込む。細めた目は据わっていて、酔っているのは一目瞭然だった。チビ太は呆れ返る。
「おめーそれ何回目だよ。耳にタコっつーか、勝算あるならおめーが告白でも何でもすればいいじゃねーか」
できもしない癖に文句だけはいっちょ前なのは相変わらずだ。おそ松は眉間に皺を寄せた。
「は?冗談でもそんなことしたらカラ松に処されるからね、俺。ミンチだよミンチ」
挑むなら墓標を先に用意してからにしろよ、おそ松」
それまで無言を貫いていたカラ松が、不穏な空気を纏いながら兄に強い眼差しを向けた。意図的に感情を載せない、低い声だった。
「優しいユーリのことだ、波風立てないよう婉曲な断り方をするかもしれん。それを勘違いして強引な手段に出ようものなら───分かってるよな?」
「ほらー!チビ太のせいで!」
「知らねぇよっ」

おそ松の告白をユーリが承諾する可能性を露ほども想定していない。チビ太にはそれが意外だった。
指摘したら、カラ松はどんな顔をするだろう。




いつの間にかこの場にいないユーリが話題の中心になっている。罵詈雑言ありで決して楽しげな会話の流れではないけれど、彼女いない歴=年齢の六人の中で、現状高確率で恋人ができそうなカラ松を希望の星として認識しているのは間違いなさそうだ。
彼の変化をきっかけに、好影響が自分たちに波及することを期待しているのかもしれない。自分自身は何の努力もせず、おこぼれに預かりたいのだ。何と虫のいい話だろう。

「ユーリちゃんのどこがいいの?」
「全部」
唐突の質問にも関わらず、カラ松の目に迷いはなかった。逆に白けるのが聞き手の二人。
「駄目だこれ」
「早く何とかしないと」
「だって全部なんだもん」
「もん、じゃねぇから。二十歳超えた男がかわいこぶるな、気色悪い」
頬を膨らませ抗議する成人男性、確かに愛らしさは微塵もない。
「お前を推してるっていう最大級の欠点あるじゃん」
「ハニーの審美眼が正確無比である裏付けだろ」
「そうだ、こいつ自己肯定感チョモランマだったわ
コントか。
途切れることなく繰り出されていくボケとツッコミに、チビ太は合いの手を挟むのも面倒になり傍観者に徹することにする。

「ユーリは可愛い」

カラ松が口火を切る。
「何、急に。まぁそうだけど」
チョロ松は唖然としつつも同意した。
「絶世の…というわけではないが、オレにとっては世界で一番綺麗だしキュートだ。声もスタイルも笑い方も性格も、誰が理想かと聞かれれば───ユーリだと答える」
おお、と感嘆の息を漏らしたのはおそ松だった。松野家次男が彼女への想いを詳細に語るのは稀有なことらしい。
おでんから立ち上る湯気が、ひどく熱い。汗が吹き出そうだ。
「そりゃまだ妙に緊張もするし、あれやこれやしたい気持ちもまぁ正直…めちゃくちゃある。ただそれ以上に、一緒にいて落ち着くんだ。
長い時間無言でいても気が楽な女の子は、ユーリしかいない」
激しい劣情とは一見相反する、気楽さ。時間が許す限り共に過ごしたいと彼が願うのは、そういった居心地の良さもあるのだろう。依存も干渉もしない、彼らにとってはちょうどいい空間が構築されている。

「それで───ユーリちゃんとは、どこまでいった?」
こんにゃくを勢いよく噛み切ったおそ松が、核心に迫る。場の空気を読まない彼の性質は、こういう時に長所として発揮される。
「どこまで、って…」
「手を繋ぐのは?」
「した」
「抱きしめるのは?」
「…した」
「キスは?」
「……してない」
妙な間があった。チビ太も作業の手を止めてカラ松を見ると、不自然に目が泳いでいる。耳は赤く、目は口ほどに物を言うとは、まさにこのこと。
なるほどね、とチョロ松が訳知り顔。
「口にしてないってだけで他はあるわけか。意外とやるじゃん、カラ松」
三男の揶揄にも否定しないところを見るに、事実らしい。
「どこにしたの?手?おでこ?それとも服で隠れてるとこ?ユーリちゃんの反応は?」
「ど、どこでもいいだろ!っていうか、服で隠れてるとこって何なんだっ」
興味津々と質問を重ねてくるチョロ松に対して咆哮するカラ松。
「えー、カラ松お前、チョロシコスキー寄りのむっつりだったの?初めて知ったわ、俺」
「何で!?」
「待てクソ長男っ、お前はカラ松と見せかけて僕をディスるの止めろ!

恋愛話がキャッキャウフフで終わらず口論に発展し、下手もすると暴力沙汰になるのは、六つ子にとって通常運行だ。経験値が少なく想像で補う必要があるため、会話が持続せず面倒になるのである。
適度なところでの幕切れはカラ松にとっては幸いだったのだろうが、彼は中身の少ないグラスを片手で振りながら口を開いた。

「世界中の男がユーリの虜になってもおかしくないと、本気で思ってる。それだけ魅力のあるレディだ。
…とはいえ、何だかんだと理由をつけることはできるが、結局のところユーリの何にこうも目を奪われるのかは、オレ自身言葉で表しきれないのが本当のところだ。
ただ───」

カラ松は目を細めた。際限のない愛おしさを滲ませて。

「幸せそうに笑ってくれて、側にいてくれて、守ろうともしてくれる───そんな相手に惹かれない奴がいるか?」